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あなたをずっと愛してる  作者: 黒乃白
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願って期待する


 中学二年生の頃、雛乃は最初、小学校から知っている友達だけで固まっていた。

新しい友達をつくる勇気がなかった。知っている子同士で固まって安心していたい。でもそんな子達も大人になった今では思い返せば顔はぼんやりとしか出ず、名前なんて頭文字も出ない、薄っぺらい見せかけだけの仲だった。

「足痛っ。本当、走るの嫌だよね?」

薫が雛乃の顔を見て言った。五月、体力テストで短距離を走り終えた雛乃はけだるい疲労感を抱えたまま体育着が汚れるのも気にせずに校庭の地べたに直接座り込んだ。そこに走り終えた薫が疲れた顔で雛乃の隣に座った。雛乃は愛想笑いを浮かべて、「本当だよね。」と当たり障りのない返答をする。

雛乃は薫と同じクラスになった。二人は三組に、涼介は一組になった。

中学二年生というのは面倒くさい人種が揃う年頃だ。皆、何か悩みを抱え始める。それだけならいいが邪魔なプライドも抱え始め、羨ましいとそれを相手の悪口で表現し、他人よりも自分を見て!と幼いエゴが誕生する。そして思春期特有の恥じらいを感じ始めて周囲に決めつけられるのを嫌がる。涼介は自分の恋の相手が当然、雛乃だと決めつけられるのが嫌だった。雛乃と幼馴染で親同士も仲良く他の女の子とは絡まない。何よりも父や母、祖母が思った通りになるのが嫌だった。家族はいつか涼介は雛乃と結ばれる信じている。家族がさり気なく互いの関係性を探ってくるのが鬱陶しい。それらから逃れたい、親に逆らいたい歳を迎えた彼は雛乃と距離を置くことにした。クラスが離れた二人は気づけば全く会話を交わさなくなり、外で会っても目も合わせなくなった。あからさまに自分を避けている。それが分かった雛乃も気まずくなり、二人の心には大きな壁が出来た。

「ねえ見て、これ上手くない?」

薫が笑顔で雛乃に話しかける。薫は自分でノートに書いた当時流行っていたキャラクターのイラストを友達と書きあっていて、それを一人でポツンと席に座ってノートに絵をかいていた雛乃に見せてきた。

「上手だね。」

雛乃は口下手でそれ以外の上手い返しが見つからなかった。雛乃にはじけるような笑顔を向けた薫はまた友達のところへと戻っていった。雛乃はまた一人で絵を描き始める。固まっていた友達は自分を置いて他クラスへ遊びに行ってしまった。他クラスにほとんど友達のいない雛乃は行ってもどうせつまらない。だから置いて行かれたって構わない。そう思うのに寂しさがじんわりと胸の奥に広がる。

移動教室に行く友達もクラスでお喋りをする友達もいるのに孤独なのだ。これが本当の孤独。廊下を歩くとたまに涼介が仲のいい友人たちと馬鹿騒ぎをしている。それを目撃すると雛乃は急に涼介が遠い存在になったのだと思った。それは底知れぬ寂しさだった。苦しい。今を生きているのが辛い。思春期になると誰もが訪れる感情を雛乃も抱き始めていた。

「雛乃ちゃんもこっち来て一緒に絵描こうよ。」

友達と椅子を勝手に動かして座りながらキャーキャー騒いでいた薫が雛乃に向かって笑顔で言った。薫はスカートが短いのに股を開いて座っていてパンツが見えそうになっている。雛乃のスカートは長くて足を開いて座ったことなど今までない。太陽の光が当たっているせいだろうか。やんちゃな薫の笑顔が聖母のように見えた。



「雛乃ちゃん、まだ俺とデートする気ないの?」

 会社で晃平がまた絡んできた。

「懲りないね。」

雛乃は半ば呆れている。

「私、河西君みたいな人好きにならないよ。」

彼が傷つくのを覚悟でさり気なく言ってみる。晃平よりも自分の胸が痛むのが分かった。

「そうかもね。俺、昨日の人とはタイプ違うからね。」

ドキッとする雛乃。もしかして気持ちバレてる?

「何それ?どういう意味?」

雛乃は動揺を隠すように少し強めに晃平に聞いた。

すると彼はフッと笑って、「いいよ、別に。気にしないで。気にされるの面倒くさいから。」と言ってその場を離れていった。面倒くさい?うざっ。何それ?立ち去る晃平の背中を目で追っている雛乃の心の声だった。でもさっきの反応は明らかに雛乃が涼介に向けている気持ちを晃平が悟っていることを表していた。雛乃は内心、動揺して心配になる。赤の他人の晃平に隠している気持ちがバレているなんてそんなにこの前の様子はおかしかったのだろうか。じゃあもし、この気持ちが薫にバレていたら?雛乃の身体から血の気が引いていくのが分かった。二人が自分に向ける目はどんなものか。薫は間違いなく私を嫌うだろう。怒って、そして私を憎む。涼介は?涼介も私を遠ざける?涼介は今、自分のことをどう思っているのか。昔抱いていた気持ちはもう一ミリもないのか。雛乃は余計なことだと思いながらも考えずにいられなかった。

僕は雛乃が好きだ。

真夏の蝉の鳴き声。涼介の声が、言葉が、茹だるような暑さの中に溶けていく瞬間。

誰かが雛乃の肩に触れた。彼女は我に返って横を向く。そこにはいつもの笑顔を見せる薫の顔があった。

「なんか今の雛乃、ボーっとしてた。」

薫が笑う。彼女の笑顔は他人をも笑顔にする力を持っている気がする。

「そんなことないよ。」また誤魔化す。

「また当たり障りのないこと言って誤魔化そうとしてる?そうはいかないよ。私、雛乃のこと何でも知っているもん。」

薫の言葉に心臓が一瞬止まってしまうような感覚になった。雛乃は、本当に?何でも知っているの?と言う疑問が頭の中を支配した。

「涼介……相変わらず元気そうだったね。」

これも当たり障りのないことだと思ってくれるだろうか。雛乃は私の気持ちに気づいているの?と心の中で薫に尋ねる。しかし薫は特に何も気にする様子はなくていつも通りの笑顔で、「元気、元気。家事も手伝ってくれるし。ちょっと頼りないけどね。」と言って何かを思い出したように吹き出した。笑いを少し堪えてそのあと家で起きたくだらないけど幸せな涼介との生活を話し出す薫は自分の本当の気持ちに気づいていないからこんなに風に出来るのだ。雛乃は薫が羨ましくて羨ましくて、そして時に憎くなる。


 薫が携帯の画面を見つめている。そして何やら文字を打ち込んでいる。

「涼介?」 横から雛乃がやんわりと尋ねた。

「そう。最近この辺での仕事が多いみたいだから一緒に帰れないかなって思って。でも九時ぐらいまで仕事あるみたい。」

時刻は夜の七時。仕事を終えた薫は帰り支度をしている。雛乃はまだ終わっていない仕事が残っているためそれが終わるまで今日は残業をするつもりだった。

薫はため息を吐きながら、「しょうがないよね、仕事大変そうだし。」と言って、雛乃にお疲れと告げて帰って行った。残された雛乃は仕事の続きを始める。

仕事をしながらも雛乃の頭の中では薫が言っていた涼介がこの辺で九時ぐらいまで仕事をしていることが離れずにずっと残っている。やらなきゃいけない仕事はまだある。九時まで残業をしたら会社を出た後、外で涼介と再会出来るだろうか。余計な思考が彼女の頭をぐるぐると回っていく。

メールもラインも送れない。用もないのに連絡を取ることも会うことも出来ない。もし会うとしたらいつだって傍に薫がいる。でも偶然の再会なら誰も文句は言えない。偶然、街中で涼介と再会する。あわよくばではなく、そうなってくれないか。雛乃はそう願わずにいられなかった。昨日の再会からどうしてしまったのだろう。自分がもう一度涼介と近づけることを願ってしまう。

パソコンに向かって文字を打ち込んでいる間、雛乃は仕事中にも関わらず昔のことを思い出していた。

昔、中学三年生の時のことを。

「雛乃、薫が探していたよ。」

クラスメイト達が賑わう廊下の死角になる角っ子で窓の外を眺めていた雛乃を、涼介は何故分かったのか見つけ出してそう言った。

「うん、ありがとう。」

雛乃が涼介に笑いかけると涼介も優しく微笑んだ。

三年になって三人は同じクラスになった。思春期で全く会話を交わさなくなった雛乃と涼介の関係も自然と修復されて昔のように親しく会話を交わすようになった。変わったのは唯一、その関係に薫が加わっただけ。雛乃と親しくなった薫は持ち前の明るい性格ですぐに涼介の心を開き、気づけば彼は男友達とつるんでいる時以外は雛乃と薫の三人で絡むようになっていた。

「これで三人とも同じ高校に受かったらウチらまた三年間、離れる心配ないね。大学とかも一緒だったらずっと一緒だよ!絶対三人で合格しようね。」

さすがに三人ずっと一緒は無理なんじゃ……薫の言葉に雛乃は内心そう思いながらも心の奥底では涼介とずっと一緒にいたいと願っていた。

「薫、薫。後ろ」

教室で涼介が黒髪ショートカットの薫の後ろの髪がわずかに寝癖ではねているのを見て笑っている。

薫は特に気にする様子を見せないで涼介の前の席に座った。薫は涼介と仲良くなったばかりなのに、まるでずっと昔から三人でいたかのように打ち解けるスピードが速かった。涼介が自分以外の女子を下の名前で連呼しているのは雛乃にとって不思議な感覚だった。

薫。大人になった涼介はこの時と変わらずに彼女の名前を呼んでいる。変わったのはそこに一つ恋愛感情が含まれている。

雛乃はパソコンに向かって打ち込んでいる手を止めた。残業していた社員たちが徐々に減っていく。時刻は夜の八時五十分だった。泣きたい心で溢れそうな涙を抑えて雛乃は周囲に顔を見られないようにそっと静かに帰り支度を始める。

「お疲れ様でした…」

残っている社員に遠慮がちに小声で言って職場を後にする。

会社を出ると外は無数の車が道路を走り、仕事帰りと思われる会社員たちが皆、街ですれ違う。

九時ぐらいまで仕事あるみたい。駅に向かう雛乃の頭に薫の言葉が浮かんだ。違う。何を期待している。そんな偶然起こらない。偶然出会って気持ちを確かめ合う。また恋をする。馬鹿だ。何考えてるの?

浮かんでは消える期待と打消しの言葉たち。夜空に似合わない都会の騒音。賑やかな大勢の人々。誰かがコンクリートに落ちたお菓子のゴミを踏みつけた。くしゃっと踏まれた内側がアルミのキャラクターデザインの包材を目で追って見つめた。そして知らない待ちゆく人間がそれを踏んだことにすら気づかないまま当たり前のように通り過ぎた。雛乃は足を止めてボーっとすれ違ったその人を目で追って後ろを向いた。スーツを着た通りがかりの人間の後姿を何となく眺めてそのまま視線を外す。立ち止まる雛乃を避けるように人々が行き交う。家に帰ろうと思っていた。でも後から沢山の人間が向かってきて、避けて、あるいは視界に後姿が移ってどんどんと離れて行って、向かってくるその中に下を向いた作業着の男がいた。

あっ。本当に。

雛乃は何て声をかけるべきか悩む。声をかけたところでどうしようとゆうのだ。それでも心では好きという気持ちが勝って、「涼介!」 名前を呼んでいた。

涼介が顔を上げる。無表情だった彼の顔が驚いた表情をして、そしてすぐに優しい笑顔になる。

「雛乃。」

名前を呼ばれて嬉しいのは幼いことだろうか。雛乃は今、涼介と偶然会えたことを奇跡だと思い喜んでいる。雛乃が笑顔になると涼介も嬉しそうに少し照れた笑顔を浮かべて、久々に二人っきりで喋ることにした。道を抜けた先にある自然公園は夜になるとカップルの溜まり場になる。そこを涼介と歩く雛乃は自分たちもカップルだと思われているのだろうかと内心ドキドキした。

「昨日は会うの久しぶりだったね。」

ベンチに座ると涼介から喋った。雛乃は頷いて、「懐かしかった。」と答える。

しかしその後、二人は何を話していいのか分からず静かになってしまった。

「やっぱり帰ろうか。」 涼介が遠慮がちに言う。昔は互いに遠慮なく喋っていたのに薫と行動するようになってから二人は薫のペースに飲まれて何においても薫任せになっていた。立ち上がる二人。

「待って。」 別れる前に。

雛乃が呼び止める。涼介が振り向いてこっちを見た。

「私、会社を出る前に涼介と会えないかな、なんて思っていたの。無理だと思っていたけど本当に会えた。まだ自分でもビックリしている。」

最後の方は声が消え入りそうになっていた。控えめにいかにも自信なさそうに言った彼女は緊張で鞄の持ち手をギュッと握りしめる。涼介は一瞬目線を逸らして遠くを見つめる。

「俺も、また会えるかもって実は思ってた。やっぱり本当に会えたね。」

視線を雛乃に戻して伝える涼介。公園の木々がさわさわと揺れて暖かい春風が二人を包んだ。

涼介も思ってくれていた。雛乃から笑みがこぼれる。

「帰ろうか。」

彼がそう言って歩き出す。雛乃はその後を静かに追いかけて二人の距離は数センチ。

もっと近づきたい。もっと喋りたかった。もっと笑っている顔が見たい。

久々の再会を果たした雛乃は次々と涼介に対する欲が生まれる。それを知らない涼介は黙ってただひたすらに道を歩いて特に振り返る様子も見せない。

雛乃は涼介と会って自分の気持ちを再確認してしまった。やはり自分は涼介が好きなのだ。ずっと涼介が好き。ずっと涼介を。

「電車来るよ!」

駅に着いて電光掲示板を見た涼介が叫んだ。人ごみがガヤガヤとしている中を二人は走り抜けて改札を通るとホームへと繋がる階段を慌てて駆け下りた。電車が発車するベルが鳴り響いている。階段を下りてようやくホームに着いた二人は大慌てで電車のドアに向かったが電車の扉は二人の目の前で閉まり、二人は息を弾ませながらポツンと取り残されて電車が走っていく姿を虚しく見届けた。

疲労感が急に二人を襲って脱力した。

「何か飲む?」

しばしの脱力感への無言の後、涼介が自動販売機の方を見つめて雛乃に尋ねる。雛乃は頷いて、二人は自動販売機で飲み物を買うと電車待ちの椅子に腰を掛けた。黒の五センチヒールを履いた雛乃の足とスニーカーを履いた涼介の足が並ぶ。身体からじんわりとにじみ出た汗が冷たい飲み物で蒸発していくのが分かった。

やはり無言の二人。

しかし無言で味わう疲労感と共に冷たい飲み物を飲んだことによって生まれる労働の後のご褒美のような幸福感が二人を包んだ。

雛乃は二人でいるだけで何もしていないこの瞬間が嬉しかった。それは昔、当たり前すぎて気づかなかったことだった。

今からでも涼介との関係をやり直したい。それが心の奥底に眠る願いだがそれは許されないことだと勿論分かっている。願わくば、本心は…… 




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