第一話 感情があふれた日
王都、セリオナから遠く離れたこの辺境の地にも、季節の巡りは等しく訪れ、村人たちは「春祭」の準備に追われていた。
広場には、真新しい布で彩られた屋台が並び、子どもたちは花冠を編み、大人たちは祭壇に捧げる供物を準備している。パン職人のフェルナンおじさんは、特製のハチミツパンを何十個も焼き上げ、薬草師のララ婆は若葉の香りを詰めた香包を配っていた。
――だが、村はどこか静かだった。
祭りを祝うはずの笑い声が、心からのものに聞こえない。花で飾られた家々も、どこか作り物めいて見える。
「……みんな、笑ってるのに、目が笑ってない」
リノア=アストリアは、広場の端に立ち、賑やかに見える風景のなかに沈んだ空気を感じ取っていた。
春祭は、本来“感謝と祝福”を表現する場のはずだった。
それが今では、決められた形式で「感情の演技」をするだけの儀式に成り果てている。
人々は、喜びすら「型」に嵌めて表現する。子どもがはしゃぎすぎれば、親が眉をひそめる。年頃の娘が頬を赤らめれば、周囲が冷ややかに目を細める。
(みんな……心をしまいこんでる)
リノアは胸の奥がきゅっと締め付けられるのを感じた。
春の陽気が空を包み、花が咲き乱れるなかで、なぜか自分だけが寒さを感じているような、そんな感覚。
そのとき、彼女は、
自然の中にいれば、少しは胸のざわめきも静まるかと思い。
ーー「今日の午後は、村の裏山の古い森に春祭の供物として花を摘みに向かう」と決めた。
しかし、
その時の彼女は、まだ知らなかった。
その決断が自分の運命を大きく変える出会いにつながるとは!
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宣言通り、午後
花を摘みに行くという名目で、リノアは村の外れにある古い森へと足を踏み入れた。
そこは、
春の陽光が木々の間から斜めに差し込み、柔らかな草の香りが風に乗って漂ってくる。そして小鳥のさえずりが遠くで響き、足元では小さな野ウサギが茂みを駆け抜け、まるで自然そのものを表現している場所だった。
けれど、心は晴れなかった。
――どうして、こんなに息苦しいのだろう。
その森の笑い声の渦のなかにいても、リノアはどこか置き去りにされたような気がしていた。感情を抑え、役割を演じることが正しいとされる村の暮らし。その違和感は年を重ねるごとに強くなっていた。
十五になった今年、とうとう限界を迎えたのかもしれない。
「……私の“気持ち”って、間違ってるの?」
誰に聞くでもなく、そう呟くと、どこかから風が吹いた。
ザァ、と木々がざわめく音が、言葉のように聞こえた気がする。
森の奥へ、導かれるように歩いていくと、周囲の空気が次第に変わっていった。
葉の色が濃く、太陽の光が届きにくくなっていく。小道はやがて消え、岩と苔の混ざった地形へと変わる。誰も通らなくなった古い境界。
そこに、地面の一部が不自然に盛り上がっている場所があった。
(なに、ここ……)
リノアが近づいたその瞬間。
足元の地面が、バキリと音を立てて崩れた。
「きゃっ――!」
土埃が舞い、視界が白く霞む。身体が落ちていく感覚に襲われ、目をつぶった。
……どれほど落ちたのか、わからない。
気がつけば、薄暗い空間の中にいた。
天井には蔓植物が絡みつき、壁は古代の文字が刻まれた石でできていた。光源もないのに、どこか幻想的な青い光が差し込んでいる。
ーー「ようやく、来たんだね」。
突然、幻想的で、どこか安心感と懐かしさを覚える声があたりに響きわたった。
ーーリノアはゆっくりと立ち上がり、声のする方向を見た瞬間、彼女は目を見張ったと同時に、心臓が大きく脈打った。
何故ならそこには、
ーー「青白く揺れる光に照らさた、祭壇の前に立つの少年の姿」があったから。
そして少年の姿をよく見ると、
黒い外套に包まれた華奢な身体、月光のように淡く光る銀の髪が見えた。だが何よりも――その瞳が印象的だった。
深い蒼。けれど、底の見えない静かな湖のように、揺るがず、すべてを見透かすような光を宿している。
ーー「……誰?」
そう問いかけたリノアの声は震えていた。怖かったわけではない。ただ、この出会いが“特別”なものだと、本能が告げていた。
少年は、リノアの問いに答える前に、ゆっくりと一歩近づいた。
そしてまた、あの幻想的で、どこか安心感と懐かしさを覚える声がまたあたりに響きわたった。
ーー「君の名前は、リノア=アストリア」
彼女はちょっと恐怖を感じたので、
ーー「えっ……どうして、私の名前を……?」と言いながら、一歩後退りしてしまった。
それでもなお、少年は続けた。
ーー「ずっと、君を見ていたから」
その言葉に、リノアの息が止まった。知らないはずの少年に、自分のことを“知っていた”と言われる。それは不思議な安心感と、恐怖の入り混じった感情をもたらした。
その後、
ノアと名乗った少年は、まるで夢の中にいるような声で語り続けた。
「君の中には“火種”がある。ずっと前から、目覚めの時を待っていた」
ーー「火種……?」
リノアの胸が、また熱を持つ。
それは、あの夢の中で感じたもの。涙のように胸を濡らし、やがて光に変わる感覚。
「君の感情は……とても純粋で、強い。でも、この世界はそれを否定する」
ノアの声が、どこか寂しげだった。
「だから僕は、君に伝えに来た。“感情を恐れるな”って」
ーー「でも……」
リノアは自分の手を見つめた。
「私の感情が暴れたら、誰かを傷つけるかもしれない。『涙雨の災禍』みたいに……」
ノアはそっと近づき、リノアの手に自分の手を重ねた。
その瞬間――胸の奥から、じんわりと温かいものがこみ上げた。
「感じてごらん。これは“力”だ。怖がる必要はない」
言葉ではない。心に直接届くような“想い”が、ノアの瞳から伝わってくる。
「君は、まだ知らないんだ。感情が導く“本当の魔法”を」
リノアの心が震える。涙が零れそうになる。
でも自然と怖くはなかった。むしろ、あ
ノアの存在が、まるで夜空に輝く星のように、自分の中の迷いを照らしてくれていたから。
「君となら……変えられる。この世界を」
そう言ったノアの手から、淡い光が広がった。
その光に照らされ、黒衣の少年
ーーノアの顔少し前よりもはっきり見えた。
年の頃はリノアと同じくらい。 けれど、
彼の顔は、どこか大人びていて、その瞳もまた“長い時”を歩んできな者のような深みが宿っている、と感じられた。
ーー「きれいだね」と、ノアは静かに言った。
ーー「きれい……?」
リノアは確かに“きれい”だとは思った。けど、それと同じぐらい何故光っているのか、
疑問でならなかった。
それを察したのか、ノアは説明をはじめた。
ー「“共鳴”、人は誰かと心が重なったとき、感情が膨らみ、力になる。怒りは刃となり、
悲しみは雨、喜びは光となる。それが本来の魔法の姿。」
リノアは戸惑いながら答えた
ー「でも……こんなの、教わってない。魔法は、もっと……数式とか、呪文とか……」
「それは“形”にすぎない。真の魔法は、“感情”から始まるんだよ」と。
ノアは言いながら、今度は重ねた手をゆっくりと握った。すると、今度はリノアの手にもうっすらと
炎のような揺らぎが浮かんだ。だがその揺らぎは熱くも冷たくもなく、むしろ、”懐かしさ“や温かいみが感じられる。
「僕と同じ。君も、感情から魔法を得た。だからこそ分かるんだ。君の中にもー強い“力”眠っておることに」
ーー「力……」
「そう!君は、選ばれたんだよ。きっと……もうすぐ、思い出すだろう。君が何者で、何故今ここにいるのかを」
ー「私は……何者なの?」
そうリノアが問いかけると、ノアはふっと微笑みを浮かべ、何か言いかけたとき、
村の鐘の音が、微かに聞こえた。
ーーー(続く)
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
この章では、リノアが自分の中にある“感情”と初めて真剣に向き合い、「魔法」としてそれが形になる瞬間を描きました。
リノアの中に芽生えた違和感、不安、そしてほんの少しの希望。それらすべてが、物語の核になっていきます。
そして、彼女とノアが初めて出会いましたね。まだ多くは語られていませんが、二人の関係はこの世界の真実に大きく関わってきます。
次章から、リノアの心の旅が少しずつ動き出します。どうぞ、彼女と一緒に歩んでください!