第103話「不死の肉体」
修と千祝が伊部鉄郎の両脇を刀で串刺しにした次の瞬間、二人の視界は真っ赤に染まり、視界が戻った時には廊下に伏していた。
何が起こったのか分からずに顔を起こした二人の体を、鋭い痛みが走った。ほんの数瞬前まで勝利を確信していたのに、一体どうした事なのか、二人は理解に苦しんだ。
そして、二人の目に飛び込んできたのは、血に染まって膝から崩れ落ちた太刀花則武と、その目の前で傲然と立つ伊部鉄郎の姿である。
「そんな……確かに手ごたえがあったのに……」
「手ごたえ? そうだな、確かに、これこの通り。今でもお前らの刺した刀は儂の体に残っておる。だが、やはり未熟者。止めを刺すには少しばかり一撃に懸ける力が、足りなかったようだな。いや、力と言うよりも気迫と言うべきか?」
その様に言い放つ伊部鉄郎の両脇には、確かに修と千祝が突き刺した刀が食い込んだままだった。
「解説が必要かね?」
「……師匠と共に戦う事で、安心し、落ち着いて戦う事ができたけど、その反面心の何処かで頼ってしまい、自分で勝負を決めるという気迫が鈍ったと言う事か?」
「ははっ。その通りだ。太刀花め、弟子に武芸者としての心構えをよく教え込んでいると見える。正解だ。お前らの力量を最大に発揮したならば、儂に止めを刺すことも出来ただろうに、下らぬ甘えが詰めを誤る事になったのだ。まあ、刺さった刀が邪魔になったせいで、太刀花に止めを刺すには至らなかったがな」
伊部鉄郎ほどの達人が、本気で切りつけたのなら、強靭な肉体を持つ太刀花則武とてその身を切断されてしまうだろう。そうならなかったのは、突き刺さった刀が伊部鉄郎の動きを阻害したからだ。物理的にも刃が刺さったままでは思うように動けないし、刀の放つ聖気は外つ者と化した伊部鉄郎の弱点だ。
「なら、その刀を数寸押し込めば、私達の勝ちでしょ。いくら何でも不死の肉体じゃないんだから」
「出来ると思うのか?」
千祝の発言に、伊部鉄郎は楽しそうに言った。
「確かに、儂の動きは今鈍っている。最初の戦いでお前らを簡単に蹴散らしたようには出来んだろう。しかし、お前らは今素手。戦いにすらならんだろう。この太刀花家なら倉庫に名刀の一つや二つ、転がっているだろうが、それを取りに行かせるほど儂はお人好しではない」
その言葉に修と千祝は一瞬顔を見合わせる。特に何か話すのでも、目配せをするのでもない。ただ、お互いの顔を見ただけだ。
それだけで、互いの意思は通じ合い、覚悟が決まった。
修が伊部鉄郎を引き付けている間、千祝が武器を取りに行き、戻ってきたところで勝負をつけるのだ。
もちろん、伊部鉄郎と一対一で戦わなければならない修の安全は、全く保障できない。体内に刀身が残っているため動きが鈍っていると言っても、それは達人同士の極限の戦いにおいて影響する程度だ。実力に劣る修が相手では、そのハンデは殆ど関係ないだろう。
修と千祝が連携して戦えば、達人の域に迫るのだが、あいにくと得物が無ければどうしようもない。結局はリスクは避けられない。
「さて、来るかね?」
伊部鉄郎の誘いに、修は身構えて覚悟を決めた。千祝の速度なら、戻ってくるまでに一分とかからないだろう。しかし、達人を相手にしたならば、その一分は絶望的な長さだ。しかし、それでも耐えなければならない。
「おしっ、行くぞ!」
「待ってくれ」
気迫のこもった声を発した修を押しとどめたのは、伊部鉄郎が現れてからは戦っていなかった葉山であった。
「ここはひとまず任せて貰えないか? 時間位は稼いでみせる」
その様に静かに述べる葉山の表情は、実力差を日頃から思い知る師匠が敵として出現し、戦意を失っていた時とは大違いであった。
脱力して刀を携えた立ち姿は、修や千祝の目から見ても、全く隙が無い。
伊部鉄郎の出現から、まだ十分も経っていないはずだ。一体どの様な心境の変化があったのか。
ただ、
「分かった。任せよう。一分保ってくれたら、俺と千祝で何とかする」
「ああ、信じてくれ」
葉山は静かに伊部鉄郎に向けて進んで行った。