◇ 3 ◇ 03 ラウンド2 絶対勝ってやる!
久々に階段使い8階に向かう。
お昼に恭平があたしを確認しに来て以来、まったく恭平を見かけていない。相当、忙しいらしい。
宮内に会いたくないが為だけに、できる限り8階には来ていなかった。
何故、会いたくない人を見つけてしまうのだろう。エレベーターホールに宮内が一人でいるのを発見してしまった。これから帰るようだ。
どうしよう。
ここは、佐崎部長の助言通り、宮内にするべきなのか。
諦めがつかず、ぐずぐずしているとエレベータが到着した音がホールに響いた。
「宮内主任、ちょっといいですか?」
意を決して、宮内がエレベータに乗り込もうとしているのを止めた。
「伊藤か。君が俺に用とは、告白でもしに来たのか?」
ムカつく!! 鼻で笑いやがった。
何故、こんなに態度でデカイんだろう。そんなに偉いわけでもないのに。この人は、存在しているだけでムカつく!
どうして、あたしが宮内に告白しないといけないのだろう。意味がわからない。そんなに自分はモテると思っているんだろうか。
「そうですね、ある意味告白かもしれません。少しお時間いただけませんか?」
あたしは、ありったけの理性を使って自分を抑え込んだ。
この際、あたしのプライドなんてどうでもいい。こいつと斉藤さんをくっつけてやる!
「ほぉ。それは面白そうだな、聞いてやろう」
目眩しそう。
気分が悪い。頭に血が上る。脈が速くなっているような気がするのは、気のせいだろうか。それでも、ココでキレるわけにはいかない。コレに堪えられなければ、一緒に仕事をするなんて事はできない。
どうにか、ビジネスモードに頭を切り換えないと。
キレて当たり前、キレたらキレたでそれでいい。どうせ拗れている仲なのだから。
「ありがとうございます」
「それで、なんだ? 俺は忙しいなんだ」
「ご多用の所、申し訳ありません。佐崎部長から直接いただいた仕事で、担当営業をお願いしたいんです。この仕事だけは滞り無く完璧に進めたい上に、私自身初めてのケースですので、宮内主任にお願いしたいんです」
ビジネスモードに移行完了。何故か、松原さんが入っているような気がする。自分を分析してる場合じゃない。なんとか、宮内を引き込むという任務がある。
最初のうちは、あたしを怪訝そうに見ていた宮内。けれど、なんだか微笑んでいるようにも見えなくもない。あたしの下心が読まれているんだろうか。
そんなはずはないのは、わかっていても、何とか取り繕い抑えているあたしの頭の中は余裕がない。早くこの場から立ち去りたとばかり、考えてしまう。
「俺を指名したいという事か」
「宮内主任なら必ず、あたしのプランを予算内に押さえていただけると思いましたので。それに、クライアントにも満足いただける結果を導いてくださると思います」
あたしはこんなにも、思っても無い事言える人だったんだ。褒めてあげないといけない。今日はデザートまで食べよう。
余計な事を考えていると、宮内が値踏みをするようにあたしを見ている事にゾッとした。気持ち悪い目してる。けれど、斉藤さんなら、この宮内をカッコイイだとか言い出すかも知れない。あたしは、気持ちが悪くて仕方がない。
この人、顔はけっこう整ってるけど、性格破綻しているのが滲み出ている。どこまで、捻くれてるかは推測の域を出ない。けれど、仕事はまともで優秀だと言う事は間違えない。恭平を担当にするより、遥かにいい仕事をしてくれるだろう。
あたしに嫌がらせをする為に、わざと何かをしない限りは。
「俺にわざわざ、頭下げに来たって事は少しは反省してるという事か」
「そうですか、やはりダメですか。断られるんじゃないかとは思っていたんですけど。他を当たるしか無いようですね。お忙しい所、引き止めてしまいまして申し訳ありませんでした」
誰が、反省だ。そんな事、宮内に対してするわけがない。
もう、我慢も限界を迎えようとしている。ビジネスモードが持たない。もう、これ以上は無理だ。
「あっさりと引き下がるんだな」
「しつこいのも、宮内主任にご迷惑がかかりますから」
「いいだろう、受けよう」
うそ。断ってよ。そうしてくれたら、いちよう努力したって事で佐崎部長に報告できるというのに。
引き入れようとは、本気で考えた。けれど、今こうやって話しているだけでも、イヤだというのにどうやって仕事を進めればいいのだろうか。
「本当ですか? ありがとうございます」
あたしは、ヤケクソついでにとっておきの笑顔で宮内に喜んでみせた。
「いいだろう。明日、詳しく聞こう」
宮内は、エレベータのボタンを押しながらそう言った。なんだか、機嫌良くなってるのは、気のせいだろうか。この嫌悪感さえなければ、宮内を普通の人に見える事ができるのだろうと思う。けれど、消し去る事はできない。
気持ちが悪い。胸焼けがしてきそうだ。
「ありがとうございます。まだ、詳細はクライアントと話してないんです。私自身まだプランは立てていません。これからなんです。よろしくお願いします」
仕方なしに、頭を下げた。ムカつく…。振りでもコイツに頭下げるのは、無性に腹が立つ。
「あぁ、わかった」
「それでは、明日、内容をお知らせします」
先程、見送ったエレベーターが来た。
さっさと、行ってくれ。もう、堪えられない。宮内の顔を見ていたくない。
それでも、最後まで見送らなくてはならない。ココまでの我慢が全部、ムダになってしまう。
宮内は、信じられないほどの笑顔を見せて帰って行った。気を失いそうになるほどの目眩と貧血の時のような一気に血の気が引く感覚に襲われる。立っているのが 信じられないくらいだ。一歩でも動くと倒れてしまいそう。
なんとか、壁に背中を付け体重を分散させると、いくらか落ち着いてきた。少し頭を低くしていると、今までの事を頭の中でリプレイさせてしまった。
「はぁ! ムカつく! ムカつくくぅ!」
アイツ、絶対勘違いしてる。あたしが折れたと思ってる。そんな訳あるわけない!
まさか、あたしが気があるとでも思ってるんじゃないだろうか。最悪。けれど、 思わせとくのも面白い事になるかも知れない。
「おい、麻美。お前大丈夫か?」
いつから聞いていたのかはわからないが、顔を上げると恭平がいた。
「うん。なんとか、平常を保った」
とりあえず、恭平に報告してみた。
がんばったなぁ! って褒めてもらいたい気分。
「お前、なんか企んでるだろう…」
「どうかな?」
「すっげ〜、怖かったぞ」
「そう? 結構、頑張ったんだけどな。褒めてくれないの?」
「……」
何よ。その顔は。
どうやら、宮内との会話をいくらかは聞いていたらしい。
恭平は、あたしが何を企んでいるかは、わからないにしろ、何かをしようとしている事に呆れているのだろう。何か言いたそうだけれど、口を挟むのは危険だと判断したのだと思う。
それは、こんなあたしを見たのは初めてだろうからだろうと思う。こんな事試みたのは初めて。もう、二度とやりたくない。
「ね、今日は終わり?」
「あっ、そうだったな。今、返事待ちなんだ。待てるか?」
「うん、構わないよ。それよりさ、春香ちゃんにも誘われたから、一緒にいい?」
「先に行ってるか?」
「うん。そうしようかな。あたし、もう行けるし。お店決めたら連絡するね」
「おう、わかった。じゃ、後でな」
恭平は自分のオフィスに帰って行った。営業部のフロアーには、結構人が残っていた。
年度末に向けて、売り上げ確保しないとっていうのもあるんだろう。営業も大変だ。あたしも経験したな、そう言えば…。
宮内との平常心耐久バトルで、どっと出てきた疲れを感じながら階段を下りていると、加倉さんの声が聞こえて来た。何をしゃべってるのかはわからない。誰かと話してるのかなと、思ったけど他の声が聞こえない。
「…なぁ、…な…そんな……落ちると思ってるのかぁ?」
7階に着くと加倉さんは、エレベーターホールでエレベータを待ちながら携帯で話していた。
「残念だったなぁ。全部本城行きだ。作戦としては、良かったかもなぁ。けど、相手がなぁ。もっと勉強したほうがいいんじゃないか? ま、そういう事だ」
加倉さんが一方的に切ったよだ。「お疲れさま」ぐらいは言おうと声をかけた。
「今日のお仕事は終わりですか?」
「あさちゃん、いつからそこにいた?」
「え?」
加倉さんは、あからさまに怪しい。聞かれたらマズいような事を話してたんだろうか。加倉さんは怪しいついでに、黙り込んでいる。
「えっと。いつからって言われても、今階段から降りて来たから。ここには、えーっと。声をかけた、数十秒くらい前? そんな感じですけど」
「そうか」
「あたし、ココにいたらいけません?」
「いや、なんでもないよ」
問いつめてもそんなに面白い事でもないような気がする。放っておこう。
「でも、変ですよ加倉さん。その言い方は」
「いやぁ〜、誰もいないと思ってたから。ビックリしただけだ。気にするな」
「まぁ、いいですけど」
ますます、怪しい。
昨日、ファスナーに髪が絡まってるの取ってくれたし。しかも、ちゃんとあたしの嘘を鵜呑みにしてくれた。そっとしておいて、あげよう。
「ところでさ、明後日、ネットで買ったのが届くんだ。俺の家でもいいか?」
「いいですよ。加倉さん家って、どんなのか興味もあるし。明日まで外食だと…今週は三食ぜ〜んぶ外食になっちゃうから、何か作りますよ」
「え? あさちゃんって料理できんの?」
「なんですか! そのいかにもできないような言い方は!! その代わり、全部加倉さん持ちで」
「それは、いいけどなぁ。食べれるんだろうな?」
「わぁ! ムカつく! じゃ、食べれたらどうするんです?」
「そうだなぁ、これでどうだ? 残高5千円くらいはあるぞ」
加倉さんがそう言って取り出したのは、あたしがいつも買っているコーヒーショップのプリペイドカードだった。頂かないわけには参りません。
「加倉主任。コレ、先輩の物ですね」
加倉さんの手から取ろうとしたカードを、春香ちゃんが加倉さんから奪った。なんだか、春香ちゃんは楽しそう。
ついさっきまで、あたし達が険悪なムードのままでいたのを気にしてたのだろう。いつも通りに話してるあたし達を見て、安心したのかも知れない。
「飯田の春香ちゃん、それはまだ早いんじゃないか。まだ、あさちゃんが食える物作れるかわかんないだろ?」
一瞬、加倉さんは春香ちゃんの乱入に驚いていたようだけれど、抗議を始めた。
「だって、先輩ってリクエスト何でも聞いてくれるんですよ。うちのママのよりおいしいんですもん。はい、先輩どうぞ。良かったですね」
春香ちゃんは、ニッコリかわいく微笑みながらカードを渡してくれた。
「ありがとう。春香ちゃん。今度、たこ焼きモドキパーティーしようね」
「私、あれ大好き! 先輩、絶対ですよ〜」
春香ちゃんは、子供のようにはしゃいでいる。こんな春香ちゃんは、いつもに増してかわいくて仕方がない。
先月、お泊まりであたしのうちに遊びに来た時、ブランチに出した『たこ焼きモドキ』を気に入ったようだ。
ただの、たこ焼き機でホットケーキミックスを使って作ったお菓子なのに。
トッピング代わりに中にジャムやマシュマロ、色々と入れると結構おいしかったりする。もちろん、トッピングも。けど、練り梅を入れたのは、いただけなかった。冒険しすぎたな。
「あさちゃんできるんだ」
「そんなに意外ですか? それって、かなりの偏見じゃないですか! あたし、もうそろそろ一人暮らし歴10年になるんですよ」
「偏見と言われてしまえば、そうかもしれないかもな」
春香ちゃんは、加倉さんがあっさりと認めたのがおかしいのかクスクスと笑っている。朝なら、加倉さんはココで屁理屈を並べ出したり、訳の分からない事を言ったり、あたしを弄って遊ぼうとする。けれど、今は疲れているのかも知れない。
あたしも、わかているのにマジで加倉さんに噛み付いてしまう。その時は、そうだと思わないのだから仕方がない。習性なんだろうか。
「春香ちゃん、ちょっと待ってて。荷物取ってくるから。恭平置いて先に行こう」
「わかりました」
エレベーターホールに春香ちゃんと加倉さんを残して、自分のデスクに向かった。
自分のデスクにたどり着くと、スクリーンセーバーがユラユラと揺れていた。
パソコンを付けっぱなしでウロウロしていたようだ。マウスを動かしてスクリーンセーバーを止めると、パスワードを要求して来たので解除した。すると、メールが届いているサインが出ていた。誰からだろう?
メーラーを表示させると、葉折さんからだった。メールには、『伊藤、制作部に来いよ。面白い事になるからさ』本文にはこれだけ。添付書類もない。
受信日時を見てみると、ついさっきだ。
葉折さんにしては、こんなメールを送ってくるのは珍しい。けれど、内容は葉折さんらしい。こんな内容なら、携帯かあたしのプライベートアドレスでもいいのに、何故会社のアドレスなんだろう。
それはそうと、まだ決められないでいる。そろそろ、本格的に悩まないといけない。けれど、面倒だ。この際、何処だってイイ。
特に、今の仕事に拘っているわけでもない。
営業部に行くとなると恭平をおもちゃに遊べるだろう。それだけではない。宮内と今日みたいな事が多々ある事は予想できる。何処に行った所で、同じ分だけメリットもデメリットが存在する。
葉折さんは、きっと自分が楽になりたが為に、あたしを欲しいのだろう。考えてる事が見えてくるようだ。だからと言って、ホイホイと行く訳にもいかない。どうしたものか。
ココで今考えていても仕方がない。春香ちゃんをエレベーターホールで待たせてる。
急いでパソコンを終了させて身支度を整えた。
今日はどこに行こうか、何を食べようかと考えながら、エレベーターホールに戻ていると。帰って行ったはずの宮内が、到着しているエレベーターの中から何か言っているのが見えた。加倉さんに向かってなのか、それとも春香ちゃんになのかわからない。けれど、なんだか嫌な雰囲気が見て取れた。
あたしが着く頃には、エレベーターの扉は閉まり、加倉さんと春香ちゃんだけが残されていた。
「どうしたんです?」
「いや、なんでもない。俺、今日階段にするわ。じゃ、二人共お疲れ」
そう言うと、加倉さんは階段の方へ向かって行った。
春香ちゃんは、固まったまま。いつもなら、帰って行く加倉さんに挨拶しているはず。なんだかわからないこの状況に、あたしも加倉さんに声を掛けそびれてしまった。
「ねえ、何かあったの?」
春香ちゃんは、あたしの言葉に我に返ったようにあたしの方を見た。
「私、よくわからないんですけど」
「とりあえず、行こうか」
「そうですね」
あたしは訳がわからないまま、エレベーターのボタンを押した。
「ココにしませんか?」
「いいよ」
春香ちゃんが選んだお店は、レストランバーだった。
ココに来るまで春香ちゃんは、なんだか考え込んでいる様子で、あたしの話している事も殆ど聞いてないみたいだった。
そして、突然お店のリクエストをしてきた。
さっき、宮内は何を言って行ったんだろうか。宮内の影響が出ているという事だと考えるのが一番自然。すごい影響力。加倉さんもなんだか変だった。
「ちょっと待ってね。恭平に電話するから」
「先輩、急かせたらだめですよ」
春香ちゃんに念を押されてしまった。早く来いと言えなくなり、どうした物かと考えながら、鞄から会社の携帯を取り出した。会社の人間に連絡を取るのだから、 私用電話はならないだろう。けれど、内容はまったくの私用。
結局、急がせる事なく、恭平に決まったお店を報告しただけで早々に電話を切った。もうしばらく、終わりそうにないようで、行くまでは帰るなと念を押された。
一人でご飯食べるのそんなに嫌なら、美貴ちゃんに帰って来て欲しいって頼めばいいのに。
「じゃ、行こうか」
お店に入ると、平日って事もあって待たされる事なく、テーブルに案内された。
春香ちゃんは、まだ何か考えている様子。スッキリしない感じのまま。早く宮内を追い出してやりたい。けれど、春香ちゃんからはイヤな雰囲気はない。宮内に言われた事を何か考えているにしては、何かが違うような気がする。
あたしには、まったく想像がつかない。