§0 プロローグ
電車に揺られるその男は、窓の外を眺めていた。
夜の電車は静かだ。それが心地よい。心が癒される。それは里帰りをするからでもあるのだろうか。大学に通って、卒業して働いて、価値観が変わったのだと思う。今まで知らなかった世界に触れ、自らの無力さに気づいてからも、うつくしく、もがいてきた。一生懸命に生きてきた。正直なところ、頑張りすぎて、疲れ果て、内側から崩壊する寸前だった。
そんな中、一通の葉書が届いた。そこには、懐かしい地名、人名、学校名が並んでいた。読んでいるうちに、居ても立っても居られないほどの郷愁の念に駆られた。そこは生まれたところでも、幼き日を過ごしたところでもない。でも、それでも、ここが故郷だという気持ちが絶えない。それは、一番充実していたからだろうか。それとも大切な人に出会ったからだろうか。
世の中には、未だに解せぬことも多い。こんな風に自分のことすらわからないのだから、当たり前だ。
――本当にわかっているのか?
周りの気持ちは分かっているという、どこから湧いてきたのかわからない謎の自負があった。でも、自分のことすらわからない奴に人の気持ちがわかる訳もない。
――いや、もう自己否定はやめよう。キリがないし、前に進めない。
そういえば、最近、よく昔を思い出して勝手に懐かしくするときがある。
それで、わかったことがある。
絶えず流れゆく時間。その流れを止めることは出来ない。しかし、だからこそ時間には価値があり、思い出は思い出となる。
限られた時、特に学生の時期にはなおさらプレミアがつく。そして、それからの人生に多大なる影響を与える。また、過去が夢のように思える。しかし、過去は過去、今は今。決して戻ることは出来ない。このことが我々をより一層もどかしくさせる。
祇園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、
盛者必衰の理を表す。
驕れる者も久しからず、
ただ春の夜の夢の如し。
猛き者も遂には滅びぬ、
ひとへに風の前の塵に同じ。
平家物語に出てくる無常観とよく似ている。
Everything comes and goes.
諸行無常。
もう1つ、失ってから気づくものや時間が経ってから気づくものがある。それが何かは人それぞれである。例えば絆や輝き。
それでも人は常に成長し続けている。年をとることは決して悪いことではない。自らの経験にふさわしく成長する。だからこそ、我々は今を必死に生き抜いていかねばならない。
2017/06/23 電車のシーンを追加しました。