◇ 1 ◇ 03 別れ話は6回で終わり
「ただいま」
「あ、先輩。お帰りなさい」
あたしの声に気付いた春香ちゃんは、電卓を叩いていた手を止めて迎えてくれた。
「伊藤さん、遅いですよ〜。僕、ずーっと待ってたんですよ」
本城君がそういうので時計を見てみると、まだ、一時を過ぎたところだった。
「何言ってるの? まだ、時間あるじゃない。あたし、タバコ吸ってくる。じゃ、後でね」
「伊藤さん…」
本城君はなんだか寂しそうだ。何か話したい事でもあったんだろう、本城君は後回し。
あたしは、帰りに買って来たアイスカプチーノを持って喫煙室に向かった。
今朝買ってきたコーヒー達は、リーフを作っている間に、全部飲んでしまっていた。
お昼休みが終わったのでみんな仕事に戻っていて、誰もいない。
コーヒーが溢れていない。恭平はちゃんと片付けたらしい。
「ふぅ。今日はなんかもう疲れた」
今日は朝からいろいろ有りすぎた。月曜にしてはキツイ。まだ、一週間始まったばかりなのに。
「よっ。帰って来たか」
ドアを勢いよく開けて、恭平が入って来た。
手に鞄を持っているから、これから出かける所なんだろう。
「何か用?」
あたしは、今朝の事を思い出してムカついてきた。
「そんな、怒んなよ」
そういいながら、タバコとカプチーノで両手がふさがっているあたしの頭を撫で髪をてぐちゃぐちゃにする。
「やめてよ!」
恭平の手を振り払い、睨んでみたけど、どうも、恭平にはどうでもいい事らしい。
今朝の事もあるので、安全であろう場所に、手に持っていたカプチーノとタバコを置いた。
髪伸びたなぁ。切るのももったいないな。そう考えながら、背中の真ん中くらいまで伸びて恭平に乱されてしまった髪を整えた。
「お前って、デート前にわざわざ着替えて行くようなカワイイ子だったけ?」
「うるさいなぁ! あんたのせいでしょ!! ムカつくなぁ。クリーニング代、出してよね」
「なんで俺がお前の払うんだよ」
「あんたが、汚したからでしょ!」
恭平は、気まずそうな顔をしている。今朝の事を思い出したようだ。
「しゃーねぇな、わかったよ。あ、今日予定入ってんなら、明日飲み行こうぜ」
「恭平の奢り? だったら行く」
予定通り、奢らせてやりたい。恭平がイヤだと言うのなら、もう一緒に飲みに行ってやらないと心に決める。
恭平の返事を待ちながら、じーっと睨み続けていた。
「はいはい。わかった、わかった」
「やったぁ! ならいいよ」
恭平は、立ち上がってドアの方へ向かう。
「お前って、キレんのも早いけど。機嫌なおんのも早いな」
「はぁ?」
恭平はそう言い残すと出掛けた。
あたしは、もしかして恭平に遊ばれてるのではないだろうか。
置いていた、タバコに手を伸ばすともう短くなっていた。そのタバコは、灰皿に捨て、箱から新しいタバコを出し、火を付ける。
「伊藤さん、行きましょうよ」
「ふぅん?」
ドアの方を見ると、待ちくたびれている本城君がいた。デスクの上に置きっぱなしにしていたバックと書類鞄、それにコートを見せる。
「はぁ。わかった。行きますよ…」
本城君は、犬のようだ。
いつも、あたしにシッポ振ってるような気がする。昔飼っていた、マルチーズを思い出す。
噛みつかれるよりはいい。
お迎えにまでやって来た、本城君。そんなに、この仕事に気合いを入れているのだろうか。
打ち合わせは、予定していた時間よりだいぶオーバーしてしまった。
今回は、新規のクライアントではなかった。いつも、は加倉さんがこの会社の発注を受けていた。
何故、今回はあたしだったのかと不思議だった。最初は、加倉さんが手がいっぱいなのだろうと、思っていた。
会社に帰る前に、本城君とあたしは、一度入ってみたいと思っていた新しくできたカフェで休憩中。
「伊藤さん。なんか、担当の…名前なんだっけなぁ。忘れちゃいましたけど、顔が面白かったっスね」
本城君曰く、担当の人はあたしの話す時の反応が楽しかったらしい。
あたしはと言うと、どんなイベントにしたいのか聞き出すのだけで時間を食い何も進まず、イライラで頭の中がいっぱいだった。
「今回は、営業二課の仕事だったわね」
「平山からですね」
本城君は手帳を広げて答えた。
平山君は本城君の大学の後輩だ。この後処理は、本城君に任せていいだろう。
あたしだと、平山君を思いっきりヘコませそう。そんなに叱りつけるような失敗でもないし、次から気をつけてくれればいい。
「帰ったら、クレーム入れてくる? 今回は、あたしが言うより効果があるだろうから」
コーヒーに手を伸ばしながら指示すると、本城君は意味がわからないのか、不思議そうな顔をしている。
「はい。わかりました。で、何のクレームですか?」
「何見てたの?」
本城君には、もう少し物事を深く掘り下げて考えて欲しい。着いて来て、ただ見ているだけではどうにもならない。
「すみません。けど、僕さっぱりわかんないんですよ」
イイ年して甘えるんじゃない。
いつまでも、教えて貰えると思わないで欲しい。
「そっか。じゃ、ご褒美はお預ね」
「え〜。そんなぁ。僕、がんばったんっスよ〜」
「わかんないんじゃ、しかたないでしょ?」
本城君は、ガッカリしているようだ。今朝、何気なく言ったご褒美を、そんなに期待してたのだろうか。冗談でごまかそうと思ってたけど、これは無理か。後が恐い。
「ねぇ、本城君。面白い顔してたのは、何でだと思う?」
本城君は、頭の中で色々と考えを巡らせ、しばらく、うめきながら考えていた。
その間あたしは、外の風景を見ながらコーヒーを啜ってた。
「戸惑ってたからです」
明るい顔をして元気に答えを出した。自信満々の顔をしている。褒めてもらいたいらしい。
「それで?」
「えっ…? その〜」
本城君は鈍い訳ではない。
人の反応や行動、言動を見て無意識だろうけど、自分がどうすればいいのかを考え行動をしている。
「そうか。平山、詰めてないんっすよね。とりあえずPRをしたいだけで、何のPRかもわからないままで始まってたし…。結局、新商品って事はわかりましたけど、商品そのものが何なのかもわからないまま…。まだ、これって発注てないって事でスよね。商品自体が企画中?」
近づいて来た。本当は、わかってはいると思う。ただ、結びついていないのだろう。仕方がないこれは、ご褒美あげないとな。
「そう、これから営業にがんばってもらわないとね。たぶん、早とちりしてるんじゃないかなぁ、平山君。予想だけど、うちで『こんなのできる?』って漠然と相談でもあったんじゃないかな。それは、あたしの仕事じゃないから。平山君の説明に同行して補足するならまだ話は通るんだけど」
「そうですよね。この企画に予算の割当がまだの可能性もあるって事っスよね。さっきの感じじゃ、その可能性の方が大きいっスね」
「そういう事。今回の場合は、ちょっと焦り過ぎ。急だったし無理矢理割り込まれたから、すぐにでも固めてこっちの発注しないと間に合わないと思ってたけど…。すべき事はわかるよね。急かされて、確認しなかったこっちも悪いけどね」
「はい」
一人で全部任せるのはまだ心配は残る。それでも、何とかなる範囲にはいる。本格的にディレクション任せてみよう。どう、こなしてくれるか興味ある。
「あの、伊藤さん」
「どうかした?」
何かを話したそうだとは思ってた。タイミングを計っているようでもあった。あたしが話させないようにしてた。気分じゃないと言うそれだけの理由で。
そろそろ、聞いてあげた方が良さそうだ。
「僕って…向いてないですか?」
「はぁ?」
あたしに、何を言わせたいんだろう。
本城君には珍しくヘコんでいる。さっきの事で自信なくしたんだろうか。会社を出る前は、あんなに張り切っていたというのに。
「どうしたの? 何かあった?」
「その、なんていうか…。伊藤さんに言われた事とかはちゃんとできてると思うんですよ。けど、なんか進歩ないっていうかぁ。それに、今日も気付かなかったし」
さっきの事だけでヘコんでいるわけではないようだ。今朝から様子変だった。誰かに何か言われたんだろう。この子をこんなにヘコませたのはたぶん。
「宮内になんか言われたでしょう」
宮内の名に反応しているのがわかる。本城君は、気まずそうに首を揉んでいる。
「やっぱり宮内か。あいつ、ムカつく」
直接攻撃をしても、埒が明かないのに業を煮やして本城君にまで攻撃をしてきたか。
加倉さんは大丈夫だろう。あの人が、宮内にヘコまされるなんて考えられない。
「ごめんね。あたしの所為だね」
「そんなぁ〜! 僕がしっかりしてないからっすよ。それに…本当の事ですから。僕、伊藤さんの足を引っ張ってますよね。僕が何言われても仕方ないけど、伊藤さんはホント、すごいっスから。僕の所為で伊藤さんが…」
本城君はより落ち込んでしまった。それにしても、何を言われたんだろうか。
きっと、あたしの事も何か言って、それを本城君の所為にでもした。そんなところだろう。
あたしは、本城君の仕事ぶりには満足している。物足りない所があるのは確か。
彼は、確実に仕事をこなしている。飲み込みも早い。あたしに同じ事は言わせない。
「何言われたのかは、わからないけど。予想はつくかな。それより、本城君がこの仕事に向いてないなんて、思ってない」
迷いなく、ハッキリと本城君の言葉に応えた。あたしは、今、彼の評価をするべきだと思った。
「ほっ本当っスかぁ?」
「ホント。あたしと本城君は違うからね。あたしのやり方が全てじゃないよ。もう、片付かないと気が済まないし。けっこう、自己中? っていうか、あたしの場合どっちかって言うと…どっちかって言わなくてもだけど、突っ走る方だからね。まぁ、見てたらわかると思うけど」
「そうっスね」
あっさりと、認められてしまった。
仕方ないか。本当の事なんだから。
「本城君は周りの状況やなんかを見て、判断して行く方だと思う。石橋をたたいて渡るというか。あたしは、渡れそうなとこを見つけて無理矢理でも渡り切るから。だから、自然と向き不向きはそれぞれにあると思うよ。けどね、本城君がこの仕事に向いてないって言ってるんじゃないよ。今のうちに自分の進め方気にしながら仕事すればいいよ。あたしが、本城君のようにできるかって言うと、できないと思う。例えは悪いんだけどさ、どっちかっていうと君は加倉さんタイプだと思うな」
「加倉主任っスか?」
本城君は、加倉さんが怖いのだろうか。
あたしが、とんでも無い事を言っているみたいに驚いている。
「それに、本城君いないと、あたしすごく困るし」
「え〜。マジっすかぁ?!」
「マジっすよ」
ふざけて、本城君の口癖をまねてみたけど。似合わない。
本城君は明るくなって来た。これから、図に乗らないといいけど。
本城君は、今まさに『わんこ』だ。ご主人様が帰って来たのが嬉しくて、ちぎれそうな程シッポを振ってる子犬の様。
「ご褒美、何がいい? なんでもいいよ」
「え!! ホントに! マジっすか?!」
本城君は、待てをさせられて、餌をお預けさせられていた犬のように勢いよく餌に飛びつく。
「気が変わらないうちに決めないとね」
「えーっと」
思いっきり悩んでいる。何をさせられるのか、コワイ気がする。
それでも、何か奢る程度だろう。なにを食べようかとか考えいるんだろう。
「あっ! 来週の金曜って休みですよね! ライブのチケットあるんですけど、一緒に行ってもらえません? しかも、けっこういい席なんですよ。というか、ブロック。アリーナだし」
その日に、別に予定もない。高級な物おごらされるよりずっといい。
「それでいいの? ご褒美なのかな? チケットあるんだったら、あたしが方がご褒美じゃない。 それでいいの?」
よく見てみれば、本城君が出して来たチケットは、ファンなら絶対行きたい特等席。
しかも、あたしの好きな洋楽バンドのチケット。あたしの方がご褒美もらようだ。先行もハズレ、一般販売でも取れなかったソールドアウトチケット。
「それじゃ、僕に一日付き合ってください」
そういうと、ご褒美の内容を変えて来た。その日に予定はない。
誰かにドタキャンでもされたんだろう。帰りに食事くらいは奢ってあげてもいいかもしれない。
「OK。じゃ、そろそろ帰ろうか」
「はぁい!」
2件目の打ち合わせがなくなったので、直帰できなくなった。
結局、会社に戻り今朝のリーフの仕上げを程よい時間に済ませ、さっさと会社を出た。
「おまたせ」
待ち合わせ場所までの時間を考えていなかったので、少し遅れてしまった。
「麻美、仕事は、大丈夫だったの?」
「大丈夫。ちょっと、予定が変わっただけだから。ごめんね、遅れちゃった」
早智子は、遅れたあたしを快く迎えてくれた。
あたし達は、いつも行くレストランバーに移動した。夜景も見えるし、食事もおいしい。
あたしには、早智子方が疲れてるように見えた。具体的に、顔色が悪いだとか怠そうにしているというわけではない。早智子の見せる表情が、疲れを感じさせた。
明日も休みという事で、今日出て来れた事が嬉しいと言ってくれたけど、少し心配。
「それで、彼氏さんは? どういう反応したの?」
やっぱり、聞きたいはず。早智子だけは、詳細を知っている。一番、あたしのもどかしさも知っている。
和也との関係は長かった。それに、何回か別れた。それでも、続いてた不思議な関係。
「今までだって、別れようって言っても…誤魔化されたりしてさぁ、どうにもなんなかったじゃない? 何も変わらなくて」
あたしは、他人事のように今までの事を考えながら、口を開いた。
「麻美から何回別れたって聞いた事か。覚えてないよ。その度に、流されてた感じだたよね」
早智子の言う通り。
和也は何なんで戻って来るんだろう。
あたしが本当に彼氏だと思い付き合い、別れてから、もう6年経つ。こんなにも、曖昧な関係を続けてしまったあたし。
恭平や加倉さんには、話すの面倒だから彼氏だと言っていた。
和也は付き合ってると思っていたんだろうか。
和也とは元々、友達だった。今は、どれが付き合うのか友達なのかわからなくなっている所もある。
不思議なのが、あたしに他の人の陰が出始めると、和也が転勤になったり、来なくなったりする。
幸いな事に、そのおかげで他の人を好きになりかけたり、デートしてみたりした事は和也は知らない。だからと言って、特にこの6年で特定の人がいた訳でもない。
自分でもどうしたいのかがわかっていない。
和也といるのは、普通の事過ぎ、ある意味家族のような感覚さえある。
確か、覚えてる限りでは5回ほど別れ話をした。いつもその度、何故か元に戻る。
「ねぇ、今回はどうなの? 平気で戻って来ちゃいそう?」
和也、あたし達って、すごい事言われてるよ。と、聞いてるはずのない和也に心の中で言ってみた。あたし達は、普通ではないみたいだ。
「たぶん、ないと思う」
「え? そんなに、キッパリ言い切れるのって、どうして??」
何回となく、どうしようと、話したもんね早智子ちゃんに。そう思われても仕方がない。
「実は。キレちゃったんだぁ」
「えぇー。ホントに??」
早智子は、すごく驚いて今まで前のめりであたしの話を聞いていたのに、ひっくり返りそうな程イスの背もたれに寄りかかっている。
「でもね、怒ったっていうかそういうんじゃなくてさ。今まで思ってた事、吐き出しちゃったって感じかな」
「打ちまけた〜って、感じ?」
「そう、泣きわめきながら…」
「ホントに?! 麻美が? 信じられない」
だって、本当だから。すごかったよ…。見せられないな…。絶対。
「ホント。これが、けっこう効いたみたい。でもね、帰る頃には、いつも通りだったんだよね。二人とも…」
「じゃ、帰ってくるかもよ」
それはない。なんでかと言うと、
「それはないね。帰り際にチューしてったもん」
「え?? え〜? なんで? なんで?」
早智子には、あたし達の関係は謎だらけみたいだ。そうだよね。あたし達の不思議な関係の最後は、キスだった。
「さぁ、なんでかなぁ」