中編 その8 「空の王者」
夜の湖面には月が写っている。車の中でちょっとうたた寝をした間に、気付けばこんなにも時間が経っていた。
空には幾万の星が輝きを放ち、助手席から見えるそれらの景色は実に壮観だった。
このような景色を改めて美しいと思えたのは、前にカステラ牧場の小高い丘の上で、ペトラルカさんとミーヤーと一緒に夜空の星を眺めていた時だ。
それまでの自分は大自然の神秘などと呼ばれる類のモノに一切興味が湧かなかったが、ミーヤーたちと一緒に見上げたあの北斗七星だけは他のどんな景色よりも美しく思えた。
あの時の感動は今も自分の心の奥深くに刻まれている。
……またいつか3人で、そう遠くないうちにあの綺麗な夜空の星を見上げる機会が訪れるものと思っていた。
しかしその日が還ってくることはもうないのだ。
そんな非情な現実がまた一段と自分の心を締め付けてくる。
バックミラーに視線を戻すと、そこには月明りに照らされたペトラルカさんの横顔が映っていた。
ペトラルカさんに至っては、前を向く気力すら残っていない。
ミーヤーが亡くなってから、ペトラルカさんはずっと気落ちしたままだ。
ついさっきまで、自分たちのそばに居たミーヤー。
そんなミーヤーがいなくなるこれからの日々の中、自分を含めペトラルカさんは元の日常を取り戻せるのだろうか。
そのことが頭にこびりつき離れなくなると、眼前に広がるこれらの夜景も自分にとって、何の魅力も感じないただの造形物のようにしか見えなくなってしまった。
そうして再び陰鬱とした気持ちに支配されていると、クラック隊長が後方の席で湖の方角に目を向けたまま、こんなことを言い出した。
「おお…。ようやく俺に見覚えのある場所まで来れたようだな」
「見覚えがある? 見覚えがあるってどういう……」
彼の言葉の意味するところが気になり、自分は思わずそう聞き返した。
「安心しろ、ホルシュタイン。見覚えがあるってことは、以前に俺がこの辺りを通ったことがあるって意味だ。
確かこのまま道なりに進めば、大きな川に架かる橋があるんだが、その橋を越えさえすればコミュニティードヨルドまですぐそこだ。
……間違いねえ。俺は人の名前を覚えるのはからっきしダメだが、一度通ったことのある地域と場所だけは忘れたためしがない。
この俺が保証する。どうか安心してくれ、ホルシュタイン」
とクラック隊長はこのように言っているが、未だに自分の名前をホルシュタインと間違えている辺り、いまいち信用に置けないのは言うまでもない。
「それにしても今日は本当に長い一日だった。……今回は、いや今回も胸を張って喜べるような生還ではなかった。
……俺たちが払った代償はあまりにも大きい。
だがそんな状況でもお前たちだけは何とか生き延びられた。
当然手放しで喜べる状況ではないが、せめてそれだけでもお前たちには誇りに思って欲しい」
クラック隊長がそれらのことを言い終えると、車内は再び沈黙に包まれた。
自分たちの車は、対向車の存在しない片道1車線の道路をひたすら突き進んでいる。
今回クラック隊長たちにとって、得られたものは何もない。
クラック隊長が自分たちの救出のために、3人の部下を引き連れた結果がこれだ。
自分たちはただ単に、彼らが端から背負う必要のなかった十字架を背負わせ、暗い影を落としただけに過ぎなかった。
まさに何の実りもない救出劇。
自分たちの命と引き換えにミーヤーが帰らぬ人となってしまった。
ミーヤーと自分とじゃ、お世辞にも釣り合う命とは言い難い。
グリアムスさんはともかくこの自分。この自分の命はここに居る誰よりも価値のないものだと思う。
グリアムスさんは運転ができ、咄嗟に人を縛って吊し上げるスキルがあり、クラック隊長は武装班の全隊長として、みんなを率いてキメラ生物に真っ向から戦うことができる。
その上ラロッカも……。性格こそあれだが、少なくともクラック隊長と同じくキメラ生物と戦える術がある。
ペトラルカさんも魅力に満ち、感性が豊かでユーモアがある。そして強くて優しい。どれをとっても最高だ。
このように個性あふれ、まぶしいほどに光り輝いている彼ら彼女らを差し置いて、自分はと言うと、どこまでも没個性な人間だった。
磨けば光る原石のようなものなんて、どこにも見当たらない。
人間だれしも長所があると前の世界ではよく言われていたが、そんなのは詭弁だと思っている。
……現に自分は、今ももがき苦しんでいるペトラルカさんをいたわり、はげますことだってできていない。
いつもよくしてくれて散々お世話になった人に対し、自分は未だに何も返せていないのだ。
こんな人間がミーヤーの命と引き換えに生きながらえていいわけがない。
結局自分はどんなに苦境に立たされても、何一つ周りの状況を変えられないのである。
「はあ……」
また一段と大きなため息をついてしまった。何もできない自分が情けなく、悔しくて泣きそうになった。
……だが助手席から見える湖上の月は、そんな情けない自分相手でも分け隔てなく光を照らしてくれる。
実際、当のお月さんは、宇宙空間に無尽蔵に降り注ぐ小惑星規模の大きな石をもろに喰らい続け、全身あざだらけと言うか全身クレーターだらけという。
にもかかわらず、いつも決まった時間帯に東の地平線からひょっこり現れ、沈んでいった太陽の代わりに地上に光をもたらすその役割を遂行し続けている。
例えどんなに痛く、くじけそうなことがあってもだ。
……不思議とそんなお月さんのことがたくましく思えてきた。
「はあ……。自分いったい何、変なことを考えているんだか」
きっと自分はものすごく疲れているのだろう。ここに来るまで色んなことがありすぎて、思考がすっかり混濁してしまった。
危うくお月さまのご加護を授かりたいだとか、ひどくスピリチュアルなことを本気で信じてしまうところだった。
……そう思っていた矢先に、また眠気が襲ってきた。
自分の隣にはこれまで、おそらく不眠不休で運転してくれていたであろうグリアムスさんが今も眠たそうなのを我慢しながら、ハンドルを握ってくれている。
そんな彼をよそに自分はまた深い眠りにつこうとしていたのである。
「……本当に申し訳ありません、グリアムスさん」
彼に聞こえないくらいの声量でボソボソっと一言断わっておく。
するとまもなくして自分のまぶたがかなり重くなってきた。
……もう限界だ。一層の事、この流れに身を任せるとしよう。
「それじゃあお先に失礼します。……グリアムスさん」
そうして完全に目を閉じ、スヤスヤと深い眠りにつこうとしていたその時……。
突然、車外からピーヒョロヒョロヒョロっといった鷹の咆哮が聞こえてきたのだ。
「うわあぁぁっ!?」
車外からのその鷹の鳴き声に、自分は思わず飛び起きてしまった。
「グリアムスさん!! 今の聞こえましたか? ……鷹の鳴き声でしたよね!?」
さっきのが幻聴の類であることを祈りつつ、彼に聞いてみた。
「はい。わたくしの耳にもはっきり聞こえてきました。……鷹の雄たけびが。
クラック隊長さんも聞こえましたよね?」
「……ああ。俺も、嫌と言うほど聞こえてきたぜ」
「どこの方角から聞こえましたか!? クラック隊長!」
「ちょうどあの湖の方からだ、ホルシュタイン。……見てみろ」
彼がその方角を指さすと、自分もそれにつられるように湖の方を見た。
「も……もしかして、あの湖の上を飛んでる奴ですか!?」
自分の視線の先には、月の光を背後に一身に浴びた巨大な鷹が、湖の上空を優雅に飛ぶ様が映っていた。
しかもそのイーグルは鷹の上半身にまるで肉食獣のような屈強な下半身を備えており……。
要するに、四本足のイーグルが湖上で翼を広げ、大きく羽ばたいていたのだ。
「グリアムスさん。……あれって」
「……疑いようがありません。あれはイーグルキメラです!」
グリアムスさんがそう発言すると、後方からクラック隊長が言葉を重ねるように、こう言ってきた。
「いや、違うぞグリムリン。奴の姿形からして、あれはもはやただのイーグルキメラではない。
……どこからどう見ても、あのギリシア神話のグリフォンとそっくりじゃないか」
「とすると、奴はイーグルキメラじゃなく……」
「その通りだ、グリムリン。あれはイーグルキメラじゃない。グリフォンキメラだ。
俺は今まで色んなタイプのキメラを目にしてきたが、あんな奴は初めてだ。
……俺たち、ここにきてとんでもない奴と遭遇してしまったらしい」
グリアムスさんとクラック隊長の間でそのような会話が行われていると、グリフォンキメラが自分たちの車の方へ、湖の方角から一直線に飛来してくるのが見えた。
「グリアムスさん!! 奴が向かって来ます! 急がないと!」
「言われなくても分かってますよ! ベルシュタインさん!」
そうして突如現れたイーグルキメラないし、グリフォンキメラによる熾烈なデッドヒートが幕を開けたのであった。
ここまで閲覧いただき本当にありがとうございます!
※あと26話付近の投稿で完結になりそうです。(全120~130部の間での完結)
最後までお付き合い、いただければ幸いです!
※あと6話前後の投稿で、最終章後編へ突入しそうです。今後最終章後編と完結編(数話)の構成で、今作は終了します。最後までお付き合いいただければ幸いです!
次回、最終章『統領セバスティアーノ編』:中編 その9です。
今後もバクシン! していきます!
よろしくお願いします!!