プロローグ『1人目』
【超能力】の存在。現代の日常では、これが当たり前になってしまった。
たった50年前に、何の脈絡もなくその力は世に姿を現した。というのも、その年7歳になる、もしくはなった少年少女が皆、何かしらの【超能力】を発現したのだ。
火を吹く少年に、空飛ぶ少女。子持ちの親の大半はこの時期、不安が頭を埋め尽くしていたことだろう。あまりに突飛なこの出来事は、日本政府にはどうしようもないことだった。学者の中には、新種のウィルスによる症候群だと唱える者がいたが、証拠不十分として棄却された。
翌年からも、7歳の誕生日を迎える児童たちに、物理法則を無視した力は備わり続けた。大人には、その力に抵抗する方法が武器を用いる他にない。親は、子どもが暴走等を起こさないよう、懸命に育児を進めた。
数年後、政府は【超能力】の存在を認め、日常の中で受け入れるように善処しようという方針を示した。国民はやむを得ず、それに賛同した。
【超能力】は便利だ。力を持つ者が皆善人だったならば、未来は明るい光で照らされていたことだろう。けれども、人間はそんな生物ではない。善人もいれば偽善者もいる、馬鹿もいれば阿呆もいる、知識人も下衆も屑も、様々な要素が組み合わさって人格を形成している。十人十色、という言葉が生まれるほどには、多くの人格を持つ人間がいる。
【超能力】は便利だ。だから、利用する者によっては、薬にも毒にもなる。政府の方針が定まった数年後、大人になった子どもたちから悪党が現れ始めた。誰だって予測は出来た事態。対応に追われ、世は混乱に陥った。
それからさらに数十年経った現在。対抗勢力も整い始め、ある程度世間は落ち着いた。落ち着いたといえども、もちろん犯罪者は後を絶たない。今日も、殺人容疑で数人の男が捕まっていた。彼らはきっと、牢に入る。だがその牢は昔と違い、囚人への抑止力としてはあまりに小さなものなのだ。脱獄は、数日後に起こることだろう。
「こんな世の中、腐ってやがる」
おそらく、既に誰かが口にしたであろうフレーズ。それを吐き捨てた彼の前には、ナイフを手にした男が姿を見せていた。
「おい、てめぇ道をあけろぉ!!」
『ニートを描いてください』と言われたときに、100人中90人くらいが描きそうな不潔デブメガネ。それが、怒鳴り声と共に唾を吐き散らす。ナイフを握る右手の反対、左手には、ジャラジャラと音の鳴る小袋があった。
デブメガネの後方から、別の怒鳴り声が彼の耳に届いた。おそらくデブは追われているのだろう、何か問題を起こしたに違いない。
宝石泥棒だろうか、と彼は仮説を立てる。その後、こんな仮説を立てている場合ではないと我に帰った。目の前の人物はとにかく危険人物なのだと、彼の生存本能が警告した。
「道なら広いじゃないですか、僕の横をお通り下さい」
「あぁ!? なめてんのかぁ!!」
少年が歩いていたのは往来の少ない一般車道だ。道を開けろと言われてもどこにいれば良いのかわからないということを伝えたかったのだが、ついつい挑発の様なかたちになってしまった。腹痛でイライラしていたからだろうか、言葉にストレスが表れていた。
「気に食わねえ、お前もぶっ殺す!!」
安易な言葉選びの所為で、野郎がターゲットを彼に定めるきっかけが作られてしまった。そんなことを反省する前に、少年は今のエセヤンキー口調の中に、何か許せない言葉を聞いた気がした。
「お前……も?」
こいつは、殺人を犯したのだろうか。そうでなければ、こんな台詞が口から出るだろうか。彼は頭を回転させながら、デブメガネからの返答を、期待せずに待つ。
「あぁ!? そうだよ! お前もだよ! あのうるせえ店員と一緒にお空に羽ばたかせてやるよぉ!!」
あっさりと返答、あっさりと肯定。考えるまでもなく明らかになった事実に、少年の怒りは、密かに沸々と込み上げていた。
「何が、お空に羽ばたかせてやるだ」
少年は、犯罪者が嫌いだった。悪を悪と理解していながらも、私利私欲の為にそれを遂行する。殺人を働いても、死刑にならないことすらある。人一人の命を奪っておいて、その対価は加害者側の命には及ばないというのだろうか。幼少期から、少年はそんな疑問を胸に秘めていた。
犯罪者は、全員死刑にしてしまいたい。もちろんそんなことをすれば、自分も捕まってしまう。しかも死刑にする前に、向こうに殺されてしまうリスクもある。今や人は皆、超能力者なのだ。こう思うことで、彼は自制心を保っていた。そう、12歳になるまでは。
「俺の能力はぁ、【身体能力5倍】!」
あんなデブでさえも、こんな強力な、身に余る力を秘めている。自分で口に出してしまうあたり、相当自信を持っているのだろう。正直、この能力相手に逃げるのは無理だ。冷静に状況を分析し、少年は自分の取るべき最適解を模索する。忌々しげに、彼は腹に手をやった。
「腹痛だったから、見逃そうと思ってたんだけどな……」
「死ねぇ!!」
デブが、地を蹴った。人間離れしたスピードで肉迫するそれを前にして、彼は逃亡を断念、思考から切り離す。
「殺人者となっちゃあ、見逃せねぇな」
単調な突進。フィジカルを活かした、破壊力のある攻撃。殺意を纏って迫り来るそれに、少年は両手で受け止める様な姿勢で迎える。
デブが何かを言おうとしていたのが、彼には直感でわかった。けれどもその言葉が口にされる前に、猛威は少年に到達した。
デブの右手のナイフが、彼の手に触れた。
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「正当防衛、は認められないよなぁ」
少し汚れた服をパンパンと払って、少年は何事もなかったかの様に、くるりと回れ右をする。事実、少年に傷は全く見当たらない。本当に、何事もなかったかの様だった。
「今日から俺も、犯罪者か」
さぁっと、少し強めの風が吹き付ける。ポツリと呟いた言葉は、それに乗ることはなく、誰にも届くことはない。
どこの誰が植えたかも知らない桜の木からは、花が何処かへ運ばれて行く。その中の1つが、少年のいた場所へひらひらと舞い落ちて行く。
「勧悪懲悪、ってのはどうだろうか」
正せてないけれど、と付け足してクスリと笑う真っ黒な制服を着た少年は足早に学校へと向かう。騒動のあった場所には血の一滴すらも残されていない。
ただ、桜の花びらが1枚、ゴミの様に張り付いているだけだった。
よろしくお願いします。