第101話「参戦命令」
修と千祝を捕らえようとして近づこうとした伊部鉄郎は、不意に足を止めて刀を玄関の方に向けた。その表情には今までの戦いでは見られなかった緊張感が、ほんの少しだけ滲み出ている。
「お父様……」
玄関から悠然と姿を現したのは、この家の主にして太刀花流の遣い手、最後の武芸者にして警察庁抜刀隊と特殊作戦隊の武芸顧問、そして千祝の父にして修の武芸の師である太刀花則武であった。
服装はジャケットとスラックスだが、既に抜身の刀をぶら下げており臨戦態勢である。
「遅かったではないか、太刀花。お前の弟子達ともう始めさせて貰っているぞ。中々に楽しめたが、まだ経験不足だな」
「伊部先生。本当に蘇ったとは。しかもその姿。かなり若々しくなったようですね」
「ああ。ニクジンの肉を使ってな。聞いた事があるだろう?」
伊部鉄郎の言葉に太刀花則武は静かに頷いた。食べた人間を超人に変える肉を持つニクジンは、江戸時代の初期に出現し、その際には太刀花則武の先祖が退治に参加している。長い間外つ者と戦ってきた太刀花家では、先祖代々の武勲が言い伝えられているので、現在の当主である太刀花則武は当然の事ながら外つ者に関する知識が豊富だ。伊部鉄郎の短いだけで大体何が起きたのかを察したのだ。
「しかし、何故? 伊部先生はこれまで外つ者との戦いで数多くの武勲を築いてきました。しかもその剣技は神技と言っても良く、その事は武の世界で生きる者なら皆知るところです。私とて伊部先生の剣技には及ぶところではありません。それなのに何故外つ者に関わり、自らの名誉を汚すような事をするのですか?」
「お前には分からんだろうな。儂の様に老いてどれだけ磨いた剣技であろうと、衰えていく者の気持ちはな。お前はまだまだ若く、体が衰えていない。いや、お前達太刀花家の人間は、皆恵まれた肉体を持ち、年老いてもそれを維持し続けている。これは鬼越家の人間もだな。生まれた時から強者に育ち、強者としてあり続ける事が出来る者には、必死に力を手に入れ、年老いてそれを手放さなければならない凡人の気持ちなどな」
伊部鉄郎の口調には何処か棘を含まれているのを、修達は感じ取った。伊部鉄郎の言う通り、修や千祝が高校一年生の若輩者でありながら、それに見合わぬ実力を得ているのは、幼少からの修練もさることながら身体的な素質が大きな要因である。肉体の瞬発力や持久力、柔軟性、更には厳しい稽古に耐え得るだけの精神力など、これらは生まれつき備わっていたものである。
修も千祝も、厳しい稽古に耐え、平和な現代社会に本来見合わぬ武芸を身につけたのは、武門に生まれついた使命感によるもので、それは自らの強い意志の賜物であるとは、自信を持って言える。しかし、素質が修達よりも乏しい者――体が小さく、筋肉が付かず、病弱で十分稽古が出来ない――等の弱点を持っている者たちが、修達と同じように稽古を積めば同じくらい強くなれる。この様な綺麗ごとを言えるほど修達は夢想家でもなければ、自分たちの実力は自らの努力だけのものであると自惚れた考えも持っていない。
故に、伊部鉄郎の言いたい事が何となく理解できた。
「まあ、あまり恨み言は言うまい。何しろニクジンの肉のおかげで全て解決してしまったのだからな」
「気は進みませんが、戦うしかないようですね。すっかり外つ者に精神を支配されている」
「そうなんですか?」
気が乗らなそうな口調で刀を構える太刀花則武に、少し離れて聞いていた葉山が聞き返す。
「当たり前だ。伊部先生が正気なら、この様な事態を引き起こす訳がない。心の隅にあの様な思いがあったとしてもそれは小さな物だ。死後にニクジンの肉を与えられた事で、蘇ったのと同時に外つ者の影響で精神が良くない方向に引っ張られているのだろう」
「さて? それはどうかな? 本当に儂が自らの意思でニクジンに手を出さなかったと言い切れるかな?」
「黙れ! これ以上お前を存在させておいては、伊部先生の名誉が汚れる。早急に滅してくれる!」
「勇ましいことだ。しかしそれは出来るかな? ただでさえお前が儂に剣技で上回ったことは無い。そして儂は今全盛期以上の身体能力を得ている。その儂を相手にして本当に勝ち目などあるのかな?」
「あるさ。千祝! 修! いつまで寝ている。さっさと起きて戦うぞ!」
不意に太刀花則武は、倒れたままの修と千祝に対し、鋭く檄を飛ばした。
一喝された二人は、体に痛みが残っていたのだが一瞬でその場に起きた。普段の稽古で疲労などでへたばりそうな時、師の声で動きに精彩を取り戻すことはしばしばあるが、この実戦の場でも同じことが起きたのだ。
「三人がかりなら勝てるとでも? 多少は勝率が増えるかも知れんが、あたら若人を死なせるだけではないか? お前とも戦っている途中では、もはや手加減など出来ん。お前が戦って時間を稼いでいる間に逃がした方が良いのではないか? ん? お前たちも何とか言ったらどうだ。師の命令通りにすれば、死が待っているのだぞ」
「私だけでは残念ながら勝機は薄い。しかし、二人が加われば必ずや勝利をもぎ取る事が出来る。だから例え危険に晒したとしても共に戦って貰う。良いな?」
「はい! 喜んでお供します」
太刀花則武の、ある意味死を覚悟する事を強要する言葉に対して、二人は喜んで刀を構えて答えた。
これまで太刀花則武は、外つ者との戦いに関しては、積極的に二人を関わらせようとはしなかった。それは、二人がまだ未熟だからなのかもしれないし、かつての戦いで多くの戦友を失ったために親しいものを戦いに巻き込ませたくなかったのかもしれない。
しかし、今回は共に戦えと言った。
一人前の武芸者と認められたようであり、修も千祝もその事が嬉しかったのだった。




