◆ 6 ◆ 01 人事は、そんなに面白い?!
初めて、男の人の部屋で朝を迎えた。
和也は一人暮らしではなかったし、あたしが家を出てからは、あたしの部屋に突然来るか、デートの後にそのままお泊まり。
あたしは、もう少し遊んでもイイかも知れない。
和也が転勤になった時、日頃の和也に対してのハッキリできない気持ちと、他の誰かに目を向けるのもイイかもという思いから、早智子や他の友達に誘われるまま、コンパや仲間内のイベントに参加した。
恋愛に発展する事は無かったけれど、仲良くなった人達はいた。それでも、デートするくらいで、それ以上には気が乗らなかった。
それは、いいかなと思い始めると、和也が邪魔するように帰ってきたり、彼の存在を思い出させる様な、連絡があったり。
思えば、早く切り上げて別れていれば、今頃、先を考えられるラブラブな関係を築けるイイ人がいたかも知れない。
引き延ばしてしまったのは、あたし自身なのだから、仕方がない。けれど、今回は完璧にフリーになったのだ。少しは、流されて行動してみるのも良いかもしれない。自分でも、ブレーキを掛けていた事はわかっている。敢えて、そうしていたわけではないけれど、和也への想いを断ち切れないでいたあたしは、流されかけると、後ろめたさを感じ自然と自分に制限を設けていた。
熟睡し、身体の力がすっかり抜けた加倉さんからは、容易に抜け出すことが出来た。ベッドから出ると寒く、熱いシャワーを浴びたくなった。けれど、それは帰ってからだ。
遮光カーテンの寝室では、外の状況を伺うことは出来なかった。リビングに移動すると、外はまだ暗かったけれど、明るくなり始めていた。
カーテンを開ければ、まだ起き始めたばかりの静かな街並み。
寒さに負け、勝手にエアコンのスイッチを入れた。人の部屋だけれど、ホテルの部屋のように、自由にして良いような気がしていた。
こんなに長居をするつもりはなかった。様子を見て何か食べさせたら、帰ってゆっくり、仕事をするつもりだった。全くの予想外。予定が狂ってしまった。
目が覚めてから暫く経っている事もあって、嗜好品を身体が求めている。
早速、キッチンに向かい、お湯を沸かした。バッグから取り出し、持ってきたタバコを箱から一本取り出すと、火を付けた。お湯が沸くのを待ちながら、換気扇の下で、煙を吐き出した。
帰って、支度をしなければ。コーヒーを一杯飲んだら帰えろう。
暫く、火に掛けたヤカンを眺めながら、ボーッとし何も考える事なく過ごした。
やっぱり、このキッチン良いなと周りに、目を向けるた。そして、昨日のままになっているカップを見付けた。あのまま、片付けるのを忘れてしまっていた。
タバコの火を消し、カップを片付け終わると、コーヒーを入れリビングに戻った。
リビングは室温が上がり、過ごしやすくなっている。ソファーに腰を下ろし、テーブルにカップを置いた。
そして、習慣なのか意識することなく、タバコを取り出していた。
コーヒーが身体に入ってくると、自然とため息が漏れた。
ここの所、睡眠不足が続いている。身体に怠さも感じる。明日には、思う存分眠れるはずだ。もう少しの辛抱。
仕事が終わり、帰ってから部屋の掃除をするつもりでいたけれど、そこまでの元気は出そうにない。少し、先延ばしにしても良いだろう。誰が迷惑を被るわけでもない。
コーヒーも少なくなってきたところで、タバコを消し、ジャケットに手を通した。そして、ボタンを留めていて気が付いた。胸に手を当て、一体何処あるのかと、ソファーの下や辺りを見回しても、らしき物がない。ならば、寝室かと足を向けた。
ベッドの上を見ても、加倉さんしかない。あたしの探す物は、何処に行ってしまったのだろう。ベッドの下を覗き込んでも、薄暗い部屋では、何も見えなかった。電気を付けて、折角よく眠っている加倉さんを起こすのは、面倒くさい。
諦め掛け、少し布団を捲るとベッドと布団の隙間にぶら下がっているのを見付けた。
こんなにバランス悪く、垂れ下がっているのに、何故落ちないのだろう。
そう思いながら、手に取ろうとして手を伸ばすとホックが、ワッフル生地のマットレスカバーに引っかかっているのに気が付いた。生地を傷めてしまわないように気を遣ってホックを外た。すると、加倉さんがどうやってハズしたのかわかった。肩のストラップがハズされていた。
それに気付かず眠っていたとは、あたしの疲れはかなりピークに近いのかも知れない。
まともに目の覚めた今では、ハッキリと恥ずかしさを感じてしまう。
知らない誰かなら、まだ、諦めがつく。加倉さんの顔を見る度に思い出しそうだ。そう考えると、益々、顔が熱くなる。
なんて事をしてくれるのだろう。なんとか譲って、ふらふらで思考能力の弱っているのだから、衣服の上から触るのくらいなら許してやろう。けれど、見せてやろうという気にはなれない。
今頃になって、その重大さを考えるなんて、しっかり加倉さんに流されてしまった。眠っている間に、余計な事をされていなければいいと願うしかない。
静かにぐっすり眠っている加倉さんの寝顔が、癪に障る。いくら寝顔を睨んでみて、何の効果もない。余計に、腹立たしくなってきた。
有給まとめ取りでも、気が治まらない。
何かしてやらねばならんだろう! と、思ったところで、倍返しの危険性もある。どうしたものか。
混乱気味の頭で考えてみても、いい手は何も浮かんでこない。
頭を悩ませながらリビングに戻ると、折角着たジャケットを脱ぎ、ストラップを元通りにした。
ブラウスとキャミソールも脱ぐと全てを元通りにした。そして、寒さに震えなくて済んで、エアコンを付けていてた自分を褒めた。
身支度を調えるとエアコンの切り、加倉さんの部屋を出た。
加倉さんが起きあがったとしても、憤慨するような事がないように元の位置に全てを戻しておくのも忘れずに。一瞬、グチャグチャにシャッフルしてやろうかとも考えた。けれど、意地悪は加倉さんがオフィスに来てからでも十分出来る。それに、ストレスを与えて、直りが悪くなって困るのは、あたしだ。
電車の中で少し眠った事もあって、歩きながら全身に怠さを感じる。足だけが頑張って、前に向かってくれている。今のあたしは、とんでも無く疲れた顔をしているかも知れない。
そんなに遠くない道のりをひたすら進み、やっとの思いで自分の部屋に辿り着いた。
このまま眠ってしまうわけにはいかない。
リビングに落ち着くより前に、バッグを持ったままバスルームに向かい、服を脱ぎ捨てた。
今日は、たっぷり眠れるように頑張ろう。
立っているのにも不安定さを感じ、バスタブに座り設定温度をいつもより高い45度に設定した。
温度が安定するのを少しの間、嫌でも目に入る自分の身体。疲れた脳には、全くもってヘビーだ。見られたという恥ずかしさが、また、こみ上げてきた。
熱いシャワーを頭からかぶった。必死で、他の事を考える。これからの段取り、本城君は、どんなお仕置きを受ける事になるのだろうとか。笠原夫妻の喧嘩の原因は何故、そんなに長く尾を引いているのだろうとか。自分に関係ない、どうでも良い事や気になる事を次から次へと巡った。
シャワーから出ると、疲労は最高潮でベッドに滑り込みたくて仕方がなかった。シャワーで少しは、疲労を誤魔化されるかと思ったけれど、今日は効かないようだ。
濡れた髪をタオルで包み込み、クローゼットの中から今日着る物を選んだ。寝室と、服を収納する部屋を分けていてよかった。ベッドを目にすると、貪欲に睡眠を貪る自信がある。帰ってくるまで、絶対に寝室に近寄らないと決めた。
選び終えると、それらを持ってリビングに戻った。姿見は、寝室にしかない。それに、メイク道具もだ。今までそれが、都合がよかったのだけれど、帰ってから移動させよう。今日みたいな日がまたあるかも知れない。
寝室へのドアの前で、少しどうしようかと考えた。
姿見は、いいにしても、メイク道具はどうする事もできない。寝室に入らないと決めたのに……。
目を伏せドアを開け、ベッドを見ないように気をつけながら、ドレッサーから鏡と必要な物を近くにあったトートバッグに詰め込んだ。
なんとか、ベッド見ることなく寝室を出る。
こんな事に使うはずではなかったトートバッグをソファーの上に置き、キッチンに向かう。髪を乾かす前に、ポットのお湯を入れ替えた。
いつもなら、バスルームを出る前に髪を乾かすけれど、今日は準備の方を先にしなければ、本当に休日モードに入ってしまいそうだった。
自分の部屋に居心地の良さを身体に感じさせるより早く準備を整え、出掛けた。
京香さんのお宅にお邪魔するには、カナリ早い。けれど、長く部屋にいると、抜け出せなくなりそうだった。
地下鉄を乗り継ぎ向かったのは、昨日の会場。
恭平は、来なくてもイイと言ってくれたけれど、あたし自身の為だ。手伝わせてくれなくても、挨拶しまくり、名刺を配り歩けばいい。
「なんだよ。来なくてイイって、言っただろ?」
関係者用の裏の入口から会場に入れば、担当者を見付ける前に恭平に見つかってしまった。特に会うつもりは無かった。
「はい、言われました。けど、寝ちゃいそうで、部屋から脱出したかったのよ。邪魔しに来たんじゃないんだから、そんな嫌そうな顔しないでよ。なんで、そんな顔するかな」
「別に、嫌そうな顔してないだろう」
「十分してるし、何、怒ってんのよ」
機嫌が悪いと言うより、トゲトゲしている。それを機嫌が悪いというのかも知れないけれど、なんだか、目の前の恭平には合わないような気がする。
忙しかった所為だろうか。何か、トラブルでもあったのかも知れない。けれど、周りはスムーズに動いているように思う。苛つく原因が何かしら、何処かにあるのだろう。何処にあるのかは、あたしにはわからない。
「怒ってねぇよ。で、加倉主任どうだ?」
「あぁ、あの人、子供化してた。もう、聞き分け悪くて大変だったのよ。しかも、高熱出してるし。今日も行かないと行けないのかな? 放っておきたいんだけど、予想以上に具合悪いのよね」
「ずる休みじゃ、無かったわけだな。まぁ、それはあの人にあり得ないな。けど、他に誰か来てなかったのか? あの人の事だから、看病させたんじゃ?」
やっぱり、恭平もそう思っていたのか。
昨日、誘ったのに来なかったのは、看病しに来ている女とあたしの鉢合わせで、修羅場を期待たからだそうだ。見てみたい気もしたけれど、壮絶さを恐れたと、あたしの大した事のない追求に白状した。
「あたしも、それを恐れてたのよ。だから、あたしが行く前に帰らすように念を押しておいたんだけど、誰も呼んでなかったのよね。珍しい事もあるものね」
「加倉主任、弱ってるとこ見せたくなかったのかもな。まぁ、麻美なら別に構わないか」
「何よ、それ。構わない理由がわからない。お陰で、理不尽に怒られるし、誤解されるし。また、当分は実家に帰れないわよ」
昨日の事を恭平に愚痴ると、いくらか気が晴れた。
その後の、利かん坊振りもバラしてやると、恭平は、今まであたしの話したどんな話よりウケていた。
恭平にバラした事と、長期休暇でチャラにしてあげる事にしよう。
恭平は、本城君と違って、不用意に加倉さんネタを言いふらしたりはしないだろう。ただ、加倉さんをからかうのに使うかも知れない。それでも構わない。あたしの感じた恥ずかしさよりマシだろう。
「麻美も大変だな。お前の課には、お守りの必要なヤツが多すぎるな」
「っていうか、そうじゃない人はいるのかな? あ、恭平、ココまで引き留めといて、悪いんだけど。時間ある? 相談したいんだけど」
「準備は終わってるし、後は任せて良いだろう」
恭平は、少し考えてそう言った。そして、抜けると部下と連れ立って来ていた営業企画のスタッフに報告すると、戻ってきた。
二人で裏の入口近くの喫煙所に、コーヒーを自動販売機で買い移動した。
結局、加倉さんは相談できる状況ではなかった。何も決定打を誰からも貰えないままだった。
恭平には、異動の事の始まりから詳しく話した。そして、今あたしが持っている情報の中で、一番厄介なあたしを欲しがる理由を教えた。
「マジでか? うちの課長が? まぁ、噂はあったんだよな。それ、たぶん総務の子だろう。けど、それが理由とも思えないな。麻美なら、下準備無くても手っ取り早く、すぐに使えるだろう? それに、取引先との面識もあるし、即戦力だよな。お前、営業顔負けで、打ち合わせ行って他の仕事も取ってくるし。麻美から営業に引き継ぐパターン多いだろう?」
あたしの思っていた、末原課長の個人的な事は関係なかったようだ。よく考えてみれば、末原課長に人事を動かすほどの力があるとも思えない。
何であれ、正当な評価を受けているというのならば、喜ばしい事だ。それならば、素直に営業課1課にスカウトされた事を喜んで良いのかも知れない。宮内は、やっぱり、ムカつかされるだろうけれど。
「じゃあ、営業に行っても面倒な事には、ならないかな? けど、それなら、何処に決めたら良いんだろう。消去法も出来なくなったじゃない。企画課だって、放り出して行くには、問題がありすぎるのよね」
「確かに、そうだよな。人員補充するって言ったって、すぐに使えるとも思えないしな。けどさ、そのハードル上げてるのは、麻美だろう? 企画上げてくるのは早いわ、準備も畳み掛けるように猛ダッシュで終わらせるし。次のヤツが可哀相だぜ。比べられるのが目に見えてるからな」
恭平は、吸っていたタバコをもみ消すと、すぐに新しいタバコを取り出した。そんなに、休憩する暇がなかったのだろうか。補充しているように見える。
会話に集中していて、タバコを吸っていなかったあたしは、缶コーヒーを恭平に預け、バッグの中からタバコを取りだし火を付けた。
本当は、もっと落ち着いた所でゆっくり話したかった。けれど、その時間は無い。恭平は、別に構わないだろうけれど、あたしの身も持たない。少しでも早く、家に帰りたい。
「けどさ、あたしの習性をハードルにされてもね。結局、どうしたら良いんだろう。まったく、自分でもどうしていいんだか。何処に行きたいわけでもないし」
「まぁ、その中だと一番の出世は、制作じゃないのか? 葉折さんの事だから、諦め悪いぞ。麻美が行かなかったら、葉折さんになるだろ? そうなったら、根に持つどころか、永遠に言われ続けそうな気がするなぁ。あの人、爽やかそうに見えて、顕著に拘るからな」
「一理あるわね。それは、勘弁して貰いたい。けど、DTP課に行くんなら、残業増えそうでイヤね。そう考えると、DTP課は消してもいいかも。恭平、葉折さん何とかしてよ」
「俺に振るなよ。あぁ、そう言えば、葉折さん彼女と別れたらしいぞ。麻美、葉折さんどうだ? そしたら、言われずに済むかもな」
「冗談はやめてよ。軽く言わないで。昨日まで、和也と寄りを戻させようとしてたくせに」
恭平の考えている事が、わからない。もしかして、和也に今の状況がどうなっているのか、聞いたのかも知れない。それならば、この切り返しも容易に納得できる。
「まぁな。和也は和也で……。麻美に拘ってるしな。俺が言う事じゃ無いかも知れない。けどさ、アイツの言う事もわからないって事もないしなぁ」
歯切れの悪い事を言う。何を知っているんだろう。あたしの知らない情報を持っているのかも知れない。けれど、それには触れない方が良いと思う。これ以上の和也の情報はいらない。
「麻美さ、本当に和也と別れていいのか?」
「いいの。もう、それは変わらない。結局の所、原因は、和也にあったとしても、その後は、あたしの所為だから。客観的に自分を見ると、良くわかったの。引き延ばしてたんだもん。それに、和也にはあたしは必要ない」
「お前、自己分析しすぎじゃないか?」
「そう? こんな状況になっちゃって、苦しく思ったりしたわけだから、やっぱり、繰り返したくはないもん。反省はしないと」
どうして、異動の話から和也の話に変わっているんだろう。
和也を好きで、離したくないという気持ちは、溢れて出てくるほどたくさんある。和也以上に好きになれる人が出来るとは、今の状況では予想さえ出来ない。
結局、あたしには、和也を許し自分の気持ちを消化する事が出来ないのだ。もう、離れるしか解決させることが出来ない。別れを決めた時、そこまで深くは考えていなかった。ただ、抜け出したかっただけだった。
「それにね、もう、和也を引き留め続けるのは、彼にとっても、あたしにとっても、最終的には、苦痛でしかなくなるだろうし。今の段階だったら、イイ思い出だってある。思い出す事さえ、イヤになるという事だって避けられるって、思う」
恭平は、これ以上は和也との別れについて、掘り返さないと言い出した。
特に、恭平に触れて欲しくないというわけではなかった。けれど、今まで揺れ続けていたあたしの気持ちが、静かに落ち着き、恭平が納得する域まで達したのかも知れなかった。
まだ、揺らされる事はあるかもしれない。けれど、もう戻ったりはしないだろう。
「恭平、ところでさ、あたしは何処に行ったらいいのかな?」
「加倉主任は、知ってるのか?」
「部長から聞いたみたい。この間、春香ちゃんが言ってたの覚えてる? 加倉さんが機嫌悪かったって言うの」
「春香ちゃんの言うような、あの人の不機嫌さなんて考えられないぜ、普通。麻美、何したんだよ」
興味津々に聞いてくる恭平に、あたしが逆ギレした原因を教えた。すると恭平は、楽しくて仕方がないかのように声を上げて笑い出した。
どうやら、恭平は、加倉さん情報には反応がイイらしい。
恭平は、あたしより加倉さんと組む事が多い。その所為か、日頃、目にする自分で得る情報と、あたしからの加倉さん情報との差が面白いのかも知れない。
加倉さんは、あたしに対してというよりも、オフィスにいる時と、表に出す違いがありすぎる。あたし自身、加倉さんと初めて会った時は、今とは全く違う印象を持っていた。
「それでね、昨日だって相談に乗って貰おうと思っても、子供化してて言う事もまともに聞いてくれない。部長に結論を出すのも月曜だって言うのにね。結局、恭平はどう思うの? 恭平なら、どうする?」
「俺には、全く当てはまらない状況だから、俺ならってのは、何とも言えないけど、加倉さん的には、麻美がそのままいる方がいいんじゃないか? まぁ、葉折さん的だと、こっちに来てどうにかしてくれよ状態なんだろうな。うちの課にってのは、省いていいんじゃないか。確かに、手っ取り早いけどさ、どうせ新入社員も来るだろうし、中途でも何人か入るだろうし。麻美じゃなくてもいいだろう」
「評価されるのは嬉しいけど、それもそうね。その二つで、考えようかな。ありがとう。とりあえず、一つ減ったわ」
「後は、自分で決めるんだな。俺的には、両方面白そうな事になりそうで、楽しみだけどな」
面白い要素が何処にあると言うんだろう。
恭平は、全くの人事という事もあってか、ワクワクしているようで、今日最初に会った時とはまるで違う。たいして、苛ついていたわけでもないのかもしれない。
「ねえ、その面白そうな事って、何よ」
「そんなの、決まってるだろ? 企画に残って、葉折さんと引っ付くだろ? その反対に、制作行って加倉主任の機嫌直しに、加倉主任に持って行かれるか。どっちにしても、面白いことになる」
「それの、どこが面白いわけ? 理解に苦しいわ。まず持って、何でそこであたしが引っ付く事が前提なのよ」
残りが短くなったタバコを揉み消しながら抗議する。けれど、恭平は、愉楽気味に笑顔を向けてくる。
全く理解できない。二人の機嫌を損ねたからといって、引っ付かなければならない理由なんて無いのだから。
「まぁ、いいだろう? 面白い事には変わりないんだから。あ、そうだ、本城とデートするんだって? 麻美って、年下も範囲内か。意外だな」
「あぁ、来週の事ね。そういうんじゃないから。ライブに付き合うだけよ。っていうか、あたしもそのライブに行きたかったんだど、チケット取れなくて。棚ぼたね」
「じゃ、デートじゃないのか? あんまり、本城が上機嫌だったから、てっきり、本城が告って……。この間、和也と鉢合わせしたってのも、本城かと思ってたけど、違うのか?」
「違うわよ。その人の事だって、ちゃんと否定したでしょ? なんで、そう飛躍するのよ。恭平の知ってる本城君じゃないから」
「なんだ、つまんねぇな。それはそれで、どう動くか楽しみだったのに」
残念そうに、そう言われてもあたしの知った事ではない。
恭平の言う事は、矛盾している。
本城君と付き合う事になっていると、本城君の言葉を飛躍して受け取っているのにもかかわらず、葉折さんや加倉さんとも引っ付けて楽しもうとしている。
本城君と付き合うのならば、他の二人は不要だろう。
恭平は、楽しければいいのだろうか。あたしは、恭平のおもちゃか……。
本城君が、恭平のおもちゃなのではなかったのか。なんだか、ムカついてきた。
「もう、あたしの事で楽しまないでよ。とりあえず、ありがと。どっちにするか、今は決められないけど、決めたら教えてあげる」
まともに相談にのってくれたのだから、キレるのはやめておこう。
会場に戻り、クライアントに挨拶を済ませ、順調だと確認できた。時間も程よくなってきたところで、会場を後にした。
恭平に任せ会場出た後、一度会社に寄った。
朝食兼、昼食をとりながら、徹夜して仕上げた企画の総まとめと、企画書を作成した。
メモ程度だったけれど、ほぼ中身を固めていたので、すぐに企画書を仕上げることが出来た。
3パターン作成したうち、2つに絞ろうと思っていた。どれを押すべきか、そして、どれを本城君に持っていって貰うかを読み返しながら検討する。
こういう時は、加倉さんにいつも選んで貰ったりするのだけれど、今は使い物にならない。自分で、決めるのも良いけれど、他の人の意見が欲しい。
今から、本城君を呼び出すのは、少し可哀相な気がした。それに、葉折さんも今日は来ていないだろう。あれだけ、詰まっていた仕事の隙間をたくさん空けてあげたのだから、休んでいてもらわないと困る。
ココには、あたししか居ない。誰にも意見を貰うことが出来ない。
月曜の朝でも、間に合うだろう。今の状況では、思うようには行かない。潔く、『今すぐどうにかしたい』を諦めた。
ふぅ、と溜息半分、深呼吸半分の息を吐き出す。
誰もいないオフィスは、居心地が良い。けれど、寂しさも感じるのも事実。それでも、部屋にいるより眠さを感じても眠れる状況ではないというのは、今のあたしに丁度いい。
バッグの中から、休憩道具を取りだし喫煙室に足を向けた。
さっぱり、忘れていた携帯の存在。メールのアイコンが目を引く。早速、チェックをすると、メルマガや友達からのメールが来ていた。
久しぶりに見る学生時代の友達名前に、前の会社の同僚。どうして、こうも一度に日頃来ない人達から送られて来たのか不思議に思った。
タバコを吸いながら、内容を確認する。どちらも共通の友達ではない。不思議に思っても、理由などそこにはなかった。ただの偶然だったようだ。
携帯でのメールは、少し間誤ついてしまう。それでも、必死に連打してメールに内容を持たせていく。
「え??」
メールを返信していると携帯に電話が入り、今まで必死に紡いだ内容がどうなったのかわからなくなった。
「もしもし?」
「今日は、仕事なんだって?」
「……。どちら様?」
いつの間にか、通話になっていた。そして、今までの努力の結晶がどうなったのかと焦るあまり、誰からの着信なのか見ていなかった。けれど、声には聞き覚えがある。
「酷いな。昨日の夜は着信無視するし、メモリーにもまだ入れてくれてないわけ?」
「あぁ、昌弥? 電話くれてたの? 気付かなかった。メールの方に目がいって、返信してた所なの。ごめんね」
声の主に何となく目星を付け、言い回しで気付いた。
特に特徴があるわけでもない昌弥の声にピンと来なかった。それでも、さすがにそれを素直に伝えるのは、失礼だろう。自分の中だけで留めておく事にする。
「そんなに、忙しい? 直弥は酔っぱらって、玄関で寝てたけど」
「昨日は早く帰したのよ。他のチームの子達と飲みに行ったみたいだけど、しっかり遊ばれたのね」
昌弥は、クスクスと笑いながら、昨日の本城君の壊れっプリを教えてくれた。本城君を酔わすと面白い事になるらしい。
あまりに昌弥は、楽しそうに話す。それを聞きながら、勿体ない事をしていたと思う。
本城君とは、殆どが打ち上げぐらいでしか飲む事はなかった。クライアントや取引先の手前、しっかり自制するようにしつけてあった。その緊張感もあってか、あたしと別れる時まではちゃんとしていた。けれど、その後はわからない。
緊張感の取れた同僚とのアフターならば、そんな必要はないだろう。
「大変だったのね、でも楽しそう。今度は、あたしが壊してみる」
「ところで、今日終わったら付き合わない?」
「ごめん。今日ダメなの。終わってから、また風邪引きさんの様子を見に行かないと。それに、昨日眠れてないから、身体が持ちそうになくて。今も睡魔とうまく付き合う方法を模索中。また今度でもイイ? 今度は、あたしが奢るわ。昌弥のお陰で、恩恵に預かれるわけだしね」
「OKじゃ、そういう事で。けど、それは言うなよ。また、ムカつく」
「イイじゃない、ちゃんと制裁を用意してるんでしょ?」
「まぁな」
あやふやな答え方をするクセに、目一杯の悦楽を含めて言う。しっかり、プランは出来上がっているらしい。
それは、あたしも楽しみで、その時あたしはその場に居れるんだろうか。できれば、居たいと思う。面白そうだ。
「風邪引きさんって、加倉主任って人の事?」
「そうよ。それにしても、仲が良いのね。その日あった事、話し合うんだ?」
「そう言う事ではないよ。直弥が勝手にウダウダ言ってるだけだな。聞いてやるつもりはなくても、アイツ、聞いてるフリだけはしないと、ウザイくらい何度も言うからな。結局、聞いちゃってるわけだけど……」
呆れ気味に、昌弥が溜息をつく。
何となくだけれど、その状況が見えた。同情さえ覚える。
本城君は、男にしておくのは勿体ない程、お喋り好き。手薄の時は、春香ちゃんもしくは、誰かを捕まえどうでもいい話をしている。本城君自身、あたしが相手をしないのをわかっているようで、お喋りできるのか? と、空気を読んで話す。それがまた、良く読んでいるところが小憎たらしい。いつの間にか、付き合わされている時がある。
昌弥との会話は、不思議とほぐれてくる。けれど、そろそろ出掛ける時間が近づき断りを入れ仕事モードに入るべく会話を打ち切った。
オフィスに戻り、持って持参すべき物をチェックした。全てが揃っているのを確認できると、戸締まりを済ませ、セキュリティーをセットして会社を出た。