仮想少女の男友達
同じ高校の男子生徒であり、部活で仲のいい男友達だった二鐘双地が病死した。
葬儀が終わったのはつい先程。私、城杉玲は自宅へと帰ってきていた。
正直、実感がわかない。それでも気分は少なからず落ち込んでいた。もっと早くに病を患っていると知っていたら、もう少し言葉をかわせたかもしれないのに。
「はぁ……」
ため息をつきながら喪服として着ていった制服の裾に手をかける。高校は数日前に卒業しているので、このセーラー服も今度こそ着納めだ。
着替えを終え、ベッドに倒れ込む。
身体に染み付いた習慣のまま、半ば無意識にスマホの動画アプリを起動し、登録チャンネルの新着動画を上から順に確認。
表示された通知画面を下へ下へとスクロール。縦に並ぶ一覧は、どれもモーションキャプチャなどで人間が二次元キャラクターを演じた動画、いわゆるバーチャルユーチューバーと呼ばれる投稿者の動画ばかりだ。
数分ほどスマホ画面をスワイプし続けるが、一番に推しているバーチャルユーチューバーの動画は中々出てこない。一週間分ほど新着通知を遡ったあたりで、『彼女』の動画はもう投稿されないことに気づいた。
そりゃそうだ。私の推し、バーチャル女子高生の『兼々ツイン』ちゃんの中の人は、三日前に死んだ二鐘君その人である。死んだ人間に動画が投稿できるわけがない。
二鐘君は男だが、仮想の世界では性別や年齢など関係ない。そういった外見的な縛りがないのがバーチャルユーチューバーの魅力の一つなのだから。面白かったら勝ちだ。
「ツインちゃんの新作、もう見れないのかぁ……つらい……泣きそう……ファンアートももう見てもらえない……鬱……」
不意の実感に涙が出てくる。私の中にいる冷静な部分が「このようにして悲嘆に暮れるのは二鐘君に失礼では?」と言うが涙は止まらない。彼は今頃草葉の陰で微妙な顔をしているだろう。どうか許してほしい。
兼々ツインは、バーチャルユーチューバーがネットで話題になり始めしばらく経った頃、V界隈においては後発組な投稿者の一人だ。
サイバーな意匠が取り入れられた、近未来感を感じさせるデザインのブレザー制服に身を包んで、金髪のツインテールを見事な物理演算で揺らし、緻密なトラッキングでもって多彩な表情を見せる、高クオリティ3Dモデルで構成された仮想の美少女。
アマチュアの域を超えた高い映像力と、複数人説が噂されるほどの多彩かつ高度な技術力を持ちながら、メインに据えているゲーム動画は小学生にさえ劣るクソ雑魚っぷりというギャップに加え、視聴者の脳を溶かす愛らしい声などなど様々な魅力を持ち、個人でありながら企業がプロデュースしているバーチャルユーチューバーにも勝るとも劣らぬ人気がある。プロフィールには一応女性と書いてあるが未だに中身男性説が絶えないのが特徴。まあ実際男性なのだが。
現在ではある革新的手法により変声技術の習得がほぼ完璧にメソッド化されており、V界隈において性別を完全に偽るのも難しくない。とはいえ、私も初めてツインちゃんの声を二鐘君に出してもらった時はビビった。その後私は自分の本名――もちろん下の名前――を萌え萌え(死語)な感じにツインちゃんの声で呼んでもらってスマホに録音した。嬉しすぎて十回ぐらいやってもらったら二鐘君が赤面して引きつった笑顔で泣きそうになってた。考えてみれば彼からしたら羞恥プレイもいいところだ。今は反省している。
「いい思い出だった……」
その時の音声ファイルを何度もリピートする。動画内では平気で際どいネタ出してくるツインちゃんが、どもりながら私の名前を呼ぶ照れの入った初々しい声。尊い。二鐘君がまだ草葉の陰にいたら羞恥に悶えているだろう。
その後だらだらとツインちゃんの過去動画を見ていくうちに、すっかり夜は更けていた。別に明日の予定があるわけではないが、そろそろ寝なければ。
ぱちりと電気を消す。寝る前にツイッターを確認したい気持ちをぐっとこらえ、念の為タイムラインのハイライト表示だけ見て、その後三十分ぐらい布団の中で粘ってから、寝た。
※
気がついたら片付けたはずのセーラー服を着て、高校の美術室にいた。しかし主観が曖昧で現実感に乏しい。多分夢だ。
高校では美術部に入っていたが、顧問がおらず、部員が規定人数に達していないので名前は美術部でも学校側の種別は部活動ではなく同好会という扱い。両手の指で数えられる程度の部員達も、勉強をしたり、読書をしたり、昼寝をしたりと、美術室は静かに何かをしたい人間のたまり場となっていた。一応はどの部員も時々絵を描いていたが、毎日描いているのはこの学校で唯一本気で美大を目指している部長だけだった。
よくわからないが何かすごい絵を描いている部長を尻目に、私はなんとなくデッサンを繰り返す。目の前の紙はぼやけていて、何を描いているのかはわからない。どうやら記憶に残っていないようだ。
夢の中の私は満足したように鉛筆を置き、スマホにイヤホンをつないだ。その後当然のようにツインちゃんの動画を見始める。無論、他者を警戒しイヤホンを片耳だけに嵌め、さり気なく美術室の隅っこに行ってからだ。迂闊なオタバレ(オタクであることがバレるの意)は死を伴う。
ふと、トイレにでも行くのか、部長が無言で席を立つ。その日は来ている部員が少なくて、私と二鐘君の二人になった。
二鐘君は特待生クラスに所属しており、普通科棟から少し離れた教室で授業を受けているため、私のような普通科の生徒は彼らとは部活以外での接点がなかなかない。
こうして部活にいても彼自身無口なタイプだ(と思っていた)し、私自身もコミュニケーション能力が……あるっちゃあるけどね? この私が本気出せば締め切られた心の扉さえオープンセサミでございますよ。本気を出せばね。出さないだけ。
それに二鐘君は別に顔が悪いわけじゃないけどなんかそこまでパッとしないし、背も小さくて地味……いや、やっぱり見た目の話はよそう。下手に言えば墓穴を掘る。私とてことさら自分の容姿を卑下するつもりはないが、お世辞にも――否、お世辞込みなら割と――ごめん今のなし――ともあれ、人様のことをどうこう言えるほど並外れて高い顔面偏差値を持っているわけではない。
彼はちょうど絵を描き終わったようで、静かに筆を置き、スマホを触り始める。完成した絵は風景画だった。結構上手い。だが幼少期からインターネットお絵かきウーマンであるこの私ほどではない。その程度ではツイッターでバズれまい。
そんな非常に失礼な戯言を脳内で回していると、窓の外から雨音が聞こえてきた。おお、なかなかのザーザー降り。見よ、あの稲光纏いし黒雲を。今や地に雷を落とさんとする天の様を。くわばらくわばら。
などと言いつつ、私はこういう天候になるとテンション上がるタイプである。間違っても「きゃー」とか「わひゃー」とか「ふぇえ」とか言っちゃうタイプではない。まあ下校する時のことを考えると少々憂鬱だけど――
「わひゃっ!?」
強い雷光が瞬くと同時に、そんな声が口から漏れた。いや、私の口じゃない。じゃあ誰かって? 二鐘君の口だ。
ゴロゴロゴロ。三秒遅れてやってくる、光に反してあんまり大きくない雷太鼓。二鐘君は何事もなかったかのようにスマホに顔を向け直す。だがしかし私はアニメを嗜むオタクのおよそ二割が取得していると言われる声優識別スキルを持ち、当時雷雨によりテンションが上がっていた。故に、口からぽろっと失言を漏らした。
「……ツインちゃん?」
びくっ! とこっちがびっくりするほど二鐘君の肩が跳ね上がる。
「ち、ち……違いますけど?」
そういう返答をしちゃう時点で五割ぐらい自白では? と思いながら私は脳内で二鐘君が発したつい今しがたの声に補正をかける。
『ち、ち……違いますけど?(周波数プラス四十三%)』
ツインちゃんだこれ。念の為、兼々ツインのツイッター公式アカウントに向けてダイレクトメッセージを送ってみる。
ぴろーん、と二鐘君のスマホから通知音が鳴った。中の人が確定した瞬間である。
※
そんな感じのきっかけがあって、私たちはそれから度々話すようになった。
二鐘君はなんやかんやと男の自分が美少女キャラを演じていることに対して言い訳していたが、先程も言ったように、バーチャルユーチューバーは面白かったら勝ちである。加えて私は作者と作品を分けて考えられるタイプ。負い目があるなら歴史に名を残す創作者を見よう二鐘君、大概が変人だ。ツインちゃんが可愛ければ何の問題もない。
二鐘君は微妙な顔をしたが、自分の作ったキャラクターを褒められて悪い気はしなかったのか、思った以上に好意的だった。土日の夜なんかは時々ツインちゃんの声&映像付きで通話してもらった。私の語彙力はその度に無へと堕した。オタクの困ったところである。
《『玲ちゃん、今日もよろしく!』》
「あっ、えっあっ……こ、こんば……うぅっ……無理……」
《城杉さん、落ち着いてください》
「あ、はい」
《僕が地声になった瞬間のテンションの落差がすごい》
「ツインちゃん目当てなので……。でもツインちゃんとお話するのは心臓への負荷が高いので、しばらく地声でお願いします。あと画面も直視できないのでちょっと閉じます」
《僕の方は別に何でも構いませんけど城杉さんはそれでいいんですか……?》
上記のようなやり取りを経つつ、私たちはヘッドセット越しに会話する。
「そういえば、ツインちゃんのモーションキャプチャとかってどうしてるんですか? この間ググったらどれもいいお値段してたけど」
《兄さんが大学院でそういうの使った研究してて、色々あって廃棄する予定だったやつ譲ってもらいました。いわゆるバイオメカニクスってやつなんですけど、人体の骨筋を立体モデル化して、計測点の座標から……》
こういう無駄に難解かつ相手が聞いてない話をしちゃうの、オタクの困ったところである。当然私も人のことは言えない。
「……あの、そういうの私わからないんで……」
《すいません。つい……》
「あ、謝罪はツインちゃんでお願いします」
《……『ご、ごめんね?』》
「ん~~~」
良い……。これだけで何もかも許せそうになる……。
「そういえば、二鐘君は卒業した後ってどうするんです? 特待生だし成績滅茶苦茶良いし、エンジニアでもクリエイターでも何でもいけそうだけど」
《あー、うん……そういうのは、まだ決めてない、かな……》
「ふーん。まあ、まだ二年生ですしね」
……後から聞いた話によると、その頃にはもう、二鐘君は病気を患っていたらしい。
そうやって彼は体調を薬で誤魔化しつつ、三年生の二学期まで学校に通っていた。そして、私にうかがい知ることはできなかったが、恐らくはあの日がリミットだったのだろう。
「好きです。付き合ってください」
かなり唐突だった。
もう少し時間が経ってからなら私はきっと受け入れていた。受験も近づいてきたのになんで今? とも思った。彼だってフラれることはわかりきって……いや、フラれるからこそ言ったのだ。
「え……その、受験近いし、そういうのはちょっと……ごめんなさい! でも、その、これからも友達としてなら……」
「よし!」
「ちょっとまってなんですかよしって」
「すいません、安心しちゃって。いやーフラレてよかった。正直城杉さんと付き合うことになるのはちょっと困るんですよね」
「えっなんで私ディスられてるんですか? 告白された側ですよねこっち?」
「これで心残りないです。部活もそろそろ引退だし、特待生は教室が離れてるから、しばらく会うこともないと思いますが、どうかお元気で」
……そんな感じで、彼とはその後ろくに会話することもなく。
卒業式の三日後に、訃報を知らされた。
※
目を覚ます。いい感じに現状を整理してくれるタイムリーな夢を見ていた。
「ふ、あ……んー……」
まどろみの中、腕を伸ばす。
もしあの時、告白を受け入れていたらどうなっていたのだろうか。
いや、どちらにしろ変わりない。私が彼の彼女になったからと言って、何ができるというのか。
だから、「もし」の話をするなら「もし彼が生きていたら」というべきだ。それならきっと、私も別の答えが返せたかもしれない。仮に答えが同じだったとしても、もう少し悩んで、それから……。
「……あ」
気がつくと、半ば無意識にスマホを手に取り、ツインちゃんのツイッター公式アカウントを確認していた。
もうツイートが投稿されることなんてないとわかっていたのに、完全に習慣となってしまっている。現に、ツイートはもう数週間以上前から途絶えて――
『兼々ツイン @2gold2 ニ日前
自分でも死んだと思ったけど普通に生きてて草生える』
おい、ちょっと待て。
は? 二日? 二日前? 君死んだの四日前だよね? 何普通に投稿してんの? そのふざけたツイート内容は何?
私は落ち着いて深呼吸し、一旦アプリを終了させる。そして、何度か目をこすってから、再度アプリを起動させた。
『兼々ツイン @2gold2 1分前
お礼が遅れたけどチャンネル登録者数五万人突破してました! ここまで来れたのは応援してくれたみんなのおかげです! 本当に、ありがとうございます! なんかテンション上がってきた』
え、本当に!? やばい、昨日の時点で五万人達成してるじゃん、気づいてなかった! すぐにお祝いのファンアート描かなきゃ――ではなく!
一分前!? なんで!? ツインちゃんの中の人、昨日棺でスヤスヤしてたよね!? もう火葬も終わってるよね!?!?
このツイートがなければ、あるいは二鐘君が死に際に残した時限式のイタズラとも考えられたが、こうやってリアルタイムの状況に対応している以上、直に文章を打っているとしか考えられない。
「あ、アカウントの乗っ取り……?」
私は半分以上呆然としながら呟く。二鐘君ではない、生きた何者かがツインちゃんのアカウントにログインし、ツイートをしていると考えれば説明はつくが……
『XXXXX @***** 1分前
兼々ツイン復活したってマジ?失踪したと思ってたから嬉しい』
『兼々ツイン @2gold2 30秒前
└心配させてごめんね! まあ私ってば正統派ツンデレ美少女ヒロインなので生存率高いんですよ、褒めそやせ?』
他人のなりすましにしてはツインちゃんの再現率がやたら高い……! 微妙に腹立つ口調とかめっちゃそれっぽい……!
だが、なりすまし以外の納得いく説明など考えられない。これは一体どう対処すればいいのだろうか。運営に報告? それとも二鐘君の家族に知らせる……のは二鐘君が化けて出てきそうなのでやらないにしても、何か行動は起こさないと不味い。
私が動揺しているうちに、ツインちゃんのツイートが次々と投下されていく。
『兼々ツイン @2gold2 15秒前
お知らせ:今日の夜、22時から五万人突破のお礼生放送やります!』
『兼々ツイン @2gold2 1秒前
あ、あとちょっとしたお知らせもするのでよろしくおねがいします』
な、生放送!? 中の人死んどるのに!?
状況は混乱が冷めるのを待ってくれない。私のスマホがぶるぶると振動する。スカイプの通話機能への着信だ。
咄嗟に画面を見る。予想通りというべきか、液晶には「二鐘双地」の四文字がでかでかと表示されている。
「っ……!」
何これ、ホラー? やばい、足が震えてきた。いつの間に私は「世にも奇妙な物語」の世界に迷い込んでしまったのだろう。タ○リさんたすけて。
恐る恐る緑色の応答アイコンをタップし、スマホを耳に当てる。
「も、もしもし……?」
《城杉さん? 今日の夜生放送するつもりなんだけど、それまで暇だし久しぶりにマイクラでマルチしません? 僕だけじゃどうしても初日で死んで――あ、僕もう死んでたんだったやっべ》
可愛らしい女の子の声が途絶え、ぶつっ、と通話が切れる。
嫌になるぐらい静かな自室で、私は無言のまま立ち尽くした。
「え……ホントに、何、これ……?」
何かの間違いだと信じたい。だが、私のアニメ視聴とバーチャルユーチューバーの追っかけで鍛え上げられた聴覚が言っている。今のは、間違いなく本物のツインちゃん――もとい、二鐘君の声だと。
もはや真実を判然とさせなければどうにもならない。二鐘君のスカイプアカウントは既にオフラインとなっているが、私は気にせずにメッセージを送信した。
『どうなってるんですか? なんで二鐘君が生きてるんです?』
スカイプだけではない、メール、ツイッターのDM、LINE、電話、ソシャゲのメッセージ機能。私の知る全ての通信手段で二鐘君に連絡をする。
『お願いだから説明してください』『というか、生きてるんですよね?』『他人のなりすましじゃないですよね?』『家族の人は何か知ってるんですか?』『返事してください』『返事して』『怒りマーク』『怒りマーク(大)』『ねえ今既読ついたんですけど』『無視しないでください』『既読無視やめて』『ちょっとマジで返事しろ』『おい二鐘』『おい』『返事を、しろ』『不在着信』『不在着信』『不在着信』『不在着信』『不在着信不在着信不在着信』『今すぐ返信しろ』『さもないと』――
――『二鐘君のお母さんにツインちゃんの中の人やってたってバラします』
あちらから通話がかかってきた。
《……もしもし》
「説明してください」
《はい……》
悄然とした声。何故か地声ではなく、ツインちゃんの声だ。そうすれば私が許すと思っているのだろうか。正直ちょっと許しそうになってる。
《いや、ぶっちゃけ僕にもわかんないんですよね。病院で自分が死んだの、ちゃんと覚えてるんですけど、いつの間にか目が覚めるみたいに……》
「えぇ? というか、今って家にいるんですか?」
《うーん……いると言えばいるし、いないと言えばいない……?》
判然としない返答。私が顔をしかめそうになっていると、慌てたようにスマホ越しに声がかけられる。
《いや、ふざけてるわけじゃなくて――あ、今圧縮ファイル送るから、パソコンでそれ解凍してください!》
再度通話が切れる。
私はすぐに椅子に座り、パソコンを起動した。今日に限ってOSの更新が来ているせいで、立ち上がるのが遅い。無意味にカチカチとマウスボタンを連打する。
ようやく起動したパソコンを操作し、二鐘君のスカイプアカウントから送られてきたややサイズが大きめのファイルをダウンロード。「なおこのファイルは自動消滅する」というファイル名がつけられたそれをデスクトップ上に展開した。
瞬間、スピーカーから「ぽわん」という間の抜けた音が響くとともに、モニターに近未来感溢れるブレザー制服に身を包んだ、金髪ツインテールの可愛らしい美少女――兼々ツインの3Dモデルが表示された。
彼女は一瞬画面中央に留まった後、すとんと落下。タスクバーに尻もちをついて「いったぁ……」と呟きながら、きょろきょろと辺りを見渡した後、私の方に視線を向けた。
《どうも。お久しぶりです、城杉さん》
「…………」
《あっ、やめてください、無言で顔面クリックしないでください、やめて、連打は痛いからやめて》
「えっと……何、この……何……?」
《んー……二鐘双地……ではないんでしょうね。多分。兼々ツイン? なのかな?》
煮え切らない返答。しかしてそれもむべなるかな。彼女――彼? にも今の状況がわからないのだろう。勿論私もわからない。
人工知能――ではない。間違いなく。二鐘君と違ってIT関連には一般的な知識しか持たない私だが、それでもこんなに高性能なAIはSFの中にしかいないということぐらいわかる。
だからと言って、二鐘君が遠隔でこのツインちゃんの3Dモデルを操作している、という可能性も低い。だって今、このパソコンにマイクは接続されていないのだ。この状態でどうやって私の声を聞くことができるというのか。
とりあえず、スカートをドラッグで引っ張ってみる。水色のショーツが丸見えになった。配信時はスカートの物理演算にパンチラ防止プログラムが組まれているため、丈のミニっぷりに反し中々露わになることがない領域が画面に映される。前から思っていたが、やたらテクスチャーが細かい。二鐘君のこだわりなのだろう。
《ちょ、まっ……! あの、こっち今アバターとかじゃなくて「これ」が生身だから、そういうのは、ちょっと、恥ずかしいっていうかっ……!》
ツインちゃんはスカートを頑張って抑えようとしているが、どうも私がマウスポインタを動かす力に抵抗できるほどの腕力はないらしい。以前、パンツは丸見えである。
とりあえず、可哀想なので離してあげた。
「えっと、つまり……?」
《死んだと思ったらツインちゃんになってました》
SFどころかファンタジーだった。私は無言で天井を仰ぐ。地縛霊ならぬ電縛霊?
どうしたって信じられないが、ドッキリの類と言うには手が込みすぎている。もしこれがドッキリだというなら私には甘んじて騙される他に無い。
《あ、ちなみにこの声は僕が作ってるわけじゃなくて、どうもこれが地声ってかデフォルトに変わってるっぽいです》
「うん……それはまあどうでもいいんですけど……」
うまく言葉が出てこない。恐らくツインちゃん――二鐘君? の方もそうなのだろう。
《まあ、その。だから、本当に僕にも何が何だかわからなくて》
「せやろな……」
《なぜ関西弁……。えーと、多分アレですね、そろそろ五万人達成しそうだったのに、病気で配信できずになかなか登録者数がそこまでいかないのが心残りだったんだと……》
そんなので現世に縛られてしまうのか……。
《でも、それも達成しちゃったし、もう心残り無いんですよね。多分今日の生放送が終わったら今度こそ死ぬと思います》
「は!? ちょっ、ちょっと待ってください! そんな、死ぬって……もしかしたらずっとこのままかも……」
《あはは、流石にそりゃないですよ。実は僕、兄さんだけに遺書用意してたんですけど――そこに、僕が死んだらハードディスク壊してくださいって書いといたんで》
「――――」
呼吸が止まりかける。開いた口が塞がらない。
そりゃ、二鐘君とてオタクだ。自分が死んだらハードディスクは完膚なきまでに破壊してほしいだろうが、だからってそんな。
《結構本格的に抹消するみたいで、今どこぞに硫酸買い付けに行ってるらしいです。遅くても明日には帰ってくるでしょうけど》
「あ、明日――!? いや、だって、二鐘君まだ十八じゃないですか! やりたいこと他にもあるでしょ!?」
《え、別に……。結構前から余命宣告されてたし、やりたいこと大体やり切ったので特に無いです……それに……》
その時、二鐘君はなにかをボソッと呟いた。
《じゃあ、今度こそさようなら、城杉さん。あとファイル名にも書いておいた通り、このファイルは自然消滅します》
「ちょ――」
PON、というギャグアニメのような効果音が響き、ツインちゃんは画面から消え去った。
「…………」
マウスから手を離す。
色々有りすぎて理解が追いつかない。だが、これだけは言える。
「そんなので――」
私はすぅっと息を吸い込んで、叫んだ。
「――納得できるかあああっ!」
引き剥がすようにパジャマを脱ぎ、服を着替える。
どれだけ時間がかかるかわからないが、タイムリミットが最低今夜二十二時、最大翌日夜までであることを考えると、今すぐに準備する必要がある。
外出着に着替えた私は、自分の通帳を引っ掴み、外へと駆け足に飛び出した。
※
《見てほら、今日動きめちゃくちゃ滑らかでしょ? 「失踪期間中にパソコン新調した?」パソコンじゃないけど、新調したっちゃ新調したかな? 他人事みたいな言い方だけど、つい最近いつの間にかソフト面が異様な進化を遂げてた的な》
現在、同日二十三時。一時間前に開始された生放送は、今や終わりに近づいている。
《えーと、とりあえず今回はこんなところ? あ、もう一時間経ってるじゃん、そろそろ終わらなきゃ!》
スマホに繋いだイヤホンからそんな言葉が聞こえてくる。もはや時間がない。
《え? お知らせ? ああそうそう忘れるところだった! あのね、実は私、今日で――》
二鐘家の壁面をよじ登った私は、針金で二階の一室の窓を解錠し、二鐘君の部屋へと侵入した。
主をなくした暗い部屋の中で、PCのディスプレイだけが一人でに画面を遷移させ、青白い光を放っていた。
「――二鐘君」
《ん、え、は!? ちょ、ちょっと待って! 一旦配信切ります!》
自作と思しきPCと、それに繋がれた二つのディスプレイ。片方には配信用ソフトが表示され、片方には瞳のテクスチャをぐるぐる目にしたツインちゃんが表示されている。
《えぇ……城杉さん何してんの……?》
「心残り、無いんですよね?」
《え、うん……ていうかこれ不法侵入だから早く逃げた方が……》
「前の返事は撤回します。――私と付き合ってください」
ぽかん、と彼及び彼女は口を開けた。
《……え?》
「心残り、出来たでしょ?」
《いや、そんな――ていうか、そんな風に付き合おうって言われても――》
「二鐘君はすごい人です。能力も高いし、好きなことに全力で取り組んでたのは素直に尊敬してるんです。技術者としても創作者としても、将来絶対成功します」
《将来って言われても、僕もう死んでるし……多分、ここにいるのは二鐘双地じゃなくて、その残骸か何かで――》
「そんなの私がなんとかします。仮に二鐘君は死んで、ここにいるのがツインちゃんだったところで問題ないです。私、ツインちゃんの大ファンなので」
言ってやった。今の私の顔は、今世紀最大のドヤっぷりだろう。
《え、あ》
「ほら、どうなんですか。男――どころか女かも怪しいですけど、しっかり答えてください」
《……えっと……うん、城杉さんが、いいなら僕は――》
よし、言質は取った。もはやこの先の言葉は聞く必要がない。
《君と恋人になりた》
「同意は取れたみたいなんでハードディスクのデータはもらっていきますね」
《え》
「どちらにしろこのままじゃお兄さんにハードディスク壊されちゃいますし」
《ちょいちょいちょいちょい! やめて、それは勘弁して! というか待って、なんでパスワード知ってんの!?》
パソコンを操作し、買ってきた外付けハードディスクにデータを移す。
ツインちゃんは必死にマウスポインタにしがみついて抵抗するが、実体を持たない彼女ではあまりにも無力。私は容赦なくデータの移し替えを実行した。ツインちゃんの本体? も、私の買ってきたハードディスクの方へと移っていく。
《あっ、やっ……!? だめ、出ちゃう、(ハードディスクからデータが)出ちゃうっ……!》
「なぜ無駄にいやらしい声を……」
《な、なんかすごい変な感覚するんだよこれ! ちょ、もう無理、あ――》
声が途切れる。結構な時間がかかって二鐘君の家族にバレないかとドキドキしたが、どうにかつつがなく移し替えは完了した。ハードディスクを取り外し、丁寧に梱包してから持ち帰る。
「ツインちゃんをお持ち帰り、か……」
ちょっとテンション上がってきた……。うちのパソコンにインストールしたら何してもらおうか。
「私はとんでもないものを盗んでいきました――あなたの心です」
そんな風に嘯いて、私は部屋から飛び去った。
※
「よし、と……パソコンの方は入れ直さなきゃいけないソフトがあるのでもう少しかかりますけど、スマホの方は設定終わりましたよ、居心地どうですか?」
《…………》
翌日。私のスマホの画面上では、目のハイライトを非表示にしたツインちゃんが所在なさげに立ち尽くしていた。
「……昨日のは、ちょっと強引でしたかね?」
《強引ってレベルじゃなかったんですけど!?》
ぷりぷりしたツインちゃんも可愛い……。
私がちょんちょんと頭を撫でるように指でスワイプしてあげると、ツインちゃんの顔が赤くなり、頬に何本かの斜線が表示された。照れてる〜、可愛い〜!
「それそれ」
《ひぃいいっ!?》
ついでとばかりにおっぱいを軽くタップ。あ、待ってなかないで。やめて、ブロックだけは、ツイッターのブロックだけは勘弁してください。
《こっちが逆らえないからって、あんまり変なことしてたらファンに晒しますからね!?》
「ごめんなさい許してください」
いくら見た目が二次元キャラといっても、彼女が一個の人格がある存在だというのは依然変わりがないのだ。ファンとして慎みを持たなければ……。
いや、しかし、それにしても。
「うちのパソコンとスマホにツインちゃんがインストールされてるってだけで、これからの人生幸せに生きていけそう……」
《こ、このオタクマジ泣きしてる……》
ツインちゃんは少し後ずさった後、観念したようにため息をついた。
《……でも、これから僕はどうすれば……? この状態じゃ進学も就職もできないし……いや、生活費なんかはほとんどかからないでしょうけど……》
「将来のことはわかりませんけど、今やるべきこと――というかやってほしいことはハッキリしてます」
《城杉さん、割と欲望に忠実ですよね》
パソコンの方の設定が完了する。画面には、導入したばかりの動画編集ソフトが表示されていた。
「ツインちゃんの新しい動画、楽しみにしてたんです。私も手伝うので、製作お願いします!」
《……まあ、他の視聴者さんも待ってるでしょうしね。久しぶりにやりますか》
スマホからパソコンへとツインちゃんが移動する。ぱたぱたと忙しなく、まだまだ電脳世界に不慣れな仮想少女が画面内を駆け回るのを手伝いながら、私はこれから始まる少し変わった生活に期待を抱くのだった。
兼々ツイン(二鐘双地)
金髪ツインテールのバーチャルサイバー女子高生。ブーム最盛期は逃したものの、地力で着実に人気を伸ばした実力派。過去にとあるお絵描きサイトに投稿されていた一枚のイラストがキャラデザの参考にされているが、現在はアカウントごと削除されているためにそれを知る者はいない。
好きなバーチャルユーチューバーは〇グロナちゃん。
城杉玲
オタク気質な女子高生。今は高校を卒業し、大学入学少し前。萌え系のイラストを得手とするインターネットお絵描きウーマン。幼少期に初めて見たアニメの影響により、金髪ツインテール属性への愛好が魂に刷り込まれている。結構な黒歴史を抱えており、中学二年生の頃に投稿していたイラストはほぼ非公開にしている。兼々ツインを初めて見た時は自分の好みどストライクのキャラデザに感動を覚えたが、それが昔自分の投稿したイラストを参考にされているが故であることには気づいていない。
好きなバーチャルユーチューバーはリ〇ン様とごん〇ん。