第106話「縮地」
千祝が得物を入手して戻って来る気配がした瞬間、戦況は一気に動き出した。
これまで互角の戦いを演じていた伊部鉄郎と葉山だったが、伊部鉄郎はそれまでに無い猛攻を加え、葉山を劣勢に追い込んだのだ。凄まじい連撃に葉山は防戦一方となる。これまでは防勢であっても常に的確な反撃を加えていたのに、それも出来なくなってしまった。
千祝が武器を入手した事により、修と千祝が参戦する前に数を減らす決心をしたので、伊部鉄郎がこれまでにない多少無理をした攻勢に出たのかもしれない。また、葉山の疲労がピークに達し、思うような反撃が出来なくなったので、その隙を突いたのかもしれない。
修の見た所そのどちらもあり得る事であるが、いずれにせ不利に動いた戦局を何とかして打開しなくてはならない。
素手のままではあるがすぐに参戦するか、それともあとほんの少しだけ待って千祝が戻ってくるのを待つべきか、判断を迫られている。
そして、修はすぐさま決心する。
たとえ素手で危険であろうと、すぐに加勢する事をだ。
待っていては葉山が殺される可能性がある。もしそうなった場合、修と千祝の二人だけでは太刀打ちできないだろう。ならば危険を冒すことになったとしても、戦うべきは今なのだ。
「良い判断だ! だが、間に合わんぞ!」
修が拳を握りしめて殴りかかろうとした瞬間、伊部鉄郎は葉山の刀を巻き取るようにして跳ね上げ、一挙に葉山を無力化してしまった。葉山の刀が宙を舞う。
達人の領域に足を踏み入れ、師匠である伊部鉄郎に肉薄して戦い続けた葉山だったが、流石に限界が来ていたのであろう。
(不味い!)
刀を弾き飛ばされた葉山は体勢を崩してしまい、後数秒は何も出来ないだろう。また、例え体勢を立て直しても刀による戦い方しか修練していない葉山では、参戦しても戦力にならない。
その事を見越している伊部鉄郎は、完全に修の方に向き直り、修を切り伏せんと刀を構えなおした。このままでは千祝が駆けつける前に敗北する事は想像に難くない。
何とかしてこの死地を逃れなくてはならないと、修は必死で思考を巡らせた。
「死ねぃ! むぅ?」
「ははっ。流石のあなたも、刀を弾き飛ばす方向までは考える余裕が無かった様だな」
伊部鉄郎の必殺の一撃を防いだ物、それは弾き飛ばされた葉山の刀だった。偶然にも修のいる方向に飛んで来たので、それを空中で掴み、すぐに防御したのだ。
「だが、それが何だと言うのだ。葉山と違いお前一人では、儂に太刀打ち出来ぬのは既に知れている事。太刀花の娘が来る前に切り殺してくれる!」
そう言い放ちながら伊部鉄郎は猛攻撃を開始した。先程戦った時は、修は千祝と連携しても敵わなかった。ならば今一人で戦ったならば、たちまち敗れ去るのが道理である。
だが、そうはならなかった。
葉山の刀を握りしめた修は、先程伊部鉄郎と互角の戦いを演じた葉山の動きをなぞる様な太刀筋で、伊部鉄郎の連撃を受け流したのだ。
また、葉山の動きを再現しているのは、太刀筋だけではない。伊部鉄郎や葉山の流儀の神髄とも言える微妙な間合いの調整も、同じ様にして再現して見せたのだ。
確かに葉山の戦いぶりはじっくりと観察していたが、この様な短時間で見ただけで習得出来るものではない。伊部鉄郎も何が起きたのかすぐには理解出来ず、困惑した表情だ。
「何故……? いや、そうか。そうだった、そうだった。お前は鬼越の血を受けた者。武器を通して動きを再現出来るのであったな」
修は手にした器物を通して、その器物を以前に使用した者の動きを再現するという特殊能力を持っている。これにより、もしもその器物を達人が使用していたのなら、その達人の動きを再現する事が出来るのだ。
この能力の事を知ったのは最近の事で、それまでは茶器を通して茶道の名人の所作を再現する位しか役立てていなかった。だが、強力な外つ者であるヤトノカミを討伐する際、それを滅するために神剣「布津御霊剣」に残っていた過去の達人の力を借りる事になり、この能力に気が付いたのだ。
だが、この能力は心理的な要素等、発動条件が曖昧であるため、普段はこれに頼らない様にしている。
そして今、葉山の使用していた刀を握る事により特殊能力を発動させ、その動きを再現して伊部鉄郎の攻撃を防ぐ事に成功したのだ。これは、真剣勝負の緊張感という心理状態であったり、葉山の動きを観察し続けた事により再現し易くなったのか、はたまた偶然なのかは全くもって不明である。
いずれにしても、今の修は先程の葉山と同様、伊部鉄郎と互角の戦いを演じる事が出来る。
「本当にお前らは、恵まれた武の才能や肉体だけでなく、そんな異能まで持っているんだからなぁ。儂や葉山の様な凡人が必死で習得した力を、こうもあっさりと身につけおって」
「……」
伊部鉄郎の言葉には、その心情が重く乗っていた。もちろん伊部鉄郎ほどの達人は、常人とは明らかに隔絶した才能を持っていた事は想像に難くない。しかし、太刀花家や鬼越家の人間の様に、常識を超えた身体能力を持っていたり異能を持っている者達と比べたら、凡人の域を出ないのかもしれない。特に外つ者の様な怪物と命を懸けた戦いをして来た身であれば、常人を超えた能力に対する渇望は人一倍なのだろう。なにしろ命が懸かっているのだ。
そして、伊部鉄郎のこの様な思いが、死後に外つ者に付け込まれるきっかけとなったのかもしれない。その事を思うと、修は少しいたたまれない思いに駆られた。好きで強者として生まれた訳ではないのだが、その能力を享受して生きてきたのは確かなのだから。
だが、それはそれ、これはこれだ。
武芸者のはしくれとして外つ者に与した者を退治しなければならないし、勝てなければ皆死んでしまうのだ。
そして、いくら葉山と同等の戦いを演じることが出来ると言っても、それだけでは伊部鉄郎に勝つことが出来ないのは明らかであり、勝つためには何か策を講じねばならないだろう。
互角にしか持ち込めなかった葉山の戦いに加え、プラスアルファが必要なのだ。
「太刀花の娘を待っているのか? だが、それを大人しく待つ儂ではない。覚悟!」
千祝の参戦はプラスアルファと言えたかもしれない。しかし、それを待たずして伊部鉄郎の猛攻が始まった。これは先程葉山を仕留めた時の猛攻と同等であり、葉山と同等の動きしか再現出来ない修では、同じ様に敗北してしまうことは想像に難くない。
葉山を圧倒した時の戦いを再現するかの様に、伊部鉄郎の連撃が修を追い詰めていく。その攻防の流れは将棋の感想戦の様に同じであった。そして、最終的に伊部鉄郎は修の刀を弾き飛ばした。
ここまでの流れは葉山が敗北した時と同じであった。しかし、一つ違う事があった。伊部鉄郎が修の刀を弾き飛ばそうとした瞬間、修は自ら刀を手放したのだ。このため、葉山と違って体勢は崩れていない。逆に伊部鉄郎に隙が生じた。
伊部鉄郎が葉山に対するのと同じような攻撃を仕掛けてきたので、予想が容易だったので出来た芸当だ。
「ぬう?」
一瞬体勢を崩してしまった伊部鉄郎だが、すぐに重心を切り替え、刀を手放して素手の修に向けて刀を振り下ろす。一瞬の虚を突いたとはいえ、修の不利は変わらない。
だが、
「伊部先生。あなたの流儀、受け継がせて頂きます」
伊部鉄郎の刀身が修の体を引き裂く寸前、一瞬で間合いを詰めた修は伊部鉄郎の体に突き刺さったままの刀を握り、力を込めてその体を引き裂いた。
その間合いの詰め方は、これまでと同じ様に縮地を使用したものだったが、精度やタイミングが違う。
絶妙なタイミングで、絶妙な間合いに一挙に入り込んだのだ。これは、異能力によって葉山の動きを再現した事によりコツを掴んだので、刀を手放した後も同じ様な事が出来たのだ。また、葉山は刀の間合いでしか出来ないのだが、修は自らの武芸の経験と組み合わせることにより素手の間合いにも対応したのである。
これには流石の伊部鉄郎も予想外であり、その身を引き裂かれる事になってしまったのだ。
刀が帯びている神聖な気は、外つ者の弱点である。伊部鉄郎は上半身と下半身を分断され、その場に崩れ落ちた。上級の外つ者は凄まじい再生能力を有しているが、伊部鉄郎はそこまでの能力は持っていないようだ。
伊部鉄郎は最早戦う様子は見られない。