第107話「新たなる敵」
苦労の末伊部鉄郎を倒した修だったが、その心に勝利の湧きたつような感覚は訪れなかった。
これまでも外つ者を数多屠って来た修だったが、それらの外見は完全なる異形の者で、伊部鉄郎の様に人間の姿はしていなかった。また、人間とも戦ってきたが、不良や道場破りを倒してきたと言っても、殺した事など当然なかった。
伊部鉄郎はまだ息があるようだが、もうすぐ息絶えるであろう。弟子の葉山が駆け寄り、これまでの死闘を忘れたように介抱しようとしているが、胴を輪切りにしたのだ。いかに外つ者の異形の生命力を得ているとはいえ、最早回復する事はあるまい。
修は数々の生死を懸けた戦いをくぐり抜けてきた猛者であるが、高校生でもある。その修にとって、人間を殺害したという事実は重たくのしかかって来た。
「なんだ……おまえ、この伊部鉄郎に勝ったんだ。もうすこしうれしそうな顔をしてくれなけりゃ、こっちが悲しくなるだろうが……」
「先生!」
心が沈む修に対し、伊部鉄郎が弱弱しい声で語り掛けてきた。先程までの戦いの時とは打って変わった優しい口調だ。
「葉山、最後まで面倒をかけてしまったな。本当はこんな修羅道にお前を引き込みたくは無かったんだが、儂のせいで巻き込んでしまったようだ」
「気にしないでください。先生。先生の流儀を完全に習得するためには、この厳しい世界に足を踏み入れる必要があると元より思っていました。ですので、先生が思い悩む必要はありません」
「そうか。儂は儂の人生の全てを懸けて修練してきた技が、少しであっても受け継がれてくれれば良いと考えていたが、そこまで覚悟を決めておったか。ならば良い。思う存分戦い。その剣を究めていくが良い。儂は冥府で応援するとしよう。さて……」
弟子への最後の言葉を与えた伊部鉄郎は、修の方に向き直った。既に到着した千祝も修の横に控えている。
「儂はこうして外つ者――ニクジンの力により外つ者となって復活したわけだが、これは決して自ら望んでこうなったのではない。言い訳する様なのだがな」
「では、何故この様な事に?」
「儂が死ぬ少し前に、『新世界神聖更新会』なる団体に所属する者達が尋ねて来て、自分達に協力するならば、外つ者の力により無限の命と新たな力を与えると申し出てきおった。無論、断ったのだが、その後冥土に旅立ち、気付いた時にはそやつらが目の前におって、儂は外つ者として復活していたのだ」
「伊部先生の死体をニクジンの力で、外つ者として蘇らせたと言う事ですか?」
新世界神聖更新会なる団体は修や千祝にとって初耳だったが、何者かがニクジンの力で伊部鉄郎を復活させたと言うのは、予想していた通りの筋書きだ。
「そうだ。そして奴らに勧められるままに、この太刀花道場を襲撃したのだ。この時にはもう、罪悪感などは無かった。外つ者に心を支配されていたのだろう。まあ、死ぬ間際に感じていた無念さなどの感情に付け込まれたのかもしれぬ」
「では、その新世界神聖更新会とは、一体何者なのですか?」
「それは詳しくは分からぬ。この仕事を無事完了したならば、正式な仲間として迎え入れると言っていたので、詳しい事は聞いていない。だが、奴らの雰囲気、外つ者の気配が混じっておった。見た目は人間であったのだがな」
「外つ者の気配?」
見た目は人間だが、外つ者の気配を纏う者。それはまさしく復活した伊部鉄郎と同様である。となると、新世界神聖更新会の人間たちは、外つ者の力を取り込んだ奴等なのであろうかと修は推察した。
「ああ、その通りだ。そして、奴らは相当な武の使い手だという事は、見ていてすぐに分かった。手ごわいぞ。心してかか……」
伊部鉄郎の言葉はそこまでだった。修達への激励の言葉を言い終える事無く、その体は黒い霧となって搔き消えてしまった。死んだ外つ者と全く同じである。
元人間であっても、外つ者に一度でも支配されたものは、その痕跡を一切残すことは許されない。その厳しさや恐ろしさに、修は慄然となった。
太刀花家の外ではサイレンの音が次第に大きくなっており、増援が駆け付けて来たのを示している。
伊部鉄郎をこの様な最期に追い込んだ、新世界神聖更新会に対する怒りが湧きあがり、必ずこの報いを受けさせてやるのだと心に誓うのであった。