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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

星屑店

 商店街の路地裏に、ひっそりと立っている小さな建物。

 木造建築のちょっとおしゃれなその店には『星屑店』という文字が。

 すこし不思議なこの店に、一人のお客様が誘い込まれます。

 迎えるは、扉に付けられた宇宙の色した鈴。

 チリン、チリリン。

 音を聞き、カウンターから顔を出すのは店の主――私です。


 いらっしゃいませ。ようこそ、星屑店へ。


 今日のお客様は……おや、これは珍しい。どうやら、幼き少女が迷い込んでしまったようです。

 何かお探しでしょうか? キョロキョロと辺りを見渡すそのお姿は、何かを捜しているようにも品物を眺めているようにも見えますね。

 では、声を掛けてきましょうか。


 お嬢さん、何かお探しですか?


「わっ、びっくりした」


 おや、驚かせてしまったようですね。すみません。

 ……ふむ、見た目からしてまだ小学校に上がったばかりでしょうか。真新しい赤いランドセルが大きく感じられます。

 こんな幼い子が一体この店に何の用なのでしょう? 何故か大きな瞳で私を見つめてきていますが……。


「ねえ……お兄さん、お店の人?」


 なるほど。私がお客か店員かわからなかったのですね。

 ええ、そうですよ。私はここの店主です。星宮翠ほしみやみどりと申します。何かお探しでしたら、お手伝いいたしますよ。

 お嬢さんのお名前は?


「優希奈。みんなはゆきって呼ぶよ」


 ゆきさんですか。可愛らしい名前ですね。あなたにピッタリです。

 それでは、ゆきさん。貴方は今日、何を探しにここに来たのですか? ここは星屑店。数えられないくらい様々なものが売っている、なんでもあるお店です。欲しいものがあって訪れたのでしょう?


「うん……でもね、ちゃんとはわからないの」


 ふむ? わからない、ですか?


「うん、どんなのだったか思い出せないの。でもね、それが欲しいの」


 なるほど。

 頭というより心が欲してる物、というのがあるのですね。

 ふむ……それはまた難しい捜し物ですね。思い出せないとなると、ずいぶんと前に見たものなのでしょうか。

 ゆきさん、形とか色など、言える範囲で何かわかることはないですか? イメージでも構いません。


「えっとね、すっごく綺麗だった。いっぱいキラキラしてた気がする……だからね、ここで色んな物見てたら思い出すかなって思ったの」


 眉を下げてゆきさんは周りを見渡します。その目に入るのは入り口近くにあるのはたくさんの本たち。

 少しヒントが得られましたが、綺麗なもの、はこの辺りにはありませんね。少し奥に行くとしましょう。さ、こちらです。


 棚と棚の間を抜けて狭い通路を奥へと進むと少し広がった場所に出ます。まるで広場のようなその場所に着くと、ゆきさんは思わずと言った様子で声を上げてくれました。

 すごいでしょう? ここは、人々が綺麗と称されるものを置いているのです。

 ビー玉、ビーズといった小さなものから、宝石、指輪、ネックレス。金平糖、蛍、タマムシ、クラゲなど人によって綺麗に見えたり見えなかったりするもの。中には雪の結晶、星の欠片、月光などもあります。

 淡く光を放ち、カラフルに彩られたこの空間は、私自身も気に入っている場所です。


 さて、ゆきさんが求める綺麗なものというのは、この場所にあるでしょうか? 何か、手掛かりになるものが見つかればいいのですが。

 ゆきさんは目を輝かせながら気になったものを手に取って眺め始めました。開いたまま閉じられなくなってしまった口が何とも可愛らしい。

 色とりどりの光が次々と彼女の瞳を照らします。しかし……それでもその表情は驚きのままでした。これだ、と思うものは見つけられていないようです。

 いつしか彼女は手に取るのをやめ、眺めるだけになってしまいました。小首を傾げます。


「うーん、綺麗なんだけど……なんか違う気がする」


 ふむ、単純に綺麗に見えるものではないようですね。

 それを見たときのゆきさんの心情を知る必要があるようです。

 しかし。彼女にそれを説明することが出来るでしょうか? せめて、どこで見たものなのかわかればいいのですが。そう、例えば……。

 ゆきさん、その綺麗なものは家の中で見たのか、外で見たのかは覚えていますか?


「んー、多分、外、だったと思う」


 それは一人で見たのですか? きょうだいとか、お友達と一緒にということは?


「きょうだいはないよ。ゆき一人っ子だもん。友達もないと思う。のんちゃんとかあみちゃんとかと遠くにお出かけしたことはないし……あ!」


 どうしました?


「そーだ! 外で見たんだよ! その綺麗なものね、どっか遠くにお出かけしたときに見たの!」


 ほう、遠くに。それは家族とでしょうか?


「うん! お母さんとお父さんとゆきでお出かけしたとき。でも……」


 見上げていた小さな顔が下を向いてしまいました。

 どうしたのでしょう?

 しゃがんで彼女を目線を合わせると、彼女は酷く悲しそうな顔を私に向けます。


「お母さんとお父さんには、聞けないんだ」


 聞けない?

 私の問いかけにゆきさんは俯き、何かを堪えるように口を結んでしまいます。

 ゆきさんがいくつのときにどこへ行ったのか。何をしに行ったのか、何を見たのか。それがわかればゆきさんが望んでいるものもわかるかと思ったのですが。そう簡単にはいかないようです。むしろ、それが出来ないから彼女はここに来たと言ってもいいのかもしれません。

 となると、もう少し話を聞かないといけませんね。彼女のためにも。

 ですが……こうして待っていても彼女は口を開いてはくれないでしょう。少し、リラックスしてもらいましょうか。

 ゆきさん、そのような思いつめた顔は貴方には似合いませんよ。急いで思い出す必要はありません。帰るまでにまだ時間はあるのでしょう?


「あ、うん……五時までに、って言われてるから……」


 今は三時前。あと二時間はありますね。それでは、おやつにしましょうか。

 パッと顔を上げたゆきさんの瞳は、再び光を取り戻したようです。ふふ、おやつに反応したのでしょうね。

 そんな彼女の手を引き、私は一旦入り口前、カウンターに戻りました。


 店の扉と向かい合って左側、カウンターを通り過ぎて壁際を歩くと、またしても開けた場所に出ます。そこには、円型のテーブルと丸椅子が置かれています。

 たまに訪れる友人とお茶をしている場所です。こうしてお客様を招くことも多々ありますね。

 ゆきさんに椅子に座ってもらい、オレンジジュースとクッキーを用意しました。

 さあ、よければ食べていってください。お代は結構ですよ、サービスです。


「ありがとう! いただきます」


 丁寧に手を合わせると、ゆきさんは一口食べ、幸せそうに微笑みました。

 とても美味しそうに食べますね。出した甲斐があるというものです。


 それから私たちはたわいもない話に華を咲かせました。

 ゆきさんの口からは学校のこと、お友達の話、先生の話、たくさんの言葉が紡がれました。その声音は本当に楽しそうで、止まることはなかなかありません。まるで、ずっと誰かに話したくてたまらなかったかのように感じられました。

 誰にも、このような話はしていないのでしょうか?

 そのような事を聞くと、ゆきさんは寂しそうに頷きます。


「うん、友達には学校でしか会えないし、お母さんは聞いてくれないから……」


 お仕事が忙しいのですか?


「ううん、帰って来るのは早いの。夜はお外に出たくないんだって。話聞いてくれないのは……ゆきのことが嫌いだから……」


 ゆきさんのことが? どうして。

 お母さんは、そのような事を言ったのですか?


「言ってないけど……でも、ゆきを見ると怖い顔するの。それでね、お父さんがいないのは、ゆきのせいだって」


 お父さんがいない。それがゆきさんのせい、ですか。これは……何かありそうですね。

 しかし。お父さんが家を出て行ってしまったのか。それとも、もう亡くなってしまっているのか。それをこの幼い少女に聞くのは憚られますね。

 ですが話を聞いていると、ゆきさんが欲しがっているものはゆきさん自身というよりも家族のためのもののような気がしてきます。先ほど、家族で見たものと言っていましたし。

 ゆきさん、その、ゆきさんが探しているものというのは、今のお母さんと深く関係のあるものではありませんか?


「深く、関係のあるもの……?」


 例えば、お母さんも欲しがっているものとか。

 

「それは、お母さんが欲しがってるかわかんないけど……でもね、その綺麗なものを見てた時、お母さん笑ってた気がするの」


 ふむ。

 その時、ゆきさんも笑っていましたか?


「うん、お母さんが笑ってたから。だからね、あの時の綺麗なの見せれば笑ってくれるかなって思ったの」


 言いながら、ゆきさんは考え込むように俯いてしまいます。思い出せなくてなのか、それともお母さんのことを考えてなのか、その顔は泣きそうに歪んでしまっていました。

 ゆきさんは、お母さんのことが大好きなのですね。


「うん、大好き。お母さんが苦しそうなのはやだ」


 優しいのですね。


「違うの……好きになってほしいの。もしゆきが怒らせちゃってたら謝りたいの。悪いことしちゃってたら、いいことしないと……」


 そう、ですか。

 何故このような健気な子が嫌われてしまっているのか不思議でなりませんね。

 お母さんはいつからそのようになってしまったのでしょう。

 ゆきさんが家族とその綺麗なものを見に行った時は嫌われてはいなかったのですよね?


「うん、だと思う。だって抱っこしてくれた。楽しかったもん」


 では、その出来事の後にお母さんが笑ったのは見たことはありますか?


「その後……ない、かも? うー、なんかね、あの綺麗なの見に行った時のこともあんまり覚えてないの」


 覚えているのは?


「綺麗だったことと、楽しかったことと……あとは、あとは……」


 ああ、すみません。焦らないで。泣かせるつもりはなかったのです……ゆきさん、大丈夫ですか?


「みどりさんどうしよう。あの時、ゆきなんかしちゃったのかな。あのね、あの日からお父さんがいないの……」


 お父さんが?

 何か、思い出したのですか?


「お母さんが、泣いてたの。怖い顔して、ゆき見てた。あなたのせいって……」


 ゆきさん、落ち着いてください。ほら、ゆっくり深呼吸して……。

 怖いのでしたら、無理に思い出さなくて大丈夫です。おそらくそれは、ゆきさんにとって酷く辛く苦しい出来事だったのでしょう。ショックが大きくて忘れられているのです。今全て思い出したら、ゆきさんが壊れてしまいます。

 大丈夫、大丈夫ですよ。わたしはここにいます。あなたは一人なんかではありません。ほら、手を握って。

 お母さんは、きっと何か理由があって怖い顔になっているだけですよ。でも大丈夫。ゆきさんがこんなにもお母さんのことを想っているのですから。絶対、あなたとお母さんは元に戻れます。また笑い合うことができます。

 だから、そうですね。今はいっぱい泣いてください。泣くのも、我慢していたのでしょう? ほら、私の胸、お貸ししますから。

 まるでしがみつくかのように必死に抱きつく小さな身体は、とても弱々しく壊れそうで。これ以上壊すまいと、私は力む身体を落ち着かせるようにその背中を撫で続けました。


 さて。

 ゆきさんたちが望んでいるもの、それを用意しなければなりませんね。

 この涙を、温かなものにするために。

 ゆきさんの話を聞いていて、私にはひとつ思い当たることがありました。

 それは、半年前に読んだ新聞記事の内容です。


 この町は、山と森に囲まれた小さなところです。人々が穏やかに暮らす、静かな町。特別有名な場所はなく、観光客などは少ない。けれど、町の人たちはそのようなことは気にせず、仲間たちと協力し合って暮らしていました。外から来た者のことも、快く受け入れます。

 ここはそんな何もない町ですが、一つだけ町の人たちだけが知っている絶景場所がありました。

 それは、町の南西に位置する山の頂上。そこの透明な湖でした。行くと自分が空の上にいるかのように感じられるそうです。湖が、鏡のように空を映し出すから。

 特に冬の夜が人気で。町の明かりも消える深夜にそこに行くと、湖が凍っており、その上で周りを見渡すと宇宙にいるかのような感覚に陥ると言われています。それはそれは幻想的な光景なのだとか。


 そんな景色が見られる冬の日。今年一月のことです。その山で落下事故があったと新聞に載りました。絶景を見に来た男性が、帰り道の途中で足を踏み外し、落下してしまったと。

 傍らには妻の姿が。そして、男性の腕の中には――



 窓の外から傾き出した太陽の光が差し込んできました。

 店の中がオレンジ色に染まります。もうすぐ夜が来そうですね。どうやら、ゆきさんが来てからそれなりの時間が経ってしまったようです。

 彼女は今、私の腕の中でじっとしていました。もう泣き止んで、落ち着いてきています。

 ゆきさん、そろそろ日が沈みますよ。


「帰りたくない……」


 弱々しい声。先ほどよりも私を抱く腕に力が籠りました。肩に顔を埋める様子はいやいやとしがみついているかのようです。

 ふむ、それでは。

 ゆきさん、今日はここに泊まりますか。


「え! いいの!?」


 ええ。帰りたくないのでしょう?


「あ……うん、でも……」


 ちらりと窓の外に目をやる様子からは、まだ迷っているのが見受けられました。お母さんに怒られているのを恐れているのでしょう。五時までに帰るよう、言われていましたし。

 ですが、そのように家に居たくないのに帰るのは苦しいでしょう。ここで少し離れてみるのもいいと思いますよ。


「……探しに来ないかな?」


 どうでしょう。心配でしたら探しにくるかと。しかし、お母さんは夜が嫌いなのでしょう? もうそろそろ日が沈みます。そうなると、わかりませんね。

 それにしても、お母さんはどうして夜が嫌いなのでしょうね。


「え? んーと、暗いから、かな? 怖いとか?」


 なるほど。

 暗いからこそ見えるものもあるのですけれどね。


「暗いのに見えるもの?」


 ええ、例えば、あれです。


「お空?」


 はい。夜になると星が見えるでしょう? 月も輝いて見える。それは、周りが暗くなるからです。太陽が出ていては、その明かりに隠されてしまいますからね。

 暗くて怖いからと家に籠っていては、この星々は見えない。それはとても勿体無いと私は思うのです。暗ければ暗いほど、綺麗に見えるのですから。


「お星さま……綺麗……」


 おや、ゆきさん?


「お母さんと、見たことある。お星さま……これ見たの。大事にするって言って、写真を……」


 その目が大きく開かれました。

 どうやら何か思い出したようですね。こちらを見つめてきた黒い瞳には、先ほどにはない光が灯っています。


「みどりさん、お母さん、何か大事にしまってた。写真……かも。あれ見たら何かわかるかもしれない! ゆき、持ってくる!」


 おっと、ゆきさん?

 何かがゆきさんを突き動かしたのか、彼女は走って店を出て行ってしまいました。お母さんを笑顔にするためのものを見つけたのでしょう。しかし……。

 もうすぐ夜がやってきます。ゆきさんのお母さんが嫌いだという夜が。彼女が無事に目的のものを持ってここに戻って来られるかが少し心配ですね。それと、娘が動いたのを見たときの母親の行動も予想ができません。

 準備はしておきましょう。何が起こっても対応できるように。

 二人が必要としているもの。それは、この店にしっかりとありましたから。



 ゆきさんが戻ってきたのはもう太陽が沈み、一時間が経とうとしている時でした。

 ものすごい勢いで扉が開きます。走ってきたゆきさんは箱のようなものを持って私の元まで来ると、隠れるようにして後ろからしがみついてきました。

 どうやら、追われているようですね。

 お母さんに。

 次に入ってきた女性は随分と痩せこけている人でした。肌は白く、髪は乱れています。しかしその表情は激怒。私にしがみつくゆきさんを見ると、こちらを睨みつけます。


「貴方がゆきをたぶらかしたのね」


 おや、疑問ではなく確定ですか。厳しいですね。

 すみませんが、誑かしてなどはいませんよ。ここにきたのはゆきさんの意思ですし、私は彼女の話を聞いていただけです。

 それにしても、もう夜になりますが……家から出てこられたのですね。それほど、ゆきさんが持ってきたものは大切なものだったのでしょうか?

 ……だんまりですか。ゆきさん、それを見せてもらってもいいですか?

 お母さん、少し拝借しますよ。ああ、近づかないでください。申し訳ありませんが、今の貴方は危険だと判断します。近づけば……そうですね、こちらに入っているものを破り捨てますよ?


「……貴方、性格悪いって言われるでしょ」


 よく言われます。

 では、失礼して……ふむ、この箱、ただの箱ではありませんね。からくり箱、ですか。なるほど、ここに貴方の大切なものが保管されているのですね。

 それにしては顔色が悪いですね。大切ですが、見ると苦しくなるものなのでしょうか?


「あんた、わかってて言ってるでしょ」


 そんなことはありませんよ。まあ、当たっているとは思っていますけどね。

 大切な、思い出の品なのでしょう? 幸せだった頃の。

 写真、とゆきさんが言っていましたね。おそらくその写真には貴方の旦那さんが映っているのでしょう。貴方と、ゆきさんとともに。


「どうして、そこまで……だって、ゆきはあの時のこと覚えてないはず……」


 ええ、覚えていませんでした。ですから、これは私の推測です。しかし、これも当たっていると思っています。

 少しだけ、こちらで過去の事故について調べさせてもらいました。あの山での、落下事故を。


「……!」


 お母さんが目を逸らします。その瞳は酷く揺れ、悲しみと後悔を表していました。そこに、怒りは見当たりません。

 そう、最初から、貴方は怒りという感情は持っていなかったのです。その、ぽっかりと空いてしまった穴をどうにかしようとして、どうしようもできない感情を無理にどうにかしようとして、怒りという感情を生み出し、それをゆきさんにぶつけてしまっていただけなのです。


 ほら、箱が開きましたよ。

 やはり、写真ですね。貴方がた三人が映った写真。背景には星空。頭上も足元も、全てが星の輝きに満ちています。

 これは、三人であの山に登り、湖の上で撮った写真なのでしょう。

 ゆきさん、これに見覚えはありますか?


「あ! これ! ゆきが探してた綺麗なもの! うん、ここ行ったことある。お母さんと……お父さんと」


 そうですね。

 そしてこの帰り道、事故にあってしまった。お父さん、というよりも、ゆきさんが足を踏み外してしまったのでしょう。暗い中の山道。無理はありません。

 そして、転がり落ちそうになったゆきさんを助けようと、旦那さんが手を伸ばした。そのまま一緒に落下。その結果、旦那さんだけが……。


「やめてっ!」

「お母さん……」


 ……ゆきさんはどうにか無事でした。ですが、記憶を失っていた。だから、お父さんのこともあの山に行ったことも、うっすらとしか覚えていなかったのでしょうね。

 ここまでが、私の推測です。全てが本当かどうか、私からは聞くことはしませんが……そろそろ向き合うべきではないですか?

 立ち尽くすお母さんに写真を差し出します。少し躊躇したのち、彼女は受け取ってくれました。

 俯きがちに写真を見て、離そうとして。だけども震える手で落とさないように必死に握りしめます。

 大好きだけど、大嫌いな。忘れたいけど、忘れたくない思い出。葛藤が、迷いが、手に取るようにわかりました。

 おせっかいかもしれません。ですが、いつまでも逃げ続けているわけには行かないと私は思います。そのままではこの先ずっと苦しいだけです。どちらも選べず、だから葛藤し続ける。そのうち疲れてしまいますよ。人生は、そのようにして行きていくものではありません。苦しさで、楽しさや喜び……幸せを潰してしまうなど、貴方のためになりません。


「貴方に何がわかるの! この人がいなければわたしは……幸せなんて……」


 わかりません。今日初めてあって、お話を聞いたのですから。ですが、貴方が向き合おうとしていないもの。そして、ゆきさんが欲しがっていたものが何かはわかりました。

 その写真、もそうですが、本当に必要としているものはこちらではありませんか?

 わたしは棚から丸い機械を取り出しました。そして、部屋のカーテンを閉め、電気を消すと、その機械のスイッチを入れます。

 すると。


「っ……!?」

「わあ……」


 二人が同時に声をあげました。

 一人は怯えに似た、もう一人は感嘆の。

 私たちの目の前には、それはそれは綺麗な星空が浮かび上がったのです。


 プラネタリウム。


 わたしはその機械を起動させたのでした。

 プラネタリウムは冬の星空を写しだしました。それも、ゆきさん達が行ったあの山から見ることのできる景色を。

 空だけでなく、床までもを星々が埋め尽くします。

 ハラリと、お母さんの手から写真が落ちました。彼女はくるっと、懐かしむような、だけども嫌なものを見るかのように星空を三百六十度眺めます。そうして、こちらに目をやりました。瞠目し、信じられないといった声が漏れます。


「拓也?」


 旦那さんの名前は拓也というそうですね。

 どうやら、今この瞬間、私の姿が拓也さんに見えているようです。

 彼女は呆然としたまま、足取り危うく近づいてきました。その足が棚にぶつかります。

 おっと、危ない。

 よろめく彼女を受け止めてあげると、私の手を触り、胸を触り、頬に手を添えてきました。


「拓也……貴方、生きて……?」


 ……いいえ。貴方の旦那さんは、もう生きてなどおりません。

 首を振ると、彼女の方も嫌々と首を横に振りました。まるで子供のようです。私にしがみ付き、震える唇で何か言おうとし、だけども何も言えぬまま涙を流しました。

 ああ……そのような悲しい顔をなさらないでください。貴方の旦那さんは残念ながら亡くなってしまいました。けれど、どこかで貴方のことを見守っています。貴方がそのような顔をしていると、旦那さんも安心して逝くことができませんよ。

 ですがまあ……今は仕方ありませんね。旦那さんも、今回だけは泣くのを許してくれるでしょう。

 ですから、たくさん泣いてください。そして今まで抱ええてきた思い、耐えてきた気持ちを全てを吐き出したら、今度は顔を上げて笑ってください。先程から、怒と哀しかありませんでしたよ。それでは、ゆきさんにも怖い顔、だなんて言われてしまいます。

 彼女を抱きしめ、今の言葉を伝えるように頭を撫でてあげます。ゆきさんにしてあげたように、落ち着くまで背中をさすりました。そうすると彼女は、今までの我慢を爆発させるように泣き叫びました。


 どうして死んでしまったの。わたしを置いていかないで。寂しい。戻ってきて。一人は嫌よ。酷い。最低。貴方だけが逝ってしまうなんて。わたしはどうしたらいいの。


「大嫌い……」


 そう、口してから。彼女は慌てたように頭を振りました。そして、抱きしめる腕に力を込め、今の言葉を否定し始めます。


 嘘。ごめんなさい。大嫌いなわけない。大好き。好きなの。貴方の笑顔が好き。声が好き。優しい口調が恋しい。また話したい。一緒に暮らしたい。ご飯を食べて、お出かけして、買い物して、夕飯作って、寝顔を見たい。

 すごく幸せだった。あの時間……忘れたくない。そう、本当は忘れたくないの。忘れられない。


「拓也も、そう思ってる……?」


 ええ。きっと思っていますよ。ですから忘れてはなりません。そして、これからもそれ以上の幸せを掴みにいくべきです。拓也さんも、それを望んでいます。


「私は、拓也を置いて幸せになってもいいの……?」


 幸せになっていいのです。それに、拓也さんは置いていかれません。いつでも、貴方の心の中にいるのでしょう?


「私の、心に……?」


 ええ。だって貴方はそれほど苦しむくらい、拓也のことを好きだったのですから。それくらい、拓也さんと一緒にいたのですから。その時間は、思い出は、消えてなくなりません。ずっと貴方と共にある。そうでしょう?


「そう、ね……」


 俯き、胸に手を当てて。彼女は一つ深呼吸をしました。顔があげられます。


「ねえ、拓也はもう……」


 いないのよね?

 そう、改めて確認するように、濡れた瞳がこちらに向けられました。わたしは静かに頷きます。

 ええ。拓也さんはもう、いません。


「そう……」


 けれど先ほども言った通り、拓也さんは貴方の心の中で生き続けています。ですから私は、貴方はまた立ち上がることができると信じています。今、貴方は私の顔を見て、拓也さんがここにいないことを認めようとしている。前に進もうとしている。ならばもう、大丈夫です。

 さあ、涙を拭いて。拓也さんと、お別れをしましょう。


「ええ……拓也、今まで、貴方を縛ってきちゃったのかしら。わたしがこんなじゃ、成仏出来ないわよね」


 自嘲気味な笑みを浮かべて、彼女は星空を仰ぎました。


「拓也、わたし生きるよ。こう思えるまで時間かかっちゃったけど、生きる。ゆきと生きていく。だから、見守っていてね……」


 涙が、流れ星のように彼女の頬を滑り落ちて行きました。それは、いつのまにか足元に来ていたゆきさんの額に降り注ぎます。

 それに気づき、ゆきさんのお母さんは自分の娘を抱き上げました。優しく包み込むように。頬を寄せ、笑顔を見せます。


「ゆきごめんね。やっと、お父さんを見ることができた。ゆきを、見ることができた。今まで、ごめんね……」

「うぁ……おかあさぁぁん……!」


 ようやく、ゆきさんはお母さんの腕の中に入ることができました。その一番安心できるところで精一杯泣きじゃくります。

 互いに認め合うことができた二人はもう、すれ違いを起こして心を傷めることはないでしょう。多少衝突があったとしても、切り離されることはないと思います。再び、繋がることができたのですから。


 さて。

 お二人が落ち着いてきたところで、私はカウンターに立ちました。

 箱に入れたプラネタリウムを二人の前に置きます。

 ゆきさんの探し物は見つかりました。私の推測通り、それはお母さんの探し物でもありましたね。

 星空の思い出を映す道具、プラネタリウム。買っていくでしょう?


「ええ。大切な景色ですもの。お代はいくらになるの?」


 ふふ。凛としていますね。その様子だと、これから先も大丈夫でしょう。

 お代ですが、こちらでは現金は頂いておりません。代わりに、お客様の大切なものと交換をさせてもらっています。


「大切なもの……」


 ああ、そんな心配そうな顔はしないでください。大丈夫です、その写真は頂きませんから。それは、三人を繋ぐ大事なものですからね。

 では……そのからくり箱を受け取りましょうか。


「こんなものでいいの?」


 ええ。年代物のようですし、うちにはないものですから。よろしいですか?


「ええ。大丈夫よ」


 ありがとうございます。確かに頂戴いたしました。

 それでは、こちら、プラネタリウムです。箱に入れておきましたので、これでお持ち帰りください。

 二人が幸せに生きられるよう、祈っております。


「じゃあね、みどりさん。ありがとう!」


 はい。こちらこそ、ありがとうございました。ゆきさん、お元気で。


「みどりさん、といったわよね。また来てもいいかしら?」


 ええ。何かおありでしたら、いつでもいらしてください。ここは星屑店。またの名を、なんでも売ってる店、なんでも屋。貴方が求めているものをお探し致します。


「ありがとう。今日はお世話になりました。……ゆきと星を見ながら、帰ることにするわ」

「またねー!」


 ええ、また会いましょう。


 チリン、チリリン、と。

 鈴の音が、お客様のお帰りを知らせました。


 ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております。


 さて、夜も深まってきました。今日の営業はこれで終わりにしましょうか。星屑店、閉店です。

 ですが本店は年中無休。明日も通常通り営業しておりますので、探し物があればいつでもいらしてください。お待ちしております。

 それでは、また。

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