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MAYBE  作者: 汐見しほ
26/29

◇ 7 ◇ 02 今日の恭平、明日の葉折さん01

 喫煙室を出て、氷も溶けきり空になったタンブラーを給湯室で洗った。

 春香ちゃんがタンブラーをくれるまでは、ずっと捨てればよかった。それは、とても簡単。少し面倒だけれど、これはかわいいし、少しくらいの面倒は気分転換にもなる。それに、ほぼ使用しないに等しい給湯室にも足を運ぶようになった。


「あ、伊藤さん」


 声を掛けられ、振り向くと本城君がいた。いつの間にか、出先から戻ったらしい。何故だか機嫌が良いようで、気持ち悪いくらいにニコニコしながら手にはコンビニの袋をぶら下げていた。

 思わず困らせてやりたくなるほどの笑顔が、痛い。正直、うらやましい。あたしにも、機嫌良く過ごせる気持ちのいいハプニングがないだろうか。

 本城君に何かいい事があったのだろうと思っても、それは定かではない。もしかすると、極度のお疲れで空元気を通り越して、ナチュラルハイなのかも知れない。 

 いったん浮き上がってきた勝手な本城君に向けた八つ当たりを止め、ムッとする気持ちを静かに治めた。


「お帰り。どうだった?」


「良くわかんないんっスけど、何だかうまくいきました。通り一遍にしては丁寧に重ねて、急かして悪かっただの、変更の謝罪されて驚いたっスよ。もう、変更はないと思いたいっスね〜」


「それは、どうかしらね。ありそうな気がするわ。なんだか、試されてるような気がするのよね。気のせいならいいんだけど」


 キッチンペーパーでタンブラーの水気を拭き取りながら、土曜の誰もいないオフィスで企画書を仕上て思った事を口にした。そう思い始めれば、最初からそのつもりだったのではないかとしか思えなかった。

 このクライントは、元々マーケティング部のクライアントだった。今までこちらに回ってくる仕事がなかったという事は、他社へ回していたか自社で行っていたのだろう。

 その会社とトラブルがあったのか、ただ単に変えてみたくなったのか。営業が無理矢理取ってきた仕事か。その辺りの事が担当営業からも知らされていない。

 打ち合わせを重ねても、何の情報も収集できなかった。それは、深くは考えなくていいという事だと思っていた。けれど、どうやら見せかけだけだったようだ。その辺りの情報については、疎いつもりはない。敏感であったはず。どうして、それを見抜けなかったのか、今更ながら悔しい。

 そちらがそのつもりなら、付き合ってやろうじゃないの。一人のオフィスを出る時には、疲れた頭ながらそう覚悟を決めていた。


「まじっスか? そんな印象は受けてなかったんっスけど」


 本城君も全く気づかなかったらしい。あたしが気がつかなかったというのに、本城君に気づかれては、あたしの立場がない。というより、悔しすぎる。

 本城君は今までの経過を呼び起こしているのか、少しボーっとしているようにも見える表情で、冷蔵庫を開けると袋ごと中に入れた。そして扉を開けたまま、続きを考えているのか、思考浮遊から戻って来ない。

 本城君は、たまに自分の世界を作り出す。今回は会話の流れからも、仕事の事なのだろうから、放っておいてもいいだろう。けれど、そうとは限らないのが本城君。もしかすると、買ってきた物をいつ口にするか考えているのかも知れない。

 何を買ってきたのだろうと気にはなったけれど、どうせスィーツ系だろうと聞くのは止めた。


「あ、そうだ。プチ会議するから。その前に、あたしはコーヒー買いに行ってくるから春香ちゃん達に伝えておいて。帰ったら始めるよ。そんなに時間は取らせないから」


「了解っス」


 本城君の帰りを待っていた事を思い出し、予定を確保しようと声を掛けると、すんなりと思考浮遊から戻ってきた。そんなに深くは自分の世界に入り込んでいたわけではないようだった。




 本城君と別れ、タンブラーを手にエレベータを待っていると、財布を持っていない事に気がついた。一番上にいたエレベータは、もう降りてきているけれど、財布がなければ意味がない。

 仕方なくオフィスに戻ると、笑みを浮かべながら立ち話をする本城君と春香ちゃんが一番に目に入った。本城君は、お喋りの相手を見つけたようだった。けれど、斉藤さんに電話だと呼ばれ、本城君は大人しく仕事に戻った。

 本城君を見送った春香ちゃんは、デスクに戻りながら観望していたあたしを見つけ、駆け寄ってきた。


「コーヒー買いに行ったんじゃないんですか?」


「財布持ってなかったの」


「先輩って、たまに抜け落ちますよね」


 春香ちゃんはニッコリを付け加え、一言残し仕事に戻った。

 抜けるとは、どういう意味なんだろう。元々、コーヒーを買いに出るつもりでいたわけではないのに。たまたま、喫煙室で飲み尽くしただけだ。

 わざわざ、そんな事を春香ちゃんに抗議しても仕方がない。諦め、バッグから財布を出し、再度エレベーターホールに向かった。


「お疲れ。今日、付き合えよ」


「いいわよ」


 オフィスの出口に向かっていると、オフィスに入ってきた恭平が目に入った。それは、ほぼ同時だったようで、視線が絡んだ途端、距離の分だけ声のボリュームを上げ、恭平はあたしを捕まえた。やっぱり今日も寄り道をしたいらしい。

 美希ちゃんとは長期戦になるのを覚悟しているのかも知れない。もうそろそろ、1週間を数えようとしているのだから、十分に長期戦に突入している。

 恭平はいつものように、用が済ませたのだから自分にオフィスに戻っていくだろうと、存在を無視しエレベーターホールに移動した。けれど、エレベーターのボタンを押しても、まだ恭平は隣にいる。端から見れば、一緒に待っているように見えると思う。

 その行動が気になり、盗み見るようにこっそり視線を向けた。

 恭平の表情は特に変わった様子はない。ただ階数表示を目で追っているようにも見えなくもない。けれど、階数表示よりも、もっと遠くを見ているように思えた。何か言いたげで、言い出せないでいるようにも見え、美希ちゃんの事で何か相談でもしたいのだろうかと、思わずにはいられない。

 それはただ単に、少し前に美希ちゃんと話したあたしだから、そう思うのかも知れなかった。

 気にはなったけれど、敢えて聞かない。

 意図の見えない行動を取る時の恭平は、触れない方が口を開く率が高い。聞き出そうとすると重く口を閉じるか、はぐらかしても無理だと分かると強制終了する。恭平なりのタイミングというのがあるのだろう。実際、まだ美希ちゃんとの喧嘩の原因を恭平の口からは聞き出せていない。今まで、気になるあまり口にし過ぎているのをもう自覚している。


「今日は早く終われそう?」


 変な沈黙、そして、気になるのに聞けない状況に堪らなくなったのはあたしで、差し障りのなさそうな今日の予定を聞いてみた。


「あぁ、うーん、そうだな。今日は代休だったんだけどな、ちょと気になる件があっただけし、もうそれも終わったからな。今日は早く上がれそうだ。お前は?」


「そうね、6時くらいには何とか」


「そっか。だったら、終わったら上に来いよ」


 恭平は、ただ黙っていたのではなく何かを考えていたようで、反応が鈍かった。行間を読めとでも言いたいのだろうか。

 本城君ならまだしも、恭平が反応が遅れるまで何かを考えているとは、どうしたのだろう。と、ほんの少し心配しそうになる。けれど、恭平だ。消化できないほどのストレスや、美希ちゃんとのことは別にして悩みを抱えているとは思えない。


「あー。どうするかなぁ。それまで残ってる雑務、終わらせっかな」


 やはり、恭平はどこか他に行っているようだ。終わったと思った会話を間を空け、再開したかと思うと自己解決する。

 エレベーターが到着し、乗り込むと恭平も後に続いた。

 付いてくるなんて、やっぱり何かあるらしい。というよりも、何だか様子が変だ。もしかすると希なパターンで、あたしから聞いて欲しいのだろうか。それとも、心配そうな顔で、どうしたの? と、気遣って欲しいのだろうか。

 そう思っても、恭平が何を言おうとしているのかわからない。踏み込むには、まだ早い気がした。

 考え過ぎなのだろうか。

 

「あれからさ、どうしたんだ?」


「って、どれからよ」


 エレベータの扉が閉まると、いきなり話し始められたのはいい。いきなり過ぎて、話が全く見えてこない。

 本題かもわからない会話に突入され、一瞬にして苛ついた。さもあたしが理解しているような話し方は、止めて欲しい。ただでさえ恭平が何を考えているのかわからないまま、待たされていたというのに。

 不機嫌を押し出すのは、止めた方がいいと思ったけれど、あたしから出た言葉はしっかり苛つきを表現していた。


「あれから携帯繋がらないし、日曜も携帯電源切ってるしさ。今朝かけても。加倉主任と何かあったのか?」


 あたしの苛つきなど慣れてしまっているのか、興味がないのかも知れないけれど、恭平の余りに頓着しない話の進め方に、息巻きそうになる。しかも、聞いて欲しくない事を持ち出してきた。

 ため息よりも軽く一息つき、沈着を求めた。


「あぁ、その事ね。恭平来てくれないから、大変だったんだから。睡眠不足続きの上に、あんななんだから。完璧あたしには手に負えないし、困ってたのにさぁ。不親切な恭平には教えてあげない」


「なんだよ、それ」


「そんな事を聞く為に付いて来たわけ?」


「悪いかよ。心配して損した。一応、お前も女だって事を思い出しただけだ」


「あらそう。けどね、一応じゃなくて、本物です。失礼ね」


 恭平が喜ぶ加倉さんの話はしてやらないと意地悪心が燃え出した。恭平の変な行動の先に、そんな事が隠れていたのかと驚きも憤慨もしたけれど、狼狽える事なく息巻きもせず答えられた。

 大量のアルコールの力でも借りなければ、あの日の事を話すなんてできないだろう。それでも、自制心が残っていれば、無理だ。今のところ、話す気もなければ、予定もない。

 自分でも日が高く昇り目覚めた時には、理解に苦しかった。しかも、記憶が曖昧で、うっすら覚えていた事でさえも信じたくなかった。それでも何かに酔っているような雰囲気だけは覚えていた。そして、身につけているものが極端に少なく、無いに等しければ動揺しないわけがなった。

 恭平は、何でも話せる親友の部類だけれど、見境なく何でも話せるわけではない。

 もう、徹夜なんてするのは止めよう。あたしには、もう無理なんだ。仕事を始めたばかりの気合いも、若さも耐久性も無くしてしまったのだろう。規則正しい生活を心がけよう。

 エレベータが1階に着き、聞きたい事は聞いたのだから、てっきりそのまま自分のオフィスに戻ると思っていた。それは、あたしの思い違いのようで恭平は付いて出てきた。

 何処かに出かけるのだろうか。そう思って恭平を観察しても、荷物を持っていない。外回りというわけではないようだ。


「恭平、どこか行くの?」


「心配してやったんだ。何か奢れよ」


 あからさまに、タンブラーと財布を持っているのを見て、買い出しに出かけるのに気づいたのだろう。冗談と分かる口調で不機嫌に顔を顰めそう言い出した恭平は、なんだか拗ねているように見えた。

 奢らないといけない状況に全くした覚えがないのを抗議しようと口を開きかけ、大人しく家に帰ってもらう為に、あたしも大人しく奢っておく事にした。

 あまり時間を取る事はできない。勤務中なのだから、たいした物を奢らなくても文句は言わないだろう。







「なぁ、今日葉折さんに会ったか?」


「今日は、見かけてもないな。どうしたの?」


 コーヒーを入手してお店を出た所で、先週末覗きに行ったイベントの話から、唐突に話を変えてきた。

 恭平は、葉折さんに関する何かを思い出し、そう言い出したのだろうとは思う。葉折さんに何あったんだろうか。


「あの人、機嫌悪いって事ほとんどないだろう? なのにだ、不機嫌に見えないのに、不機嫌なんだよな」


「それは複雑な光景ね。けど、想像つくわ」


 たぶん、恭平は軽く遇われオフィスから追い出されたのだろう。希に集中を乱す不届き者にそういう態度を取る事がある。

 普段の葉折さんなら、仕事途中で手を止められるような事になっても、自分の課以外の人間になら無駄なお喋りにも付き合うし、仲の良い人間なら気分転換がしたいと休憩に誘うだろう。

 恭平は、今のところ急ぐ仕事もないのだろうから、葉折さんに構ってもらいに行ったのだと思う。今日は元々、あたしではなく葉折さんを誘いに行ったのかも知れない。


「何なんだ? あれは」


「そんなの、あたしが知るわけないでしょ。それって、いつの話?」


「お前の所に行く前」


 葉折さんの不機嫌になる要素がわからない。

 恭平もわからないなら、その場で聞けばよかったのにと思う。何故あたしに聞くのだろう。あたしにわかる訳がないのに。


「葉折さんって、溜め込むタイプよね。もしかして、そろそろ爆発寸前とか」


「かもな」


「恭平は、葉折さんがキレたとこ、見た事ある?」


「ない」


 少し考え込んでいた恭平は、一変して楽しい事が待っているかのように、そう言い切った。

 葉折さんのキレている姿を見たいのだろうな、と予想が付く。

 人の事が楽しくて仕方がないのかも知れないけれど、恭平自身の問題をどうにかしたらいいのにと、その傾向に大いに傾く恭平には呆れてしまう。

 恭平は、加倉さんのように自分の問題を誰かに言ったり、アドバイスを求めるなんて事はほぼしない。それでも、自己消化しているその強さには頭が下がる。あたしの知らないところで、何かしらのアクションを起こしているのかも知れないけれど、あたしの耳には入ってきた事がない。それは、あたしの考え過ぎで、悩みを悩みと思っていないとも言い切れない。それは、それで、強いという事なのか。

 加倉さんの場合は言ってスッキリしているようで、深刻な問題でさえ、簡単に人に言ってしまう。それもどうだかと思う。けれど、その点が恭平とは対照的だからといって、加倉さんが弱いかと言えば、やっぱりそうとも思えない。

 一度、恭平にその辺りの事を聞いてみるのも面白いかも知れない。少しアルコールを含ませ、饒舌になり始めた時にでも聞いてみたい。


「あ、そう言えば。今日、まだ会ってないけど加倉さん来てるから、あたしが動かした葉折さんのスケジュールをまた動かされたのかも知れない。あたしが動かしたので、十分間に合うはずなんだけどなぁ」


「なんだ〜、それ」


 興味津々の恭平に、金曜に恭平と会場で別れてた後、それからの葉折さんの様子を話した。そして、あたしも追い出されたと話した途端、俺の方がましだと言いながら、慰めているつもりなのか、頭を乱暴になでられた。


「だから、それは止めてって言ってるでしょ。髪短くなった分、乱れるんだから」


「けどさ、それは関係ないんじゃないか? それが尾を引いてるとも思えない」


「この間、葉折さんって根に持つタイプって言ったのは恭平じゃない」


「まぁ、そうなんだけどな」


 恭平はあたしの抗議を存分に無視し、話の流れを元に戻す。あたしは、どうでもいいという扱いのようだ。

 何故、そんなに葉折さんの事を気にするのだろう。


「しかたないなぁ。後で、葉折さんの様子見てくるわ」


 二人で、葉折さんの事をあれこれ考えたところで、答えが出るわけではない。不機嫌の根源を知るには、本人に聞くのが一番だ。

 恭平が気にする程、葉折さんのご機嫌斜めは珍しい事。それは、あたしも久々に見てみたい気がする。以前見たのはいつだっただろうか。不機嫌な葉折さんは出てきても、いつの事だったのかは出てこない。かなり前だということは間違いない。

 そのとばっちりを受けるのは、ごめんだ。恭平には、様子を見に行くと宣言したけれど、警報が出ているようなら早々に退散しよう。







 エレベータが7階に到着し降りると気が済んだのか、恭平はもう一つ上の階の自分のオフィスにすんなりと戻って行った。

 それにしても、あたしが一応女だっただとか、葉折さんの機嫌の悪さなんて、あたしに話さなくても自己解決してほしい。前者は、失礼極まりない。

 そんな事よりも、自分自身の状況回復に頭を使った方がいいのは、火を見るよりも明らかなのに。人の事より、その努力をすればいい。そうあたしが勝手に美希ちゃんを放っておいていると思っているだけで、もしかすると、恭平なりに危機感は持っているのかも知れない。

 恭平の事が浮かんでくれば、彼らの状況が気にかかって仕方がない。今、あたしがどんなに考えても変わりはしない。わかっていても考えてしまっている。

 オフィスに足を踏み入れながら、頭を切り換えこれからの予定を考えた。もうそろそろ、模様替えのために、片付け始めた方がいいだろう。

 配置をどうするのかも決めていなければ、本城君にはオフィスのレイアウトを変える事も話していない。

 考えを巡らせながらパーテーションの壁の間を抜けた。

 春香ちゃんが言っていたように、ちゃんと出勤し電話をしている加倉さんが目に入り、自分でも驚く程の動揺受けると、あぁ、恭平にもあたしに言えない事はいくらでもあるんだ、と少し寂しく思う気持ちと一緒に納得する。


「先輩、お帰りなさい。さっき、葉折さんの本日6度目のご訪問がありまして……。先輩が出先から帰ってきたら、お知らせしようと思っていたのに忘れてまして」


 春香ちゃんは、あたしを見つけハッとしたかと思うと、ばつが悪そうに言った。

 何故、そんな表情をするのか気になった。特に、葉折さんがあたしを探す事が珍しい事でもない。珍しいと言えば、葉折さんの不機嫌の方だ。


「いいんじゃないの? そんなに急ぎでもないんだろうし。急ぎなら、携帯にでも掛けてくるから。まずもって、オフィスにいるかいないかなんて、内線で確認すればいいのに」


「そう、言われましても。ねぇ、斉藤さん」


 あたしから、目を逸らすと斉藤さんに何か同意を求めるように話を振り、縋る目をする。すると、斉藤さんは斉藤さんで、気まずそうに口を開いた。


「すみません、あたしも自分の事を伊藤さんに確認したくて、すっかり忘れていたんです。連絡メモには、しっかり書いておいたんですけど」


 そう言った斉藤さんは、春香ちゃんがそうしたように本城君に視線を送る。


「え?」


 いったい、どうしたというのだろう。なんだか、置き去りにされているような気分になる。

 不思議に思い本城君に目を向けると、引きつった苦笑いを見せた。


「実は、俺も今朝からずっと捕まる毎に、伊藤さん情報を提供させられて、伝言も頼まれてたんっスけど、俺も忘れてて」


「あさちゃんは、モテるな。宮内も探してたぞ。それから、今井に連絡入れろよ。佐崎部長にも」


 いつの間にかデスクを離れ、あたしの肩に手を置き存在を知らせた加倉さんは、会話に便乗してきた。


「佐崎部長とは、面会しましたけど。それは、いつの話ですか?」


「昼過ぎぐらいだったか?」


 自分で振っておりきながら、少し遠い目をし思い出しながら話す加倉さんを見て、どぎまぎした。

 内心穏やかではいられなかった。それでも、取り乱すこともできない。沸き上がってくる感情を他の人とすり替えるように、勢いよく切り替えた。


「そうですか。念のため、もう一度部長の所に行ってきます」


「だな、そうしろ。今井の方は、明日でもいいだろう。宮内は、いつもの事ながら……」


「先に、宮内主任に会って来た方が良さそうですね」


「まぁ、不機嫌はいつもだろう、優先させる事もないんじゃないのか?」


「今、拗ねられると困るんですよ。いろいろと面倒ですから」


 加倉さんから逃げるように離れると、斉藤さんに頼んでおいた報告書のリプリントを受け取った。

 部長にも同じ物を提出済みだけれど、もう一度ざっと確認をし、個別ファイルの一番使わない色を選び差し込んだ。宮内に渡すというのに、お気に入りの色を使うのはもったいない。






 営業部のオフィスに入ると宮内を見つける前に、まじめに職務に取り組んでいる恭平を見つけた。オフィスを見渡しても、宮内の姿は見あたらなかった。聞くのが一番だろうと、あたしが視界に入っていない恭平に声を掛けた。


「今、会議中。もうそろそろ、終わるんじゃないのか。始まって、かなり経つからな」


「そう。待ってた方がいいんだろうけど時間ないし、これ見せれば済む事なのよね。次が詰まってるから。お願いできる?」


 恭平はファイルの中身を確認する事なく、わかったと快く引き受けてくれた。


「じゃ、あたし戻るから。あと、この他にも伝えたい事があるから、それに目を通して手が空いたら、携帯に電話してって、伝えて」


「戻るんなら、携帯じゃなくてもいいんじゃないか?」


「社内を巡ってから、会議する予定なんだけど、あたしの戻り待ちなのよ。会議中なら、中断させるから。それ以外なら、待ってもらう事にもなりそう」


 恭平に伝言も伝えると、急いで部長のオフィスに向かった。

 たぶん部長の用件は先ほどの訪問で足りているのでは無いかと思う。加倉さんはお昼過ぎだと話していた。それからずいぶん経ってから、部長に会いに行ったのだから、足りているだろう。それでも、念のためと部長のオフィスへ足を進めた。

 本当に部長も人が悪い。戸田山さんから、あたしが新郎の姪だと話を聞いているのなら、先に教えてくれてもいいと思う。それならば、疲れを増幅させる事もなかったのではないかと、思わずにはいられない。

 悪戯心なのはわかっていても、大人げないとしか思えない。

 戸田山さんと二人して、あたし達が驚くのを楽しんでいたに違いない。あたしの訪問後、戸田山さんが部長に電話でも掛けて、笑い話にしていたのが見えるようだ。事実、報告書を手に報告に行くと部長は終始上機嫌。報告書なんて、必要ないように思えた。


「失礼します」


「何かありましたか?」


 松原さんは忙しかったのか、ご機嫌伺いは省かれ佐崎部長は席を外していると教えられた。


「そうですか。部長が戻られたら、伺っておきましょう。戻ってらして。お知らせしますから」


 手短にここに来た経緯を説明すると、松原さんに追い出されてしまった。

 機嫌が悪そうにも見えないけれど、少し怖いような気がした。どうしたのだろうと気になった。

 元々、松原さんは少し苦手だ。勝手にあたしがそう思うだけで、特に意味がないのかも知れない。忙しかっただけなのかも知れないし、と部長のオフィスを早々に退散した。








 谷間のこの時期は、暇なはずだった。けれど、なんだかんだと色々と出てきているのは、何故なのだろう。単に、営業ががんばっているだけか。明日は、企画部の月例会議の日。加倉さんが何か聞いて来るかも知れない。

 加倉さんから引き継ぐ、今井さんからの仕事は売上が上がるのは来年度の話。しかもスパンが長い。直ぐに始めなければならない仕事でもなく、先にマーケティング部に動いてもらわないといけない。今年度は、企画を組み立てる前に、打ち合わせやアウトラインの作成。機密事項も持ち帰る事になるだろう。それにも注意を払わなければならない上に、出向しているのではないかと思う程、きっと今井さんの会社に入り浸ることになるだろう。

 たぶん、うちの社でしなくとも、自社でできるのではないかと思う。それでも、よこしてきたのは何故だろう。やっぱり、加倉さんだからじゃないかと思う。それを、あたしが引き受けていいのだろうか。

 もう既に加倉さんは、今井さんにあたしが受けると伝えている様子。それでも、キャンセルになっていない。加倉さんも、やっぱり自分でするとも言わない。

 この仕事では通常の企画を作成して実行するという、いつもの仕事では済まない。ここから始まる新たなプロジェクトの為に、それなりの成果をクライアントに戻さないといけない。

 責任が重すぎるのではないかと思う気持ちもある。けれど、この規模の経験がないわけでもない。先が全く見えないのも事実。

 いったい、どうなるのだろう。


「先輩、お帰りなさい。早かったですね」


「あ、ただいま」


 新たな仕事の事を考え込みながら、退散してきた所為か自分のオフィスに戻っていた。次に何をするつもりだったのだろうと、記憶を辿った。

 頭がなかなか、新たな仕事から離れないでいる所為で、全く記憶がたどれなかった。


「先輩、葉折さんどうでした? 怒ってませんでしたか?」


「あ、忘れた」


「何をですか?」


「葉折さん見に行くのを」


「せんぱ〜いぃ。どうして、行かないんですか! 早く行ってきてください!」


 春香ちゃんに進行方向を変えられ、一息つけないまま背中を押されながら、オフィスを追い出された。

 何なのだろう。全く、理解に苦しい。そんなに急ぐ事もないだろうと思う。

 追い出されたけれど、春香ちゃんに松原さんから連絡が入る事を伝えにまた、オフィスに戻った。それを見つけた春香ちゃんは血相を変えて早く行けと急かし、結局伝えられなかった。

 疑問符が頭の中でいっぱいになる。しかも、春香ちゃんだけではなく、斉藤さんも一緒になってあたしを急かした。

 自分達が、あたしに伝え忘れたのだから、あたしにそんな態度を取らなくてもいいのに。あたしが悪いみたいだ。そう拗ねていると、エレベーターホールに繋がる廊下で本城君と鉢合わせた。

 第一声、葉折さんに会ってきましたかと聞かれ、まだだと答えると、本城君にも急かされた。

 あたしが悪いのか。いや、違うだろうと思っても、責められている気分に拍車がかかるには変わりなかった。

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