§3 合唱コンクール
受検と受験。
受検は学力検査を受けること。
受験は入学試験を受けること。
1
この学校では、合唱コンクールは合コンと呼ばれている。決して合同コンパの略ではない。
合コンは毎年十一月に行われる。三年生にとってはこれが最後の大きな行事となる。冬に向けて、受検或いは受験のことで頭がいっぱいになる。全員少しずつ余裕がなくなっていく。教室が張り詰めた雰囲気になり、少し息苦しさを感じるようになる。しかし、この試練がいつか困った時、例えば山のような仕事に手も足も出なくてどうしようもないときなどに役に立つといわれている。そう考えてみると、これもいい経験だと思える。
2
「違う!」
指揮者である明里の檄が飛ぶ。
「やっぱり難しいよ」
とクラスの誰かが言う。
僕も真も共にテノールで、隣同士で歌う。そんな感じで隣にいる彼を見ると、彼もたいへん不機嫌そうである。クラスの中にはふざけている奴ばかりいて気に障る。本当に仕方のない奴らだ、と思った。最後の合唱コンクールは中学校生活最後の思い出になる真面目になるのだから、頑張って欲しい。
この学校では、各学年、一クラスが優秀賞をもらう。特に三年生には最優秀賞が贈られる。大体、審査員の半分以上が生徒だから、かなり生徒のよくわからない主観が入ってしまうだろうと思うのだが、それは集中するためにあえて気にしないでおくことにしている。この学校は行事にとても力を入れている。特にこの合コンには殊の外気合いが入る。
僕らは二曲歌う。一曲は課題曲、もう一曲は自由曲だ。自由曲はいい曲だが、本当に難しい。あと一週間しかないのに、まだ音とりが終わっていない。流石に危機感を抱くべきだと思う。
結局、音とりはそれから数日後である本番の二日前であった。しかし、そこからは謎の力が出てきた。夏休みの終わりが近づいた小学生のように焦ったのか、その後はみるみる上達していき、万全の態勢で合コン当日を迎えた。
3
市で、いや、県で最も大きなコンサートホールの前に四台のバスが止まった。このホールには、時々超一流のアーティストが来るほど大きい。そのホールに向かう人だかりの正体は僕が通う中学校の三年生である。なぜ三年生だけなのかというと、良いホールなのでホール代が高い分、バス代が節約されるからだ。まず初めに三年生が向かい、三年生がホールで少しだけ練習している間に、二年生、一年生がこの順に到着する。移動を三回に分けることで貸し切るバスの台数を減らすことができるという算段だ。その限られた時間と費用の中、ステージで練習できるのは三年生にとってのある種の特権である。
かくして合コン、繰り返すが決して合同コンパではない、が遂に、ようやく、はじまりの時を迎えた。
歌う順は、まず一年生、次に二年生、そして最後に三年生である。また、各学年内の順番は抽選によって決まる。
やがて、僕らのクラスの順番が近づいてきた。僕の周りでは、互いに声を掛けて励まし合うクラスメイトの姿や、楽譜に書き込んだメモ、例えば、ここの子音を大切に、というようなものの最終チェックをしているクラスメイトの姿がみられる。
ステージの下に移動する。制服の首元のホックをしめる。このホックは入学したときに当時の担任から、重要な場面ではしめるようにと言われたものであるので、さすがにしめない輩はいない。
緊張感を感じていたところ、
「笑って笑顔で思いっきり楽しめ!」
という伝言が回ってきた。一般的に、表情筋を上げた方がいい合唱になると言われている。よって笑顔は合唱の重要な要素となる。
その伝言の影響か、少しみんなの緊張が和らぎ、頬の筋肉が緩んだようにみえた。
ちょうどその頃、前のクラスの合唱が終わった。
いよいよ自分達の番になった。
僕は大きく息を吸った。
僕達はステージに上がる。そして並ぶ。演奏開始が近づく。
課題曲指揮者の明里が手を構える。と同時にみんなが指揮者である明里を見る。最後に、明里がみんなに笑顔になってもらうために微笑む。緊張からか、ステージに降り注ぐ眩しすぎるライトのせいか、それとも恥ずかしさからか、明里の頬は紅潮していた。そして、その瞬間、僕は自分自身の何かに気づいた。
明里が、その温かそうな手を振り下ろした。
その途端、ピアノの、柔らかいけれども少し寂しげな、曲調に合った演奏が始まった。
いい曲。
チャリティーを目的とした某テレビ番組でも紹介されたことがある、自然災害で離ればなれになったクラスメイトを思って作られた曲。僕らにはその思いのすべてを感じることはできない。しかしそれでも自分達の思いを伝えることができるはず。そのようなことを少しでも理解した上で歌いたい。心に届く歌声を。この曲が、有名な編曲者の心に響いたように。
響け! この歌声!
響け! 遠くまでも!
あの空の彼方へも!
大切な全てに届け!!!!
そして、始まった。
ゆっくりと、丁寧に、歌い始めた。
4
結果論として、僕たちは最高のハーモニーを響かせることができた。そして、会場が涙に包まれた。
けれども……審査員に届くことはなかった。
そして、落胆した気持ちのまま、帰宅することになった。
みんなが帰ろうとするとき、
「ちょっと待って!」
貴子は叫んだ。貴子は自由曲の指揮者であった。
「私はあれ以上の合唱はないと思う。賞を獲ることは出来なかった。けれども、自分達の合唱に誇りをもってほしい。だから……、だから悲しい顔をしないで!」
それは余りにも急な出来事であった。しかし、それは同時にみんなの胸に、少しも曲がることなく、一直線に突き刺さった。貴子の素直な気持ちがみんなに伝わった。
「そうだな……ありがとうな……」
初めはふざけていた男子のうちの一人が呟いた。
その後のクラスの雰囲気が良くなったのは、言うまでもない。
受験は団体戦といわれる通り、受験という大きな壁に向かってクラス一丸となって頑張ろうという雰囲気が芽生え、見えない何かを突き動かした。
そして、その出来事は後の僕たちにとって大きな意味をもつことになる。