前編 その10 「自分たち懐柔されました」
サムエルと共に自分たちは2階へやってきた。
まず目に入ったのは、簡易なプレハブ小屋のような建物。…これといった特徴らしき特徴は何もない真っ白な豆腐のような小屋である。
どうやらこの建物が工場の事務所にあたるみたいだ。
今、自分たちが居る2階から1階全体を見下ろしてみても、これと同じような建造物はどこにも見当たらない。
このプレハブ事務所もまるで新設された物のように色つやがよかった。まさしく出来立てほやほやのお豆腐そのものだ。
工場の1階には金属加工用と思われる据え置き型のプレス機械が数多くあったが、これらもまた、目の前にあるプレハブ小屋と同じくらいの光沢があった。
全長100メートルの工場に、縦一直線に立ち並んでいたそれらのプレス機械はどれも導入して間もない新品のように感じられたのだ。
…いや新品と言うより、むしろ一回も使用されていない未使用品の機械と言った方が正しいかもしれない。
…このプレス機械自体、まるで部屋のインテリアかのような…ただのお飾りで置かれているとしか思えなかったのである。
「おい、無能生産者のゴミども! あの中を調べてこい!」
「は…はあ…」
背後に居るサムエルにそう指図され、自分たちはさっそくプレハブ事務所の扉を開け、中へ入った。
「……これはまた随分と質素なお部屋ですね」
開口一番、グリアムスさんはそんな感想を口にしていた。
プレハブの事務所にはスチール製の事務机が1台ポツンと置いてあり、またその机の横には6箱のダンボールがあった。
それらはピタリとその事務机の横にひっつくようにして、積まれている。
……ごくごくシンプルな部屋だった。それ以外何もない。
工場の計画書、生産プラン、人員配置の表すら壁に一枚も貼られていなかった。
セロハンや画びょうを使用した形跡すらない。
「まるで自分たち、住宅展示場のモデルルームに来てるみたいですね」
「…同感です、ベルシュタインさん」
そんな真新しい感じが漂うプレハブ事務所に来ていた自分たちは、まずその事務机の引出しを上から順番に開けていった。
ペン立てすら置かれていない事務机。…引き出しの中は物の見事にすべて空だった。
「…ったく何もねえのかよ…」
その様子を遠目から見ていたサムエルはげんなりしている。
「…じゃあ次。そこにあるダンボールだ。…何か入ってるか?」
サムエルにそう聞かれ、自分はそのダンボール箱を軽く持ち上げてみる。
「あっ…これ。この箱には何か入ってそうです」
その一箱には、ずっしりした重みがあった。
誤ってその箱を自分の足元に落下させてしまった場合、複雑骨折は絶対避けられないような…そう断言できるくらいの重さがあった。
「他のやつはどうだ?」
「こっちの箱は……おお! 入ってます! こっちの箱にも、何か入ってます!」
6箱のダンボール全部を調べてみると、その全てにちゃんと重みがあった。
「そうか…まあいい。お前らでさっさと中身を確認してくれ」
「わ…わかりました」
「よろしく頼む」
自分はそれらのダンボール箱を一旦、事務所の床に並べ置いてから、グリアムスさんの協力の元、手分けして、全てを開封した。
一方、サムエルはと言うと…端からダンボールの中身に興味ない様子だ。完全に自分たちとはあさっての方向を向いている。
どうせ大した物は入ってない。期待するだけ無駄、無駄! とでも言いたげな感じが漂っていた。
それほどまでに無関心を貫いていたサムエルを尻目に、自分たちはさっそくダンボールの中身を確認した。
するとそこには…
「おお!! 食料だ! これ全部食料ですよ! しかもこんな大量に…」
「缶詰とポテトチップスにチョコレート…これこそまさにお菓子の宝石箱や~! ってやつですね! ベルシュタインさん!」
そんなグリアムスさんも大量の食料を前にして、驚きを隠せないようだ。
「はあ!? 食料!? 食料だって!? んなバカな!?
…おい、お前ら! 俺にも見せやがれ!」
さっきまでずっと事務所のドアの前で待機し、すぐにでも引き上げる気満々だったサムエルが、目の色を変えて、自分たちの元へやってきた。
「嘘だろ、おい! 何たる天変地異だ!? …あり得ねえ!
缶詰、ポテトチップス、チョコだぁ! …うっひょおおおお! 大量の菓子がてんこ盛りじゃねえか!」
サムエルの野郎はダンボールにパンパンに詰まれていた大量のお菓子をのぞき込みながら、興奮のあまり素っ頓狂な声を上げている。
先ほどまで自分たちの方には一切目もくれず、退屈そうにしていたサムエルに活気が戻っていた。
「おい! ゴミども! まず俺に、そこの一際大きな板チョコを寄越しやがれ!」
「はあ…どうぞ」
サムエルにそう言われ、自分はビターチョコ1袋を彼に手渡した。
「ひ…久々の菓子だぁぁぁぁ!! うひょー! い…いただくぜぇ!」
サムエルはそれを受け取ると、落ち着かない様子で銀の包装紙をビリビリに破き、そうして露わになったビターチョコをさっそくかぶりついた。
ムシャムシャムシャ…
「おおおお!! うめえ! こりゃ止めらんねええ! 病みつきになっちまうわぁぁぁぁ!」
彼は実に美味しそうに食べていた。
「まだあるか!? お前ら、もっとよこせ! 1個と言わず2個だ!
オラオラオラ!」
もっとくれよアピールをしてくるサムエル。
「はあ…どうぞ」
自分はまた同じチョコを今度は複数個、彼に手渡す。
「センキュ―! ゴミども!」
ムシャムシャムシャ…
「糖分最高! いつまでもこうして貪り食っていたいぜ! ひゃっはー!」
あれとあれよという間に、チョコがサムエルに食されていく。
「おい! 何もたもたしてる!? 次だ! 次はそこのポテトチップスだ!
そいつを俺に寄越せ!」
「はあ…どうぞ」
自分はさっきから「はあ…どうぞ」としか言葉を発していない気がする。
それだけサムエルの菓子に対する執着と言うか、ガッツキ加減がすさまじく、若干引いてしまっているのだ。
「うっひょー! まだ足りねえ! まだまだ足りねえぞ!
もっとだ! もっと寄越せ! 俺様にもっとたらふく食べさせろぉぉぉ!
うひょひょひょひょ!!」
サムエルはもはや半狂乱状態に陥っている。お菓子を頬張りながら、奇声を上げ始めていた。
…このチョコ、もしかしてアルコール入りなのでは? もし仮にそうだったとしても、全然納得できるレベルである。
それまで塵1つ落ちていなかったプレハブ事務所が一瞬にして、チョコの包装紙とポテチ袋のゴミの山と化してしまったのである。
コンコンコン…
「おい、サムエル。…俺だ。中に入るぞ」
そんなこんなでサムエルが暴食の限りを尽くしていると、急に誰かが事務所の扉を開け、中に入ってきた。
「……よお、クリスじゃねえか。…一体、俺に何の用だ?」
サムエルが口をもぐもぐさせている中、入ってきたのはリードの部下の1人、クリスだった。
「…俺に何の用だ? じゃねえぞ、サムエル! お前、何物資を盗み食いしてんだよ! お前だけずりぃぞ、ゴラア!」
クリスは大変ご立腹であった。
「あー悪りぃ、悪りぃクリス」
サムエルはそう言いつつも、ポテチの袋に手を突っ込み、それを次々と口に放り込んでいた。
「おい、サムエル…。お前ばっかり食ってないで、俺にも何かくれよ。…一口ぐらい別にいいだろ?」
「お安い御用だ。お前にも特別に何か分けてやるよ! おい、ゴミども。 クリスの野郎にもチョコ分け与えてやれ!」
自分はサムエルの指示通り、ビターチョコレートをクリスに手渡した。
「へへへ…センキュ―、サムエル」
ほくほく顔でチョコを受け取るクリス。
「さあ、早くそいつを食ってみろよ、クリス! …食ったら最後、どこまでも飛んでいっちまうぞ!」
「ゴクリ…。お…おう。ならさっそく…」
クリスはサムエルの一言をじっくり聞いてから、ようやくビターチョコを一口頬張った。
するとクリスも…
「うおおおお! うめえぞ! サムエル! お前の言う通りだ!
本当に飛んじまったぁぁぁ! 犯罪的だぁぁ!」
サムエルに続き、クリスまでもがそろいもそろって半狂乱状態に陥ってしまった。
「ありがとな、サムエル! チョコ美味しかったぜ!」
「おう! 礼には及ばねえ! まあ俺の手にかかれば、これくらいどうってことねえよ! なはははは!」
サムエルはそう言うと、腕を組んでふんぞり返っていた。…これまた随分、得意気だ。
この物資を見つけたのは自分たちだっていうのに…。
影の功労者は正当に評価されにくい。…まさにこのことだ。
「…ってか、クリス。そう言えばお前、一体ここに何しに来たんだ?」
サムエルは冷静にクリスに聞いた。
「はっ! そう言えばそうだったな」
サムエルのその一言で、本来の目的を思い出し、我に返り、次にクリスはこう切り返す。
「聞いて驚くな、サムエル! 実はな、1階で大量の鉄板を見つけたんだ!
それもとびっきりの質の良いやつをだ!」
「え!? まじかよ! そいつはすげえや!」
「だろお!? まずはお前にそのことを報告しに来たんだ。
あと、これはペレスさんからの伝令なんだが、こいつら無能生産者のゴミどもをその鉄板の運送に貸してほしいとのことだ。何せ今、手が足りてねんだわ」
「そういうことなら全然構わねえ! いくらでも貸してやる! せいぜい好きに使ってくれ!」
「よっしゃ! 決まりだな。…ちゅうわけで、無能生産者のゴミども! お前らは早急にペレスさんのところへ向かえ!
場所は工場1階、一番右端だ! 駆け足でな!
…あとそれと…2階で俺らが仲良く物資を盗み食いしていたことは口外禁止だ。
わかったな?
くれぐれも頼むぞ。もし今回のことを誰かにバラした暁には、お前らを生き埋めにすっかんな?
これは俺たちとお前たちとの約束だ。…破ったら命はないと思え!」
クリスにそう凄まれてしまった。…これじゃあ約束の破りようがない。
彼らの盗み食いを誰かに密告したら自分たちは……考えるだけでも恐ろしかった。
「おいおい、そんな脅し文句だけじゃ弱えーよ。
こういう時はな、クリス。こいつらを懐柔させて、しっかり釘を打っておくべきなんだ」
「懐柔? こいつらを手なずけるってことか? …どうやって?」
「そんなの決まってるさ。おい2人とも、これを受け取れ!」
するとサムエルは、自分たちが今まで彼らに手渡してきたのと同じチョコを差し出してきた。
「無能生産者のゴミどもに、俺らの大事な分け前を渡すのも癪だが、一応念には念をだ。
おい、お前ら! …そいつは口止め料だと思え!
特別にお前らにもこのおいし~い、おいし~いチョコを分けてやる。ありがたく頂戴しろ!
その代わり、そいつはこの場で処理しろよ!
……おい。…何ボケ~っとしてる!? 早く食え! 食えったら、食え!
食え、食え、食え! ゴミども!」
サムエルにひたすらクエックエッと脅されたため、自分たちは仕方なしに、そのビターチョコレートを口に放り込んだ。
まさに今の自分たちは彼らにエサで釣られ、懐柔させられたペットのようだったが、何せ昼から何も食っていない。故にこれらを口にしない選択肢はなかった。
「…いただきます」
「そんなのいいから、早く食え、食え!」
自分たちは一心不乱にかぶりついた。チョコの旨味がちょろりと、舌を刺激する。
…まさに犯罪的なうまさだった。彼らの言う通り、食ったら本当に飛んでしまった。
「ゴミども! ここから出る前に、口元についたチョコをしっかり拭き取れよな!
じゃねえとペレスの親分にチョコを盗み食いしたのがばれちまうぞ!
…特別に俺のウェットティッシュを貸してやる。
もしそれで少しでもチョコが残ってたら、殺す!」
サムエルの指示通り、ウェットティッシュを一枚ずつ譲り受けると、それで口についたチョコをしっかり拭った。
念のため、彼らに自分たちの口元にチョコがなくなったのをしっかり確認してもらってから、自分たちは1階へと向かった。
こうして彼らにすっかり買収されてしまった自分たち。しかしその見返りに彼らから案外大きめなチョコをいただけた。
彼らのおかげで若干ではあるものの、空腹感が和らぎ、元気もりもりになった自分たちは、ペレスの指示の元、1階にあった鉄板をせっせとトラックまで運んでいたのであった。
次回、最終章『統領セバスティアーノ編』:前編その11です。よろしくお願いします!