閑話 待つ者達:帝都
「……ユーリ、様……」
「アンナ様、お気持ちは分かりますがどうか落ち着かれてください。彼の者はきっと無事に帰って参ります」
「……」
ラウルのその言葉は──この少し特殊な状況下でなければ──アンナからしてみれば面白いものだった。
ユーリがSランク冒険者だと知ってから、彼に向ける態度をウィズィへのものとほぼ同列にしたラウル。だがそれは、あくまで格上貴族への態度というだけで心を許したものでは無かった。
確かに、学院で一緒に過ごすうちにある程度中が深まっていたようではあったが……今の言葉のように、「信頼」を無意識に含ませてしまうような感情はまだ芽生えていないはずだったのだ。
Sランク冒険者であり、国王と対等に話すほどの権力の持ち主。その肩書きに劣らない戦力を持っていることは、アンナ以外から見ても明らかだった。それを証明するものは多々あったからだ。
先の騒乱だけでなく、魔導院を蹂躙したあの事件や何かを勘違いした一般生徒からの決闘をのらりくらりと余裕をもって躱すその身のこなし。
アンナはユーリ本人から聞いた内容だが、入学当初は魔法についての知識がほぼゼロだった。なのに、あの飲み込みと熟練の速度。異常としか言いようがない、というのがアンナやウィズィ達事情を知る者の評価である。
(才能かな……やっぱり、Sランクともなれば才能も運も努力も備えてるってこと……?)
学院へ、ユーリとの接触という下心をもって編入したアンナは、いつしか自責の念を抱くようになり……結果、いつからか勉強漬けの毎日を送るようになっていた。
今回の遠征は、それを見た国王からのご褒美という1面もあったのだろう。でなければ、未来を見て惨劇を回避できる国防の要であるアンナを、他国へ送り出したりしないだろう。
……ユーリという絶対の護衛がいるから、という安心材料が決定打になったのは間違いないが。
「……はぁ、未来が見えない時に起きる事件ってやっぱり慣れないなあ……不安で潰れちゃいそう」
「アンナ様……」
アンナの心は、延々と益体もない不安に苛まれていた。
「……そうですね、気分転換に食堂にでも参りませんか? 腹が満たされれば、少しは充足感が得られるはずです。他の者がいれば、話すことで気も紛れましょう」
その提案を出すこと自体、ラウルが丸くなったことを表すもので。先程同様、アンナは少し面白く感じていた。
そして、そのような感覚を覚えるということは他人と話すことで気が紛れることの証明でもあった。それをアンナも理解したので、誘いに乗ることにしたのだった。
༅
「ケリーさん!」
「おや、お嬢さん。また会いましたね?」
「……(平民がアンナ様に声をかけられるなど……)」
食堂へ向かう道中に出くわしたこの男はケリー。グラン帝国城の料理人筆頭であり、王族へ出す料理はこの男の審査を合格したものでなければいけないらしい。
……もちろんこれはただの噂だ。もしこれが本当ならこの男には休みがないことになる。なので、誰も事実ではないと理解している。
つまりは、愛ゆえのイジりのような扱いだ。「よう、今日も出勤か? 休日がないんだから筆頭ってのは大変だよなぁ」なんていう軽いイジりが、挨拶に混じえて投げられるわけだ。
「にしても、お嬢さんみたいなべっぴんさんに慕われるとはその男は幸せ者ですなぁ」
「いえ、そんな……むしろ、壁を感じるほどで……」
「おやおや、それは……」
アンナの表情と落ち込んだ口調から、なんとなく現状を察したケリー。
彼が愛され、料理長という立場でありながら城のほぼ全ての人間に顔を知られている理由のひとつは、彼がお節介焼きであるからだ。皇帝と幼なじみであることも要因のひとつではあるが、1番はやはりその世話焼き加減だ。
──〇──〇──〇──〇──〇──〇──〇──
料理長ケリー、財政長クロウ、皇帝ジンク。3人は幼なじみであり、3人もれなく有名人であった。
幼少期のジンクはやんちゃで、よく城を抜け出しては買い食いして回る日々を過ごしていた。そんな中で出会い、仲を深めたのがケリーとクロウだ。
帝都でも一二を争う大衆食堂の長男で、跡継ぎとして期待され修行の毎日を過ごしていたケリー。その中で溜まるフラストレーションを発散させる為家から飛び出した際にジンクと出会った。
料理に関する高い技術と知識、そして修行に耐えて身に付いた包容力のある精神が、人を惹きつける魅力になっている。
クロウは、小さな商会の次男だった。後継として期待されていた長男に対し、保険……スペアとして教育を受けていたクロウは、日頃に溜め込んだ鬱憤に耐えきれず、家から脱走し、ジンクと出会う。
その時交わした約束のため、それまで不真面目だった態度から切り替え、官僚の一員にまで上り詰めた。
ケリーとクロウがそこまで入れ込んだ理由は、ただ一つ。ジンクの圧倒的な真面目さであった。
皇族である責任感と厳格で恐ろしい父親の影響を強く受けたジンクは、驚くほどの真面目さを持っていた。城から度々抜け出していたのは、直に民や衛兵、門番の働きを観察したかったから。護衛を引き連れていては、本当の姿は見れないことが分かっていたのだろう。自分の顔がまだ知れ渡っていない事を理解していたのも大きい。
そんな中出会った、ケリーとクロウ。この2人を見てジンクが感じたのは強い責任感だった。自分達の下で生きる者の抱く苦悩。執政に関われない今の自分でも、彼らに寄り添うことはできる。そんな考えが浮かんだのだった。
そして、ジンクの口をついて出たのはひとつの約束。少しの未来に果たされる、誓いでもある一言だった。
「……すまない。僕に力がないから、今すぐ君を助けられない。でも、近い将来にきっと──」
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「そうですなぁ、これは世話焼きオヤジの戯れ言だと思って頂いていいことだがね? 時には壊れると分かっていてもぶつかるべきモノってのがあるんです。1回壊れたからこそ、その後に1層深い仲になる。強固な関係になれる。だから、遠慮ばっかりしてないで1度ビシッと言ってやるのがいいかもしれませんねぇ」
「それは……そう、かもしれません。怖いですけど……今までみたいに1歩引いた位置にいたら、今までと同じ──〈その他大勢の中の1人〉のままですもんね」
「その意気です。お相手さんが戻ってきたら、すぐ言ってやるといい。あそうだ、そうやってまっ正面からぶつかる時は、相手を逃がさないようにするのが大切です。これは実体験ですがね? ウチの大将が──」
それからケリーと話すことで、アンナが心の中にずっと抱えていた悩みのひとつに解決策が与えられ、ケリーに振る舞われた極上の料理に気分も晴れたアンナ。
付き添っていたラウルも一安心し、アンナも色々と気合を入れていたのだが。
その後、ユーリが帰ってこないという最大の不安が的中したことでアンナは闇堕ち1歩手前まで落ち込むことになった。
そのため、周囲はアンナを励まして気を紛らわせるために尽力する事になるのだが……その余りな光景に、詳細が語られることは無いだろう。