中編 その18 「年老いたヤギ」
「よしお前ら。あとちょっとの辛抱だ。このまま押してけ、押してけー!」
自分たちは重心を落とし、クラック隊長主導の元、3人でモールを組みながら車を押していた。
傍から見れば、その様はさぞかしラグビーをやっているかのように映るだろう。
「オラオラオラァ!!」
足腰に全く力が入らない自分たちとは打って変わり、クラック隊長は肉弾戦車のごとく、車をぐんぐん押していた。
クラック隊長の孤軍奮闘ぶりは、まさしく闘牛と呼ぶにふさわしい。
そんな彼の太ももは、バギーのタイヤのようにたくましかったが、対する自分とグリアムスさんはと言うと……まるで年老いたヤギだ。
このモールの姿勢をキープするだけでも、脆弱な足腰にはかなり堪えてしまう。
一応車は、コミュニティーの壁上から無数に放たれているサーチライトの手前まで、押していくことになっているが……。
「クラック隊長! もう無理です! ちょっと休ませてくださぁぁい!!」
「バカ野郎!! ホルシュタイン!! それでも男か!? これくらいのことで根を上げてどうすんだぁぁ!!
レディー……ゴオォォ!! どんどん押してけ、押してけー!」
それからもクラック隊長のペースは一向に落ちることなく、自分たちは彼に終始振り回されっぱなしだった。
ほぼ強引にモールを組まされ、ひたすらレディーゴーをさせられ続ける。
早くこんな地獄のようなトレーニングから解放されたい……。
筋肉の疲労もピークに達しようとしていた、まさにその時。
突然、前方のコミュニティーから無数のサーチライトに当てられたのである。
「うおっ! まぶしい!」
壁上から一斉にライトを照射され、自分は思わず顔を顰める。
だが、これでようやく目的地までたどり着けた。
……必然的にクラック隊長のモールからも、解放されることになる。
その事実に、ほっと一安心したのも束の間。
「止まれ!! そこの不審者ども!!」
コミュニティーの壁上から1人の衛兵が、拡声器越しにそう怒鳴ってきたのだ。
立て続けに衛兵の彼は、自分たちに対し、こんなことまで言ってきたのである。
「不審者ども!! 両手を挙げて、表に出て来い! 10数える内にな!
もし俺たちの指示に従わなければ、この場で即刻射殺する!!」
やけに威圧的な言い方だった。
当然その衛兵の”不審者”の一言に、当のクラック隊長が黙っているはずがなく……。
「バカ野郎!! 誰が不審者だ!!」
クラック隊長は顔を真っ赤に怒鳴り散らしていた。
そして何を思ったのか、クラック隊長は次の瞬間、壁上から銃を構えている衛兵たちの前に、両手も挙げずに堂々と躍り出て行ったのだ。
「おい、お前ら!! 俺を誰だと思ってる!? お前らの隊長だぞ!!」
「そ、その声は、クラック隊長!? クラック隊長ですか!?」
突然のクラック隊長のお出ましに、拡声器からは、衛兵のあたふたした声が漏れていた。
「いいからとっとと門を開けろ!! ぶちのめすぞ、ゴラァ!!」
「あああ……。これは失礼しました! クラック隊長! 直ちに!」
そのものの数秒後。衛兵の彼の宣言通り、コミュニティーの門はすぐに開かれた。
門の内側からは2名の兵士が、血相を変えてクラック隊長の元に駆け寄り……
「お前ら!! 俺たちと一緒に車を運べ!!」
「「了解です!! 隊長!!」」
駆けつけてきた衛兵の2人も、クラック隊長のその一言によって、エンジンのかからなくなった車を、門の内側まで一緒に押してくれたのであった。
衛兵たちの協力の甲斐もあり、車を無事コミュニティーの中に入れると、早速衛兵の彼らから自分たちのこれまでの経緯を聞かれた。
クラック隊長は彼らの問い掛けに対し、自身の車が道中でエンストしてしまったこと。
ミーヤーとラロッカが帰らぬ人となってしまったこと。
自分とグリアムスさんとたまたま道中で合流し、そのまま連れて帰ってきたことを、説明した。
ただし、自分たちがペレスによって工場に置き去りにされたことや、グリフォンにまつわる話に関しては一切触れなかった。
クラック隊長のそれらの経緯を聞かされた衛兵たちも、その話の信憑性を何ら疑うことなく、十分に納得した表情を浮かべていた。
また無能生産者である自分たちに対しても、衛兵の彼らが疑いの目で見るようなことは一切なかったのである。
クラック隊長が自分たちの経緯を説明し終えたところで、まもなくコミュニティーの中心街から一台のレッカー車がやってきた。
そのレッカー車は、クラック隊長の壊れた車をクレーンで吊り上げると、そのままコミュニティーのどこかへと運び去っていったのだった。
「うおおおん! サトリーナァァ!」
クラック隊長の号泣する様は、どことなくハンカチを噛みながら列車を見送る人のそれに似ていた。
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クラック隊長の車が、レッカー車によって運び去られる直前でのこと。
まだ車内に残っていたペトラルカさんが、クラック隊長の車からやっと降りてきたのだが……。
その時のペトラルカさんは、以前にも増して深い悲しみに包まれていた。
この後、自分たちはセバスティアーノの邸宅に赴き、今回の事について直接報告しに行かなければならなかったのだが、当のペトラルカさんは……
「ごめんなさい。わたし今、そんな気分じゃないの」
ぼさぼさの前髪を顔全体に垂らしたまま、ペトラルカさんはそう答えていた。
ペトラルカさんはその一言を言い残した後、カステラ牧場の方へ、自分たちを残して1人で帰ってしまったのだった。
「ペトラルカさん……」
グリフォンの力のおかげでクラック隊長が助かり、お互いの無事を喜び合っていたのを見た時、自分は勝手にペトラルカさんがミーヤーの死を乗り越えられたのだと思っていた。
しかしミーヤーを失ったショックは、ペトラルカさんにとってあまりにも大きく、ちょっとやそっとの出来事で簡単に払拭できるものではないことがわかった。
あの時、自分はペトラルカさんに何て声をかけてあげればよかったのか。
結局自分は、ペトラルカさんにかける言葉も見つからぬまま、そのままカステラおばさんの家へ帰してしまったのだった。
「おい、ホルシュタイン」
そんなペトラルカさんの後ろ姿を目で追っていると、背後から不意にクラック隊長が、自分の肩を叩くなり、以下のことを言ってきた。
「早くセバスの所へ向かうぞ。
……ペトラルカのことなら心配ない。きっと2、3日もすれば、何でもなかったように、元の元気な姿を取り戻してくれるさ。
今はまだそっとしてやるんだ。わかったな?」
「……はい、クラック隊長」
ペトラルカさんが見えなくなるまで見送った後、自分たちはコミュニティーの街の中心部へ歩き出した。
疲れ切ったその足で、街をひたすら歩くこと10分。
周囲の建物と比べ、豪華絢爛さが一層際立つ邸宅が見えてきた。
相変わらず、このコミュニティーの王たる者のみが居城することを許されているかのような、立派なロイヤルハウスである。
コミュニティードヨルドにおける多くの人間が貧困にあえいでいる中、一部の人間のみが物資を独占し、贅沢の限りを尽くす。
まさしく多くの無能生産者の犠牲の上に成り立っている、その象徴とも言える建物だろう。
そんなことを頭の中で思いながら、その足で邸宅の玄関前まで行った。
厳重な門扉に取りつけられた呼び鈴をクラック隊長が鳴らすと、しばらくして邸宅の中から、セバスティアーノと奴の付き人らしき若い女の子が出てきた。
セバスティアーノはやはりいつものごとく中世チックな貴族衣装を着こなし、一方の若い女の子はと言うと、やけにスカート丈の短いメイド服を着ていた。
「おや?」
セバスティアーノが、クラック隊長と自分たちを見るや否や、そう反応を示す。
「ふむふむ。なぜ無能生産者のお主らが、クラックと一緒に居るのかはいささか疑問ではあるのだが……。
まあいい。とりあえず中に入り給え。
おい、マリーよ。そやつらを案内してあげなさい」
「かしこまりました、ご主人さま」
メイド服の若い娘は、セバスティアーノに至極丁寧に頭を下げる。
当のセバスティアーノはそのメイドのお辞儀姿を見ると、後は任せたぞと言わんばかりに、とっとと邸宅内に引っ込んでしまった。
「お客様。それでは、どうぞこちらへ」
その娘に誘われるまま、自分たちはセバス邸に足を踏み入れた。
さぞかしこの娘は、あのセバスティアーノに、メイドとしての礼儀作法などを徹底的に叩きこまれたのだろう。
その娘のメイドとしての仕草は、異様に気品があり、お淑やかだった。
リアルのメイド服姿の女の子を見て、自分は思わず上から下まで、なめ回すように見入ってしまったが、きっと今の自分の隣にペトラルカさんが居ようものなら、なりふり構わず背後からドロップキックを喰らわせられていたかもしれない。
……まあそんなことはさておき、自分はそのメイド服の娘に導かれるまま、奴の邸宅内に入っていったのだった。