その43 「生傷が絶えましぇん」
あれから腕立て伏せを合計して200回程度やらされることになった。あの後自分もすぐに腕立て伏せを懸命にやっていたのだが、なにせ肘が曲げられなかった。胸元を地面スレスレに着くこともままならない状態だった。
上腕二頭筋並びに体全体にプルプルと乳酸が溜まってきたところで、すぐ膝をついてしまう。
それを見た下僕現場監督が、鉄条網をぐるぐる巻きにした鉄製の棒を自分の顔の真ん前で、地面にひたすら突き刺していた。何度も何度も。まるで自分を恐怖を植え付けるようかのように、ズシズシと・・・・。
「なに手を止めてるんだ!続けろ!逃亡犯のリトルピッグめ!」
鉄条網のトゲトゲ部分はとても鋭利で、見るだけでも痛々しい。あれが少しでも自分の肌に触れようものなら・・・・想像するだけでもおぞましかった。
「も・・・もう限界です」
何度も下僕現場監督には、こう言い聞かせた。しかし当のカイザー下僕現場監督は、まるで軍隊の鬼教官のように罵声に次ぐ罵声を浴びせてきたのである。
「ふざけるな!大声を出せ!タマ落としたか!」
「貴様らは厳しい俺を嫌う!だが憎めばそれだけ学ぶ!」
「貴様らリトルピッグが俺の訓練に生き残れたら各人が立派な無能生産者と昇華する!」
もはやその罵声は何の会話になっていなかった。カイザー下僕現場監督はただ一方通行的に腕立てができていない無能生産者たちに、同じように映画のワンフレーズを言い聞かせていたのである。
カイザー下僕現場監督の何の心にも響かない罵倒には一切耳を傾けず、ただ闇雲に腕立て伏せを続けていた。
それから15分後のこと。その連帯責任の一環として、やらされていた腕立て伏せはようやく終わった。みんなヘトヘトだった。
みんな腕が痛い痛いと言って、しきりにさすっていた。そんな様子を見ていた時、ふと気になったことがある。
「みんな2週間前に比べて満身創痍って言うか・・・全身傷だらけじゃないか」
皮膚が変色するほど強く殴られたような跡や、出血跡、皮膚が裂けた跡、首から骨盤付近に至るまで隙間のないほど無数の傷に覆われた無能生産者が大勢居た。なにせ擦過傷が際立つ。顔面がぼこぼこ。パンパンに顔が赤く腫れあがっている者が大半だった。
以前と比べて、無能生産者の一同生傷が絶えない体となっている。そんな異様な状況に底知れぬ違和感を覚えつつも、ベルシュタインは今一度整列した。
無能生産者たちは現場監督らによって人数を割り振られる。下僕現場監督を筆頭に各人が集められ、コミュニティードヨルドの街へそれぞれの班が散らばっていった。
幸い自分とグリアムスさんは同じ班だ。
今日は大掃除。無能生産者1人1人モップと水の入ったバケツを両手で持ち、ドヨルドの街中を移動した。
まず初めにドヨルドのバザールエリアへと到着した。バザールとは中東地域の言語で市場を意味する。つまり自分たちは今から、このバザールの大掃除をすることになっているわけだ。
ここで陳列されている商品なり製品は定価では売買されていない。つまり商品ごと、取引ごとに売り手と買い手が価格交渉して、買い手ごとに異なった値段が決まっていく。所謂、一物多価方式である。ちなみにどうやって価格が定められるのかというと、コミュニティードヨルドでの階級によって、その販売価格が異なる仕組みとなっている。
階級が高ければ高いほど、品を安く手に入れられ、逆に階級が低ければ低いほど、価格がつり上がってしまい、求めている品を入手しずらくなってしまう。無論これは有能生産者たちだけの話。
もちろん無能生産者はコミュニティードヨルドにおけるアンタッチャブル(不可触民)であるため、バザールで売られている物品を買うことすら禁じられている。陳列されている商品に触れることすら許されていない。
以前の世界では、スーパーマーケットの試食は当たり前のようにできていたが、無能生産者の今となってはそれすらも許されない状況となっている。
バザールの表通りは昼のピークを過ぎてか、人もまばらになっていた。自分たちはそんなバザール通りの裏側にて人目を忍びつつ、店1つ1つの壁やら床にモップ掛け掃除をしているところである。
自分らの班長は、カイザー下僕現場監督。現場監督総主任だ。しかし当の本人は無能生産者の動向に全く興味がない様子で、たびたび持ち場を離れ、自分達とは遠く離れたところで吹かしタバコを決め込んでいる。まるで西部劇の荒くれ者みたく格好つけて佇んでいやがる。
なので自分とグリアムスさんとこうしてひそひそ話も行うことも下僕現場監督の距離関係上、このように容易となっていた。
「ベルシュタインさん、ご無事だったのですね。突然あなたが居なくなったもので、わたくしとしてはひどく心配したんですよ」
「それはそれは・・・。心配をかけたようで・・・申し訳ない」
「いったい今までどこをほっつき歩いていたんですか?」
「ほっつき歩くも何も・・・・自分はカステラおばさんの牧場にずっと居ました」
「カステラおばさんの牧場?」
何やら聞きなれない言葉だと言ったような表情を見せてくるグリアムスさん。
「グリアムスさんでもご存知ないのですか?カステラおばさんの牧場の事」
「いいえ存じ上げません。ただ牧場自体がこのコミュニティードヨルドには存在していることは少しばかりか知ってはいましたが、詳しいことは何も・・・」
「そうですか」
あの博識なグリアムスさんをもってしても、カステラおばさんのことも牧場の詳細もほとんど知らなかったとは・・・少々驚きだった。
「それよりも誰なんです?そのカステラおばさんっと言った方は。どこぞのお菓子メーカーのパチモン臭がしてなりませんが・・・」
散々世話になったカステラおばさん本人をどことなく小馬鹿にした発言をしているのはさておき・・・・ひとまず説明してあげることにした。
「カステラおばさんはよくコミュニティーのみんなにクッキーを配っておられる、あのおばさんのことです。なにか心当たりはありませんか?そのクッキーおばさんについて」
「ああそういえば、いつもわたくしたちのもとにバスケットの籠を手に近づいてきていたおばあさんがいたような気がします。その方が例のカステラおばさんなのですね?」
「そうです。自分はそのカステラおばさんが所有する牧場にてお世話になっていたんです。そこで2週間あまり、働きつつ日々過ごしていたんです」
「そうだったんですね。それを聞いて余計安心しました。ベルシュタインさんはあの葬儀の日以来、ずっと行方不明でしたから・・・神隠しに合ったのかと思っていましたよ」
「まさか・・・神隠しだなんて・・・」
「その間、わたくしは誰からも相手にされず、たいそう寂しい夜を過ごしたものです」
「・・・自分が牧場でお世話になっている間、グリアムスさんはずっと豚小屋でいつもと変わらぬ日々を過ごしてたんですからね・・・・大変申し訳ない」
「謝る必要はありませんよ、ベルシュタインさん。・・・・別にわたくしはひとりでも十分やっていけます。たとえ話し相手がいなくても。元来わたくしは独りぼっちで孤高に生きてきた人間です。
周りには迎合せず、己の・・・我が道を貫く。そういった一匹狼です。孤立することは慣れていますから」
聞いているこっちまで悲しい気分になってきた。ああ・・・なんでこうも自分とグリアムスさんは同じ感覚を持ち合わせているのだろうか。
自分も学生時代に至るまで人っ子一人、友達など出来たことはなかった。誰ともつるまず、ただ一人で講義部屋の一番端の方の席で、ドラマの二枚目俳優かのような佇まいをして、格好つけていたものだ。
自分は一匹狼。孤高な存在。決して友達ができないただのぼっちではない。ただ自分は友達をつくる必要性に迫られていないだけ。
そんなことを想いながら、リア充の厚化粧をして胸元をパッカーンと開かせて、キャピキャピした青春を送っていた女の子の事ばかりをちらちら盗み見ていた。
自分のような矮小な存在の人間なんかと女の子が目を合わせるはずがないから、堂々として、そのご尊顔を拝ませてもらったものだ。鼻の下を伸ばして。
・・・・なんか自分のことを無性になぐりたくなってきた。
「・・・・そういえばずっと気になってたんですが、その全身の傷はどうしたんです?自分がいない間、何をされたんです?」
グリアムスさんも例に漏れず、他の無能生産者たちと同じく、生傷が絶えない体となっていた。
袖をまくり、露出した腕、首元。まるで拷問を受けたかのような傷跡が色濃く残っている。
「あぁ~・・・・このことですか。・・・実はあなたが不在だった頃・・・」
グリアムスさんは暗い表情を浮かべ、淡々と次のことを話してくれた。
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