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15.理解

*****


「神取、ちょっと付き合ってほしいの」


 部室において、静かに香田が言ったのである。


 どうでもいい作家のどうでもいい小説――文庫本を読んでいた俺は、なにより香田に呼びかけられたものだから、なかば驚き半分で彼女のほうを振り向いた。相も変わらず香田は黒いエナメル質のバイクスーツ姿で――ああ、俺に声をかけた意味がつくづくわからない。だから改めて訊いたのだ。「なんの用だ?」と。俺は間違ったなと思った。声をかけられたなら、「わかった。付き合おう」と言うべきだったのだ。稀有でしかない香田の誘いを断るだなんて、俺にはできるはずもないのだから。



*****


 香田のバイクの後ろに乗せてもらった。腹部に両腕を回したわけだが、その硬質な細さにぞっとした。やっぱり香田は美しいらしい。たぶん俺が彼女に触れるのは、これが最初で最後だろう。


 堤防。

 短い草むらの上。

 俺と香田はその上に座った。


「わたし、わからない。あなたはとてもうまく立ち回っているように見える。だけど、真実はわからない」


 香田の透き通った声は耳に優しい。

 警戒心が垣間見えるのは事実だろう。


「女にはできないことでも、男にできる場合がある。差別に聞こえるか?」

「区別には聞こえる」

「風間に桐敷に、そして香田、俺は喧嘩じゃおまえたちにはかなわないと考える。だが、交渉事――そんな馬鹿みたいなことにおいては、馬鹿みたいなことであるからこそ、おまえたちよりうまくやれると自負しているという側面もある」


 香田は両手で両膝を抱え、それからぽーっとした目を向けてきた。


「神取がわたしたちより弱いとは思えない」

「じつに嬉しい殺し文句だが、そんなことはない」

「神取は馬鹿なの?」

「そうなのかもしれないな」


 香田はそう簡単には笑わない。

 軽率に、笑ったりはしない。


「うまくやるさ。俺はおまえたちの仲間なんだからな。――いまのところ」

「そう、いまのところ――。あなたはなにかの折には裏切る気がする」

「それは興味深い見解だ」

「裏切ったりしたら許さないから」

「誰が誰を許さないんだ?」

「わたしが、あなたを」


 俺は笑み、それから笑い声を上げた。


「なにがおかしいの?」

「俺はなににも固執していないというのに――という話だ」

「殺すよ?」

「やってみろ」

「……できないと思う」

「できると思うがな」


 この場面で無言を貫くあたり、香田はいい奴なのだろう。



*****


 どうやら俺はそれなりに、変なかたちで認められてしまったらしい。特にパネコーと揉めたあたりについて、解決を求められるのだ。ああ、パネコー。あーあぁ、パネコー、パネコー、パネコーだ。その日もどうでもいいようなことで我が校の生徒が揉めてしまったらしいので、俺は綾野のところに出向いた。綾野は下の名前で呼べと言っていたっけ。大龍と呼べと言っていたっけ。大龍(だいりゅう)。つくづく豪放豪快豪傑の名だ。俺はそこに彼の両親の愛を見る。


 LINEでもって、パネコーの近くの河原に来てもらった。大龍は今日もでかくて立派だ。真っ向からタイマンをはれば敵わないと思うのだが――勝てる気がしないでもない。少なくとも、いい勝負はできるだろう。大男は俺の好物の部類だったりする。でかい男はそれだけで偉い。


「で、なんだ、オボッチャン。なにがあって俺に連絡を寄越してきた?」

「しょうもない話だ。おたくの生徒とウチの生徒がまたまた揉めたらしい」

「またまたまたかよ、馬鹿が」と綾野は舌打ちまじりに言い。「そういう場合はどちらが悪いってわけでもないだろう? むしろおまえらに退けと言いたいぜ」

「だったら大龍さん、ウチの生徒は表を自由に歩くことも許されないのか?」

「それはもっともな意見だな」


 俺はなんとはなしにまだ明るい空を見上げた。


「いろいろ悩む。なにが正しくてなにが間違いなのか、困っているつもりだ」


 大龍は「カッカッカッ」と独特な笑い声を発した。


「俺はな、坊主、まともにぶつかり合ったら、ウチはそっちに勝てねーと思っているんだよ」


 ユーモアのセンスに富んではいるものの、それは真実ではないセリフに聞こえ、だから俺は「阿呆を抜かせ」とやっつけてやった。


「正義と狂気。最後に勝つのは正義だ。そもそも、オボッチャンズとウチとじゃ兵隊の質がまるで違う。まずはそこを論じるべきなんだがな。違うか? ボウズ」

「違わないが、喧嘩と武道はまるで別だ。総じて雑なほうに見込みがあるものだ」

「喧嘩が勝つ?」

「ルールに柔軟なほうが勝つ」

「じゃ、いいとこ互角か」


 だろうな。

 そう言い、俺は肩をすくめた。


「どうあれ大龍さん、俺はこっちのボスというわけじゃあないんだよ」

「ボスになれよ。俺はおまえとしか話をつけるつもりはないんだからな」

「俺より強い奴はいる」

「かもしれん。そいつは俺すら凌ぐのかもしれん」

「だったら――」

「俺は女と連絡先を交換するつもりはないんだよ」


 俺は笑った。


「見損なった。ひどい差別だ、大龍さん」

「なんとでも言え」


 じつに気が合う。

 大龍、ほんとうに良い名ではないか。


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