後編 その9 「アニバーサリーの予感」
病院を出ると、自分たちは真っ先に、コミュニティー唯一の玄関口である正門扉を目指した。
道中、自分たちは脳内に入れられたチップ爆弾が作動しないよう、細心の注意を払いながら、行き交う人々の波をかき分けていた。
「……グリアムスさん。今日って何かイベント事でもあるんですか? 街全体アニバーサリームード一色ですよ」
城門へ向かう道すがら、町の至る所では、建物やモニュメント等に様々な飾り付けがなされていた。
大勢のコミュニティーの住民が、各自手分けして、星や月の形をした色とりどりなオーナメントや風船、リボンなどを壁一面に取り付けている。
「そう言えば、今日はコミュニティードヨルドの創設記念日だったと思います。
確か17時か、18時頃から、イベントが始まるようですよ。
……皆さん、何だか楽しそうにパーティーの準備をしてますね。羨ましい限りです」
グリアムスさんは、パーティーの準備に駆られている彼らの姿を見て、さも感心したようにそう呟いていた。
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コミュニティーの正門扉を目指せば目指すほど、街の方がだんだん活気づいてきた。
いつもコミュニティー1番の賑わいを見せている市場もその例に漏れず、まるで新年を祝う行事ごとかの如く、全体の装飾にもやけに気合が入っていた。
そこには有能生産者に交じり、無能生産者もそんな彼らと同じく、祭りの準備に追われている姿が多く見受けられた。
本来、彼らの間に存在する有能生産者と無能生産者の身分差が、その場では全くと言っていいほど感じさせず、むしろそのような物の存在を忘れさせてくれるほど、彼らは同じフィールドで対等な人間として、働いていたのだ。
彼らが同じ汗を流しながら、純粋にパーティーの準備に励んでいるそれらの姿を見ると、セバスティアーノが上から一方的に階級付けしたあの無能生産者、有能生産者の制度も、目の前に居る彼らからしてみれば、些細な問題にすぎなかったのではないかと思えてくる。
確かに形式的には、このコミュニティー内における両者の身分の差は存在する。
しかし実質そのようなものも、彼らにとっては何ら意味を持たない、ただの飾りだったのかもしれない。
これらの光景を見ると、自分が普段から彼ら有能生産者に蔑むような目で見られていたこと自体、自分の単なる思い過ごしだったのではとすら思えてくる。
ひょっとしたら今までのことも、変に自分が思い詰めていただけだったのかもしれない。
自分が無能生産者として豚小屋に放り込まれたことで、有能生産者の彼らに対するバイアス(偏見)が極度に肥大化した結果、そんな彼らを絶対悪だと決めつけるに至ったのだろう。
少なくともこの目で見た彼らの様子からは、有能無能生産者の身分など存在せず、ごく対等に話し合っている風にしか見えなかったのである。
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あの市場を抜け、引き続きコミュニティーの正門扉を足早に目指していたところ。
今度はコミュニティードヨルドの大広場に出た。
かつてパワハラ現場監督が、統領セバスティアーノに青空教室ならぬ青空裁判にかけられ、地下送りを言い渡された場所だ。
そこでは現在、急ピッチで野外のステージがつくられていた。
ここで何か大掛かりなイベントが行われるのだろうか。そこには設営に励む大勢のスタッフが忙しなく働いていたのだ。
有能無能問わず、先程の市場と同様、コミュニティーの街中の人が総力を挙げて、1つのモノを仕上げようと、懸命に働いている。
不思議とその中にいる設営スタッフは誰1人として、嫌な顔をせず、楽しく労働に励んでいる風に自分には見えた。
今まで自分は『労働すわわち悪である』と考えていたが、彼ら彼女らの様子を見ると、例えどんな形であれ、そこに自身の居場所がある時点でいかに幸福なことなのか、身にしみて実感できたように思う。
このコミュニティーに来るまで、どこにも居場所のなかった自分にとって、尚更強くそう思えたのである。
設営されている大規模な会場横では、純白なドレスに身を包んだ線の細めな女の子が、オペラの練習に励んでいる。
はたまたその彼女の近くでは、華麗なドレスとタキシードを着飾った大勢の連中が、ひたすらコサックダンスを踊っていた。
……おそらくここの野外ステージでコサックダンスのお披露会をやる予定なのだろう。
また彼ら彼女らのダンサーの他に、その会場の近くには、見たことのない種類の楽器を使って、演奏している者たちも数多く居た。
……もしもミーヤーがまだ生きていて、毎朝自分たちと一緒にコサックダンス体操をしていたら、いずれ自分もあのメンバーの中に加わっていたのだろうか。
正直、こういった類のプロム(ダンスパーティー)は学生時代から嫌でたまらなかった。
かつて高校卒業を間近に控えていた頃。
当時の担任の教師が、『参加することに意義がある』と訳の分からない講釈を垂れ、その流れのまま、別に参加したくもなかったプロムに自分も強制参加させられていた。
周りの生徒が次々と、お互いほぼ妥協に近い形であっても、男女のペアが出来上がっていくのを尻目に、自分もありとあらゆるクラスメイトの女の子にたくさんお声がけさせてもらった。
しかしそのたびに、彼女たちからは丁重に断られ続け、ついにプロム当日。
クラス総勢41名の中、自分だけが唯一、誰ともダンスを踊れなかったのである。
ちなみに余談ではあるが、自分のそのような悲しき功績を讃えて、クラスの担任からはお1人様限定のビュッフェ食べ放題券を頂いた。
せめてもの慈悲として、それが実質プロム参加賞みたいな形で、担任のハワード先生から授与された覚えがある。
正直ミーヤーのことも初めは、当時の自分のプロムのお誘いを断った女の子たちと同じタイプの人間に見えていた。
やけに自己主張が強く、いつもどこかしらでギャーギャー騒ぎ立て、底なしに明るい。
自分はプロムの誘いを断ってきたその当時の彼女たちの姿を、初めて出会った時のミーヤーに重ねてしまっていたのだ。
自分は今まで、こういったタイプの人間は相容れない存在として、実に忌み嫌っていたのである。
カステラおばさんがせっかく分けてくれたラストクッキーを、自分に何の断りもなく勝手に横から強奪し、食べてしまったこともあり、そんなミーヤーの第一印象は最悪と言っても過言ではなかった。
自己主張が強く、どこまでも自身の都合を押し通そうとするあの感じが、自分にはたまらなく嫌だったのだ。
だから自分は絶対にミーヤーとは仲良くなれないと思っていた。
またこんなタイプの人間は決まって性格が悪いとそもそも思い込んでいたため、出会って早々彼女に酒場に連れていかれ、無理やりアルコール度数の高い酒を飲まされた時は、一刻も早くその場から逃げ出してやろうと強く決意した。
どうせ自分みたいな個性もなくて、魅力もない人間が、何の断りもなく勝手に酒場から出て行ったところで、大して誰も追ってこないはず。
……今までの人生の当然の流れとして、自分はそう考えていた。
しかしその自分の予想と反し、驚くことにミーヤーは、今までの女の子たちとは打って変わり、何と男子トイレまで一緒についていくという凶行に走ってまで、自分の事を引き留めようとしてくれたのだ。
何の魅力もないペラッペラな自分のことなど、みすみす見逃してくれるとばかり思っていたが、当のミーヤーはとても執念深く、自分の酒場からの逃亡の恐れをいち早く察知し、結果まるでひっつき虫のように自分の後をついてきたのだ。
自分みたいな何の面白味のない人間でも、ミーヤーはずっと構ってくれ、最後の最後まで自分と積極的に関わりを持とうとしてくれた。
ミーヤーがなぜ初めて出会った自分に対して、そこまで引き留めようとしてくれたのか、狙いが最後まで分からずじまいだったが、ミーヤーのその気持ちだけでも自分にとっては、何よりもうれしかったし、ペトラルカさんとの思い出も含め、このコミュニティーに来て以来、それらが一番の思い出だった。
……あの時、自分があんなヘマをしなければ、また彼女たちと違った景色を共に見られたのかもしれない。
彼女たちはそんなどうしようもなかった自分に新たな世界を見せてくれた。
1人の女の子としてではなく、1人の人間として、自分は彼女たちのことを強く尊敬していた。
だがそんな彼女たちとの思い出をつくれたのも、わずか4週間だけのことだった。
とても短い期間であったものの、それらは自分の全人生をひっくり返してしまうくらい、濃厚な時間だったのだ。
だからこそ、もっと彼女たちと共にまた新たな景色を一緒に歩んでみたかったのだ。
しかしもうそんな時間は、未来永劫訪れることはないのである。
自分があの豚小屋にぶち込まれて以来、自分はコミュニティードヨルドの負の側面しか見えてこなかった。
だがそんな自分でも様々な場所で様々な人と出会っていくうちに、新たな価値観に触れて、今までの考え方を劇的に変えることが出来たのである。
凝り固まっていた偏見を捨て、また新たに違ったものの見方で、改めてこれらの景色を見ると、今まで気付けなかったコミュニティーの良い側面がたくさん見えてくる。
1人1人、その数だけ人生が存在するのだ。
コミュニティードヨルドに来て以来、そのことを初めて強く認識できたのかもしれない。
……秒針の音が未だに鳴り響いている頭の中で、自分は人知れずそのようなことをずっと考えていたのである。