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全国には様々な言葉に関するコンテストがある。
標語やキャチコピー、和歌や俳句などのコンテストのことだ。それに加え、変漢ミスや川柳、回文といった言葉遊びの分野のものもある。面白いものは新聞に掲載されたり、テレビのニュースで取り上げられたりすることもあるので、たとえ直接参加しなくても、多くの人々が大なり小なり関心を寄せている分野であるともいえるだろう。
そしてこの春、将聖の街では、地元の大学と自治体の共同主催で「語呂合わせコンテスト」なるコンテストが開催されたのだった。正確には『遺構と日本史の裏話 ~年号の暗号~』というイベントの中で用意された、日本史とはあまり関係無さそうな企画の一つであったのだが。
街の中心部にある、市立図書館も入ったモダンな施設では、いつも様々な市のイベントが開催されている。主催者側はできるだけ多くの人々の関心を引こうとあの手この手を駆使しており、実際に市内の人気スポットの一つとなっていた。
そして今回のイベント『遺構と日本史の裏話 ~年号の暗号~』では「あなたは作れる? この語呂合わせ」というごく平凡なキャッチコピーで、年号などに関するいくつかのお題が提示され、広く市民に参加の呼びかけが行われたのである。
市民センターや地下鉄構内、市営バスの車内などに募集要項のチラシが置かれたほか、市政だよりにもその記事が掲載された。教育委員会を通じて地元の小、中学校宛てにも募集の呼びかけがあり、将聖の学級でも、国語の時間を使って「自分の学校の創立記念日の語呂合わせ」「郵便番号の語呂合わせ」など、簡単な語呂合わせに挑戦したくらいだったのだ。
そんな中、コンテスト「一般の部(高校生以上)」の中で、「最も難しいお題」として出題されたのが素数を数える語呂合わせだった。
素数とは「一と自分自身以外の約数を持たない数」のことである。真偽のほどは不明だが、数えると気持ちを落ち着かせる効果があるのだそうだ。数が多いのと、そういった特殊な数字であるために覚えるのが難しく、そのため様々な語呂合わせが考案されていると聞いている。
お題になったのは「二から九十七までの素数」であるが、二桁以内に限定してさえ全部で二十五個もある。その全体を繋げてまとめあげるのは、かなりハードルの高いことと思われた。
「素数は暗号に使われる」という事さえ知らない将聖にとっては、それは首を傾げるような問題だったのだ。
「話題を集めたくて選んだのかな? でも、そんな難易度の高い出題に応募する人なんかいるんだろうか? 一人も回答する人がいなかったらどうするんだろ……?」
そんな風に思っていたのだが、結果発表を見て驚いた。
何と姉のまりあがこれに応募しており、しかも当初予定されていなかった「特別審査員賞」なる賞を受賞していたからである。
その時まりあが送った作品が、次のようなものだった。
我とただ一人
七色の龍さながらに
極彩色に染め抜いて
ほしいままなる大雲は
無為茫漠と空流る
稲穂の波の中道に
並び行く雁仰ぐ時
憎からず思い出せしは
無垢なる瞳 幸の日々
二つ無き背を恋ふる身と
優しの文の染み入れば
何処行くやと鳴く鳥に
この身託して呼び眺む
なないろのたつ
さながらに
ごくさいしきにそめぬいて
ほしいままなるたいうんは
むい
ぼうばくと
くうながる
いなほの
なみのなかみちに
ならび
いくかりあふぐとき
にくからずおもいいだせしは
むくなる
ひとみ
さいのひび
ふたつなきせを
こふる
みと
やさしの
ふみの
しみいれば
いづこいくやと
なくとりに
このみたくして
よびながむ
このまりあの作品は、審査員から大絶賛を受けた。一編の詩として成立する上に、それが七五の韻を踏んだ新体詩の形式でぴしりとまとまっていたためである。
とはいえ結果的には、まりあは大賞の景品「地元産いちご(四パック入り)ふた箱」を手に入れることはできなかった。素数を昇順や降順で並べることができなかったため、「『順序に即して覚えられるようにする』という語呂合わせの趣旨には合わない」と評価されてしまったのだ。「特別審査員賞」で渡された記念品は、とても綺麗なタンブラーグラスだったのだが、すっかりいちごで祝杯を挙げる気になっていた当人は、「サギだー、ケチだー」とこぼしながら大いに唇を尖らせたのである。
「べっつにさぁ~。順番なんてどうでもいいじゃん。いろは歌だって五十音順に並んでないのに、なんでそこにこだわるワケ?」
タンブラーの麦茶を飲み干しながら、まりあはそうぶつぶつと悪態をついた。何だかんだでその景品は結構気に入っている様子だった。
「ああもうっ、あたしのいちごミルクセーキを返せ!」
――やっぱり、初めから大賞狙いだったんだ。
聞いて将聖は肩を落とした。それを隠しもしない傲慢さが、いっそ清々しいほどだった。
将聖からして見れば「その特別賞とかいうのも不要だったのに」と溜息をつかずにはいられない気分だった。どうしてこう、パワーとバイタリティにあふれたこのバケモノを、周囲は煽ってさらに増長させようとするのだろう。
成績優秀、スポーツ万能。大勢の友達に恵まれて、しかも美人ときたものだ。
その弟なんぞをやっていると、個性など存在しないも同然だった。将聖は小学校でこそ「将ちゃん」「しょっち」と呼ばれているが、一歩その外に出た途端、「まりあちゃんの弟」「くらまりブラザー」へと名前が強制変換されてしまうのである(将聖とまりあの苗字は守倉という)。あの傍若無人な姉によって、本名も、個人としての存在意義もすべて抹消されてしまうのだから、たまったものではない。
しかも、どこに姉を知る者の目が光っているか分からないので、さらに始末に困るのである。安易に女子に告白されたり、雪道ですっ転んだりすると、何故かその日のうちにはその情報が姉の所に注進されてしまうのだ。
――誰かどうか、こうして何かと注目を集める姉を持つ身の苦労を察して欲しい。
もう一度、将聖は溜息をついた。
自分はこんなに目立つ女の弟でありたくはなかったのだ。
そんな事を考えていると、心の声が表情に表れていたのか、まりあはくいっと片方の眉を上げた。
「何か言った?」
「何も言ってねえよ。」
「あっそ。」
本当はどうだか、という視線をくれながら、まりあは新聞の地方欄を指差した。
「ほらちょっと。ちゃんと見なさいよ。さすがはあたし。惚れ惚れするような才女だわ。」
そんな事を言っているが、指差しているのは自分が写った写真の方である。さらりとした黒髪とアイドルのようなスタイルを誇る人物が、いかにも可憐そうに猫を被ってそこに立っていた。
――新聞に写真が載ったくらいで、だから何だよ。
将聖は思った。この姉がそういったメディアに取り上げられるのはよくある事で、本人もそういった出来事に慣れ切っているようなところがあったからだ。自分で何かの賞を取って掲載されるのはもちろんのこと、高校の野球大会の応援に行けば、何故か応援席に座る姿が大写しになるし、たまたま休日に観光地に出かければ、地元のテレビ局から街頭取材を受けたりしている。
――あ~あ。ポーズ作っちゃって……。
将聖は紙面にぞんざいに視線を投げると、自分の部屋へ引きこもろうとした。
だが次の瞬間、将聖は姉の顔をキッと睨みつけていた。まりあが「今度母ちゃんが、焼き肉屋に連れて行ってくれるって~」と嬉しそうに呟いたからである。
「ええ? また焼き肉?」
「いいでしょ? 久~しぶりの外食だよ?」
「でも……。俺はお寿司が良かった。ずっと行ってないでしょ? 何で二人で勝手に決めちゃうんだよ。」
「だってあたしのお祝いなんだもん。あんたもお相伴させてあげるんだから、ありがたく思いなさい。」
「……何でいっつも焼き肉選ぶわけ?」
「好きだから。」
今度は将聖が唇を尖らせる番だったが、「まりあのお祝い」と聞いて、それ以上食い下がるのを止めた。理由がそうである以上、自分には選ぶ権利がないからだった。
将聖の家は母子家庭だ。母は女手一つで苦労しながら将聖たちを育てている。将聖はその姿をずっと目にしながら成長してきたのだった。
あまり贅沢はできないし、滅多なことで三人共に食卓を囲む事もできない。だが、そんな日々も辛くはなかった。いつも帰りが遅い母も、二人のうちのどちらかに喜ばしいことがあると、必ず早く帰って来て祝いの席を設けてくれるからだ。
そんな母の気持ちを察して、まりあもその寿ぎのプレゼントは素直に受け取っているようである。祝い事以外の場面では、決して外食を望むことも、年頃の女性が欲しがるような服や持ち物をねだるようなこともない姉であるが、その時だけは好きなものを、好きなだけ食べるようにしているようなのだ。
そんな母や姉に対して、自分だけわがままは言えない。
将聖はそう思っている。もし選ぶ権利をつかみたいなら、自分も何か褒められそうなことを成し遂げなければならないのだ。
そんな将聖の気持ちを知ってか知らずか、まりあは「ふふふっ」と笑うと、座っていたクッションから立ち上がった。
「ま、あんたも頑張りな。」
そう言って姉は弟に近づくと、そのほわほわした髪の毛の上に手を置いた。この二人は、顔立ちはよく似ていたが、髪の質感だけは完全に異なっていた。
まだ小学生の弟は逆らうでもなく、大人しく姉に撫でられていたが、どこか暗い表情をしていた。
「俺は、姉ちゃんみたいに頭良くねえし。」
ぼそぼそとした低い声で、言い訳がましく将聖は言った。
「……それに、別に賞とかが欲しいわけじゃないから……。」
「……ふうん。」
まりあは両手を腰に当てた。目を細めて、将聖の表情を窺うように見る。
「じゃあさ、こうしない? 今度の土曜日までに、何かを発明するか、発見できないかやってごらん。もしあたしがびっくりするような発明をしたり、なにかを発見できた場合は、お祝いの権利を譲ってあげる。メニューにいつもの焼き肉じゃなく、お寿司を選んであげようではないですか。」
「え、ホント?」」
一瞬目を泳がせて、遠慮すべきかどうか迷っていた風情だが、聞いて将聖は嬉しそうに姉を見上げた。
「ホントホント。この優しい姉を信じなさい。」
「ええ~。自分で言う?」
否定的な声を上げたが、将聖の顔は輝いていた。ぱっと浮かんだ可愛らしい笑顔に、まりあの頬も緩んでしまう。
「そ、そんな、すごい発見なんてできないよ?」
「いいのいいの。『あたしがびっくりしたら』でいいんだから。その代わり、バッチリそういうのを見つけてきな。」
「分かった!」
明るい将聖の声が室内に響いた。
次の更新は、本日(2024年5月5日(日))6時です。
「新体詩」について、七五調を確認する場合は、瀧廉太郎の『荒城の月』『花』、文部省唱歌『鯉のぼり(いらかのなみ)』などの曲に当てて、歌ってみてください。
参考までに島崎藤村の『初恋』と北原白秋の『ことりのひな』を掲載しておきます。本当に心打たれる作品ですので、ぜひ読んでいただければと思います。
著作権が切れているようですが、なにか問題があった場合は、教えていただければ幸いです。
初恋 島崎藤村
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな
林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ
ことりのひな 北原白秋
きりさめかかるからまつの
もえぎのめだちついばむか。
うぶげのことりねもほそく、
みしらぬはるをみてなけり。