◆ 2 ◆ 02 おみやげは忘れてはダメ
あたしが、春香ちゃんを連れてやって来たのは、昨日佐崎部長に連れて来られたフレンチレストラン。戸田山さんのお店だ。
「え、ココって」
「どうしたの?」
「いえ。なんでも」
席に通されると、すぐに戸田山さんはあたし達の所にやって来た。それもそのはず。ちゃんとあたし達のつながりをバラしておかないと。
娘さんの京香さんのウエディングプランナーになる。二人はいとこ同士。色々と、その方が都合がいい。さっき予約の電話を入れた時、そう戸田山さんに提案した。
「麻美嬢、いらっしゃい」
「戸田山さん、『嬢』って何なんですか?」
戸田山さんは、佐崎部長の親友だけあってやっぱり、同類らしい。
「いやぁ、佐崎の大事な彼女なんだから。アレ? 春香ちゃん?」
知ってるこっちとしては、かなり白々しく聞こえる。
「伯父さん、ご無沙汰してます」
そして、あたしも白々しく。驚いた振りをする。
「彼女って何ですか!」
あたしのことは、思いっきり無視されて。しかも、春香ちゃんにまで。戸田山さんは、佐倉部長の事と娘さんの話だけを春香ちゃんに話した。
「そうだったの? 私、ぜんぜん知らなかった」
「私も、そんなまさか、佐崎の会社に入ってたとは思わなかったよ」
知ってたくせに〜と、突っ込みたい。けれど、突っ込むわけにはいかない。
「じゃ、先輩が京香ちゃんのお式を仕切って下さるんですね」
「どうなるかわからないってのが、本音ですけど。でも、あたしの全てを出させていただきます」
そう、二人に告げた。
まだ、決めてないけど、もしかしたらあたしの企画課での最後の大仕事になるかも知れない。
「先輩だったら、絶対! 大丈夫。あたし、今からすごく楽しみです」
「京香に昨日話したから、連絡するよう言っておいきました。よろしくお願いします」
「はい。都合のいい時にご連絡ください。まだ、時間はあるようですしね。色々と考える事もあるでしょうから」
戸田山さんは、安心したようで受付の方に向かって行った。
春香ちゃんは、なんだか嬉しそうだ。
「先輩、ありがとうございます」
「いえいえ。まさか、春香ちゃんの従姉妹だったなんてね」
戸田山さんに負けず劣らず、白々いい奴だあたしは。
そんな事は少しも思ってない様子の春香ちゃん。とりあえず安心。
あたし達は、楽しくランチをのんびり食べ、最近まで普通のビルだった所がショップに変わりつつある一角を会社までの道すがら冷やかしながら帰っていた。
会社から戸田山さんのお店までは行きは歩いて20分程だった。きっと、さっさと歩けば15分程でたどり着ける距離だろう。
やっぱり佐崎部長は、歩くのが面倒だっとということか。
「先輩、この辺りまだお店増えそうですね。あ、ココなんか雑貨屋さんぽいですね」
「そうだね。お店の作りとかそんな感じ。あ、ココ入ってみよう!」
春香ちゃんを連れて入ったのはシルバーアクセサリーのお店。
すごく小さなお店だけど、なんだかいい感じのお店。カワイイのからカッコいいのもある。
「先輩、コレかわいいです。見てくださいよ」
そう言って早速見つけた直径2.5センチ弱くらいの細いリングの中に丸い台があって本を読んでるうさぎがいるペンダントトップを指していた。
「かわいぃ。なんか春香ちゃんらしい。本呼んでる所がかわいいよね」
少し早いけど、春香ちゃんの誕生日のプレゼントにしようかな。
春香ちゃんの誕生日は2月14日バレンタインデー。いつも、あげてばかりなんですよねと、去年拗ねていたのを思い出した。結局、去年はバレンタインデーの翌日にその話を聞いた。
春香ちゃんは下心があってあたしにそんな話をしたんじゃないだろう。普通に感想を言っただけて感じだった。これで、プレゼントあげてしまったら春香ちゃんはきっと、後で変に気を使うだろうと、やめておいた。
春香ちゃんは、あたしに見せて気が済んだのか、カワイイって同意してもらいたかっただけだったのか、次の物を物色し始めた。
あのチャームを気に入ったのだろうか。とりあえず、キープといったところか。
あたしは、ストラップのコーナーを見つけて、眺めていた。ストラップを見ていると、携帯を変えたくなって来た。
「いらっしゃい。どう? これ俺の自信作なんだ。そんなに、ビックリしないでよ」
そういえば、お店の人だれも近づいてこないなぁって思ってはいたけど、いきなり出てこられてもビックリする。
人懐っこそうな、金髪で背の高いお兄さんが立っていた。あたしと、同い年くらいだろうか。
「ねぇ、お兄さん。ココのって手作り?」
「うん。それと、俺の趣味で仕入れたのとか。いろいろ」
このストラップカッコイイ。黒の革のストラップにシルバーのプレートにアラベスクの透かし彫りそこにアクセントの3粒のブラックジルコニア。
「自信作っていうことは、コレは作ったんだ」
「そうそう。小さくて手こずったんだけどね」
「ふぅ〜ん。コレ、もらえる?」
「買ってくれるの?」
お店のお兄さんは、何故そんなに驚いてるんだろう。
「非売品?」
「そうじゃなくて、初のお買い上げ」
このお店は、今日オープンだったらしい。11時からで、お昼休憩にはOLさんがけっこう覗いて行ただけで、即決とは行かなかったいみたいだ。
最近のOLも財布のひもが固いのか?
冷やかしの嵐が去った後にあたし達がご来店。
あたしの予想では、そのうちこのお店は繁盛すると思う。根拠は、お店の作り方とディスプレイのうまさ。それに、周りの環境。いい立地条件だと思う。リサーチした訳じゃないけど、この辺りをうろちょろしてるあたしにはそう思えた。
「ねぇ、あの子が見てた丸いうさぎのペンダントトップ、アレ取っておいてくれる? 帰りに取りにくるから」
あたしは、声を潜めてお兄さんにお願いした。
「あー。うさぎが寝そべって本読んでるの?」
あたしにつられてか、お兄さんも声を潜めて答えてくれる。
「あれって、他にもあるの? ペンダントトップ以外に」
「気に入ってくれたの? うれしいなぁ。あれは、あともう一種あって、クロスを抱いてるのがあるよ。それと、両方ともピアスがあるんだぁ」
「そう…。だったらそれも。一つにしてラッピングしてくれる? それから、ペンダントトップにチェーンおまけしてくれない?」
あたしは、お願いモードでいつもより遥かにかわい気のある声で頼んでみた。ここのは、それなりの値段がする。妥当だけど。
「うーん。しかたない。お姉さんには負けるなぁ。記念すべき! 1号さんだもんな」
「ホント、ありがとう! さすが、カッコいいお兄さんは違うな」
「褒めても、もう出てこないよ。ね、いつ頃来る? ソレまでには用意しとくよ」
今日は早く出て来たけど、やることはまだ残っている。どうしよう。早くて7時くらいかなぁ。
「ね、7時半とか8時くらいでも開いてる?」
「7時までなんだけど、そのくらいまでなら待ってるよ」
「ありがとう。お兄さん優しいね」
「だから、もう何も出てこないって。こっちは、どうする?」
ストラップを指しながら聞いて来た。
「これは、先にもらって帰るよ。うさぎのは、後で払っていい? 銀行行ってくる」
「もちろん!」
お兄さんは、そういうとストラップを持ってレジの方に向かった。
春香ちゃんはというと、目をうっとりさせてディスプレイしてあるアクセサリーを夢中で見て回ってる。
「先輩、コレ! ピアスもある〜」
春香ちゃんの方に近づくと、さっきお兄さんと話してたうさぎのピアスを指している。
「かわいいね。もしかして、春香ちゃんうさぎ好き?」
「はい。うちの子もかわいいんです」
今度は飼ってるうさぎ、ジョセフィーヌのことを考えながらも目をうっとりさせている。ホントにうさぎ好きらしい。
そういえば、あたしにくれた缶のコースター。あれも、うさぎだった。
「おまたせ。コレおつりね」
「ありがとう」
お兄さんが戻って来て、商品とおつりを手渡してくれた。
「先輩、何か買ったんですか?」
「うん。じゃ、行こうか。そろそろ戻らないと、加倉さん待ちくたびれてるよ。いないかもしれないけど」
お兄さんは、お店の外まで送ってくれた。手を振りながら、また来てねと言ってる。
春香ちゃんは、このお店気に入ったみたいだから、また来るだろう。
春香ちゃん程は見て回ってない。今度はチェックしてみよう。
「先輩、何買ったんですか?」
「内緒」
内緒にする意味なんて特にない。あんまりカワイく言う春香ちゃんにちょっと意地悪してみたくなり、はぐらかしてみた。
「意地悪しないで、教えてくださいよ」
「そのうちわかるよ」
会社に戻ると本城君が待ってましたとばかりに、声を掛けて来た。
「何かトラブル?」
「違いますよ。コレ、葉折さんから」
そう言うと、コンビニの袋を手渡して来た。
「何、コレ?」
袋の中をのぞいてみると、チョコや飴、グミにガム。フィギア入りの食玩もある。細かいお菓子がいっぱい入っていた。
これは、もしや賄賂では。それにしては、低額過ぎないか。呆れながらも、葉折さんが本気なんだと悟ってしまった。
あたしが今朝、まだオファーを決めてないって言ったからまだイケると思ったのだろう。
このセンスは何なんだろう。葉折さんの趣味なんだろうか。
「本城君、あげる」
「僕に?」
キシリトール入りのガムだけもらって、他は全部、本城君に差し出した。
「甘いもの好きだったよね。こういうのも好き?」
「イイんっスか?」
「どうぞ」
本城君は、預かり物ということもあって、中を見ていなかったようだ。早くも袋の中を物色し始めた。
外から帰ってくるとやっぱり、空調の利いたオフィスは少し暑い。冷え性ではないし、寒さには強い。その代わり暑さには弱い。
そろそろ仕事をしようと、うちの課用のアイアン製のポールハンガーにコートと一緒にアンサンブルスーツのジャケットも掛けた。あまりの気温差にうっすらと汗も滲み始めていた。ノースリーブのワンピースだけで仕事に取り掛かる事にした。
暑い。もう少し温度下げればいいと思う。
デスクに目を移すと、メモがたくさん置いてある。それは、全部本城君の字のばかり。
早く仕事に取りかかった方がよさそうだ。
さっさと終わらせて帰りに春香ちゃんのプレゼント取りに行かないと。
3時頃には仕事が一段落したので、タバコを吸いに喫煙室に行くことにした。喫煙室には、隣の課の人たちも数人いた。
さすがに、こんなにいると煙い。窓が閉め切ってあることに気付いて、窓を開ける為にタバコをくわえたままソファーから立った。窓を開けると、気持ちのいい冷たい風が入って来た。冬であっても、空調の利いた室内で仕事をしてると、顔が火照ってくる。けど、それはあたしだけみたいだ…。ソファーに戻って皆さんを見ると、みんな寒そうだった。
「伊藤さん、寒くないんですか? 薄着で」
隣に座っていた営業企画の顔だけ覚えてる人がそう言った。首に掛けてある社員証兼セキュリティーカードを確認し、名前を即席で覚えた。接触がほとんどないのだから仕方ない。
「暑くないですか? あと煙が目にしみるからと思って開けましたけど、寒いですか、閉めます?」
「いいよ。ただ、元気だなって思って」
会社だとあんまり薄着すると、目立つ。このフロアーでは、あたし以外は制服の女の子ばかり。
あたしは、胸の開いていない服を選ぶ。ついでにミニスカートも、膝上5センチまで。他からはどう見えているかわからないが、気を使ってる。
ミニスカートでカッコいいのもある。あたしの規定より短いと言う事だけで、気に入っても買えない。会社でサービスしたところで何もいい事はない。
プライベートは別、好きなのを着る。
服の事を考えていると、昨日着替えたスーツをロッカーに置きっぱなしにしている事を思い出した。
早くクリーニングに出しに行かなければ。シミが取れないと大変だ。
これから出しに行こうと思い立ち、タバコの火を消し、更衣室に向かった。
辿り着くとすぐにロッカーを開け、汚れてしまったお気に入りの白いスーツを見ると、昨日のことが蘇る。
春香ちゃんがいいのを買って来てくれた。恭平の事は許してあげてもいいだろう。
恭平は春香ちゃんにお礼を言うべきだ。そのおかげで、あたしはすんなりと許してやろうって気になってるのだから。
「あんた、何嬉しそうな顔してんの? また、男に誘われて嬉しがってんの?」
驚いて、振り返ってみても誰もいない。
あたしに向けられた言葉ではないのは確かだ。
入って来た時には気がつかなかったけど、奥に誰かいたみたい。
「そんな、別に」
このロッカーの裏側かと、好奇心に駆られて裏側に回って何事かと覗いてみた。
「ふーん。男の前では媚び売ってるからモテるんだぁ。それに、体差し出してるの? それは、いい事聞いたな」
あたしの方に背を向けてる子は、何も言ってない子に向かって勝手な事を言っている。何なんだか、イヤな奴。
「そんな、私は何も…」
コレは、春香ちゃんの声だ。
もしかして、イビられてるのだろうか。あたしは、昨日の佐崎部長の話を思い出した。これをずっと我慢してたのだろうか。少し気が弱くてカワイイ春香ちゃんは八つ当たりの対象にされ易いらしい。
「ねぇ、あたしの春香に何か用?」
怒りのゲージが、昨日話を聞いた時以上に上がって来ているのを体中で感じる。 それでも、穏やかに努めた。
あたし同様、他には誰もいないと思っていた様で、春香ちゃんを追いつめていた子は、言葉を失っている。
「しかも、春香は何も言って無いじゃない。何勝手に話進めてんの?」
「あっ、先輩」
よく見ると、春香ちゃんはロッカーに押し付けられて、しかも、春香ちゃんの向こうにはもう一人いた。
あたしに背を向けてた子は、何も言わないまま固まったままだ。
春香ちゃんの向こう側にいる子は後ずさりし始めている。
「ね、あんた達何やってんの? 社会人になってもまだ、女子高生みたいな事してんの。援交とかもしてんじゃない? ふ〜ん。春香1人に2人とはねぇ。笑かしてくれる」
鼻で笑って、嫌みを言ってみたけどコレくらいじゃ、足りない。何してやろうかと考えた。
「なっ。何よ!」
いきなり強がって大きな声を出して、威嚇でもしているつもりなんだろうか。こういう子は、大嫌い。
「面白い物見つけたなぁって。あ、春香ちゃんコレクリーニング出して来てくれる? 今からすぐに行けば、明日の朝にはできてくるだろうし。昨日恭平に汚されたヤツ。もう、遅いかな? シミとれないかも」
ムカつく子をほっといて、いつも春香ちゃんに接しているようにクリーニングを頼んだ。また、パシリに使っているなとは思ったけれど、ここから春香ちゃんを出してあげたい。
「先輩…。あの」
「今忙しかった? じゃ、自分で行こうかな。電話聞いておいてね。いっぱいメモあったから、また掛かってくると思うんだよね」
クリーニングを出しに行けないと言っているわけではなく、こんな状況で頼まれた事に動揺してるだけなんだろう。
「あ、違います。いえ、大丈夫です。私が行きます」
春香ちゃんの言葉を確認すると、春香ちゃんを押し付けていた子を押しのけて昨日のスーツを渡した。
「いってらっしゃい」
春香ちゃんは、あたしが今行けと言っているのがわかったようで、受け取ると更衣室から出て行った。
その間、あたしがあまりに春香ちゃんとの二人の世界を作っていたことで、見ていた二人は何もする事ができず、唖然と見ているだけだった。
さぁ、どうするかなぁ。
「あんた達さぁ、どうするつもり? あたしにバレちゃったけど」
「あんたみたいなタカビー女に言われたくないわよ! あんただって、春香のことパシリに使ってるじゃない!」
「違うよ。お願いしたんだもん。命令してる訳でもないし」
まだ強がってる。さっさと逃げて行けばいい。
あたしにだって、陰険な所はある。見たいのなら、見せてあげよう。
「なんだかんだ言ったて、春香をいいように使ってるだけじゃない」
「あ、そう。あなたはあたしに勝てると思ってるんだ。どこが? 顔? 要領の良さ? それ全部かなのかな?」
あたしに口で勝てるものを持っているんだろうか。けれど、この子けっこう顔は男受けしそうだ。性格はかなり、ひん曲がっている。それでも、負ける訳にはいかない。
彼女たちは、あたしの言葉に何も言えないでいる。今のところ、あたしを黙らせることができるのは、佐崎部長だけ。
暑くてジャケットを脱いでいてよかった。
胸は開いて無いが、背中の開いたワンピースだけだった。後ろに手を回してすんなり下ろせる。
「それとも、スタイルかなぁ?」
そう言うと、ファスナーを下ろしてストンと、肩から外してワンピースを足下に落とした。
「なっ」
二人は、口を開けたまま、唖然としている。こんなことをした所で、ダメージを与えることはできない。けれど、ここでどうしてもあたしにかなわないと、思わせるだけのインパクトを与えておきたかった。
春香ちゃんに手を出していた子のあごに手を添えて、キスするのではないかと思うくらい近づいて、空いていた手の方を腰に手を回し手を這わせて背中を擦った。
「あたしに勝てると思うんなら、掛かって来なさい。春香にこれ以上、イチャもんつけるつもりなら、春香より前にあんた達の男とってやる。彼氏根こそぎ寝取ってあげる。もしかして、今いないの? じゃ、あんたに回らないようにしてあげる」
やっぱり、あたしと違ってこの子は冬に太るタイプ。ウエスト辺りやヒップラインをなぞりながらそれを確認する。それにしても気を抜き過ぎじゃないだろうか。
体を解放してやると、一気に後ろに離れ勢いよくロッカーにぶつかった。
「ごめんなさい。行こう」
脇で見ていた子はそう言いながらも、あたしの体を這う様に見ていた。
そして、突然思い出したかの様に、ロッカーにもたれたまま固まって、同じく黙ってあたしを見ている子を連れて更衣室を出て行った。
全然、つまらない。
もっと、突っかかって来ると思った。もっと、陰険で気が強い子かと思ったけど、そうでもなかったみたいだ。と言うことは、あたしが一人でハリキリ過ぎか。
早くから胸が大ききくなってすごく嫌だった。会社には、着やせをする服を選んで着て来ている。
今は男にも女にも武器になるのを知っている。特に、あんな子には。春香ちゃんをカワイイからって、イジメているくらいなんだから、コンプレックスの固まりのはず。
空調の利いてないココで脱いでしまうと寒い。急いで脱いでしまったワンピースを着た。
そう言えば、十代の頃はプニプニしていた。一人暮らしを始めてから、ご飯作るのが面倒だったり、地下鉄使わずに自転車で通学してた事もあって急激に痩せた。折角、ちょうど良くなって来た訳だから、なるべく歩くようにして良かった。
身支度を整えて更衣室から出ると、動くたびに髪が引っ張られてるのに気付く。 ファスナーに髪が絡まってるかも知れない。
どうしようかと思ってると、エレベーターホールに加倉さんがいるのが見えた。外出先から帰って来たんだろう。
「加倉さん、助けて〜」
動くと引っ張られて痛い。堪らず、加倉さんを呼んだ。
「どうしたぁ? あさちゃん、何やってんの?」
近づいてくれた加倉さんは、不思議そうにあたしを見る。助けてなんてあたしが言う事自体、不思議なんだろう。こっちは、それどころじゃない。
「コレ、取ってください。痛くて動けないんです」
そう言うと、加倉さんに絡まってるのを取ってもらおうと、背を向けた。
「どうして…こんなになったの」
「ちょっと、優しくしてくださいよ。痛いんですから」
「麻美、なぁ…この状況でそう言う事言うなよ」
何を勘違いしてるんだか。許してあげるから、早くなんとかして欲しい。
「ほれ、とれた」
「ありがとうございます」
やっと、普通に動けるようになった。寒いからってちょっと焦りすぎた。失敗だ。さっきの子達には見られてない。良しとしよう。あたしは、詰めが甘いのかも知れない。
「で、何やってたの。こんなところで」
「ファスナーのフックが外れたみたいでファスナーが降りて来ちゃたから更衣室で上げてたんですけど。こうなっちゃいました」
恥ずかしさのあまり、小声になってしまう。
「バカだなぁ。何やってるんだか」
ソレを言われるな加倉さん。
加倉さんに格好つけても仕方ない。別にいい。それでもこれは、格好悪すぎる。加倉さん一人で良かった。お付きの岸君や野田君がいなくて、本当に良かった。
「仕事してる時の麻美とは大違いだな。こんなヘマするんだなぁ」
「ほっといてください。加倉さんだってありません? なんで、こんな事になっちゃたんだろう。ってこと」
「そりゃー。あるけどさ」
その顔は、何かしたようだ。お礼に何をしたかは聞かない事にしてあげよう。
「そうだ。あさちゃん、おみやげは?」
今の今まで忘れてた。どうしよう。何も買ってこなかった。
「忘れたな」
「そんな事無いですよ!」
このままだと事ある毎に、この事言われそうな気がする。しかたない。アレを出すか。
「オフイス戻りましょう、デスクにありますから」
「マジで?」
「マジです」
そう言うと、加倉さんと一緒にオフィスに戻った。
加倉さんは、デスクに戻ると岸君に指示を始めたので、自分のデスクにもどっておみやげを出し渋っていた。
「先輩…。あの…」
バックを入れていた一番したの大きな引き出しの前に踞ってどうしようと悩み続けていたあたしに、春香ちゃんが声を掛けて来た。
「もしかして、シミ落ちないかもって言われた?」
黙り込んでしまった。やっぱり、さっきのことをあたしに見られたのは気まずいようだ。
「ちょっと、待っててね。すぐに戻るから」
少し間を空けた方が良さそうだったので、思い切って加倉さんにおみやげを渡す決心をした。
「加倉さん、コレ」
「おっ。ホントだったんだな」
「約束は忘れませんよ。さっきのお礼も兼ねて」
さっきのヘマは誰にも言うなよ、という意味が含まれている事を加倉さんは、わかったのだろうか。
「開けていい?」
「どうぞ。気に入ってくれるといいんですけど」
あたしのなのに。加倉さんにはもったいない。
「おっ。いいじゃないか。ありがとう」
「どういたしまして。加倉さんには日頃からお世話になってますから」
高かったのにと思いながらも、笑顔を作りながら上辺だけの感謝を言った。
もう、諦めよう。自分のデスクに戻りながら一人で嘆いた。
それより、春香ちゃんだ。
「春香ちゃん、やっぱり落ちないかもって言われちゃった?」
「あの、さっきはありがとうございました」
話をしたいのだろうか。お礼を言ったまま、デスクに戻る様子もない。
それなら、ここでは話しづらいだろう。
「あっち、行こうか」
このフロアにあるミーティングルームの一つに促した。
中に入ると、とりあえず春香ちゃんを座らせた。
「先輩、ごめんなさい」
春香ちゃんは、俯いて膝に置いた自分の手を見ながらそう言った。あたしは、居た堪れない気持ちになった。春香ちゃんが謝る必要なんて、どこにもない。
イスを春香ちゃんと向かい合わせになるように動かして座った。
「春香ちゃんが悪い訳じゃないでしょう」
「でも」
俯いたまま涙声になる。
いつも元気に明るく振る舞ってくれてる春香ちゃんだけど、今日はあたしに見られた事もあって我慢してたのが出て来たのかも知れない。
佐崎部長に言われるまで、気付かなかった。もしかすると、今までもあんな事があった後でも明るく振る舞ってくれてたのかも知れない。
「あたしの前と彼女達の前では、態度が違うなんて思えない。だから、あたしが見てた春香ちゃんが、あんなこと言われるような嫌がらせを彼女達にしたとも思えない」
「せっ、先輩」
顔を上げた春香ちゃんの目には、いっぱい涙が浮かんで流れ始めた。次々と。
「でも、わっ私が」
「いいよ。大丈夫」
春香ちゃんを抱きしめて、髪を優しくなでた。春香ちゃんは、張りつめていた糸が切れたように、声を上げて泣き始めてしまった。
けれど、コレくらいしかしてあげられることがない。どうしたらいいのだろうか。今、考えても何も浮かんでは来ない。
会社に来るのもイヤなくらい傷ついてるはず。
あたしの事なんか気にしなくていい。ごめんなさいなんて、言わなくてもいい。
しばらくして春香ちゃんは顔をあげた。落ち着いたようだ。
「春香ちゃん?」
春香ちゃんは、あたしから離れると目をこすりながらあたしに微笑んでくれた。
いつもの笑顔にはほど遠い。それでも、少し安心した。
「先輩には見られたくなかったんです」
いくらか、落ち着きを取り戻したようで、話し始めた。
「どうして?」
「だって…」
「何?」
「この会社で、先輩だけがあたしと話してくれるし。知ったら、話してくれなくなっちゃう」
何を言い出すのかと思えば。あたしはそんな風に思われてたのだろうか。予想でしかないが、仲の良かった子達にそうされたんだろう。
絡んでた子が首謀者のようだ。春香ちゃんに誰も近づけないようにしたんだろう。
「あたしって、そんな人に思われてたの」
「…ちがっ」
春香ちゃんは、あたしの言葉に動揺し、表情を歪ませる。そして、言葉を探しているのか目が泳いでいる。
「だって、みんな…私と…」
「みんなとあたしは違うよ。同じに見える?」
「いえ」
あたしがどう反応を見せるのか、怯えていたんだろう。
こういうことには、気を遣わずにいてくれると嬉しいのだけれど。他のことなら、大歓迎だ。今朝のマフィンや紅茶の様に。
「さ、行こうか。お化粧、直してくる?」
「はい。あ、先輩ワンピース汚しちゃいました。ごめんなさい。どうしよう…」
汚れた所に触れながら、今度は、コレを気にしているようだ。
「いいよ、気にしないの! ジャケット着たらわかんないから。それに、今日はもう、出掛けないしね」
春香ちゃんは安心してくれたようなので、ミーティングルームから出る事にした。
そのまま、春香ちゃんは化粧を直しに行き、あたしはデスクに戻った。
「あさちゃん」
加倉さんは、どうやらあたし達の様子がおかしかったのに気付いたようだ。
「なんですか?」
「春香ちゃん」
「大丈夫です。すぐに戻ってきますから。帰って来ても心配してるなんて事、言わないでくださいよ」
「あぁ。けど」
「何があったかは、聞かないでください。あたし、言いませんからね。しつこいと嫌われますよ」
「あぁ、わかった」
納得しきれてないようだけれど、触れないでいる事が良いという事がわかったらしい。
帰って来た春香ちゃんは、もういつも通りに戻っていた。
少し安心すると、仕事が捗った。
あの二人が首謀者だとは予想が付いたが、これからどうあたしに接触してくるだろうか。
逃げてしまったけれど、まだあたしに何かする気はあるだろうか。
宮内に比べれば、あれはカワイイものだ。
この後は、宮内だ。こっちは、どうしてやろう。今何を考えても仕方がない。成り行きかにまかせるか。