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後編 その11 「グリフォンの棲む湖へ」

 その後も自分たちの後を、衛兵が追って来ることはなかった。

 今現在、壁外に出てから、かれこれ1時間ほど経過している。

 本来であるなら今頃、グリフォンの棲む湖に到着してなければならないはずだった。

 しかし目的地である例の湖までは、距離的にもまだ程遠かったのである。


「ベルシュタインさん! 何、立ち止まってるんですか! 急いでください! 予定より大幅に遅れてるんですから!」


 自分の遥か前方を走るグリアムスさんに、振り向きざまそう呼びかけられた。


「す、すいません。自分が足をつったばっかしに……」


 ……これがコミュニティーの正門扉を、奇跡的に突破できた代償ってやつなのだろうか。

 壁外に出てから少しもしないうちに、自分はこのように両足のふくらはぎが突如つってしまったのである。

 また足をつったと同時に、自分の腕や腹周りの筋肉までも、姿の見えぬ第三者に断続的につねられているような痛みを伴ってきた。

 自分の走るペースはみるみるうちに落ち込んでいき、今となっては小走りするだけで精いっぱいである。

 歩幅は大きく狭まり、もはやまともに歩いている感覚すらなかった。

 ……そんな足手まといな自分を見かねて、グリアムスさんは自分を置いてどんどん先へ行ってしまっているのだ。


 こうなったのも元はと言えば、自分のせいだ。自分の身体能力を過大評価しまったが故の悲劇だ。

 山登りをして、真っ先に足を引っ張るタイプの人間は、おそらく自分みたいな身の程知らずな奴なのかもしれない。

 ペース配分とか、適正距離とかそれらのものを後先考えず、果てのない広大な平原の中をどんどん突っ走った結果、自分の足は、突然何の前触れもなく、こむら返りを起こしてしまったのである。

 何せ壁外を出てからというものの、自分は初っ端から100メートル走をずっと全力疾走するくらいのイメージで走ってきたのだ。

 初めから猛烈にギアを上げ過ぎたのが、結果的に良くなかったのだろう。

 ……普段からろくに運動もしない人間が、調子に乗って全力で走り続けると、どんな目に遭うのか、その時の自分は全く理解してなかったのである。


『ほら! だから言わんこっちゃない! あんなペースで走っていたら、当然そうなりますって!』


 こむら返りを起こし、へなへなと地面に倒れ込んでしまった自分をグリアムスさんは足を伸ばすなどして、簡単なストレッチを施してくれた。

 しかし一度痙攣を起こしたふくらはぎが、ちょっとやそっとの処置で、痛みが完全に引いていくわけもなく、その後もピーンと張ったような痛みを抱えながら、例の湖まで走ることを強いられたのである。


 これは小学生時代からまともに運動をしてこず、自身の筋肉の限界値を適切に把握してなかったがために起きた事故だったと言えよう。

 あの時から、体育の授業をまじめにこなさなかったツケが今になって回ってきたのだ。

 こうなるくらいだったら、あの頃からもっと真剣に体育に取り組んでおけばよかった。

 周りのクラスメイトより運動が格段に下手だからと言って、変なサボり癖をつけてしまったのがかえってよくなかったのだろう。

 もっとちゃんと体育をしておけば、このような惨劇は未然に防げたかもしれない。

 許容範囲を超えた負荷を筋肉にかけることもなければ、足がこむら返ってグリアムスさんに多大な迷惑をかけることもなかっただろう。

 自身の筋肉の限界を、日頃からきちんと理解しておくことの大切さを知った今日この頃であった。


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「ベルシュタインさん! あとちょっとです! ようやく湖が見えてきました! 

 もうひと踏ん張りですよ、ベルシュタインさん!」


 自分の遥か先陣を走るグリアムスさんは、突然そのようなことを叫び出した。

 自身のオーバーワークで両足を負傷し、もはや気力までも尽きようとしていた矢先のことだった。

 自分の不甲斐無さが故に、すでに予定の場所、予定の時間に大幅に遅れてしまっている。

 身体的な疲労を含め、自分は精神的にも多大なダメージを喰らっていた。

 歩けば歩くほど、ますます痛んでくる筋肉。

 それと比例するように、蝕まれていく精神。

 ……今はリュックサックを背負っておらず、手ぶら同然の状態だったにも関わらず、自分は足がつってしまったのだ。

 何とも情けないことだ。

 自分の遥か先を走るグリアムスさんの豆粒ほどの後ろ姿を見ると、一層そう思えてきた。


 セバスティアーノからペレスたちの捜索任務を仰せつかり、初めて壁外に出た際、自分たちはカステラおばさんが用意してくれたリュックサックを背負っていた。

 しかしそのリュックサックは、セバスティアーノに虹色の石を奪われ、コミュニティーに強制的に連れ戻された際に、根こそぎ取り上げられてしまったのだ。

 今の唯一の所持品は、ポケットにしまっている制御装置だけ。

 ほぼ手ぶら同然の状態だ。

 その時よりも、断然身軽な状態だったにも関わらず、自分は足がつってしまったのである。

 今になって思えば、こうして足がこむら返ってしまったのも、セバスティアーノに『夕方6時』と明確な時間指定を受けたことが、大きく影響していたのかもしれない。

 それがかえって精神的なプレッシャーとなり、結果あのような無謀な走りをするに至ったのだろう。


 あの時の着替えの服もタオルも、さらにはあのクラック隊長直伝のサバイバルノートまでも、リュックサックと一緒にセバスティアーノの手に落ちてしまった。

 せっかく労力をかけて、書ききったサバイバルノートを赤の他人に取り上げられる。

 その時の悲しさは、まさにマリアナ海溝よりも深かったと言える。

 もしあの本がコミュニティー内で、自分以外の第三者の手によって販売されていたら、それはれっきとした著作権侵害になる。

 万が一そのような状況になった場合は、著作権法違反やら、知的財産権か何ちゃらで、法律を盾に全力で訴えてやるつもりだ。

 あのサバイバルノートの著者は、まぎれもなくこの自分なのだ。当然の権利である。

 カステラおばさんがせっかく用意してくれたバックを取り上げられた時も、確かにむなしさが募った。

 が、同時に自身初著書の、クラック隊長直伝サバイバルノートを取り上げられた時の悲しみも、この上なく強かったのだ。

 食べ物の罪は重いというが、このサバイバルノートを奪われた罪も自分にとってはそれだけ重たいのである。

 こんな気持ちになるのは、初めての経験だ。

 小説家の人が、著作権侵害されることの悲しみ、怒りといったものはおそらくこうしたものなのかもしれない。


「ベルシュタインさん、ようやくですか。待ちくたびれましたよ。

 しかしながら、その足でよくここまで来れましたね。

 ……少しここで休憩しましょうか」


 まあそれらのことは一旦置いといて……。

 一時は足が痙攣するといったアクシデントに見舞われたものの、自分は何とかグリフォンの棲む湖までやって来ることができた。


「すいません。じゃあお言葉に甘えて、そうさせてもらいます」


 自分はグリアムスさんの善意に甘え、早速、湖のほとりにある青々とした地面の上に寝っ転がることにした。

 太陽は真上に昇り、サンサンと生暖かな光を湖面に照らしている。

 自分はその湖のほとりで大の字になり、ゼーゼーと息を吐きながら呼吸を整えようとしていた。

 ……今にもはち切れんばかりな自分の心臓。

 汗は滝のようにだらだらと噴き出し、カラダ中からはひっきりなしに湯気が立ち込めている。

 横向きにゴロンと寝転がることですら、カラダが受け付けないくらい、自分は疲弊しきっていた。

 今こんな時に腹を見せ、無防備なカメのような自分に、キメラ生物が襲ってこようものなら、ひとたまりもないだろう。

 真っ先にむき出しのはらわたをついばまれ、美味しく頂かれてしまうに違いなかった。


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 呼吸の方もようやく整ってきた。

 早速その場からカラダを起こそうとした次の瞬間。


「あっ! 待てぇー!」


 ふとその拍子に虹色の石が、ポケットの中から転がり落ちてしまったのだ。

 ミートボールが坂をコロコロと下っていくように、ブリリアントカットの施されたあの制御装置が、湖に向かって一直線に進んでいった。

 自分はその制御装置が湖の中にちゃぽんとならないよう、慌てて制御装置の後を追った。

 だがしかし……。


「あああ!! なんてこった!! 最悪だ!」


 自分の必死の追跡もむなしく、虹色の石は湖の中に沈んでしまったのである。


「ど、どうしましょう! グリアムスさん!」


「どうもこうもありません! 見失う前に、早く虹色の石を!

 今すぐ靴と靴下を脱いで、探しに行ってください!」


「えええ!! そんなの嫌ですよ! ただでさえこの湖、水深が深いんですよ! 一度足を踏み入れたら最後、自分も沈んでしまいます!」


 冬真っ盛りのこの季節に、片足だけでもこの湖の中に突っ込んだら、どうなってしまうのか想像に難くない。

 片足を踏み入れた瞬間、自分は瞬く間に冷凍保存されてしまうだろう。


「ダメです! あなたの石がなければ、グリフォンを呼び出せません!

 グリフォンを呼び出せないってことは、それすなわちあの廃工場にだって行けないことを意味しています。

 ……つべこべ言ってないで、あなたは早く湖の中にダイブしなさい!」


 グリアムスさんは顔を真っ赤に、そう怒鳴ってきた。

 せっかく長いことランニングして、カラダの方も暖まってきたというのに……。

 所々氷が張っている真冬の湖に、ダイブしていくのは自殺行為に他ならない。

 サウナでカラダを温めてから、水風呂に飛び込んでいくのとは訳が違う。

 下手すれば冷水に溺れて、ショック死だ。

 決死の覚悟でコミュニティーから壁外へ出て、最後は溺死とは何とも浮かばれない。

 きっとこの湖に飛び込む以外にも、制御装置を回収する何か画期的な方法があるはずだ……。

 そう思い、自分はグリアムスさんにある提案をしようとしたその時だった。


「あ! あれは……。グリアムスさん! 虹色の、虹色の石の光です!」


 突然湖の底の方から、またあの七色の光が輝き出したのだ。


「これで沈んでいった場所が分かりましたね!

 ……でも随分と底の方に沈んでいきましたね。これじゃあ、スキューバダイビングでもしない限り、到底取りに行けませんよ。

 どうします? グリアムスさん」


「そんなの考えるまでもありません。あなたがダイビングして取りに行くまでですよ」


「無茶言わないで下さいよ、グリアムスさん!

 ましてや自分たちにはシュノーケルもダイビングスーツ、それに潜水技術だってないんですよ!?

 まさに無理ゲーってやつです」


「自分のケツは自分で拭くのが筋ってもんですよ、ベルシュタインさん。あなたの失敗はあなた自身で取ってくださいまし」


「そ、そんな心ないこと言わないで下さいよ、グリアムスさん!

 確かに自分の不注意で、虹色の石を湖に沈めてしまったことは反省してます。

 ……ですが、どうか自分をあの湖に沈めるようなこと言わないでください。

 その言い方、まるでコンクリート詰めにして海に沈めるようにしか聞こえませんから!」


「……はあ。まあ過ぎたことはしょうがありません。ひとまず辺りに散乱しているゴミをかき集めて、即興の釣り道具を作りますか。

 それを使って、湖に沈んでしまった制御装置を引き上げましょう」


「了解です。……はあ。こんな時に金の斧、銀の斧みたいな感じで、ひょっこり木こりの神様みたいなのが出てきてくれたらいいのに」


「なんですかそれ? この期に及んでそんなおとぎ話なんてよしてください。

 現実的に物事を考えましょう、ベルシュタインさん。

 とにかくあなたは、急いでありったけのゴミを集めてくださいまし」


「わかりました、グリアムスさん。早速取りに行きますよって……ん?」


 グリアムスさんとたわいもない話をしていたその時。目の前の湖の中から突然、蒸気のようなものが立ち込めてきた。

 それらはまるで電気ケトルで中のお湯が沸いた時のように、非常にモクモクとしていた。


「グリアムスさん。何かあの辺り、めちゃくちゃモクモクしてません?」


「……そうですね。いったい何でしょうね、あれは。一種の川霧みたいなものでしょうか」


 グリアムスさんと一緒に、煙突の白い煙のようなものを眺めていると……。

 突然、目の前の湖の水位が一気に上がり、大きな水柱を形成し出した。

 そしてその形成された大きな水柱の中から、突き破るようにして、またしてもあのグリフォンが姿を現した。

 グリフォンはまた前回の時のように、湖面から瞬く間に上空へと昇っていく。

 グリフォンは湖から突如出現した大怪獣のように、咆哮をあげながら、空を旋回し出したのだった。


「グリアムスさん! 出ました! やつです!」


「言われなくても分かってますよ!」


 今回のグリフォンは前回と違い、カラダ付近に白い煙幕のようなものをまとった状態で登場した。

 その様は、雲をカラダにまとったドラゴンのようでかなり幻想的だった。

 優雅な奴の姿に見とれていると、少しもしないうちに当のグリフォンが自分たちの元に再び降りてきた。


「うん? 何だか急に暖かくなってきましたね、グリアムスさん」


 グリフォンが自分たちの目と鼻の先に降り立った瞬間、辺りは温暖な空気に包まれた。

 奴のカラダからはひっきりなしに蒸気が発生しており、辺り一帯まるで狭い部屋の中でストーブをつけているかのように、暖かくなってきた。

 おそらくグリフォン自身が熱を発しており、その影響で――外との気温差で――蒸気が発生しているのだろう。

 前回、自分たちの元にスコールのように降り注いできた無数の水しぶきも、奴の発する熱の力ですでに蒸発してしまったようで、ほんの一滴も降ってくることはなかった。


「……このグリフォン。わたくしたちにとって、まさに歩くストーブのような存在ですね」


 グリアムスさんが口にした通り、このグリフォンは自分たちにとって歩くストーブそのものだった。

 ストーブが自分たちの歩調に合わせ、自分たちを心身共にとても温かな気持ちにさせてくれる……。

 まさに夢のようなアイテムだった。


 自分たちの近くに降り立ったグリフォンは程なくして、この自身の背中に乗っていけと言わんばかりにボディーランゲージをしてきた。

 自分たちもグリフォンのその意図を察して、奴の背中に飛び乗ることに決めた。

 ……正直、今のグリフォンの背中に乗ることは、沸騰したてのポットに直で手で触れるのと同じくらい危険なことだと思っていたが、幸い奴の表面は熱すぎず冷めすぎずといった具合で、自分たちに何ら影響はなかった。


「よし、グリフォン! 出発だ!」


 自分はグリフォンに行き先を伝える。

 するとグリフォンはジェット機のロケット噴射のようなスピードで、空を駆けて行ったのであった。

 目指すは廃工場。その地下にある超有機生命体研究所――そこの研究員の机の中にもう1つあった制御装置を取り――に向かったのである。

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