逃した魚は大きいようですがもう遅い!何故なら婚約破棄したからです!
※連作化してきたので連載にまとめることにしました。
魔女のお悩み相談室~婚約解消から始まる新たな関係~
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私には婚約者が居る。
利害が一致した二つの家による当事者が物心付く前に決められた婚約だ。
私の家は中々に大きな商家でありそこら辺の貴族には負けないくらいの立場を確立していた。
しかし、商売において色々な便宜を図ってくれる貴族の後ろ盾は必要、どれだけ強くても平民は平民だからだ。
相手の大貴族の家は歴史も古く、血筋も確かなもので王家との繋がりもある。
しかし、貴い生まれだとしても先立つものは必要で、色々な力を使うためには私の実家の資金力が必要。
そんな両家は持ちつ持たれつでやってきていたわけだが、そんな折、二つの家に同年代の子供が生まれる。
女子は商家、男子は貴族。
これ幸いにと二つの家は子供同士を婚約させる事とする。
「お前との婚約を解消したい」
図書室で静かに本を読んでいた私の前に立ち、私を見下ろしながらそう宣言したのはその婚約者だ。
大きく鍛えられた体、いつでも自信に満ち溢れている瞳、そしてそれらに相応しい高貴な生まれ。
感情のままに猪突猛進するが不思議とその行動が失敗した事はない。
整った顔立ちに女子たちは黄色い悲鳴を上げ、豪快に魔獣を蹴散らす姿に男子たちが憧れる。
どこでだって人気者でいつでも彼の元には人が集まってくる、そんな人間。
婚約者であるが私には理解できない人間で、はっきり言ってとても苦手だ。
「その……本気……ですか?」
対して私は地味な女だ。
大きな商家の生まれであり、それなりに裕福な暮らしをしているとはいえ所詮は平民。
生来持っている気質が彼とは違う。
更に嗜好も違いすぎる。
私は本を読むのが好きだし、一人で過ごす静かな時間が好きだ。
行動する時には色々な事を考えて動くし、何をするにしてもリスク管理は重要だと思っている。
見た目だって陰気とは自分で思ったことはないが、センスの無い暗い女だと陰口を叩かれた事がある事を知っている。
ちなみに陰口を言っていたのは彼に想いを寄せる女の子達だ。
彼女たちにとって私はこの人の婚約者に相応しくはないと思われていたのだろう。
実際、相応しくないのかもしれないが。
「本気だ!理由はお前もわかっているとは思うが……お前と一緒になったとしても幸せにはなれるとは思えん!」
彼の言うことは正しい。
自分でも彼と私がいずれ結婚するという姿が想像できなかったし、それで自分が幸せになれるとも思えていなかった。
そもそも私達はお互いのことが苦手だ。
幼い頃に彼に無理矢理に外での遊びに付き合わされてお気に入りのドレスを台無しにしてしまってから、私は彼の事が苦手だ。
彼は彼でその行いに対して大人を巻き込み理詰めで糾弾した私に対して苦手意識を持ってしまったようで、それ以来お互いに近づこうとしていない。
幼少時の記憶というのはそれがどれだけ小さい事であっても大きな傷を残す。
だから、婚約を破棄するという衝撃の宣言をされてもそこまでの動揺も無いのはそのためだ。
とは言え、不特定多数が居る場所で彼にとっては普通の声量かもしれないが一般的には大きな声で言って欲しくはなかったが。
「ふぅ……そうですか……本気ですか……」
私は読んでいた途中の本を閉じる。
普段は図書室なんかには顔を出さない貴公子が、その婚約者に対して別れ話をしている。
注目されても仕方ないこの状況だが、元々利用者が多くない場所であり、周囲に居るのは私の顔見知りばかりだ。
私は彼らに心配の必要は無いと目配せをした後に天井を見上げて、少しの間だけ目を閉じる。
深く息を吐き、今までの事、これからの事。
様々な事を考える。
彼を見る。
いつも自信満々な彼は、私に婚約破棄を突きつけた今も胸を張っている。
彼の中で今回のこの行動は恥じることは無いのだろう。
「それでは……まずは座って下さい」
そうして私と彼の婚約者として最初で最後の共同作業。
「婚約破棄するための話し合いを始めましょう」
婚約破棄に向けての会議が始まったのであった。
◇
「まず、私達は確かに許嫁というか婚約関係にありますが、これはどの程度の拘束力があるものでしょうか?」
図書室の一角。
周囲に居る生徒たちも何が始まったのかと訝しげにしている。
そんな事はお構いなしに私の目の前に座った筋骨隆々の美男子が待ってましたと言わんばかり話し始める。
「うむ!それが俺も気になって調べたのだ!そうしたところそこまで強い拘束力があるわけではないと言う事がわかってな!それならばと今回話を持ってきたのだ!」
「そうなのですか」
「婚約というのは言うならば婚姻の手前。婚姻が両者の契約とするのであれば、その契約をする前段階という状況……だそうだぞ!」
なるほど、と頷く。
確かに私達は婚約をしていたが婚姻をしていたわけではない。
婚姻、つまりは結婚をしていたのであれば事は大きくなる。
離婚に関しては財産をどうするのかであったり、子供が居れば親権がどうなるのかであったり、離婚の責任はどちらにあるのかであったりとクリアする問題は多岐に渡るだろう。
だが、私達はそうではない。
あくまで婚約。
言うならば商品を予約していただけだ。
まだ購入していないのだから予約をキャンセルする事は不可能ではない。
「そうは言っても私達の婚約は両家が十数年前から決めていた物です。破棄します!で通る物なのでしょうか?」
「そこら辺が俺にはわからん!だから、お前なら知っているかもしれないと話を持ってきたのだ!」
ため息をつき、眉を寄せて彼を睨む。
この人は細かい部分は私に丸投げしようと思ってこの話をしてきたようだ。
自分が得意ではない事を他人に任せることができるのも人の上に立つ物の資質だろうが、やはりこの人は苦手だ。
私達の婚約は所謂、政略結婚的な側面もあった。
両家の繋がりを強め、それによって家の力を高める。
そう言った意図があって結ばれた婚約関係なのだから、それを解消するという事の影響は本人達だけで済む話ではないかもしれない。
「ご両親にお話は?」
「……まだだ……話を進めるにはまずお前に話をするべきだと思ったのだ」
「それはとても正しい判断です。先に話をしてくれたからこそ二人で考えられますから。当事者二人が納得をしているのと片方が言っているだけの状況ではご両親の反応も違ってくるでしょう」
そう言いながら図書室の一角から法律関係の書物を引っ張り出してくる。
私達が目指すゴールにたどり着くには一体何が必要で何が問題なのか。
それをまず知らなければならないからだ。
分厚い本から該当の箇所を探して流し読みをする。
あくまで簡単にで良いのだ。
本当に細かい話になれば、それは専門家や両親を交えた話し合いの場を設ける必要がある事は考えなくてもわかる。
「俺も何か手伝いたいのだが……」
「適材適所という奴です。本を読むと頭が痛くなるのでしょう?あなたのファンの娘達から聞いた事がありますよ」
その言葉に彼が苦い顔をする。
彼は体を動かすことが好きだが残念な事に文武両道とは行かなかった。
すべてを感覚で賄っているので勉強や書物を読んだりするのはとにかく苦手らしい。
そんな彼の婚約者が四六時中本を読んでいる私なのだから、色々なやっかみを受けるのは必然だった。
「そうは言うが……言い出した俺が何もしないわけには……」
「言い出した事はとても大きな仕事ですよ。何事もですが零を一にするというのは想像以上の難しさがあります。私も考えたことはありましたよ。このままあなたと流されるままに結婚して良いのかと。だけど私は最初の一歩を踏み出す事はできませんでした。しかし、あなたは婚約破棄という一歩目を踏み出した。零を一にしたんです。で、あれば一を百にするのが私の役割ということです」
「むぅ……お前の言う事は難しい……」
「わかりやすく言えば、黙って座って居て下さいという事です」
彼の中で納得があったのかそれ以降は大人しくなった。
手持ち無沙汰なのか何度も自分の手首を掴んでは揉みほぐすようにしている。
簡単なストレッチなのか?それとも癖なのだろうか?
時折私を見てはすぐに視線を逸らす。
かと思えば、調べ物のために本を手繰っている私をじっと見つめて来たりもする。
正直、落ち着かない。
「もう少し待って下さい。あと、婦女子を不躾に見るのは失礼ですよ」
「……すまんっ!どうにも落ち着かなくてな!」
落ち着かないのはこちらのほうだと言いたいが、ぐっと堪える。
私に指摘されたからか、彼は視線を窓のほうへと向けた。
外は明るく、図書室から見える校庭では真面目に何かの訓練をしている者や、遊んでいるだけなのか笑い転げている者など色々な人が見える。
私がいつもここから見ていた風景だ。
その風景をいつもは見られる側だったであろう彼が見ている。
不思議な光景だった。
こんな話し合いが無ければ恐らく彼は校庭で格闘術の訓練にでも汗を流していただろうに。
「う~ん……軽く目を通した限りですけど、やはり両親の合意が必要ですね……私達は未成年ですから」
「それはそうか……両親は納得してくれるだろうか?」
私達の家は基本的に友好な関係を結んでいる。
お互いがお互いの家を必要としている。
一蓮托生とまでは行かないが同じ船に乗っているのは間違いがない。
それをさらに強化しようとするための婚約だったわけだが、これによって両家の関係が拗れてしまう可能性はある。
ただ、そこまで心配はしていない。
「私達が合意してますし、家の者だって私達の相性があまり良くない事くらいはわかってると思いますから大丈夫だとは思います」
読書を好み、計画を立てて動き、一人で黙々と作業する事を得意とし、行動する時にリスクとリターンを考える私。
運動を好み、感情で動き、多くの人を引き連れるに相応しくそれを苦と思っていない、理屈ではなく自身の直感を信じて動く彼。
そして、双方ともにお互いの考えや好みを理解できない。
水と油だ。
こんな二人が一緒になって大丈夫なのだろうかという不安は両家ともにあったはずだ。
だったら、どう育つかわからない子供の内に婚約なんてするなという話なのだが。
両家の関係性としては婚約の破棄というのはあまり良い事ではない。
何かしらの問題が出てもおかしく無い状況だが、悪い要素ばかりではなかった。
「私達はお互いの事を婚約者だと認識はしていましたけど、お互いにウマが合わない事はわかっていましたから特に関わろうとしていませんでした。これが良い方向に作用しそうです」
「どういう事だ?」
「お互いに努力をしていないという事です」
私達はお互いに避けあっていった。
最低限しか関わろうとしていなかった。
幼い頃の想い出と人づてに知った人となりや普段の生活の範囲から、自分とは違う生き物だと思っていたからだ。
だから、私達は事務的な話や両家の連絡などをするなど、言ってしまえば世間的な立場でしか接したことがなかった。
歩み寄る努力を一切していなかった。
「私達は婚約者のために何かをしたという事はありません。例えばプレゼントを贈ったとか、二人で何か共同して作ったものがあるとか、そういった事がありません」
「うむ!そうだな、言うなれば今日が私達の初めての共同作業だ!」
「何ともおかしな話ですが、そのとおりです。金銭や物品。そして精神的にも影響がありませんしコストも支払っていません。これは婚約破棄をする際のハードルが下がると言ってもいいでしょう」
おぉ!と彼が唸り声を上げる。
私達が婚約を破棄したところで何一つとして影響が出る事がない。
ならば、問題が無さそうではあるが事はそう簡単には行かない。
「ただし……当事者同士ではですが」
婚約は私達だけの話ではなく両家に関わる事柄だ。
話が二人で完結する出来事ならば、これで終わりだったがこの婚姻には実家も絡んでくる。
ここだけは私達が二人で話し合ったところでどうにもならないし、どうなるかわからない部分だ。
「今回の婚約破棄はあなたが言い出した事になりますから、ウチの家からもしかしたら賠償を求められる可能性があります。勿論、私からもそういう事はしないように働きかけはしますが、どうなるかはわかりませんね」
「むぅ……!」
「私達がいずれ婚姻を結ぶという前提で動いていた何某かが両家にあれば、それが頓挫してしまう可能性があります。そうすればそのために支払った諸々の補填を考えたりしなければならなくなるという事はあるかもしれません」
私の言葉に彼が難しい顔をして唸る。
記憶を辿り、そういった動きがあったかどうかを思い出そうとしているのだろう。
できることならば実家に迷惑はかけたくないと思っているのがその姿からわかる。
かく言う私も自分の中の記憶を総ざらいしてみるが、特に思い当たる節はなかった。
私達に知らせずに水面下で動いている物がある可能性はあるが、それはここでいくら考えてもわからない事だ。
「まぁ、あまり心配をしなくても良いと思います。何度も言いますが私も納得していますし、何よりも私達が婚約者じゃなくなったとしても実家同士が繋がりを絶たなければいけないという事ではありませんから」
婚約者でなければ成り立たない事というのは少ないと思う。
それこそ結婚パーティーの準備をこんな前から始めてしまっていたりすれば、それは無駄になってしまうわけだが流石にそれはないだろう。
だとすれば、私達の婚約が無くなったとしても両家が今までのように仲良くすればいいだけの話だ。
「なんとかなりそうか……?」
「そうですね、希望的観測になるかもしれませんが私達のせいで実家の関係が悪くなることは無いでしょう」
家が絡む事とはいえ、基本的にはこれは当事者同士の話だ。
そして私達の婚約破棄は一方的な物ではなく両者合意のすえの結論。
それだというのに常識外れの賠償を求めて話を拗らせるメリットは私の実家にもありはしないはずだ。
「ちなみに今回のお話は恋人ができたからですか?」
「な……っ!ち……違う!そういう事ではない!が……無関係というわけではなく……単純に婚約をしている状態では本当に愛する人ができた時に困ってしまうと思ったのだ!」
「不貞があったわけではないと……ならば尚更問題は無さそうです」
彼は感情で動くからこそ素直で裏表がない。
私という婚約者が居る限りはそういう感情を他に持つことができないと思ったのだろう。
そして、私と一緒になるという未来も想像ができなかった。
ならば、早い内に行動をしたほうが良い。
その行動力は素直に称賛ができる彼の美徳だ。
「今、調べる事ができるのはこの程度でしょうか。家に戻ったら私も両親へと話をしますので、そちらも話を通しておいてください。後日、両家で集まって正式な話し合いをしましょう」
「そうか……俺は勢いのままに動くことしかできなかったが、やはりお前は俺とは違うな!幼い頃のように罵られるかと思っていたが、お前に話をしに来て良かったぞ!」
そう言った彼の声は大きく、静かな図書館に響く。
多数の女子を魅了する自信に満ち溢れたその態度。
私からすれば根拠のない自信に溢れ、感情で先走る事ばかりに見えるこの人が色々な人に好かれ人望がある事を少しだけ理解できた。
暑苦しいとは思いましたが。
◇
私達の婚約は無事解消される事となった。
いい歳になった二人がプライベートな接触を一切していなかったのだから、どちらの両親もこんな事になるんじゃないかとは思っていたらしい。
特に賠償的な話なども無く、これからは良い友人になりましょう、お互いの家も今まで通りに仲良くしましょう。
これだけで終わる話だった。
人の口に戸は立てられない。
学園の中にも私達が婚約破棄をしたという話は広まっていった。
私も色々な人から聞かれ、その度にその噂は真実だと肯定していた。
学園一の貴公子の身がフリーになった事により、彼に密かに想いを寄せていた娘もおおっぴらに想いを寄せていた娘も浮足立ち、激しい争奪戦が行われているらしい。
一方の私は特に人気があるわけでもないのでそんな事はなく、今まで陰口を叩かれる原因になっていた婚約者が居なくなった事により喉に刺さった小骨が無くなったかのような晴れやかな生活を送ることできようになる。
「でな、この娘なんだが……一見優しそうだし料理とかは凄く美味いし好意を寄せてくれるのは嬉しいんだが、なんというか少し怪しい雰囲気を感じてしまってな……」
はずだった……のだが、何故か婚約を解消した元婚約者が私に相談をしに来る日々となってしまっていた。
「直感は大切ですね。あの娘自体にどういう思いがあるかはわかりませんが周辺状況だけを考えれば避けるべきです。実家の事業が傾きかけているのでしょう。後ろ盾だった公爵が失脚しましたし競合が力を付けてますからね。実家が新しい後ろ盾を欲しがっているという事情はあるはずです。勿論、純粋にあなたの事を好きだという気持ちがあるかもしれませんが、そこは私には判断できませんね」
あの二人での婚約破棄会議から両家の話し合いの調整、事前に擦り合わせておくべき意見の交換、そして実際の話し合いの場などで私達はよく顔を合わせては話す機会が増えた。
それによって私達のお互いに対する苦手意識は徐々に薄くなっていった。
別れるための行動をした結果、お互いの事を以前とは比べ物にならないくらい知ったのだから何がどうなるかわからないものだ。
実際に彼と話してみれば裏表の無さと直情的な素直さは好意を持って見る事ができた。
感情のままに動くその行動原理を理解はできないが、そこまで嫌な物ではなかったなと今になって考える事がある。
大型犬みたいなものだな、これはと。
「何度もすまん!しかし、お前は本当に頼りになる!俺では思いつかない考え方や物の見方でアドバイスをくれる!本当に感謝するぞ!」
「はいはい、変な女に引っ掛からないように気をつけるんですね。男は狼かもしれませんが女は狐ですから」
彼は色々な物事をわざわざ私に聞きに来るようになった。
今回は恋愛相談だったが、それ以外の事も遠慮も何もなく私の前に現れては相談してくるのだ。
放課後の図書室。
私の憩いの場所はいつからか彼専用の相談室になってしまっていた。
彼いわく、忖度せずに忌憚のない意見をまっすぐにぶつけてくれるし、自分では考えられない評価の仕方をしてくれるので参考になるのだそうだ。
密談ではなく、図書室で堂々と私に話しかけてくるのでその姿は色々な人が目撃しており、そのせいで婚約破棄が嘘だと囁かれたりもしている。
そんな私達を不思議そうに見ていた一人である友人が声をかけてくる。
「あの~……なんか……婚約解消したって聞いてましたけど、二人とも凄く仲良いんですね」
私達は前よりも仲が良くなっているのは間違いない。
彼の言動を理解できないと思っていたし、今も理解できないと思う事ばかりだが、それも彼の魅力なんだなと自然に思うことができた。
それは彼も同様だったようで、私の友人へと力強く返すのだ。
「うむ!今になって思うが彼女は魅力的な女性だ!頭も良い!頼りになる!私が気づかない事を気づかせてくれる!何よりも私に意見をはっきり言う姿は美しい!正直に言って婚約破棄は勿体ない事をしてしまったかもしれん!」
大きな声で笑う彼の言葉に私は苦笑を返す。
私達はお互いの事を知らなかったし、知ろうとしなかった。
幼い頃に決められた婚約者という立場は呪いのようなもので、その呪いにかかった状態でしかお互いを見ることができていなかった。
いつか一緒になるのだから、お互いがお互いの全てを理解しあえなければならないと思った。
そしてそれが無理だと思ってしまった時に関わらないことで問題を先送りにした。
しかし、そのフィルターを外してみればそこに居るのは何て事はない普通の人同士だったという事。
それなら理解できないのは当たり前で、理解できないなりに受け入れていくなんていうのは当然のこと。
そうして見れば彼の魅力もわかるという物だった。
大きな声で感謝の言葉を告げる彼に対して軽く手をふってやる。
私のテリトリーである図書室から元気よく飛び出していく彼の背中を見るのは一体何度目になっただろうか。
婚約者ではなくなり今では彼の相談役みたいになってしまっているわけだが、そんな関係になってからのほうが彼の姿がはっきりと見えた。
図書室に静寂が戻る。
窓の外を見る。
日は高く、校庭には声を上げながら遊んでいる男子の姿。
図書室に視線を戻せば静かに本へと視線を落とす物静かな私の仲間達。
これが本来の姿、彼が来る時だけ少しだけ騒がしくなるだけだ。
「どうなのぉ~あんたも勿体ないって思ってるんじゃないのぉ~」
彼が去って行った後に友人がからかうように言ってくる。
その言葉を少しだけ真剣に考えてみる。
彼は将来有望で真面目で実直。
顔は私の好みとは違うが整っているのは間違いがないし、体も鍛えられている。
私と婚約しているというだけで他の女性に迫られても頑なに断っていたりと義理堅く一途だし、当初思っていたように頭が固いわけでもない。
多少の強引さはあるけれど、自分とは違う意見を聞き入れる度量もある。
ああ見えて意外と人の事を良く見ているのか気を使う事も一応できる。
婚約破棄に協力してくれたお礼にとプレゼントされたのは私の趣味嗜好を考えてくれたのだろうがアクセサリーなどではなく本の栞だった。
主張しすぎないくらいの品の良さを感じるそれはとてもセンスが良くて、私も柄にもなく声を上げて喜んでしまった。
「ふ~む……考えれば考えるほど逃した魚は大きかったのかもしれませんね」
お気に入りとなった彼からの贈り物の栞をじっと見ながらしみじみと呟く。
しかし、それは仕方のない事。
逃してみなければこの魚の大きさがわからなかったのだから。
先程の言葉を素直に受け取るのならば彼も私の事を大きな魚と思ってくれているのだろうか。
逃げた魚はどちらで、逃した漁師はどちらなのか、そんな事を考えて微笑してしまう。
距離を空けて見て初めてわかる事もある。
私と彼は婚約という呪縛から解放されたからこそ良好な関係になれた。
今はそれで充分。
それに全てが終わってしまったわけではない。
「逃した魚は大きいかもしれませんが、もしかしたらもっと大きくなって戻って来てくれる可能性もあると思いませんか?」
彼と私が仲睦まじく暮らしていく。
そんな未来もありえるのだから。
婚約破棄物に挑戦したが、ざまぁは書けないと思い知った。