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後編 その15 「雪解け」

 ミーヤーと一緒に、わたしは1階建ての山小屋の中に入っていった。

 視界を遮るほどの吹雪だったにも関わらず、屋根の上には一切の雪が積もらない、少し不可思議な小屋。

 その小屋の玄関先で、雪にまみれたフード付きの防寒着を手で払いながら、わたしは自身が着ていたその服を壁掛けのハンガーラックにかけたのだった。


「あれ? なんでもう暖炉の火が付いてるの? ……ひょっとしてミーヤーが?

 あんな短い時間で?」


 小屋の内部をざっと見渡すと、部屋の中心に、昔ながらの石造りの暖炉があった。

 暖炉にはすでに薪がくべられ、火が灯っている。

 パチパチとした暖かな音が部屋の奥から聞こえ、それが何とも心地よかった。

 暖炉にくべられている薪は、遠目からでもまだ真新しかったように思えるし、煤けたような跡も全く見られなかった。

 ……ついさっきまで、ここに誰か居たのだろうか。

 いや、それともやっぱりミーヤーが、わたしがこの小屋に駆け込んでくる一瞬の間に、手際よく暖炉に薪を組んで、火をつけてくれたのだろうか?

 でもそれにしたって、火付けの道具のようなものはパッと見た限り、部屋のどこにも見当たらない。

 果たしてそんな間もない時間で、火付けの道具もない中、暖炉の火を簡単に付けられるものだろうか? ……少し変だ。

 また山小屋の寂れた外見とは打って変わって、内装はポプラ色のつやつやな木材の光沢を残していたこと。

 このように屋根の上に一切の雪が積もってないこと。それに暖炉の火のことといい、わたしはそれらの現象を不思議に思っていた。


「あっ! あった! コンセント、コンセント~♪」


 対するミーヤーはこの小屋の違和感に何も気を留めることなく、部屋の隅にあったコンセントに一目散に駆け寄って行った。

 コンセントの近くにミーヤーはしゃがみこむと、背負っていたバックを脇に降ろし、そこから湯沸かしポットとマグカップ、インスタントコーヒーの粉の入った瓶を取り出した。


「ふふふ~ん♪ これでやっと美味しいコーヒーが飲めるよ~」


 ミーヤーは鼻歌交じりに、ポットをコンセントに繋ぐ。

 ポットに水を注いでから、スイッチを押すと、ミーヤーは用意していたコーヒーの粉をそれぞれのカップに入れた。

 それからのミーヤーは、まるで植えたばかりの苗に水をやって、実がなるのをずっと待ち遠しくしている子供みたいに、ポットのお湯が沸くタイミングを待ち続けたのだった。

 ……そもそもミーヤーは何で、こんな時にあれだけ大きなポットとコーヒーの粉、そしてマグカップを2つも持ち歩いていたんだろう。

 いったいあのカップは誰と誰の分なんだろう。

 ただコーヒーを飲みたかったからと言っても、あんな大きなポットをバックなんかに入れたら、容量を圧迫して、かえって邪魔になるのに……。


「ん? あれ? そういえばコンセント……。なんでここ電気が通ってるの? おかしいじゃない」


 驚くことに、この小屋にはまだ電気が通っていた。

 それを証拠に、ポットの給湯口からは白い蒸気が絶え間なく出ていて、シューっと音を立てながら、うなり続けている。

 ……キメラカタストロフィが起こってから、早2年。コミュニティーの外に、まだ電気が通っている場所があったなんて。

 ひょっとして自家発電の機能がこの小屋にはあるのかしら。ソーラーパネルとか、太陽光とか?

 仮にこの小屋が太陽光発電だったとしても、外の雪の積もり具合から見るに、この周辺はもう何日も陽が出てないことは容易にわかる。

 それだけ太陽が出ていないんだから、電気の供給もとっくに止まっているはず。

 ……本当にわからない。この小屋のこともそうだけど、ここがどこで、何でわたしとミーヤーは吹雪の中を一緒に行動をしていたのか?

 わたしは首をかしげながら、状況を今一度整理してみる。


「ペトラルカ、おまちどうさま~! 新鮮取れ立てのコーヒーですよ~」


 わたしの考えを遮るように、ミーヤーは湯気の立ち込めたコーヒーをわたしに手渡してきた。

 ただのインスタントコーヒーなのに、さもそれを取れ立てのコーヒーだと自信たっぷりに言っちゃうところが、いかにもミーヤーらしい。

 最初、わたしはこの人のことをミーヤーのそっくりさんだと思っていた。

 でも話し方と、彼女が醸し出す独特の雰囲気でそれらの可能性はすぐに否定された。まぎれもない本人だ。

 にーっと弾けるようによく笑っているし、彼女が笑う時にできるえくぼの位置までも全部同じだった。とても赤の他人だなんて思えない。


「あ、ありがとう」


 わたしはミーヤーから熱々のコーヒーの入ったカップを受け取る。思わず全部床にこぼしそうになった。


「ペトラルカ。暖炉のそばに行こう! コーヒーが冷めないうちにね」


 ミーヤーのその提案に乗り、わたしたちは暖炉を囲うように座り込んだ。

 お互い身を寄せ合って、温まりながら、ミーヤーの淹れてくれた新鮮取れ立てのコーヒーを味わうようにゆっくりすする。

 外の冷気に当てられたカラダも徐々に温もりを帯びてくる。


「どう? おいしい? ペトラルカ」


「……うん。まあね。インスタントだけど」


 そうしてコーヒーをすすりながら、わたしはミーヤーとまたいつものようにたわいもない話を始めた。


 ミーヤーがわたしのそばにこうして居てくれるだけで、こんな過酷な世界の中でもわたしは頑張ってこられた。

 ぽっかりと空いた穴を、いつも埋めてくれたのはまぎれもないミーヤーだった。

 次々とわたしの目の前で失われていく命に直面しても、心が壊れなかったのは、ミーヤーがいつも隣で、とびきりの笑顔で励ましてくれたからだ。

 あの時、テーマパーク横のビジネスホテルにミーヤーが来てくれなかったら、今ここにわたしは存在していない。

 ベル坊くんと出会うことも、コミュニティーのみんなに会うこともなかった。

 わたし1人だけの力だけではどうしようもなかった。

 ……この山小屋での時間が過ぎてしまったら、わたしはまた元通りだ。

 カステラおばさんの家でずっと殻にこもり続け、生きることを放棄し、過去の思い出の中で過ごしていく毎日。

 そんな惨めな時間が再びやってくる。

 だからお願い。この夢が覚めたりしないで。もし覚めてしまったとしても、また夢の続きを見させて欲しい。

 そうじゃないと、わたし……。

 カップの淵に溜まった、コーヒーの渋が見えた途端、わたしの頭の中には突如そのような考えがめぐった。


「大丈夫だよ、ペトラルカ。わたしなんかが居なくても、生きていけるよ」


「……えっ?」


 ミーヤーはまるでそんなわたしの心を見透かしているかのように、目の前の暖炉の火をまっすぐ見つめながら、そう言ってくれた。

 ホッと温まるような優しさがこもった声。わたしは思わず聞き返していた。


「だってペトラルカは、わたしよりもずっと強いもん。わたしなんかよりずっと……。

 ペトラルカは自分のことを生きていてもしょうがない人間だって、思ってるかもしれないけど、全然そんなことないよ。

 むしろわたしの方が、ペトラルカにずっと助けられてきたんだから。

 ……あなたがあのホテルのあの部屋に居て、今日までずっと信じてついてきてくれたからこそ、わたしは頑張ってこられたんだよ。

 つらい時だって、あなたがそばに居てくれたからここまで踏ん張ってこれたんだよ。

 じゃないと、ペトラルカとこうして一緒にコーヒーを飲むこともなかったしね」


 ミーヤーはそう言うと、カップに残っていたコーヒーを一気に飲み干した。

 飲み終えたカップをそっと横に置くと、次にミーヤーはこのようなことを言った。


「この世界にはね、生きたかったのに、生きられなかった人がたくさんいるの。

 みんな、ほんの些細な幸せだけを求めて、必死で生き抜こうとしていた。

 だけど、その望みがついに叶わなかった人もいる。生きることでしか絶対に掴むことのできなかった幸せをね。

 ……でもね、ペトラルカはまだその幸せを手に入れられるの。

 例えそれがどんなにつらいことの連続でも。悲しみの向こう側にあったとしても。

 生きることさえ諦めなければ、必ずそこにたどり着ける。

 本当の幸せって、悲しみを乗り越えた向こう側にあるんだよ。精一杯苦しんで、もがいて、もがき切った先に待ってくれているの。

 ……でもね、別に悲しみを乗り越えることって、何も難しいことじゃないの。

 身の回りのほんの些細なところに、ごく当たり前なところに、案外転がってるもんなんだよ。

 生きることを諦めなければ、絶対に探し出すことができるし、掴むことができる。

 だからわたしが居なくなっても、その幸せを探し続けてみてね、ペトラルカ」


 ミーヤーはそう言ったのを最後に、その場から立ち上がった。

 そしてわたしを置いて、ミーヤーは単身小屋の出入り口の方に向かっていく。


「えっ? ……ちょっと、ミーヤー!? なんで? なんでわたしを置いていくの!?

 わたしはまだ……」


 この小屋から外に出て行こうとするミーヤーを呼び止めるわたし。もちろんわたしは、そんなミーヤーの後を追おうとする。

 ……しかしなぜか思いに反して、わたしの足は床にひっついたようにその場から動いてもくれなかった。

 ミーヤーはそんなわたしを一切振り返ることもなく、小屋の扉の取手に手をかけた。


「お願い、待って! 本当に行かないで! もうどこにも行かないで!」


 わたしの声を聞いて、それまで全く歩みを止めなかったミーヤーが一度その場で立ち止まる。

 それからミーヤーは振り向きざま、屈託のない笑顔でこのように言ってくれた。


「……わたしはね、別に死んでなんかいないよ、ペトラルカ。

 ペトラルカの心にわたしがいる限り永久に不滅なんだから。だからまた会えるよ」


 ミーヤーがそう言ってから、突然小屋の窓から陽の光が射してきた。


「ほら、雪がやんだよ。暖かくなってきた。

 ……じゃあ、わたしはそろそろ行くね。ペトラルカもいつまでも、その中に居てたらダメだよ。

 自分が思ってるだけで、外って案外暖かいんだよ。

 悲しいことなんて、人生のほんの数ページの出来事に過ぎないんだから。

 悲しいことがあったら、その分、絶対に嬉しいことだってある。それだけは忘れないで。

 悲しい出来事にこの先また遭遇しても、それをまた何か嬉しくなる出来事で上書きしていけばいいんだよ。

 だから絶対に打ちひしがれないで。当たり前な幸せに気づくことは簡単じゃないけど、前に進み続ければきっと見つかるから。

 じゃあね、わたしはもう行くよ。

 ……ベル坊のこと、頼んだよ」


 ミーヤーはその一言を最後に、小屋から出て行ってしまった。


「ミーヤー! 行かないで! まだここに居てよ! あなたが居ないと、わたし……」


 ミーヤーの後ろ姿が見えなくなった瞬間、わたしは意識を失った。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「はっ!」


 目が覚めた。

 

「……あれ? さっきまでわたし何してたんだっけ?」 


 長い夢でも見てたのかな? 気が付けば、自室の窓から太陽の光が差していた。

 窓から外を見ると、カステラおばさんが額の汗を拭いながら、今日も牧場の牛とヒツジの世話をしている。


「……あれれ? そういえばわたし、何で泣いてるんだろう」


 目が覚め、カステラおばさんが牧場仕事をしているのを人知れず眺めていたその時。

 わたしはふと、涙が頬を伝っていることに気が付いた。

 なんでだろう? 何で泣いてるんだろう。なんでこんなにも涙が流れてるんだろう。

 わからない。

 でもわたしのそれまで冷え切っていた心が、徐々に温もりを帯びてきていたのがわかった。

 ……わたし、まだ頑張れる気がする。4日間も寝込んでいたからかな? 急に元気が出てきた。

 ……うん。ミーヤーが居なくても、わたしにはベル坊くん、それにクラックも居る。

 彼らまでわたしのことで心配させちゃったら、きっとミーヤーがわたしの枕元にまで現れて、張り倒してくる気がする。


 わたしはいつもミーヤーに散々振り回されっぱなしだったけど、そうされているうちに自然とまた元気を取り戻していく。

 そうして悲しかった気持ちも、いつの間にか薄れていく。

 わたしはいつもミーヤーにそうされてきたけど、これからはわたしがミーヤーにしてもらったことをベル坊くん、クラックに返してあげる番だ。

 ……いや、ベル坊くんとクラックだけじゃない。コミュニティーのみんなに返してあげる番だ。

 でも具体的に、わたしはみんなにいったい何をしてあげられるんだろう。

 ベル坊くんなら、わたしがミーヤーにされていたように、パンツを盗んだり、プロレス技をかけてあげたりはできるかもしれないけど……。

 むぅ~。今はわからないから、そのうち考える! とにかくわたし、全力で頑張っちゃう!

 わたしはベッドから出ると、そのまま軽やかな足取りで、部屋の外に出た。


「……よお、ペトラルカ。やっと出てきたのか。随分長丁場だったな」


 部屋から出ると、すぐそこにクラックが廊下の壁に背をもたれ、座り込んでいた。


「……っておい! お前! まだ寝間着姿じゃねえか! とっとと着替えろ!」


 クラックはわたしの姿を見た途端、顔を真っ赤にして、その場から逃げるように去っていった。


「あっ。いけない、いけない。ちゃんと服を着なきゃ」


 片方剥き出しの肩に、だらしなく胸元がはだけていた。ボタンも全部外れている。


「おい! 着替えはリビングのソファーにあるからな! お前はとっととそれに着替えて、大広場のステージに向かえ!

 リハーサルまであと1時間しかないぞ!」


「は~い!」


 わたしは元気よくそう答えた。

 それから慌てて、自室で服を着直すと、わたしはリビングに向かった。


「……わぁ、素敵。いったいこれ、誰がデザインしたんだろう」


 リビングのソファーには無造作に、赤を基調とした、まるで炎に舞う不死鳥のようなきらびやかなドレスがあった。

 これを着れば、この先どんな困難に見舞われても、わたしはきっと乗り越えていける気がする。

 ……わたし、本番にとっても弱いけど、大丈夫きっと大丈夫。

 この不死鳥ドレスさえあれば、わたしは何者にもなれる! 見ててね、みんな!

 様々な不安と緊張を抱えながら、わたしは用意されたその不死鳥ドレスに袖を通したのだった。

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