85話
外がモンスター騒動になっていたせいか深淵のダンジョンは静かだった。いつもは低階層は冒険者でいっぱいになっていて、まだ駆け出しの冒険者達が必死にモンスターと戦う姿があちこちで見られたものだ。
「感傷に浸っている時間はないな。急ごう」
アイナとウェンディが俺の言葉に頷いたのを見て勢いよく走り出した。
「モンスターが逃げいくわ!」
「これなら下まで早く行けますね!」
逃げるモンスターに驚くふたりの会話を聞きながら俺はアリスを感じ始めていた。
いる……。
「下から大きな力を感じるわ! もしかしたら!」
ダンジョンに入ってから僅かの時間で以前俺達が何とか辿り着いた56階を難なく抜けていくと隣を走るアイナが叫んだ。
「多分アリスだ! 何としても洞窟解放術を阻止するんだ!」
まだ攻略がされていないこのダンジョンの未知の領域に以前の俺なら興奮を隠せないだろう。ただ、今はアリスの事でただ早く降りなければと焦燥感に駆られていた俺にそんな余裕はなかった。
どんどんとアリスの気配が大きくなるにつれて緊張してくる。
まだアリスを解放する術が見つかっていない事が原因だった。
とりあえず洞窟解放術を阻止しなければ……。
そしてアリスを視界に捉えた時、ここが深淵のダンジョン最下層なのだと分かった。アリスは体に闇のオーラを纏って目をつぶっていた。
「アリス……やめるんだ!」
俺の声に目を開けるアリスの顔には感情が無かった。
「邪魔をするな」
その低い声はアリスじゃなかった。
「リアンどうするの?」
アイナは作戦を訊いてくるものの俺の表情で迷いを察したのか、俺の考えが決まるまで待つかのように黙っていた。
「……とりあえずアリスと戦って消耗させる。今はそれしか思い浮かばないよ」
「いいと思います。いかに強力な相手だったとしても疲弊はするでしょうから」
このウェンディの返しで俺は腹を決めた。
そう決まれば後はやるだけだ。
俺達は武器を構えるとアリスに近付いていった。
「アイナ!」
「うん!」
俺の掛け声で戦闘は始まった。
相手はアリスだ。手加減なんて考えない方がいい。
アリスは火、氷、岩と次々に出現させると不敵な笑みを浮かべた。
「ふふふ!」
「蒼炎剣舞!」
体の動きが以前よりも明らかに違っていた……一日とはいえラセンにみっちりと基礎から叩き込まれた事が効いている。
その証拠にアリスの表情が一瞬曇ったのを見逃さなかった。
「やはりお前は確実に消しておくべきだった!」
アリスの中にいる真の敵が叫ぶ。
このまま攻めていきたい所だが目的は力を削ぐ事だと自分にいいきかせて立ち回った。アイナもそれを思ってか、周りに浮かぶアリスが出現させた火や岩を消していた。
「もう終わりか!」
俺はあえて挑発して力を使わせようと焚き付けた。
「ふふふ」
アリスはそんな俺の思惑を悟ったのか、突然自分の首に氷の剣を突きつける。
「それ以上近付いたらコイツの命はないぞ」
「くそ……」
最悪な事態だった。俺がアリスを解放しようとしているのを利用してきたのだ。
しばらく動けない俺達を見てアリスはまた目を閉じた。
「お前は何が目的なんだ」
「この世界を元に戻す……モンスターが支配していたあの頃にな!」
「そんな事をしても俺達が全部倒すぞ」
「こんな雑魚共などいくら居なくなろうとどうでもいい」
「じゃあ何でこんな事を……」
「……もうここに用はない。また時間の無駄だったか」
俺達が攻撃して来ないのを知ってか、無防備に背を向けた。
「待て!」
「今度また邪魔をしたらコイツに地獄の苦しみを味合わせるぞ。覚悟しておくんだな……」
消えていくアリスを見ているしかない自分が情けなかった。
「リアン……私達はどうすればいいの……」
その場に崩れ落ちるアイナに俺は何も言えなかった。
「今は耐えましょう……何か術が見つかるはずです……」
力ないウェンディの言葉が静かな空間にこだまする。
「戻ろう……」
外では他の皆が必死にモンスターと戦っていると思うと体に力が入った。アイナとウェンディもそれを思ったのか立ち上がった。
この時俺はアロントとガイアの気持ちが痛い程分かった。ふたりもアリスを目の前にしても何もできない歯痒さや自分に対しての不甲斐なさに苛まれていたに違いない。結果的に解放することは叶わず終わった。
その無念を晴らす為に俺は託されたんだ。
弱くなっていた心に火が灯ると力強くスキルを唱えた。