後編 その2 「ずぶ濡れ」
3日の休養期間が終わり、翌朝。
カステラおばさんが用意してくれた朝食に舌鼓を打ち、栄養もばっちしつけたところで、自分とグリアムスさんは早速外へ出る支度に取り掛かった。
まずはこのコミュニティーに来て以来、ずっと履き古してきた靴を、つい先日カステラおばさんの家に届いたばかりの新品のブーツに履き替えた。
一昨日、コミュニティー内で靴屋を営んでいるという業者さんが、カステラおばさんの元を訪れ、自分とグリアムスさんの足の採寸を図ってくれた。
その業者さんは所謂、長旅用のブーツを取り扱っており、カステラおばさん曰く『長旅になるでしょうから』とのことで、わざわざそんな自分たちのためにその道の専門の人を、彼女の家に呼び寄せてくれたのだ。
実際このオーダーメイドブーツの履き心地はと言うと、まさしく雲の上を歩いているようだった。
ピッタリと足にフィットし、まさに匠のなせる技だった。
ブーツを履き替え、次に自分は昨日取りまとめた隊長直伝のサバイバルノートを、これまたつい先日届いたばかりの新品のリュックサックにしまった。
このリュックサックも、先の長旅用ブーツに然り、プロのバックパッカーが使うような非常に良質の物だった。
あとはペンを一式分、その他にタオルや着替えの服を何着か、そのリュックサックにしまった。
……これで出発の準備は全て整った。
残念ながらコミュニティーから持ち込める物質はこれだけだ。
水や食料、応急セットといった類のモノは、今回一切持ち込むことが出来ない。
外へ出る支度を済ませたところで、自分とグリアムスさんはリュックを背負い、そのままカステラおばさんの家を出た。
彼女は自分たちを牧場の外まで見送ってくれ、そこでひとまずの別れを告げたのだった。
一方のクラック隊長は、ありがたいことにコミュニティーの正門のところまで、同行してくれた。
さらには衛兵たちによる手荷物検査も、自分たちのすぐ近くで見守ってくれた。
衛兵の人たちは自分たちの新品のリュックサックとブーツに対し、怪訝な顔をしていたが、最後まで何のお咎めもなく、手荷物検査を無事にクリアすることができた。
ようやく正門が開かれ、出発間際となったところで、クラック隊長とは一言、二言、言葉を交わした後、その場で別れたのであった。
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壁外に出てから、相当な距離を歩いたように思う。
背後を振り返ると、すでにコミュニティードヨルドの姿は見えなくなっていた。
一応自分たちが、今目指しているのは、前回クロコダイルキメラと鉢合わせた例の橋のあるところだ。
グリアムスさんにとっては、無数のクロコダイルキメラに囲まれ、危うく命を失いかけたトラウマ必須の地である。
今回の計画の趣旨は、コミュニティーからある程度離れた場所でグリフォンを呼び出し、そこから一気に空からの捜索を行うといったモノだ。
これらの計画はグリアムスさん自らが持ち掛けてきた。
歩いていくのに近すぎず、遠すぎずとのことで、グリアムスさんとの協議の結果、行き先をその例の橋の場所に決定したのである。
周囲をひどく警戒しながら、そうこう歩いていると、やっと例のアーチ状の橋が見えてきた。
その橋の中腹部には、遠目から見てもすぐに分かるほど、激しく炎上した跡がある。
グリフォンの放った火球の凄まじさが、ここからでもはっきり見て取れた。
「ようやく着きましたね、例の目的地」
「ふう~。そのようですね。あまり遠すぎない場所を選んだつもりでしたが、思ってた以上に疲れました」
「じゃあ、ひとまず目的地にも着いたんで、ここで一休みといきますか……」
「……ベルシュタインさん。あなたはいったい何をおっしゃってるんです? わたくしたちは、ピクニックに来てるわけじゃないんですよ?
グリフォンの召喚がまだです。
そう呑気なことを言ってないで、早くあの合言葉を叫んでくださいまし」
「でも自分、疲れちゃったんですよ~。ちょっとくらい、休んだっていいじゃないですか~」
「ダメです。いついかなる時に、キメラ生物の襲来があるか、わかったものじゃありません。
いざそうなってからじゃ、もう遅いんですよ?
……ベルシュタインさん。いいからとっとと、あのグリフォンを呼び出してくださいな」
「うううう……。わかりましたよ、グリアムスさん。……“来い来いグリフォン”ですよね?」
「そうですよ、ベルシュタインさん。
あのグリフォンを呼び出せるまで、腹から精一杯、声が枯れるまで、その合い言葉を叫んでくださいまし」
「わかりました。……ううう。
でも、人目がないとはいえ、こんな開けた場所で、あまり大声なんて出したくないんですけど……」
「たわけたことを言ってないで、とっとと例のグリフォンを呼び出してくださいまし」
グリアムスさんに激しく釘を刺されたところで、自分は早速“来い来いグリフォン”とあらん限りの声で叫び続けた。
「ベルシュタインさん、もっとです。某映画の軍曹殿みたいにもっと!」
「来い来いグリフォン! 来い来いグリフォン! 来い来いグリフォン!」
しかし何度叫んでも、グリフォンは一向に姿を現さなかった。
終いには、喉の方も干からびてしまった。
「グ、グリアムスさん。水を飲んできてもいいですか?」
「ダメです! ほら、もう一息! もう一息です!」
グリアムスさんがそうして何度も急かしてくるので、引き続き例の合言葉を叫び続けていたところ……。
「グ、グリアムスさん! 川から、川から何か出てきます!」
突然、橋の下の川の水位が上がり、一気に風船のように膨れ上がった。
ザバァーンと水しぶきを上げ、颯爽とそこから現れたのは……何とあのまごうことなき、グリフォンだったのだ。
「えっ!? ええええ!? グリアムスさん! 川から、川からグリフォンです!」
グリフォンはネス湖のネッシーのように姿を現すと、水面上で翼を激しくばたつかせた後、一気に上空へ飛び立った。
「おおおお……。これには、わたくしも驚かされました。
ベルシュタインさんはあの時確かに、このグリフォンに対し、人目につかない場所で隠れるようにとの命令を出していました。
そんでもって潜伏していた先がまさかの川の中ですか……。よりによって。うむむむ。
……そもそもこのグリフォン、水中でも呼吸できるんですね。もう何が何だか。
謎はますます深まるばかりです」
グリアムスさんは水面からひょっこり姿を現したグリフォンを見るなり、率直な感想を述べていた。
当のグリフォンは上空を何度も旋回した後、自分たちの元に降り立つべく、再び翼を激しくバタバタさせた。
しかしその際、グリフォンのカラダについていた川の水滴が、自分とグリアムスさんの方に向かって、まるで豪雨のように一斉に降り注いできたのだ。
「グリアムスさん! 奴の水滴が上空から降って来ます! ……うわあああ!! 冷たい!!」
その結果、カステラおばさんが朝一番にアイロンがけしてくれたこの服は、瞬く間に全身水風呂に浸かったみたく、ずぶ濡れになってしまった。
まだ朝の冷気が漂う季節とあって、気温の方はすこぶる低い。このままでは凍え死んでしまう。
「ベルシュタインさん! 早く大量の枝と枯れ葉を持って来て下さい! 暖を取る準備をお願いします!」
「その前に着替えるのが先ですってば、グリアムスさん! 枝と枯れ葉を探すのはその後!」
そんなこんなで、自分たちの壁外の捜索は、前途多難ながらも始まったのだった。