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「え? 何で? 何でこうすると、五等分できちゃうんだ?」
将聖は折り紙を見つめながら呟いた。眉間に深い縦皺を寄せている。折り紙についた折り目から、目が離せないようだった。
優希はただ困り果てたまま、その様子を見ているしかなかった。
今日一日の放課後だけでは、星の切り出しは終わらなかった。まだ十六等分された紙は大量に残っていたのに、最終下校の時間が来てしまったのである。
吹き流しの提出期限は間近だった。今週中には完成させないといけない。このためみんなで「宿題ね」と手分けして持ち帰り、家で続きをすることにしたのだった。
しかし、帰宅してしまうと優希は全く気が乗らなくなった。これを一人でやるのはどうにもつまらなかったのだ。
「よし。将ちゃんと一緒にやろう。」
そう決めて、夕飯を食べてからその家へ向かったのであるが、その前に、優希は二つの事を準備しておいた。
一つはもちろん、お菓子だった。これがなければ始まらない。ちょうど家にあったチョコチップクッキーを何枚かもらい、それを優希はランドセルに入れた。
もう一つは、インターネットで「五芒星形の切り出し方」を確認することだった。学校で、将聖は「五芒星形の切り出し方」にひどくこだわっていた。優希の母は新しい料理に挑戦する時、よくスマホで作り方を検索して参考にしている。自分も同様に「五芒星形の切り出し方」を調べて行ったら、将聖が大喜びするかもしれないと思ったのだ。
ネットにはちゃんと「五芒星形の切り出し方」の情報も掲載されていた。自分がその作り方を練習している間に、母も「お裾分け」のラザニアを焼くと言ってくれた。
優希は学校から持ち帰った折り紙をそのまま使って、五芒星形の切り出しを練習した。何枚か使ってやってみると意外に簡単で、しかも六芒星形を作るよりも、ほんの少しだけだが工程が楽だった。
フリーハンドで紙を三等分に折るのは、意外に難しいものなのだ。五芒星形を作る方法には、この煩わしさが存在しない。それに、折った紙にハサミを入れる際の、五芒星形の厚みは十枚分。六芒星形の十二枚よりも、ほんの二枚だが少なかった。わずかな差ではあるが、ハサミを入れる際の力加減だって、楽になるならそれに越したことはないのである。
――きっと将ちゃん喜ぶぞ。
優希はソワソワと立ち上がった。早くこれを将聖に伝えたくてたまらなかった。
ラザニアもちょうど焼き上がったところだった。
この時優希がネットで知った「五芒星形の切り出し方」はこうである。
折り紙を縦横に折り、折り目で正方形を四つ作る。折り目を入れたら二つ折りの状態にし、わの部分が下になるように置いておく。
折り目により、この時折り紙は二つの正方形が左右に並んでいる状態になっている。右側の正方形を斜めに折り、対角線を二つ入れる。折り目を入れたらまた二つ折りの状態に戻しておく。
二つ折りの状態の折り紙の左下の頂点を、右の二つの対角線の交差点に合わせて折る。
折ってできた台形をさらに二つに折る。この時、元の「二つ折りの状態」の時のわの部分に対し、「頂点が一つで同じ角度」の扇状になるように端を合わせながら折っていく。
できた扇状の角度を保ったまま、残りの紙も折り進めていく。折り紙は五等分の角度に、扇状に折り上がる。
ハサミを入れる(入れ方は、ここでは割愛する)。
優希は、将聖にこの方法を伝えた。実際に折り紙を切って、完成品も見せた。
その完成品を見て、将聖はショックを受けた様子で固まってしまった。
「え……。そんなに簡単にできるの?」
「うん……。」
将聖は嬉しそうではなかった。すぐに優希の教えた方法で、自分も大きな折り紙を使って同じように作り始めたが、同じくらい綺麗な五芒星形ができ上ったのを見ても、さらに深刻そうに「うーん……」と呻いただけだった。もう一枚折り紙を取り出し、ハサミを入れる直前まで折り目を入れて、手を止める。
そしてその紙を開くと、じっと折り目を見つめたまま動かなくなった。
それから将聖はノートを開いた。四角形をたくさん書き、そこにさらに点線や数字を加えながら、一心不乱に考え始めた。
「ここが一で、ここが四倍になればいいからこう折るのか……? でも、縦に四等分に折ったって、角度は四倍にはならないよな?」
「あ……っ。この線を延長すればどうなるんだ? 五倍のところで交わったりするのか? あ、やっぱり違うや……。」
「ええ……。どういうこと? 何でこれで角度を五等分できるの?」
そんなことを呟きながら、何度も何度も四角形を書き込んでいる。
「将ちゃん。明日までに星全部作んないと、ともやんにまた怒られるよ?」
優希はそう声をかけてみたが、将聖は取り合わなかった。
「待って、待って。ちょっと考えさせて。」
そう言って、将聖はまた別なページに四角形を書き足し始めた。
小学生の将聖には分からなかったが、これは「三角関数」で導き出される方法だった。
五芒星形を作るためには、折り紙を五等分の角度で折る必要がある。半分に折ってから切り出すなら、一八〇度の五分の一、三十六度の角度で折り目を入れなければならない。この角度を入れるところに、将聖は苦労していたのだった。
だが三角関数を使えば、その二倍の角度、七十二度を、紙を折るだけで導き出す事ができるのである。
七十二度のタンジェント(tan72°)はおよそ三・○七七七。
これは「長辺が短辺の三倍となる長方形」を描き、それに対角線を引けば、でき上った直角三角形の大きいほうの鋭角がほぼ七十二度になる、ということを示している。
折り紙を縦横に四等分して折り目を入れた後、さらに一つの正方形を折って対角線を入れるのは、この「長辺が短辺の三倍となる長方形」を、折り紙の中に求めるためのものだったのだ。
分かりやすくするためには、折り紙に十六等分となる折り目を入れてみることだ。わが下になるように二つ折りにして置くと、「右側の正方形の対角線の中点」は、左下の頂点から折り目で数えて横に三、縦に一の場所と重なり合うことに気付くはずである。
この後ネット情報では、「二つ折りにした折り紙の左下の頂点」を「右側の正方形の中点」に重ね合わせている。これは何をしているのかと言うと、「長辺が短辺の三倍となる長方形」の対角線が重なるように折る事で、「対角線に対する垂線」を求めているのである。
最初に作った「長方形に対角線を引いてできる大きな三角形」は「直角三角形」である。
そして、その「対角線の垂線」が長方形の一辺にかかるとき、それによって生まれた小さな三角形もまた「直角三角形」となる。大きな三角形と小さな三角形は、三つの頂点のうちの一つを共有した「相似」の関係にあり、このため「対角線に対し引かれた垂線」は「長方形の長辺に対し七十二度の角度になる」のだ。
あとは得られた七十二度を半分に折れば三十六度が得られるし、その角度を崩さぬように蛇腹に折り進めてハサミを入れれば、限りなく「正五芒星形」に近い五芒星形を切り出すことができる、というわけだ。
ネットで優希が調べた「五芒星形の切り出し方」は、一見簡単なもののように思えるが、実際には、その方法は高度な数学の知識によって得られたものだったのである。
「相似条件」を学ぶのは中学二年生、「三角関数」を学ぶのは高校に入ってからのことである。将聖がこの方法の裏側に秘められた、深遠な数学的意味を知るのは、まだまだ遠い先のことなのであった。
「悔しい。あ~、悔しい悔しい……っ!」
だが、まだ将聖は呻いていた。
「何でこうすると、五等分できちゃうんだ? 何でこっちの四角形の真ん中なんだ? ……分かんない。全っ然分かんない!」
そう言いながら、食い入るようにして折り紙を睨み付けている。優希が方法を教える前よりも、むしろ方法が分かった今のほうが諦めきれない様子だった。
「待って。ここは本当に三十六度なの? もしかして、少し誤差とかあるの?」
そう言いながら、今度は、将聖は確認するために折り目に分度器を当て始めた。
「三十六度だ。……こっちもちゃんと、七十二度だ。分かんない。……困ったぞ、何でこうなるのか理解できない!」
悔しさの余り、将聖の顔は真っ赤になっていた。イライラした様子で、貧乏ゆすりを繰り返している。
優希は「まずいことしちゃったかな?」と思いながら、心配そうに将聖の顔を眺めた。
クイズやクロスワードパズル答えを先回りして教えられてしまった時の悔しさを、優希も身をもって体験して知っている。以前将聖に「先に答えを言わないでよ!」と言い渡したこともあるというのに、今同じ事をしてしまったと気づいたのだ。
――将ちゃん、ずっと自分で考え出そうとしてたんだ……。それなのに、余計なこと言っちゃった。怒っているかな? やっぱ怒ってるよね……?
そう思って狼狽えてはみたものの、後悔は先に立たないものなのである。
しかし突然、将聖の貧乏ゆすりが止まった。
「あ。」
将聖は目を見開いた。
「でも今、一個だけ分かったことがある……!」
静かに、しかし勝ち誇ったように将聖は言った。
「折り紙を折る角度とか考えているうちに気付いたんだけどさ、この星型の尖っているとこ、ここの角度って三十六度なんだよね。ほら、この出っ張った三角のとこ。二等辺三角形だから、あとの二つの角度が七十二度で、中の正五角形は一個の内角が百八度になるんだ。七十二度も百八度も三十六の倍数で、二倍と三倍の数字なのね。」
将聖は興奮した様子で、優希の顔を覗き込んだ。
「でさ、でさ、何が言いたいかって言うと、『水滸伝』の天罡星の三十六人とか、地煞星の七十二人とかって数字はどこから来ているんだろうっていう話なんだ。ずっとずっと不思議に思っていたんだけどさ、確かに『星』から来ていたんだよ。星の角度だったんだ……!」
キツネにつままれた表情で、優希は将聖の顔を見返した。ついさっきまでは猛獣のような目つきをして、ノートを見ながら苛立ちを隠せずにいたはずなのに、その将聖が今はその目をきらきらさせて、勢い込んで優希に何かを説明している。すっかり元気を取り戻した様子で、徐々に口調も早くなっていった。
「だからさ、もしかしたら仏教の煩悩の百八つっていう数も、星から来ているのかも知れない。ホントは百八つじゃ済まなくて、『星の数ほどある』って言いたかったのかも。だから『星』にまつわる数字の中で一番大きな数字が選ばれたんだ。それが百八度。」
うおおー、大発見しちゃった、と将聖は歓喜の声を上げた。一方の優希は、何がそんなに嬉しいのかまるで理解できなかった。『水滸伝』などよく知らないし、そもそも小説を書くのにそんな図形の角度が必要だとは思えなかったのだ。
優希にとって、目下の大事は手元の折り紙を全部星にしてしまうことなのだった。手先の器用さには自信があるが、集中力はもう底を突きそうだった。しかも明日までにこの面倒くさい作業を終わらせなければ、ともやんに何を言われるか分からないのである。
――お土産のチョコチップクッキー、将ちゃんにやるんじゃなくて、まりあちゃんにあげればよかったかな? ああ、でもまりあちゃん、結構ダイエットとか気にしているからな……。
お菓子でまりあちゃんを釣ることはできないかあ、と残念そうに、内心一人優希はぼやいていた。
だが、一方の将聖は有頂天になっていた。この友人には珍しく「これで姉ちゃんに勝った! 絶対絶対驚かせてやる!」とガッツポーズを取りながら息巻いている。
――もしかしたら、宇宙からまた変なメッセージでも受け取っちゃったのかな?
優希は一瞬、そんな事を考えた。以前まりあが言っていたのを思い出したのだ。
「あいつ頭いいんだよ。まだ学校で習っていないようなこと、間違ってあたしが言っちゃってもさ、ばばばーっと閃いたみたいに分かっちゃう時があるんだ。空からメッセージでも降りて来てるみたいでさ。ああいうところはちょっと羨ましいよね。」
どこが羨ましいのだろう、と優希は思った。今の将聖は間違いなく、宇宙から怪しい通信をキャッチした、かなり「電波な人」である。
――ま、いっか。
優希は心に呟いた。喜びに浸っている将聖の横顔を、訳も分からずただ黙って眺めているだけだが、先ほどの難しい表情よりも、今の舞い上がっている表情のほうがずっといいと思ったのだ。
しばらくして、将聖も不意にはっとした様子で優希に向き直った。自分一人が夢中になって、一方的にしゃべっていることに気が付いたのだ。
「またやっちゃった。ごめん。」
慌てた様子で、将聖は言った。
「つまんない事しゃべっちゃって、ごめんね?」
「ううん。つまんなくない、大丈夫。」
にっこり笑って優希は首を振った。
「今分かんなくてもさ、後で絶対、俺にも分かるんでしょ?」
今回この作図を通して知ったのは、この方法を使っても
「『ほぼ72°』は決して『正確な72°』にはならない」
ということです。
三角関数「tan72°」は「3.0777」であって、決して「3」ではないんですね。
CADで作図中も、この「0.0777」のためだけに思ったように描くことができず、本当に苦労しました。
上記の図も、「数学的には間違っている」図になります。
ご承知おきくださいますようお願いいたします。