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いつか彼女に食べさせたいレシピ集  作者: 八雲 辰毘古
第1話「一杯の味噌汁」
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一杯の味噌汁(前編)

 いつぞや別れた元カノが、唐突にヨリを戻そうと自宅に襲来してきたのは二〇二〇年六月のことである。

 世間はまさにウイルスで大パニックに陥っていた。不要不急の外出は控えてください、と言われてる圧が強いそんな中、あいつは堂々とやってきたのだった。


「ねえ、泊めてよ」


 最初は新手のピンポンダッシュかと思った。しかしだとしたら、インターフォンで捕まっている時点でゲームオーバーだった。


「なに? なんだって?」

「泊・め・て、て言ったの!」

「いやなんで」

「と・に・か・く!」


 時間はすでに夜九時過ぎである。マンションの共同玄関の前、カメラ付きのインターフォンの前で粘られるととても気まずい。こんなご時世でも出勤されてる方がいる。そんな人がくたくたになって帰ってきたら、キャリーバッグ持った女がおれん家の番号付けてギャーギャー騒いでるわけだ。

 ンなもん、ご近所付き合いとしては最悪でしかなかった。


「わかった。わかったから。騒ぐな」


 ところでいまさら言うのも変な話だけど、おれの名前は唯野(ただの)幸人(ゆきと)と言う。

 そこそこ良い大学を出て、誰も名前を知らない会社に勤めている。二〇一五年卒。それなりに頑張って、一回転職を挟んでからいまの会社では企業コンサルめいたことをやっている。


 とは言っても、世に出てようやく五年のペーペー、仕事が形になるかならないかの微妙なラインでやってるだけなのだが。


 二十七歳。三LDKに一人暮らし。こう聞くとなかなか良いご身分の大したやつだと思われるかもしれない。

 これにはちょっとしたわけがあるのだが、いまはそれどころじゃない。


 そこにヅカヅカと上がり込む女がいた。


 篠原玲緒奈(れおな)。それが彼女の名前だ。


 年齢はおれと同い年。実のところ同じ大学出身で、同じサークルに所属していた。その頃からの腐れ縁である。


 彼女は大学を出たあと、フリーターとしてあちこちで(主に居酒屋で)アルバイトをしていたらしい。しかし新型コロナウイルスのまん延防止策やら自粛やらで、各地の飲食店の営業が止まった矢先、せっかく半年続いたパートも自主退職に追い込まれたのだ。

 生計を無くし、それまで住んでいたアパートの家賃も公共料金も払えなくなった。そこで玲緒奈が苦肉の策として思い付いたのが、よりにもよっておれのところになだれ込むことだとは、いったい誰にわかろうか。


「実家はないのかよ。石川の実家は」

「親と喧嘩中」

「いまの彼氏は?」

「とっくに別れた。クソ野郎だった」

「友達は?」

「あんたと他数人しかいない」

「せめて同性にしろよ」

「わたしと同じレベルだから、ダメ」


 類は友を呼ぶという言葉の、真の恐ろしさを知るのはこの時だった。


「あとあんたは信用あるから。弱みにつけ込んでどうたらこうたらしないタイプでしょ」

「嫌な信用のされ方だ、それは」


 というか、もっと肝心なことを聞き忘れていた。


「つか、なんでおれん家の住所知ってんだ」

「年賀状。一回あいさつでやりとりしたじゃん」

「くっそ!」


 大学デビューだからと変に気合を入れたのが、この年になって裏目に出ると誰がわかるもんだろうか。

 結局、入れたことは後悔している。意地でも追い返しておけば、彼女は腹を決めて実家に帰っていたはずなのだ。


 二十七歳無職。独身。女性。このフレーズだけでもお腹いっぱいなぐらいの危険な香りは、家の中に溜まると吐き気を催すぐらいにぷんぷんと部屋を埋め尽くしてしまった。

 さいわい余った部屋があるから、荷物を追い出せば女性一人を住まわせるには事足りるほどのスペースが出来上がった。キャリーバッグひとつではあったものの、荷物は少なくない。衣服や化粧品、ほか様々な日用雑貨が部屋に広げられ、男性立ち入り禁止の個室の完成だ。


 さて、荷物と布団の準備が済んで、ようやく落ち着いたと思ったら、夜の十一時。

 まだ風呂にも入れていない。

 おれは今年の三月からずっと在宅ワークだったから、最悪明日の九時に目が覚めてもなんとか間に合う。ただ、それにしてもちょっと遅すぎる時間だった。


 だしぬけに、ぐう、と漫画でもお目にかかれないような華麗な空腹音が響いた。


 ちなみにおれは八時にきちんと食べた。だから、空腹の主が誰かは言わずと知れた。


「何も食べてないのかよ」

「大丈夫、ご飯はあるから」


 と、言いながら彼女はビニール袋をガサゴソと……カップ麺を取り出した。


「お湯ある?」

「おいおい。いや、やかんで沸かせばあるけどさ」

「あるならいい。自分でやる」


 すっくと膝を立てて台所に向かった玲緒奈だったが、数分後に泣き声まじりの悲鳴が聞こえた。あわてて駆け寄ると、粉スープが床に散らばっている。


「…………」


 隣りでボコボコ泡を立てて沸騰するお湯が、とても惨めだった。


「ごめん。近くにコンビニあったよね。自分のご飯は自分で買ってくるから……」

「いや片付けなくていいよ。第一、そんなにお金の余裕ないでしょ」

「そうだけど」


 とりあえず、散らかした粉スープは後で片付けるとして。

 おれは頭を掻いた。さて、どうしたもんだか……まあ、答えは決まってるんだけど。


「君の晩御飯は俺がつくるから、とりあえず座っててくれ」

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