失敗と後悔を繰り返すならば、せめて
ルイン様に魔法を教わる。それはわたしにとって夢のようなひとときだった。何度も何度も現実かどうか疑ったが、腕に走る痛みでようやく信じることが出来ている。
まず初めにわたしが教わっているのは、「痛みを感じなくなる魔法」だ。
ルイン様が呪詛に蝕まれているわたしの腕を案じて下さり、あまり初心者向きではないそれを会得することになった。
正直なところ、有難い。
まだ一人で成功させたことはないが、ルイン様にその魔法をかけて頂くと、その日の夜は痛みで目を覚ますことはない。
それも計算のうちなのだろう。つくづく気の回る優しいお方だと思う。
そう、例えわたしが魔法を失敗しても笑って許して下さる優しいお方。間違えて片腕を痺れさせようと、爪の先から謎の蒸気が噴き出そうと、ちっとも怒る様子がない。
ちなみにその失敗は全てあろうことかルイン様のお体で起こっている。
「大変申し訳ございません!!」
地面にへばり付いて謝罪をするが、当の本人はニコニコとしながら腕から出る煙を一瞬で吹き消した。
「初めのうちはこんなものですから」
「しかし、やはりルイン様のお体で練習させて頂くのはもう……自分の体でやります!」
「私は自分で治せるからいいんです。さあ、集中!」
そんな心臓に悪い特訓がしばらく続き、仕事の傍で魔法を教わる日々を繰り返している。
「中庭の花壇の花は咲きましたか?」
「はい、今年は薔薇が綺麗に咲いたので、ローズ様も大変お喜びに……それもこれもルイン様が花壇を魔法で守って下さったおかげです。それはもう、私が世話をしていた時よりも立派な花がーーあ、当たり前ですね」
夕陽の射す丘で二人、他愛もない話をする。特別で、贅沢が過ぎる時間だった。わたしの人生の中で今よりも幸せな時間はないだろう。
腕の痣が徐々に肩まで広がってきていることも、この時間だけは忘れられる。
「魔法で守られた植物は確かに立派に成長します。しかし、悪いこともある」
「悪いことですか」
「ええ、弱いんです」
ルイン様はそうぽつりと呟き、足元の雑草に触れた。
「魔法の影響下に長くあると、植物が元々持つ生命力が少しずつ失われます。見目は美しくとも、長くは保たない。それこそ魔法の外に出されたらすぐに枯れてしまうのです。そしてそれは、何も植物に限ったことではありません。魔法は……良いことばかりではないのですよ」
「そう、ですか」
不思議とそのような気はしていた。過保護に育てられた花は雨風に耐えられないということなのだろう。
果たしてそれはしあわせなのだろうか。
「ルイン様は、魔法を使って後悔したことはありますか」
不意に口をついたその問いをわたしはすぐさま後悔する。ルイン様の藍色に煌めく瞳が苦しげに揺れたからだ。
「ええ、もちろん。戦に出ると毎回そうです」
「あっ……私、すみませ」
「それに、いつも、今も。ずっと後悔しています。きっとこれからもーー」
風の音が不安を助長させるように響く。悲しい顔をさせるつもりはなかった。魔法が使えなくてもわたしは後悔することの連続だ。
「シェラさん」
「はい」
「貴女の腕を治す方法ですが、まだ調査中です。ですが全力を尽くしています。必ず、見つけ出します。もう少しだけ我慢して下さい」
「私なら大丈夫です! どうか焦らず」
「急がねばならないのです」
ルイン様はわたしの腕を取り、そっと袖を捲る。呪いの鎖に締め付けられた跡はより黒く、より大きく広がっていた。
「怖がらせるつもりはありませんが、貴女は知っておかないといけない。この痣が全身に回ると貴女は命を落とします」
考えないようにしていた可能性を突き付けられ、呼吸が止まる。
こんな時でもルイン様の瞳は美しく煌めき、わたしは黙って目をそらした。
生命の終わりを意識した体が震え始める。ルイン様はそんなわたしを宥めるように優しく肩に手を置いた。
「何故、今それを……?」
絞り出した声は情けなく掠れる。ルイン様は酷く辛そうな表情でわたしを見た。
「貴女を苦しめることは分かっていました。黙っていた方がいいともーー。しかし、状況がそうさせてくれません。私は、いつどうなるか分からぬ身なのです。シェラさん、落ち着いて聞いて下さい。ーーこの国に、戦争が迫っています」
戦争。わたしから家族を奪っていったもの。それがまた訪れようとしている。
やっと手に入れた居場所なのに。
弟を養っていけると思っていたのに。
ルイン様に、ようやくこうして。
信じ難い事実に、今度こそ目の前が真っ暗になった。
*
――この国に、戦争が迫っています。
その言葉を信じたくなかった。先の戦争でわたしは両親を失い、幼い弟と二人孤児となった。運よく町の教会に保護されたが、それも居させてもらっただけ。家ではない。居場所ではない。それでも暖かかった。
再び戦争に巻き込まれるとして、どうなるのか。最悪の可能性が頭に浮かび、こみあげる吐き気をなんとか抑える。もう家族を失いたくない。
そしてこの国の中心であるエスター城が無事で済むはずがなかった。狙われるのは、この地を統べるローズ様。そしてきっとローズ様は侵攻されても城を捨てない。最後まで戦い続けるだろう。先の城主がそうしたように。
城仕えは早々に退避を命じられる。そして騎士たちが命を懸けてこの国とローズ様を守るために戦うのだ。
ルイン様は自国の騎士たちを連れ、同盟国としてローズ様とともに戦うのだという。
ようやくわたしは、ルイン様が急ぐ理由を理解した。
わたしたちは近い内に離れ離れになるのだ。会いたくても会えない、お互いが生きているかすらわからない状況に陥ってしまう。そうなればわたしの腕を治すことも、魔法を学ぶこともできなくなってしまう。
こんな状況でもわたしの事を考えて下さっている。それだけでわたしは胸が締め付けられるようだった。命の保証のない戦場に赴くというのに、何の力もない小娘一人を気遣って。
ルイン様と最後にお会いして数日。エスター城は普段と変わらないように見えた。ただ意識してみると騎士の方々は表情険しく、口数も少ない。
偵察部隊を率いて城を出ているルイン様は、今日お戻りになられるはずだ。きっと疲れ果てていらっしゃるだろうから、魔法の特訓は後日になる。
そう思っていたのだが、ルイン様は帰還後すぐにローズ様への報告を済ませ、あっという間にわたしを見つけてはその瞳を希望で煌めかせた。
「シェラさん!」
「おかえりなさいませルイン様。ご無事でなによりで――」
「見つけましたよ! 貴女の腕を治す方法を!!」
心底嬉しそうな笑顔でそう言われ、わたしは目を丸くする。
腕の治療法が見つかった? ルイン様はそうおっしゃったの?
ルイン様は勢いよくわたしの横に並び、懐にしまわれた小さな皮袋を取り出した。
「今日訪ねた土地で手に入れました。これは魔力で咲く花の種です。花を食べれば呪詛に効く。シェラさん! 待っていてください。必ず咲かせて見せますので!」
「ル、ルイン様。大変有難いのですが、どうか私の事よりもご自身やローズ様のことをお考えください。私は……ルイン様が私のせいでご無理をなされているのではと」
「そんなことは決してありません。全て私がしたくてしていることですから。勿論ローズ様とこの国の事も良く考えています。けれどそれと同じくらい、私は貴女の事を考えています。ですから、決して無理などではありません」
まるで自分の事のように喜ぶルイン様を見て、胸の奥が痛む。
どうして貴方はそんなにもわたしの心を乱すのですか。ローズ様と同じくらいわたしの事を考えている、なんてどうしてそんな言葉を与えて下さるのですか。
わたしのために花を咲かせて下さるなんて。
どんな薬よりもその言葉がわたしを救うというのに、ルイン様はその事に全く気が付かない。
「ありがとう、ございます」
言葉に詰まりながら感謝の言葉を述べると、ルイン様は目を細めて笑う。
その藍色の瞳が苦手だった。美しく煌めいて、それしか見えなくなるから。けれど今はいつまでも見つめていたいと思う。
わたしはやはり、どうあがいてもルイン様に恋をしているのだ。
これから先何があろうとそれは変わらない。きっとわたしは命の危機に瀕してもルイン様の事を考えるのだろう。
お側に居たいという、到底叶わない願いに溺れながら。
「さあ、これから特訓ですよ」
「えっ。お戻りになられたばかりですよね。今日は休まれては――」
「シェラさん、時間は有限なんです。がんばりましょう!」
有限、そのとおりだ。わたしたちは離れ離れになるのだから。
わたしは戦争が何故起こるのかなんて分からない。国の事も、政治の事も。ただ自分に出来る事を精一杯やるしかなかった。今までもこれからも。我武者羅にするのだ。それがわたしなのだから。
わたしには導いてくれる光がある。救ってくれる人が居る。だから有限でも構わない。
お父さん、お母さん。わたしは諦めないよ。
亡き両親に心の中で語りかけ、わたしはルイン様の背中を追った。