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いつか彼女に食べさせたいレシピ集  作者: 八雲 辰毘古
第1話「一杯の味噌汁」
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一杯の味噌汁(後編)

 両親が死んでからこのかた、ふだんの食事はぜんぶひとりで作るようになっている。

 こんなことは当たり前だと思っていたのだけれど、どうやらそうではないらしい。


 濡れ雑巾を床にほっぽり投げて、とりあえず粉スープを封印すると、おれはキッチンを片付け始めた。食品ロスになるのが勿体無いけど、カップ麺にはご退場いただく。沸かしたお湯がそのまま残っているので、水を足して出汁パックにお越しいただいた。


 コンロの真下の引き出しは、スーパーでかき集めた出汁パックセレクションになっている。おれはその中からアゴ出汁ベースのパックを取り出した。製品の裏の説明を軽く見て、五〇〇ccの水に放り込む。

 モノによって一個のパックで拵える出汁の量が違うので、この辺は製品マニアとしては抑えておくべきポイントだった。


 冷蔵庫の野菜室をこじ開けると、そこには今週号の野菜レパートリーがまだ息を潜めて出番はまだかとこちらを伺っていた。

 おれはそこに手をガサゴソ突っ込んで、江戸菜を取り出す。高菜とも言うらしいが、地元のスーパーでは「江戸菜」と言い張ってるのでそういうことにしている。こいつの根元をシンクで洗い、端から二センチ弱のところですっぱり切る。芯を取り除くと言えば良いのか、茎と葉で束になっているので、いったんそれをバラバラにするのが目的だ。


 束がばらけると、細長い内輪のような形状の「葉」の部分が一気に解放される。そいつをまたシンクに連れ出すと、蛇口を捻って根元を洗う。この手の葉野菜は、茎が密になって泥が隠れていることがよくある。ほうれん草や小松菜にも同じアプローチが有効だ。

 生肉を直に食うことが決して健康には良くないように、生野菜それ自体も泥や虫が付いていて健康に良いとは言えないのである。それは、土から生えて土に育つものである以上、避けられないことなのだ。


 さて、泥を洗い落とした江戸菜を二センチ三センチ程度の大きさにザクザク切ると、茎の部分だけをまとめていったんアゴ出汁パックが煮詰められてあるお湯にぶち込む。

 そして忙しい社会人にはとっておきの冷凍庫を開く。そこにはいろんな食材がジップロックに封印されていた。おれはその中から迷わず油揚げのラベルを見つけて取り出す。そこにはラップで包んだちょうど良い分量の油揚げが控えていた。


 これは、スーパーでまとめ買いした油揚げを、あらかじめ使えるサイズにカットして冷凍したものだ。

 必要な時にいつでも引っ張り出せる。安い時に買って食材を冷凍するのは、日頃のやりくりでは常套手段と言って良い。


 まあ、それはとにかく。


 江戸菜と油揚げという役者が揃ったいま、アゴ出汁で仕上がったそれは最後のひとつを待つばかりになっていた。

 火を止める。出汁パックを取り出す。その空隙を埋めるように、おれはとどめとばかりに合わせの麹味噌の蓋を開けた。


 おたまですくって、鍋に入れる。おたまの先端を出汁で浸すと、ゆっくりと菜箸で味噌を溶かした。この手際のきめ細かさが、案外味噌汁ひとつの出来を変えてしまうのだ。

 きちんとおたまの中で味噌を溶かしてから、まるで生け簀で優しく育ててから大海に放流するように、味噌はゆっくり鍋に広がる。その過程そのものが味噌汁を育てる。


 熱々を食わせるのもひとつの手だけど、それだといまお腹を空かせてる当人が勢い込んで舌に火傷をしてしまう。

 いったん置いておく。その間に、ラップに包んだ半合弱の米をレンチンする。


 余った米はラップに包んで冷凍保存。これは死んだ母親に嫌というほど聞かされて、身に染み付いている。


 自動温めと六〇〇Wを三〇秒、この二回で解凍は完璧。むしろ炊き立てかと思うぐらいのホカホカの米がそこにあった。

 そいつをむんずと掴む。傍らで氷を一個、手のひらに乗っけて手の温度を下げると、すかさず米を握った。


 ディス・イズ・おにぎり。


 塩は? 手を濡らさなくて平気? ノープロブレム。これは塩麹で炊いた飯だ。そして氷で温度は下げてるなら熱も問題ないし、何よりラップ越しに握ってるので米粒が手にベタベタくっつく心配がない。

 王道の三角形の塩結び。もう一個はさすがに寂しいだろうから瓶詰めの塩サバを使った。海苔を軽く炙って、底辺から巻いてあげれば完成だ。


 あとはナスやきゅうりの浅漬けと、味噌汁と合わせてあげれば……


 一汁一菜、おにぎり定食出来上がり。


 深夜に食べるにはちょっとばかしカロリーオーバーかもしれないが、それでもお腹を空かせてしまった胃袋にはこれぐらいのもてなしが必要だった。


「わあ」


 玲緒奈は童心に返ったみたいに歓声を上げていた。

 とっさに手を伸ばしかけたが、慌ててごまかすように「いただきます」と言う。しかしそれも言い終わるかどうかのうちにおにぎりを頬張り、やっぱり歓声をあげていた。


「ひとに作ってもらったご飯て、こんなに美味しいんだね」


 その言葉は、ちょっとばかしおれにはキツく聞こえた。本人に悪意はないんだろうのはわかっていても、である。

 塩むすびを食べ切ったところで、ようやく思い出したかのように漬物や味噌汁に手をつける。おそらく彼女の口の中では、江戸菜のシャキシャキした食感が、マイルドな合わせ味噌と油揚げの甘味で包まれているはずだ。


「幸人がこんなに料理上手かったとは、知らなかったわ」

「そっか」

「なんか、すごい幸せ」


 そう言えば、家族以外にこうして料理を作るのは初めてだったかもしれない。

 そして、ご飯を作った相手にこうして喜んでもらえるのも、初めてだった。


 彼女はそれから黙々と飯を食べた。とは言っても、黙っていたわけでなく、ところどころ感激を全身で表現したようなリアクションをしていて、見ていて飽きない。

 気がついたら味噌汁の最後の一滴まで飲み干すまで見守っていた。彼女は、飲み干したかと思ったとたん、こう言っていた。


「わたしに毎日味噌汁を作って!」

「ばかやろう」


 というわけで、奇妙な二人暮らしが始まったのだった。

さあて、この二人の同居生活はどうなるんでしょうか。


次回は8/15ごろに更新予定です。

作る献立についてもお楽しみに。

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