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あなたをずっと愛してる  作者: 黒乃白
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想定外の新入社員


 彼女は謝らない。ただ、永遠に私を許さないで。そう願っている。


雛乃は驚きで頭が真っ白になったまま呆然と立ち尽くしていた。

朝からヒールで足が浮腫んでいる。四月の暖かい季節。会社の制服はまだ冬服のままで女子はみんなベストから出た長袖のワイシャツが見える。東京の品川にある大手食品メーカーの経理部では今、これから新しく入る人材が大和田部長によって紹介されていた。

今年で25歳になる雛乃は大学卒業後、すぐにこの会社へ就職、今年で三年目になる。

「ええと、新しく入ることになった赤木さんは以前まで千葉にある不動産会社に勤めていたそうだな。」

大和田部長がまたいつものように余計なことまで話し始める。

「はい。こちらほど大きな会社ではありませんが事務の仕事をしていました。夫が千葉から東京の本社に移動が決まったので、それを機に思い切って転職しようと決断してこちらの会社に興味が……。あと、人によっては馬鹿みたいだと言われてしまうかもしれませんが幼馴染がここにいるのでこの部署に入れると聞いた時は少し安心しました。」

薫は相変わらず笑うと綺麗に口角が上がる。今、言った幼馴染とはまさに雛乃のことである。

でもどうして言ってくれなかったの?この前、会ったときだって何も言ってなかったじゃない!

雛乃は思わぬ突然の出来事に状況が呑み込めていない。パニックである。後で話を聞かないと!薫のせいで動揺して今日のデスクワークは一段と集中できなかった。


「涼介の移動で東京について行って転職するとは聞いていたけど、まさかうちの会社に来るなんて。何で黙っていたの?」

 お昼休憩に食堂で雛乃が薫を問い詰める。薫は昔から時折、突拍子もなく大胆な行動にでることがたまにあったがまた彼女に驚かされた。一生のうちに一体あと何回驚かされるのだろうか。

「本当は言いたくて言いたくて喉まで出かかっていたのを我慢していたの!雛乃が驚いている顔ずっと想像しててニヤニヤしてたんだから。さっきの紹介の時、本当に想像通りの顔してたね。」

面白そうに言う薫に呆れて言葉が出ない。でも彼女のこんなところに涼介は惹かれたのかもしれない。

ショートカットに自然体な薄化粧、スタイリッシュな見た目通り、何でもそれなりにこなして積極的に動く。周囲には媚を売らず、はっきりとものを言う性格。でも明るくてこういう一面が人を惹き付ける。雛乃も涼介も、みんな。雛乃はそれを分かっていて認めていた。もしも彼女が男だったら、涼介と結婚していなければ今頃こんなに苦しんでいなかったのに。

「ねえ!今夜の新人歓迎会、もちろん雛乃も来るよね?私、雛乃の隣がいいな。みんな知らない人たちばっかだし、慣れないし楽しくないだろうからせめて雛乃の横がいいな。」

薫の言葉に雛乃はなんて返せばいいのか分からない。

「新人歓迎会は毎年どこかしらの部署と合同でやるから、今回は総務と合同みたい。席は入った順で適当に座るから一緒に行くし大丈夫なんじゃないかな。」

雛乃の答えに薫が嬉しそうに笑った。

「良かった。」

控えめで大人しい雛乃にとって薫は数少ない友達の一人であり、親友であり、幼馴染だ。

いつもは一人のお昼休憩、そこに薫が傍にいると高校生の時を思い出す。あの時、雛乃の心の支えは薫だった。だけど今は嬉しいはずなのに、苦しいが勝っている。私は一生薫から離れられないのかと雛乃の胸の中で黒い感情が闇の中に溶け込んでいく。そうすると、中学三年生の時の雛乃が顔を出して、聞く。

どうしてそんなに苦しいの?胸が痛いの?ねえ、未来で何が起こっているの。私たち、三人は……


「これ難しいな。雛乃、分かる?」

中学三年生、涼介が雛乃の部屋で過去問を開いて尋ねた。雛乃はその問題の解き方を出来るだけ優しく教える。涼介は勉強が出来ないわけじゃないが、何か分からない問題があったらいつだって雛乃に頼っていた。それは小学校の時から変わっていない。雛乃が涼介に教えている最中、家の呼び鈴が鳴った。覗くと薫の顔が見える。

「遅くなったー!一回家帰ると時間かかるわ!二人はいいよね、家が隣同士で。あ、どこまで進んでる?」

同じ高校を受験する三人は毎日のように参考書を開いて勉強をした。

「あーあ。歴史って本当に退屈。ひたすら暗記するだけだし同じ言葉を書いたり声に出してみたり、でも何度やったって覚えられない。」

勉強に疲れたのか薫がぶつぶつと文句を言い始めた。これはいつものことで頬杖をついて参考書を開いたり、閉じたりを繰り返す薫を見て雛乃と涼介は目を合わせて笑いあった。外で蝉が鳴く夏の思い出。

あの時、雛乃は三人の未来のことなんて一ミリも考えていなかった。

考えなくても幸せは自然と訪れると思っていた。付き合いたいとか、そんな気持ちは何も考えていなくて、ただ好き。それだけで離れることはないと思っていたのだ。子供だったと大人になった今の雛乃がようやく言える。



「新人は新人たちの席があるからそこで固まって。あとで席変えるから。」

 飲み会の会場に着くと総務の人だろうか、見なれない顔の女性に雛乃と薫は言われた。

「え、私は雛乃の隣じゃ駄目ですか?」

薫が困惑した顔で尋ねる。そこへ大和田部長がこっちへと来て陽気な声を上げる。

「おお!何だ、赤木さんの幼馴染って安達のことだったのか!一緒に来るなんて幼馴染だけあって仲が良いな。安達も赤木さんの後について行って新人たちと喋ってみたらどうだ!若い男もいるから彼氏の候補にしてみたらいいじゃないか?」

半分からかって言っているのは分かっていたが部長の言葉に薫は目を輝かせて、「いいんですか?」と聞き返した。部長は明るく頷いた。その時、雛乃は部長が今日は上機嫌であることを感じ取っていた。

雛乃と薫が新人たちが集まる席に向かうともうすでに何人かが座っていた。みんな少し緊張した表情になっていたが一人だけリラックスした表情で携帯の漫画を読んでいる人がいた。

ある程度の人数が集まると残りの人たちを待たずに新人歓迎会は始まった。居酒屋のカウンターとテーブル席はお酒を飲む前からお馴染みのメンバーで賑わっていて、新人同士だけで集合された席だけが妙な緊張感を持っていてまるで人見知りだけを集めた合コンのような厳かな雰囲気が漂っていた。

「何飲みます?」

横から急に言われた雛乃は思わず、え?と聞き返してしまった。隣にいるのはさっきまで携帯漫画を読んでいたその男だった。

「……カシスオレンジで。」

雛乃が控えめに答えるとさっきまで携帯ばっかいじって一言も喋っていなかったその男は急に流暢に喋り始め、その場を仕切った。全員に飲むものをテキパキと聞いて店員をさっと読んでスマートに注文した。全員の飲み物を何一つ間違えることなく、「すいません。カシスオレンジ一つとレモンサワー二つと…」と一度も噛まずに暗記して淡々とメニューを読み上げていた。雛乃はその姿に感心して思わず見とれていた。見た目は明るい茶髪をワックスを遊ばせていてよくいる軽そうな大学生風だが、見た目と態度が全く比例していない。人はやはり見た目で判断は出来ないのだ。

雛乃がじっと見ているとその視線に気づいたその男が雛乃に向かって、「これからよろしくね。」と言って静かに笑った。雛乃もよろしくと笑顔で答えた。

「なんか他は盛り上がっているし、俺たちも自己紹介しましょうよ。」

その男の声で周りも、そうだねと言う空気になった。

「じゃあ、俺から。総務に入ることになった河西晃平です。新卒で入ったんでこの前まで大学生でした。好きなことは人間と関わることです。あと、人の心とか読みとるの好きですね。でも心理学は興味ないっす。読み取るって言っても超能力はないんで、勝手に予測してるだけですけどね。」

河西晃平。雛乃はその男の名前をその時初めて知った。

「経理部の明地玲奈です。河西君と同じ大学出身です。って言っても、学部が違うから存在を知ったのは面接のときでした。」

恥ずかしそうにはにかむ玲奈は見た目も声も女の子らしい。それも打算や狙いが一切ない天然ものの女らしさを持っていた。今時珍しい少女のような女性だ。晃平も少し照れ笑いを浮かべている。

「総務の宮脇唯佳です。新卒ですが一年間、浪人生だったんで歳は二人よりも一つ上かな。休みの日は漫画喫茶で一日中漫画を読んでます。」

宮脇唯佳が自己紹介をしている時、薫が唯佳と目が合って微笑んだ。これで二人がもうすでに友達であることが判明した。

自己紹介はどんどんと進んでいき、気がつけば残りは薫と雛乃だけとなっていた。雛乃は新入社員ではないが一応先輩として自己紹介をしなければと必死に頭の中で何か話せることはないかと探している。その間に薫がいつも通り、落ち着いた様子で喋り始める。

「赤木薫って言います。夫の転勤がきっかけでここに転職することになりました。隣にいる雛乃とは中学の時からの幼馴染で学生時代の記憶はほとんど夫と雛乃の三人で過ごした思い出ばかりです。雛乃と同じ部署で働けるのが本当に嬉しいです。夫も喜んでいました。経理部の足を引っ張らない様に頑張ります。」

 夫も喜んでいました。その言葉を聞いた時、雛乃は胸をえぐられるような気持ちになった。涼介は今でも薫の夫で、薫が家に帰れば当たり前のようにそこにいる。彼が帰りを待っているのは私じゃない。考えない様に、想像しないようにしていたこと。それらがすべてより一層近い存在になった薫のせいで事実を押しつけられ、雛乃が傷つかないように守っていた心の堤防が今ずたぼろに攻撃されている。

「へえ、幼馴染なんだ。男女の幼馴染ってドラマとか漫画でしか見たことないから羨ましいな。俺もそこに混ざりたかったな。雛乃ちゃんもいるし。」

雛乃の隣にいる晃平がそう言って最後に、「なんてね。」とおどけて見せた。雛乃はクスッと笑い、その瞬間、自分の緊張の糸がほどけたのが分かった。

「次は雛乃だよ。」

横からぼそっと薫が呟いた。笑顔、笑顔。雛乃が心の中で唱える。

「経理部の安達雛乃です。今年で二十五歳、三年目になる予定です。……ええと、頼りにない先輩ですが何かあったら頼ってくれると嬉しいです。」

後半、言いたいことが全部飛んでしまったため雛乃は急に恥ずかしくなって思わず顔を赤くした。

すると周囲が優しく笑ってそれまで漂っていた緊張感が一瞬にして和らいだ。

「先輩だったんですね。すみません、俺てっきり同期だと思い込んでずっとため口で…」

晃平が申し訳なさそうに謝る。

「いや、大丈夫。気にしないで。私そういうの平気だから。」

雛乃も思わず頭を下げた。何故だか恥ずかしい気持ちになった。

「あ、お酒来ましたよ。乾杯しましょう。」

誰かがそう言ってお酒が次々と渡される。みんなで一斉に乾杯をするとそれぞれが話し始めてさっきまでの静かな空気はなくなり、和気あいあいとようやく盛り上がり始めた。

「雛乃さんと赤木さんは幼馴染って言っていたけどいつから一緒なんですか?」

晃平が興味津々に尋ねる。雛乃と薫が顔を見合わせる。喋り始めたのはやはり積極的な薫だ。

「同じ中学だったの。地元は静岡なんだけど、夫と雛乃は元々小学校から一緒で私が中学の時に二人と知り合って、仲良くなったの。それから高校も、大学は千葉だったんだけどそこも三人同じで就職するまでずっと一緒。でも私と雛乃は今度は働く場所も一緒ね。」

薫が嬉しそうに笑う。

そう。ずっと一緒なのだ。ずっと一緒なのに雛乃だけが蚊帳の外。涼介は薫と結婚することを選んだ。雛乃は唇を噛み締める。今、胸が苦しい。いや、薫の傍にいる間、ずっと苦しいのだ。

「晃平君はどこの大学にいたの?」

これ以上、自分と薫について聞かれたくない雛乃は晃平に話を振った。

「ああ、東京の大学ですね。」 晃平が簡単に答える。

「何を勉強していたの?」 薫が興味を持ったのか質問した。

「中国語とスペイン語を専攻していましたね。まあ、喋れないですけど。」

晃平が笑った。大分心を開いてきているのか続けて話し始めた。

「実家は栃木なんですけど祖父が老舗練り物屋の店主で子供のころはよく跡を継げって言われていたな~。俺はそれがすごく嫌で絶対に高校卒業したら東京の大学行って、東京で働いてやるって中学の時から決めていましたね。父さんも跡を継ぐのが嫌で不動産業やっているんですよ。つってもボロアパート何軒かを管理しているだけですけどね。結局、後継ぎは叔父さんがやってくれるみたいで、ホッとしてます。」

ペラペラと喋る晃平の話を聞き終えると薫が雛乃にしか聞こえない声の大きさで、「お坊ちゃんね。」と呟いた。雛乃は低い声で呟いた薫に思わず笑いそうになったが晃平がいる手前、笑いを噛み殺した。

確かに父が地元のスーパーで支店長をしていて、母が週に三日、ホームセンターでパートをしている雛乃の家とは大違いだ。雛乃の父は弟が静岡で中学の国語教師になったことをとても誇りにしている。何と言っても我が家唯一の公務員だからだ。しかしこんなことを近所に自慢している父に弟の小太郎は内心うんざりしているのか、たまに雛乃に電話で家族の愚痴をこぼしていた。晃平の家とは全く違うがこれもまた一般的な家庭。余裕がないようでまだある方だ。

薫の家はもっと大変だった。三歳の時に父が母と薫と妹を残して夜逃げした。それから三人と母方の祖父母の家で暮らし始めた。その後、小学生の時に祖父が他界。家族の生活はいつもギリギリで母は介護の仕事でほとんど家に帰ってこなかった。今、母は仕事を辞めて祖母の介護をしている。妹の桃菜は看護学校を卒業して地元の看護師になった。薫は今でも母と祖母の生活を支えるために桃菜と一緒に毎月、実家にお金を送っている。

「席替えするらしいよ。」

誰かが言った。

「ええ~面倒くさい。合コンじゃないんだからこのままでいいのに。」

最初の時とは打って変わってみんなが残念そうにしている。雛乃以外、全員同期だから上司に気を遣う必要がないこの空気に皆居心地の良さを感じていた。名残惜しさと留まりたい気持ちを残したまま皆、席を立った。



 飲み会が終わった後、店を出た雛乃と薫の隣には何故か席を変えてから姿を見失っていた晃平がどこからともなく現れ、ちゃっかりと二人の傍にいた。

「二次会あるみたいですよ。行かないんですか?」

晃平が雛乃と薫に尋ねる。

「夫がもう帰っているみたいだから、悪いけど私はこのままタクシーで帰るわ。」

薫がそう言って車どおりが激しい道路へと向かってタクシーを探し始めた。

「雛乃も一緒に乗らない?」

明るく尋ねる薫に、「私は大丈夫。」と返した。薫と涼介は田町のアパートで暮らしている。雛乃の住んでいるアパートの最寄駅は田町の先の浜松町。一緒のタクシーに乗って先に降りた薫から涼介の存在を感じるのが恐い。

「雛乃さんはどこに住んでいるですか?俺が送りますよ。」

晃平の言葉に雛乃はお礼だけ言って、「大丈夫。河西君は二次会に行かないの?」と尋ねた。

「行かないっすね。どうせカラオケでしょ?俺、今歌とか歌う気分じゃないんで。帰りましょうよ。俺は大崎のマンションなんですけど雛乃さんは?」

「残念。私は浜松町なの。大崎とは反対ね。駅まで行ってお別れかな。」

雛乃はそう言って全然残念そうに見えない笑顔を見せた。晃平はその笑顔を見てフッと笑うと、たまたま近くを通ったタクシーを拾った。

「家、バレたくないならせめて最寄駅まで送らせてください。お金とか気にしないでくださいね。なにせ俺はお坊ちゃんですから。」

晃平の言葉に雛乃は思わず動揺した。薫が自分にだけ呟いたつもりのさっきの言葉、聞こえていたんだ。

ばつが悪い気持ちになって断れなくなった雛乃はタクシーに乗り込んだ。

「ごめんね。薫は悪い人じゃないの。私も笑いそうになったけど悪気があったわけじゃなくて……」

雛乃の弁解を制止するように晃平が喋りだす。

「雛乃さん、俺別に気にしていないですよ。今の言葉だってふざけて言っただけで嫌みとかでとらないでくださいね。俺は雛乃さんを困らせたいわけじゃないんです。雛乃さんに好かれたいんです。」

はっきりと言う晃平に雛乃は困惑する。

「どうして私なんか好かれたいの?」

「そんなの決まっているじゃないですか。雛乃さんが気になっているんですよ。雛乃さんだって大人なんだから少しは感じ取っていたでしょ?」

晃平が笑う。後輩なのに向こうの方が一枚上手に見えた。雛乃は晃平の笑った顔を見た時、脳裏に涼介の笑顔が過った。




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