中編 その2 「ミーヤーの過去」
車内には非常に重たい空気が流れていた。
山道を降り切り、トンネルを抜け、廃墟の町を1つ通り過ぎたところで、車は現在霧がかった田舎道に差し掛かっている。
この先が見えにくい霧の中でグリアムスさんはヘッドライトを付け、少し速度を落として運転していた。
道路沿いには林が広がり、ガードレールと共にどこまでも続いていた。
外もすっかり茜色に染まってしまった。
この調子だと、コミュニティーに到着する頃には、確実に日が暮れるだろう。
あれからミーヤーの遺体は等身大の麻袋に入れられ、今は車のトランクに収納されている。
…あの山を下った後、しばらくは平坦な道が続いていたが、自分たちはその先で少々古びたトンネルに出くわした。
そのトンネル内で一旦車を止め、グリアムスさん以外全員、車外に出てミーヤーの遺体をトランクに詰め込んでいた。
しかしその作業が終わって、車内に全員が戻った直後のこと。
ペトラルカさんが突如体調不良を訴え出した。それからずっと彼女は後部座席で横になっている。
そんな時も、ペトラルカさんは絶えずミーヤーの名前をうわごとのように繰り返していた。
後方の席に座っているクラック隊長も、そんな彼女のことをその隣で心配そうに見つめている。
……一方ラロッカはと言うと、過ぎ去る窓の景色をきりっと睨みつけたまま、腕を組み、ふんぞり返っていた。
車を走らせてから約1時間少々。彼はずっとこのように不機嫌なままである。
自分はさっきから時折、バックミラー越しに映るペトラルカさんたちの様子をちらちらっと見ていたのだが、その中でも特にラロッカの態度は目についた。
先程、工場の中では自分に対し『死んでしまえ』と暴言を吐き、ペトラルカさんに至ってはミーヤーが亡くなったことの全責任を押し付けた。
自分のことならまだしも、ラロッカはそんな彼女の心まで深く傷つけた。
ペトラルカさんにとって、ミーヤーがいかに大切な存在なのか、武装班に所属している彼なら当然、自分よりもよく知っているはずだ。
にも関わらず、彼女になんてひどいことを…。
バックミラーに映るラロッカの姿には、それらの反省の色は一切なく、むしろまだ何か含むところがあるような、そんな印象を強く抱かせた。
あからさまなラロッカのその態度に苛立ちが募って来る。
「なんて最低な奴なんだ…」
自分は思わずその言葉を、ミラーに映るラロッカに向かって、鬱憤を晴らすかのように、ぼそぼそっと呟いていた。
…彼に対する不快感はこれだけにとどまらない。
彼はさっきペトラルカさんに向かって『何でミーヤーを、診療所のベッドにくくりつけておかなかったんだ!?』とも言っていた。
ミーヤーのことを、まるで彼自身の所有物であると言わんばかりの一言。
ラロッカ自身、少なくともそう思っていたからこそ、あのような一言が彼の口からスラスラと出てきたのだろう。
到底看過できるものではない。
自身の都合だけを考え、人に不利益を被ってもお構いなし。また人によって態度を180度変える。その上、マウントを取って優越感に浸ることにも遠慮がない。
ラロッカはおそらく、そういったタイプの人間だと思う。
そんな彼とは会ってまだ間もないが、正直自分としてはひどく気に入らない奴だった。
…故に自分の顔にも思わず、そのような感情がにじみ出てしまっていたのだろう。
自分はミラーに映る彼の姿を、強く睨みつけていたのだ。
すると、そんな時だった…。
「…おい。お前…。その目はなんだ!?」
不覚にもバックミラー越しで偶然、彼と目が合ってしまった。
未だ車内に漂う重苦しい空気の中、また彼との間で、さっきのようないざこざがあっては非常にまずい。
何とかごまかしが効かないものか? そう思い、自分はラロッカから速攻目線をそらすことにした。
…しかし残念ながら、それも後の祭りだった。
当の彼には自分がバックミラー越しで彼を睨みつけていたことを完全に見透かされていたようで…
「おい! 何なんだお前、さっきから!? 俺に何か文句あんのか!? じろじろ見やがって!」
ラロッカは敵意むき出しで、怒鳴り散らしてきた。
「お前がさっきからじろじろと、喧嘩を売るような目で俺を見ていたことは知ってんだ!
……なあ、お前いい加減にしろよ!? いったいどこの誰のせいで、この場の空気が悪くなってると思う?
…お前だよ。お前なんだよ! この疫病神が! お前なんて、ミーヤーの命と引き換えに死ねばよかったんだ!
お前なんて生きてても、何の価値もねえんだよ!
だからさっさと死ね! ミーヤーの代わりにお前が死ね! 死ね! 死ね!」
ラロッカの心ない罵声に、自分は込み上げてくる怒りを必死に抑えつけ、これ以上事態を悪化させぬよう黙秘を貫く。
自分がそうして押し黙っているのを見て、ラロッカはたたみかけるように次のことを言ってきた。
「なあ? まただんまりかよ! この根暗野郎! 自分の意見は大して言わねえ癖に、いざ何かあったらすぐこれだ。
……何でお前みたいな冴えねえ根暗に、ミーヤーを取られないといけねんだよ…。
クソ! クソ! クソがぁ!」
ラロッカは真正面に居る自分の助手席を目がけて、後ろから何度も強く蹴り込んできた。
それを見かねて、クラック隊長がついに口を挟む。
「いい加減にしろ! ラロッカ! ……お前がいくらこいつに怒りをぶつけたところで、ミーヤーはもう帰ってこないんだ!
…そんなことをしたって、むなしさが残るだけだ。だから落ち着いてくれ、ラロッカ」
「隊長! …でもこいつが全ての元凶なんだ! ミーヤーを死に至らしめたのもこいつ! ペトラルカをあんな状態にしたのも、全部俺の目の前に居るこいつのせいなんだよ!
この根暗! 根暗! 根暗野郎のせいで!」
ラロッカはまた先程と同じく、前の席を思いっきり蹴り上げる。
「止めろ! ラロッカ! ……今回の全ての責任は俺にある! …恨むのならそいつじゃなくて、俺を恨め!」
「…はあっ!? 何言ってんだよ、隊長! 隊長は何も悪くない! 悪いのは全部こいつだ!
俺の未来は全部こいつに壊されちまったんだぁ!」
ラロッカはそのことを強調するように、また席を蹴っ飛ばしてくる。
「何、勝手なことをほざいてんだ! ラロッカ! 言いがかりはよせ!
…今日のお前、何かおかしいぞ。どうしてお前が、そこまでミーヤーのことにこだわり続ける!?」
「うるせえ! そんなのあんたに関係ねえ! 余計なお世話だ! とにかく全部こいつが悪いんだぁ!」
するとラロッカは急に席を立ち、前のめりになって自分の胸ぐらを掴んできた。
「お前が俺の近くに居るってだけで吐き気がする! ……ちょうどここに殴りやすい顔がある。一発、ぶん殴らせろ、この根暗がぁ!」
そう言って、ラロッカが拳を振り上げようとした時…。
「やめろ! ラロッカ! 俺の車の中で暴れてんじゃねえ!」
ドガッ!
「ううっ…!」
クラック隊長の渾身のボディーブローがラロッカの腹に突き刺さる。ラロッカは即座にその場でうずくまり、彼の口からはうめき声が漏れた。
クラック隊長の強烈な一発に、ラロッカも完全に戦意を喪失してか、それからはすっかりおとなしくなった。
その様子を見て、クラック隊長は落ち着き払った口調でラロッカに次のことを言って聞かせたのだった。
「俺だって悲しい。…お前のように。怒りのやり場がないくらいにな。
…ミーヤーはなぁ。俺がコミュニティードヨルドに来る前。世界がこうなった時から、ずっと俺たちと一緒に生き抜いてきた数少ない仲間だった。
…ラロッカ。お前は知らないと思うが、俺があのコミュニティーに来る前。俺はだいたい10人程度の生き残りとグループを形成して、外の世界を彷徨っていたんだ。
ミーヤーも、そのメンバーの中の1人だった。
…今となっては想像もつかないだろうが、ミーヤーは初めの頃、正直言って、かなり足手まといな奴だった。
道端で転んで、ちょっと擦りむいた程度ですぐわんわん泣きだすし、また事あるごとに周りの連中にまるで自分の親のように泣きつきに行く始末だった。
…本当に幼いガキンチョみたいな奴だったよ。
銃を握るのですら怖がって、ろくに触ろうともしなかったし、おまけにいっつも騒ぎばかり起こす。
…ドジでマヌケでお調子者。本当にどうしようもない奴だった。
あいつを俺たちのグループから出したかったのは山々だった。こんな奴と一緒に居れば、いずれ俺たちまで死んでしまう。本気でそう思ったからだ。
だけど俺たちは、結局最後までそんなことはしなかった。なぜだかわかるか?」
「いや…さっぱり」
ラロッカは淡々とそう答える。それを聞き、クラック隊長は次にこう言った。
「確かにあいつは俺たちにとって、お荷物同然だった。足を引っ張るばかりで、何の役にも立たなかった。
だけどあいつにはたった一つ、俺たちには決してなかったものがあった。
……あいつはなぁ。どんな時でも、俺たちとは違って底なしに明るかったんだ。
どれだけ絶望的な状況に陥っても、あいつだけは笑顔を絶やさなかったし、俺たちにずっと笑顔を振りまいてくれた。
世の中がこんなことになっても、グループの中であいつが居てくれたおかげで、俺たちは何度も救われたんだ。
道中キメラに襲われ、死んでしまった奴。他の生存者グループの連中に騙され、殺されてしまった奴。途中で自ら命を絶った奴もいた。
そんな度重なる不幸に揉まれ続け、俺たちの精神は常に限界だった。
だけどあいつはそれでもいつも健気で、俺たちに生きる活力を与えくれた。
どんなにうちのめされても、あいつの存在が俺たちの心を救ってくれたんだ。
……そのおかげか、時たまあいつがおもちゃ屋のショーウィンドウに飾られていたクマのぬいぐるみを見て、後先のことを考えず、すぐにお持ち帰りしようとしていても、俺たちは次第にそれを笑って許せるようになった。
…この先、ミーヤーがどれだけグループに迷惑をかけようとも、こいつだけは絶対に命をかけて守り抜く。いつの間にかそう心に誓っていたよ」
「……ふん。そうかよ」
ラロッカはクラック隊長のそのミーヤーに関する話に対し、あろうことかまるで水を差すかのような、聞いていてつまらないと言わんばかりの一言を吐いていた。
「まあそう言うな、ラロッカ。この話にはまだ続きがある。最後まで聞いてほしい」
ラロッカはその彼の一言に対し、口をつぐんだ。それを見て、クラック隊長はまたさっきの話の続きをし始める。
「そして、そんな困ったさんのミーヤーが大きく変わったのは、俺たちがとあるテーマパークに隣接しているホテルを訪れた時だった。
そのホテルのある一室で、俺たちはペトラルカと出会った。
当時のペトラルカはあの頃のミーヤーと同じで、これまた気弱で泣き虫な奴だった。
…実際その時のペトラルカは会社の同僚を失って、それからずっと一人ぼっちだったらしい。
俺たちが一緒に行動を共にしようと、ペトラルカに言っても、当の本人は『もう外に出たくない』とかほざきやがって、膝を抱えてうずくまったまま、ちっともその場所から動こうとしなかった。
『こりゃまたお荷物だな…』
正直、俺はそう思った。『どの道こいつも、遅かれ早かれ死ぬ運命だ。…ここに置いていこう』俺たちの中では、すでに考えは固まっていた。
だがそんな俺たちの中で唯一、ミーヤーだけはそれを良しとしなかった。
あいつは俺たちの決定を聞いた途端、ぎゃあぎゃあ騒ぎだした。
『こんなに目に入れても痛くないほど可愛いい娘をここで見捨てるつもり!?』
ミーヤーはそう抜かしやがって、ここぞとばかりに、あいつの謎の審美眼が働きだした。
…こっちとしたら、ただでさえミーヤーに手を焼いているのに、それがまたもう一人増えるだなんて、まっぴらごめんだ。
だが俺たちがいくら説き伏せようとしても、あいつは全く引き下がろうとしなかった。
話は平行線のまま、折り合いがつかなくなっちまったから、ついに俺はミーヤーにこう言ってやったのさ。
『お前がそいつの面倒を見るって言うんなら、俺たちのグループに加えてやってもいい。
だがそいつがこの先どうなろうとも俺たちは知らん。一切関知しない。
もし俺たちに危険が迫った場合、そいつは真っ先に見捨てて行く。……それでもいいって言うのなら、どこへでも好きに連れ回すなりなんなりしろ』
さすがにそこまで強く言ってやれば、すんなりその娘のことを諦めてくれるだろうと思っていたんだが、俺たちのその思惑とは裏腹に、ミーヤーの奴と言ったら…
『わかった! …わたし、この娘のために全力で頑張る! 絶対に見捨てたりなんかしないからね!』
と嬉々とした表情で俺たちに向かって、高々と宣言しやがった。
そしたらミーヤーの奴、すぐにペトラルカの方に歩み寄って、手を差し伸べながらこう言ったんだ。
『大丈夫! わたしに任せて! わたしがあなたのこと、責任を持って導いてあげるから! 絶対に!』
あいつは満面の笑みを浮かべて、ペトラルカにそう言ったんだ。
それからのミーヤーは見違えるほど変わった。まるで別人のようにな。ミーヤーはやっと俺たちグループのために銃を取って、戦ってくれるようになった。
俺がキメラに襲われ、命を失いかけた時、ミーヤーには何度救われたことか…。
一方のペトラルカも強くなったミーヤーに感化されたのか、次第にペトラルカもあいつのようにどんどんたくましくなっていった。
そして俺たちはそれから2か月間。外の世界を彷徨い続け、ついにコミュニティーにたどり着くことが出来た。
……だが結局、俺らのグループで生き残ったのは、俺を含めてたったの4人。俺とホルスベルクにミーヤー、ペトラルカ。…たったこれだけだった。
俺にとってこの3人は、もはや家族同然の存在だ。残念ながら、ホルスベルクも先の作戦で命を落とし、今日はミーヤーまで失ってしまった。
次から次へと俺の家族が先立っていく。だから悲しい。ものすごく悲しい。
俺が最終的にミーヤーを外に連れ出す判断を下さなければ……。それを思うと、悔しくて仕方がない。
……だがな、ラロッカ。俺たちはいつまでもあいつらのことで、引きずっているままじゃいけないんだ。
ホルスベルク、ミーヤーは死んだ。これは紛れもない事実だ。
俺たちは……俺たちは、あいつらの死を乗り越えなければならない。今天国に居るホルスベルクとミーヤー、あいつらの分まで俺たちは懸命に生きていかなければならないんだ。
きっとミーヤーだって、それを望んでいるはずだ。
ラロッカもそれだけミーヤーのことを想っているのなら、お前もあいつみたいにたくましくなってほしい。
……俺だってまだあいつみたいに、強くはなれない。
それでも出来るだけ、俺もミーヤーのように、どんな状況に立たされても、笑ってられる。…そんな人間でありたい」
クラック隊長の目には、その熱い想いと共に強い決意めいたものがみなぎっていた。
しかしそんな彼とは対照的に、ラロッカはひどく顔を紅潮させ…
「うっせえ!! 何が…何がミーヤーの死を乗り越えろだ! ……ミーヤーはもう俺の前に、二度と姿を見せることはねえんだ!
俺に乗り越えられる明日はもう無い。全部こいつがぶっ壊しやがったんだ!
…こんな奴、ぜってえ生かしておけねえ。こいつはミーヤーの仇だ! 俺の手で……俺の手で殺してやるぅ!!」
するとラロッカは、怒りそのままに懐から急に拳銃を取り出し、自分の頭に向けてきたのだった。
クラック隊長もそれを見て、思わず…
「おい! ラロッカ! 俺の話を聞いてなかったのか!? …早まるな!
無意味なことはよせ! こんなことミーヤーは望んでない!」
「うっせえ! 黙れ! 黙れ! 俺はこいつがただただ憎い! 邪魔をするなあああ!!」
バン! バン!
ラロッカはクラック隊長の再三の忠告を無視し、躊躇なく、助手席に居る自分に対して、発砲してきた。
どぎつい銃声が耳元で鳴り響き、その直後キーンといった不快な金属音が聞こえ出した。思わず自分はその場で身を屈める。
幸いなことに、ラロッカの放った弾は一発も命中しなかった。…が、しかし。
ラロッカが車内で乱射した後、ふとグリアムスさんの方に目をやる。すると彼は何やら慌てふためいた様子でハンドルを左右に切り出していた。
…ハンドル操作を誤ったのだろうか。グリアムスさんの顔からは、明らかに焦りの色が見て取れ、アクセルを思いっきり吹かせていたのだ。
「ま………こ…ま……と…つ…る!!」
断続的なひどい耳鳴りのせいで、自分から見たグリアムスさんはただ口をパクパクさせるだけで、いったい何を叫んでいるのか、全く聞き取れなかった。
……その直後、グリアムスさんが運転する車は、走行中の道路の脇にそれ、ガードレールをなぎ倒した。
完全に制御が効かなくなった車は、そのままの勢いで林の中に突っ込み、ついに一本の大木に正面衝突してしまった。
フロントガラスに自分の頭を激しく打ち付ける。その瞬間から急に方向感覚が無くなり、視界もぼやけはじめる。
…車のクラクションの音までもが、遠くのように聞こえてきた。
目の焦点が合わず、意識も薄れていく中、自分はグリアムスさんのことが心配になり、再び運転席の方を見た。
「……大丈夫ですか…。…グリアムスさん」
そこには頭のてっぺんから血を流し、ハンドルにもたれかかっていたグリアムスさんの姿があった。
彼の名を呼んだと同時に、自分はそのまま意識を失ってしまった。
ここまで閲覧いただき本当にありがとうございます!
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※今回はクラック隊長の口から語られたミーヤーの過去のお話でした。
書くのにかなり手間取ってしまいました。内容としてちゃんと読者の皆様に伝わっていれば幸いです。
そして次回。ラロッカが何かに取り憑かれたかのように大暴れします…。もしよければお楽しみに…。
※あと32話付近の投稿で完結になりそうです。(全120~130部の間での完結)
最後までお付き合い、いただければ幸いです!
評価ポイントは下記の☆☆☆☆☆欄から! 応援のほどよろしくお願いします!
またここまでのストーリーや文章の指摘、感想などもどしどしお待ちしております。
次回、最終章『統領セバスティアーノ編』:中編 その3です。
よろしくお願いします!