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日本人と祭りの関係についての考察

古代の人々は、生命の根源が神であると考えた。

加齢により生命の気が枯れて消耗することで死に至ると考えられ、その気枯(けが)れ((けが)れ)を祓うための鎮魂(みたましずめ)は原初の神楽のひとつと言えるだろう。


その鎮魂は、神座(かみくら)を設けて神を降ろし、消耗した生命の根源の気枯れを祓うものだった。


人の身に神を降ろすため、神が依りつきやすいとされる榊などの採物(とりもの)を手に持ち、回って回り返し、飛び跳ねて舞い神懸(かみが)かる神遊びが神楽だったのだ。


現代人の我々も基本的には変わっていない。


仕事や学校などの日常生活を続けることで消耗する疲れは、気枯れと呼んでいいだろう。

それは単純に体を休めるだけでは回復しないので、祭りによる気晴らしによって回復させる必要があるのだ。


たとえば何万人も集まるようなアーティストの野外コンサートや、格闘技のイベントなども、そういった祭りだと言えるだろう。

古代の神祭りが、現代では形を変えて多様化しているだけなのだ。


小さなところでは、カラオケに行ったり、お酒を飲みに行くことも気枯れを祓う気晴らしになっている。


古代ではこれが集落や部族などの単位で、神社の祭りとして統制されて行われてきたのだ。


村のみんなが同じように農作業をし、農閑期にみんなで祭りをする。

山の民には山の民の祭りがあり、人は土地で生産して土地に感謝して生きてきたのだ。


こういったことは、高度経済成長によって土地に左右されない仕事が増え、生活や価値観が多様化したためにわかりにくくなっている。


しかし、土地の恵みに生かされる部族単位で生きてきた日本人が、そのことに感謝する気持ちを形にして、さらに非日常的な宴で気枯れを祓い活力を得るのが祭りなのだ。


現在、こうした祭りは急速に廃れていっている。

日本の祭りは、継承していくべき重要な文化だということを、みなさんも考えてみてほしい。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「穢れ=気枯れ」という話は目から鱗でした。良いお話を聞かせていただきました。 [一言] 自分の作品にも活用させていただきます。ありがとうございました。
[一言] 現代日本の祭りの原型のひとつとして神楽があるということですね。  はじめまして七柱雄一といいます。  私も鳥取県西部に住んでいるので気になって感想なども書いてみました。  今日本の神話、昔…
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