【三題噺】 もうなかないから、つれていって、おじさん。 【踏切、鮭とば、うぐいす】
わたしは、ないていました。
いつもどおり、ないていました。
いつもの、大きなハコのとおりすぎるときの、ガタガタという大きな音がきこえます。わたしはあの音がすきでした。あの音は、わたしのこえをけしてくれるからです。
おうちでないていると、お父さんがおこります。
「うるせぇ! 耳障りなんだよ!」
お父さんは、いつもおうちにいます。くらくなるとお母さんやおねえちゃんがかえってくるので、おこりません。でも、おひるはわたしをしかりつけて、ほおをなぐるのです。
だからわたしは、おひるはこうえんのはじっこにすわって、ないています。あの音がするときだけ、思いっきりないてしまうのです。人はきません。あの音がうるさいからだと思います。
すこしあたたかい日のことです。
わたしはいつもどおり、くらくなったからおうちにかえろうと思いました。
でも今日は、どうにもあしがうごきません。あしをあげるたび、お父さんにぶたれたほおがまたあつくなる気がしました。
どうしよう、きっとお母さんやおねえちゃんはわたしをしんぱいしています。でも、あしはやはりうごかないのです。
そんなとき、音がきこえました。あの大きな音ではありません。あし音でした。わたしはおどろいて、かおをあげました。
「うわっ、なんでこんな所に」
わたしのほうをじっと見つめていたのは、男の人でした。お父さんよりすこしわかいように見えました。
「お母さんは近くにいねぇのか?」
わたしはなにも言えず、ただその人のかおを見ていました。こうえんの明かりにてらされたほおは、すこし赤い気がしました。
かれはわたしのとなりにしゃがみこみました。
「腹でも減ってんのか? しょうがねぇなぁ」
まゆをよせながら白いふくろをカサカサまさぐって、なにかをとりだします。
「ほら、やるよ」
口もとさしだされたそれは、たいへんいいにおいがしました。
「鮭とば、って言うんだよ。本当は俺のツマミだけど、ちょっと分けてやるよ」
おずおずとわたしがたべはじめると、その人はまんぞくそうに笑いました。かれはふくろからきれいな絵のついたカンをだして、なかみをのみました。
「は~ぁ。たまにはいいよな、会社帰りに外で呑むのもよ」
わたしは、かれのくれた「さけとば」をひっしにかんでいました。かれは
「なぁ、せっかくだから聞いてくれよ。俺の愚痴をさ」
とうつむいてはなしはじめました。ポツポツとことばをもらしたかと思いきや、きゅうになきだしたり、どなったりしました。
わたしは、ただとなりで「さけとば」をたべていただけでした。でもかれは、はなしおえたあとわたしに笑いかけました。
「こんなん、お前に話してもどうしよもないけどな。でもやっぱり、声にするだけで楽になるよ」
かれは「ありがとな」と立ちあがり、よろよろあるいてかえってしまいました。
その日からわたしは、くらくなったあとでも、こうえんであの人をまつようになりました。
かれはまい日やってきて、わたしに「さけとば」をくれました。
かれははじめ、ぐちをこぼしに来ていただけでした。でも、やがてわたしとはなしをするようになりました。
「お前、家には帰らなくていいのか」
「なんで踏切公園なんてうるせぇ所にいるんだ」
「お前のせいで、鮭とばばっか買うようになっちまったよ。そろそろコンビニの店員に覚えられちまうな」
わたしはただきいているだけでした。でもかれは、きまってさいごに「ありがとう」と笑うのです。わたしはそのえがおが、すきでした。
かれもきっとわたしと同じです。かれもきっと一人ぼっちでした。いっしょにいるときだけ、わたしたちは一人ぼっちではなくなるのです。それがどうもあたたかいのです。このごろのお日さまの光より、ずっとあたたかいのです。
「そろそろ咲きそうだな、あの桜」
かれはある日、そう言ってこうえんの大きな木を見て目をほそめました。かれがいとおしそうにその木をながめるので、わたしもその木がすきになりました。
つぎの日のおひるに、わたしはその木にのぼってみました。木にのぼるのはとくいでした。
木のうえで、わたしはいいものを見つけました。それをだれにも見つからないように、木のかげにかくしました。
いつものばしょでかれをまっていましたが、アレがだれかにとられていないか、しんぱいでした。しかたなく木のかげをのぞいたとき、とつぜん大つぶの水が空からおちてきました。
わたしはぬれるのがいやで、木のかげからうごけなくなってしまいました。そのうち、よるがきました。
――どうしよう。このままここにいちゃ、あの人はわたしを見つけてくれないかもしれない。
わたしはどうしようもなく、ふあんになりました。わたしとかれは会うやくそくをしているわけではないのです。今日、会わなければ、もしかしてもう会えないのかもしれないのです。
ガタガタと、あの大きな音がしました。わたしの、すきだった音。今はもうそんなにすきではありません。かれのあし音や、はなすこえのほうが、よっぽどすきでした。
わたしはなきました。いつかのまい日のように、なきました。あの大きな音がやんでも、ないていました。
そのときです。ざぁ、とじめんをうつ雨の音が、かわりました。パララとかろやかなおとにかわって、目のまえだけがはれました。
「こんな所にいたのか」
目を丸くして、かれはわたしを見つめていました。
「どこかに行っちまったのかと思った」
かれは、じめんのドロをきにもせず、しゃがみ込みました。そして、わたしの上もはれにしてみせました。
「……あのさ、俺、お前と暮らしたいよ」
わたしは、ききまちがいだと思いました。かれはまっすぐ、わたしを見ていました。ほんとうなのだと、わかりました。わたしはうれしくて、ないてしまいそうになりました。ないてしまうまえにと、私は木のかげからアレをとりだし、かれのまえにおきました。
かれの目が大きくみひらかれるのを見て、わたしはとくいげなきもちになりました。
それは、うぐいすでした。
きれいなきみどり色の、うぐいすでした。
すこしこぶりだったけれど、とるときにすこしあかい水でよごれてしまったけれど、きれいな、きれいなうぐいすでした。
なぜかもううごかないけれど、くびがちぎれてしまっているけれど、すてきなうぐいすでした。
きっとかれはよろこんでくれると思いました。でもかれはすっと立ちあがって、
「やっぱ無理だわ。そうだよな、そういうもんだもんな」
とつぶやいて、いなくなってしまいました。
わたしはいみがわかりませんでした。いっしょにおうちにかえってくれるんじゃなかったの? どうして、そんなきみのわるいものを見るような目を、わたしにむけたの?
なにもわかりませんでした。でもきっと、もうかれはここにはこない、ということだけわかってしまいました。
いつのまにか雨はやんでいました。雨は、かれがあいした花のつぼみをおとして、さっていきました。
しずかなよるでした。大きなあの音も、あしおとも、かれのこえもなにもきこえません。
わたしはなきました。
「にゃあ」と、なきました。