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MAYBE  作者: 汐見しほ
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◆ 2 ◆ 01 あたしがお姉様!妹ではありません。

 昨夜は、お酒のおかげで早く眠りに着く事ができた。たくさん飲んだ訳じゃないけれど、家にたどり着くと、もう何もできないくらいに睡魔に襲われた。メイクを落とし着替えようとしていても、立っているのがやっと。春香ちゃんが買って来てくれたスーツを脱ぐのにも手間取ってしまう程。脱いでしまうと散らかしたまま、ベッドへ潜り込んだ。

 そして、気がつくとまだ夜明け前。

 熱いシャワーを浴びたくなりバスルームに行くと、完璧に目が覚めてしまった。

部屋でボーっとしていても、時間が勿体ない。手早く、準備を済ませながら、いつもより2時間も早く会社に行こうと決意した。

 会社には、誰もいるはずがない。こんな早い時間なのだから。

 昨日会社に戻ってからの手抜き作業を補填する為に、少し気合いを入れて鍵をかけ会社に向かった。

 思っていた通り、フロア内は暗く誰もいない。久しぶりに、自分でセキュリティを解除して扉を開る。


「よぉっ。早いね」


 声に驚いて振り向くと、怠そう歩いて来る、徹夜明けであろう葉折さんがいた。


「葉折さん、徹夜した?」


「そうなんだ」


「じゃ、差し入れ。コレどうぞ」


 あたしは、ゴソゴソと紙袋をあさると、未だかつて誰にもあげた事のない、朝のコーヒーを一つ差し出した。


「お! ありがたい」


 葉折さんが喫煙室に誘うので、一緒にコーヒーを飲む事にした。

 アートディレクターの葉折真人とは、仲が良いい。仕事じゃなくても様子を見に行ったりもする。

 最初の頃は、一つだけれど年上でもあり先輩なので敬語だった。あたしに敬語使われるとムズ痒いと言われてからは、遠慮無しに話させてもらっている。


「どうして、上がって来てたの?」


 制作部のフロアは一つ下の6階。葉折さんがココにいる事は、ほとんど無い。

 あたしに会いに来たという訳ではないと思う。この時間に来ているなんて知らないだから。


「伊藤こそ、こんなに早く」


「早く起きちゃったから」


「それで、朝風呂? すっごくいい香りするよ」


「そう?」


 そんなにわかるとは思ってなかった。ココにはない香りだから、わかったのだろう。


「葉折さんは?」


「下でタバコ吸ってたら疲れ顔の奴ばかりだろう、それって余計に疲れるんだよな。ココには誰もいないからな」


「なるほどね」


 そういえば、喫煙室は鍵のかかる企画部のオフィスの外にあるので、誰でも入れる。


「伊藤、俺のオファー受けてくれるのか?」


「何それ」


「まだ聞いてない? DTP課、課長」


 あれは、葉折さんの推薦だったのか。

 やり難そうだと思ってたけど、本人の推薦なのならば、悩む事はない。


「昨日、佐崎部長から聞いた」


「で、まだ決めてない?」


「月曜に返事する事になってる。って言うか、葉折さんの方が適任だと思うけど」


 何でまた、あたしなんかを推薦したりしたんだろう。それを受け入れた制作部長が何を考えているのか、もっとわからない。


「俺はなぁ…。現場にいたいっていうか。実はさ、俺にって話になってたんだよ。けど、伊藤が来てくれた方が、締まると思うんだよな。誰にも動じないし、それに決断力もあるだろ? 第一、上と下から挟まれても平気そうだしな。何より、キレたらコワイ」


「もう…。何で、皆してあたしの事コワイって言うかな。こんなに大人しくてカワイイのに」


 自分でも恥ずかしい事を言ってしまったと思う。けれど、他の誰もコワイしか言ってくれないなら、自分で言うしかない。


「ふっあはぁはは、大人しくってのはちょっとな。同意しかねますな! ま、可愛いって言うより、無理め系美形かな」


「え?」


 まさか、そんな事言われるとは思ってなかった。無理め系とは意味がわからない。それでも、美形は素直に嬉しい。


「知ってる? けっこう、麻美ファン多いぞ。まぁ、春香ファンの多さには負けるけどな。それにしても、伊藤モテててるよなぁ。うちの三谷なんか、伊藤来ると真っ赤になって固まるんだぜ、面白れーのなんのって。俺も隠れファンね」


「えぇ〜!」


 そんな事、全く気付かなかった。ファンって、何なんだろう。あたしは、モテるのか?

 いや、そうは思えない。

 葉折さんは、ただ大げさに言ってるだけではないだろうか。


 葉折さんが言うには、伊藤麻美は黙って座ってれば誰でも騙されるそうだ。

 なんて事を言うんだろう。人形にでもなれと言いたいのだろうか。

 あたしもキレやすいのは、悪い。けど、怒らせるヤツ等が悪いんだ。

 これでも、まだ大人しくなった方。言いたい事を言わない時だってある。それに、あたしだって大人なのだから我慢できる。ちゃんと弁えてるつもり。

 けれど、そう言われてしまうって事は、まだまだ足りないって事なのだろう。

 自分を見直した方がいいのかも知れない。より一層の努力が必要って事か。あたしはそんなに変わらないとダメな人なんだろうか。


「ビックリした? まぁ、佐倉部長のお気に入りだからな。そうそう、手を出せる奴なんていないだろうな。あ、鈍感笠原は別か」


「恭平は結婚してるし。そんなんじゃない」


「それは、十分わかるんだけどさ。笠原はなんつーか、連れって感じでもあり、妹っぽく思ってる感じがするよな。けどさ、三谷は笠原の事そう思ってないぞ! アイツっ」


 葉折さんは、そこまで言うと一人で受けて笑いを堪えていた。

 呆れて黙っていると、次第に堪えられなくなったのか、馬鹿笑いを始めた。


「どうでもいいけど。妹じゃなくて、お姉様じゃない?」


「っえ?」


 言葉を発したと思うと、失礼にも、お笑い番組で笑いのツボにはまったネタを見たかのように、笑い続けている。


「ムカつく」


「もう、ダメ。っく…。死にそう…苦しい。伊藤、最高」


 葉折さんは、お腹お押さえながらも、手に持っているコーヒーを溢さないように高く腕を上げている。

 そこまで笑うような事を言ってない。全く、面白くない。

 ツボにはまった以上当分は回復しないだろう。


「もぉ、どう見たって、あたしがお姉様」


 どう贔屓目に見ても、恭平よりあたしの方がしっかりしてると思う。

 もしかして、葉折さんは徹夜の所為でチュラルハイに陥っているのではないだろうか。

 一向に、笑い声は止まらない。


「勘弁して…もう、だめ。腹イタイ」


 落ち着こうとしたのか残っていたコーヒーを全部飲み干した。

 そんなに、笑わなくていいと思う。バカにされているようで、いくら葉折さんでもキレてしまいそうだ。


「まったく、失礼な」


「けどさ、飯田さんとイチャついてるじゃん? あれでかなりファン増やしてる気がするな。それにしても、伊藤は人望集めてるよ」


「はい、そうですか」


 褒めているのか、貶されているのかわからない。だんだんと、どうでもよくなってきた。

 春香ちゃんとイチャついてるように見えるんだろうか。そういえば、加倉さんも事あるごとにイチャつくなって言う。

 あたしは普通に接しているつもりでも、他から見るとそう見えているらしい。あたしに引っ付きグセでもあるのかも知れない。


「あ、そうそう、悪かったな」


「何が?」


 いきなり謝られても、何の事だか。

 馬鹿笑いした事を謝ってるようでもない。謝るくらいなら、最初からあんなに笑ったりはしないだろう。


「リーフの件。あれ、間違って送ったみたいなんだ。加倉主任、エラくご立腹だったよ。麻美がキレたんだぞ! って。挙げ句に自分でやっちゃたんだろう? 悪かったよ。俺が自分でカンプ直接渡せばよった」


 その事かと合点がいく。

 葉折さんは、今までとは打って変わって真面目そのもの。

 昨日は、早智子と一緒だった事もあって、頭が切り替わってた。言われるまでその事は忘れていた。

 それにしても、アレはヒドすぎる。アレは、事務の子のデザイン。DTPの仕事に興味持っていてやってみたいと葉折さんに申し出たらしい。

 そこで、ちょうど打ち合わせしたばかりだったあたしの仕事を練習の為に宿題にもって帰ったらしい。

 葉折さんは金曜の夕方に急な会議が入り、手の空いてるオペレータにメールで送るように指示したそうだ。

 葉折さんのハードにあった、そのデータをデザイナーが上げたものと、元凶のデータとを間違えて送って来たと言うのが真相。


「これからは、気をつける。伊藤に自分でされたんじゃ、俺達立つ瀬ないからな。自分でできる分、質が悪い」


「確かに。あれで、もう一度やり直してもらう気にはなれなかったんだから」


 葉折さんはすごく反省してるようだけど、加倉さんはいったいどうクレームつけたんだろう。

 加倉さんにムカついてきた。どうせ、ロクな事言ってないはず。


「もう、治まってるみたいで安心したよ。けど、加倉主任は当分口聞いてくれないかもな…。あの穏やかな加倉さんが、ご立腹だったんだから」


「運よかったね。昨日、ちょっと気分転換できたから、もう平気。加倉さんは、放っとけばいいし」


「そっか。なら良かった。うち等に発注してくれよ! じゃ、そろそろ一旦、家帰って来るかな」


 葉折さんは立ち上がり、帰途の準備をする為に下に降りて行った。

 帰っても、またすぐに出社しなければならないのだろう。制作部の忙しさは、あたし達の比ではないようだ。






 午前中は、すごく長く感じられた。

 早く出て来た所為だろう。

 昨日のお騒がせリーフも朝一番でクライアントに届け、帰って来るともう返事が来ていた。対応の早さに驚いたけれど、予定より早く無事に出校する事ができた。

 午前中の仕事もほとんど片付いた頃にはお腹が空き過ぎて、頭も働かなくなっていた。

 それを春香ちゃんは見ていたようで、たまには紅茶をどうぞと、マフィンを一緒に持って来てくれた。

 笑顔で癒してくれる天使のようだった。

 昨日、パシリに使ってしまった事が気になっていた。お礼も兼ねて春香ちゃんにランチをごちそうしようと今朝からずっと考えていた。


「加倉さん、ちょっとお願いがあるんですけど。聞いてくれます?」


 仕事が一段落したついでに、制作部に徹夜明けの葉折さんの様子を見に行った。その帰りに、ちょうど喫煙室で休憩していた加倉さんを見つけた。

 いつ言おうかと、様子を伺ってた。今なら、邪魔にならないだろう。


「ど、どうした? なんか。朝からずっと機嫌いいし。あさちゃんコワイ」


 拗ねたくなってくる。

 機嫌が良くても、悪くても怖いと言われるのならば、あたしはどうしたらいいのだろうか。


「で、あさちゃん、お願いって何?」


 お願いがあると言いながら黙り込んでしまったあたしに、加倉さんは先を促した。


「今日はもういっぱい働いたから、ちょっと少し早めに長く、お昼行っていいですか? 春香ちゃん付きで」


 加倉さんに、出かける予定がないといいんだけれど。最悪、本城君置いて行けば大丈夫だろう。

 それでもいちよう、加倉さんは上司になる訳だから断っておいたほうが無難。


「いいよ」


「ホントですか? 良かった」


「あさちゃん、その代わり! おみやげ」


「え?」


 そんなに、大層なお願いをした訳ではない。

 この素晴らしく爽やかな笑顔は、何なんだろう。おみやげを断ったら、行かせてくれなのだろうか。


「そんなに拗ねんなよぉ。たまには、なっ」


 たまには、素直に言う事聞いてあげてもいいかも知れない。


「わかりました。リクエストはなしですからね」


「楽しみにしてるよ」


「じゃ、これから行ってきます」


「忘れるなよ」


 なんとか、条件付きでお許しが出た。

 デスクに戻ってみると、春香ちゃんの姿が無かった。

 電話を二本入れてから探す事にした。その間に、帰ってくるかも知れない。

 けれど、電話を終えても春香ちゃんは帰って来なかった。

 どこを探そうかと考えていると、パーテーションで仕切られているコピー機があるエリアから出てくるのを発見した。


「春香ちゃん。これから時間とれる?」


「大丈夫ですけど、どうしたんですか?」


「これから、お出掛けしない?」


「まだ、休憩じゃないですよ」


「大丈夫、心配しないで。加倉さんにちゃんと断って来たから。じゃ、下で待ってるからね」


 春香ちゃんは、微笑んで出かける準備をすると言って、走って行った。

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