表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
MAYBE  作者: 汐見しほ
18/29

◇ 5 ◇ 03 事が動く日は、やっぱり慌ただしい。

 オフィスに戻ると、斉藤さんの所にお連れの酒井さんが来ていて、春香ちゃんと本城君を含めて、楽しそうに話していた。

 片や、予想通り戻ってきている野田君は、疲れている様子。まさかとは思うけれど、彼らも加倉さんから風邪を貰っているのではないだろうか。というより、あたしが引っかき回しすぎか。


「二人とも、大丈夫?」


 元気組は放って置いて、お疲れ組の二人に声を掛けた。


「大丈夫なんですけど、取り散らかってると言うか。一段落したと思ったら、これですからね。伊藤さんは、自分の仕事いいんですか?」


「あたしはいいの。一人余分に頂いたし、本城君を扱き使うから。元気が有り余ってるみたいだし。コレ食べよ。今日はもう、急用ではない限り走り回される事はないと思うからね」


 代表して応えた、岸君のデスクに買ってきたおやつ盛りだくさんを置いた。


「春香ちゃん、お茶にしない?」


「あ、何買ってきたんですか?」


 岸君のデスクに置いたデザートを指して、春香ちゃんを離脱させた。

 春香ちゃんは、嬉しそうに近づいてくると、岸君のデスクの上だというのに、いつもあたしが持って帰ってくるものより遥かに大きい紙袋を指して、開けてもイイかと確認してきた。

 もちろん、どうぞ。と、答えると紙袋を開き、中をのぞき込んだ。

 岸君は、春香ちゃんをお好みだ思いだし、あたしは身を引き、岸君の隣を明け渡した。


「酒井さんも時間があるならどう?」


「え、あたしまでいいんですか?」


「もちろんよ」


 たぶん、酒井さんは、加倉さん目当てでやって来たのだろう。残念ながら、今日はお預け。


「じゃ、お茶入れてきますね。先輩は、買ってきたんですよね?」


「うん。あたしはいいよ。悪いけど、みんなに入れてあげて」


「あたし、手伝います」


 声の方に、目を向けてみても、斉藤さんと酒井さんのどちらが言ったのか、わからなかった。そんなに長い時間ではないけれど、二人を代わる代わる見ていると、斉藤さんが席を立った。

 斉藤さんが、春香ちゃんを手伝おうと言い出すとは、思いもしなかった。それに、少し驚いた。それでも、なんだかうまくいっているようで安心する。

 外からオフィスに戻ると、やっぱり暑い。外が寒すぎるのだろう。

 暑いのは、まだ、マフラーを外していないからかも知れない。気が付たついでにジャケットも脱いだ。それをかけると、斉藤さんも離脱したことで、酒井さんは少し居心地悪そうにしているのに気が付いた。


「酒井さん、残念だったわね。また今度、来るといいわ」


「バレてます?」


「そうね。あ、ちょっと、話せる?」


「いいですけど」


「本城君、悪いけどココ頼むわね」


 もう既に休憩モードに入っている本城君の肩を叩くと、意識をこちらに向けさせた。


「いいッスよ。もう出掛けませんから」


 その応えに安心し、春香ちゃんと斉藤さんがデザートに興奮気味で、岸君と話しているのを少し邪魔をして、デザートの隣のバッグを持ち酒井さんを連れて喫煙室に向かった。

 歩きながら、酒井さんは寒くないのかと聞いてきた。

 どうしてそんなに驚きを含め、信じられない不思議な行動を取ったように言うのか、反対に聞き返したいくらいだった。けれど、意識をしていなかった酒井さんの出で立ちを見て納得した。

 首元は、うちの会社の制服には無いスカーフ。冬用のジャケットの内側には、ベスト。手首から覗いているのは、たぶん、春秋用のカーディガン。ベストの下に着ているのだろう。そして、膝まですっぽりハイソックスで隠している。その下には、パンストを穿いているのではないかと疑いたくなる程。

 じーっと、薄着のあたしを見ながら、答えを心待ちにしている酒井さんに、あたしの身体は熱を良く放出するらしく、スグに暑くなるのだと教えてあげた。

 今まで並んで歩いていた酒井さんは、喫煙室の手前まで行くと、気を遣ってか喫煙室のドアを開けてくれ、先に通してくれた。

 それにお礼を言うと、指定席に腰を下ろした。

 あたしが他の課の人間を連れて来たからなのか、先に来ていた営業企画の二人は都合の良い事に出て行ってくれた。

 別に、出て行けと言ったわけでもなければ、合図をしたわけでもない。なんだか、気を遣わせたみたいで気が引ける。後で、たっぷり買ってきたデザートをお裾分けしてあげよう。


「酒井さん、加倉さんの事は本気なの? それとも、ただの憧れ?」


 隣に座る酒井さんには、目を向けることなく、タバコを口に咥えたまま火を付ける前に、不意打ち気味に本題に入った。


「え?」


 火を付け、煙を吸い込んでから、酒井さんを気にしてみた。すると、まだあたしは、答えを聞いていないというのに、まだ先があると思っているらしく、じっと見つめられていた。


「答えをくれない?」


「あ、あのですね、直接的に言われると、良くわかりません。けど、加倉さん凄くステキだし、凄くドキドキするんですけど……、これって、どうなんですか??」


「あたしに聞かないでよ」


「ですよね」


 と、苦笑いする酒井さんには、やっぱり加倉さんはお勧めできない。

 加倉さんにのめり込んでからでは、止める事さえ出来ないのだから。間を持ったあたしが逆恨みされ、刺されるという事だってあり得る。

 今までは、そんな過激な人はいなかった。と言っても、加倉さんをお薦めした事は一度もない。

 酒井さんがキレると何をするかわからない部類の人間かどうかという判断は、情報が少なく、判断できない。

 どうした物かと考えながら、タバコの煙を吐き出してみても、埒が明かない。


「ねぇ、応援はしてあげるけど、その後、付き合えたとしても、どうなっても知らないよ。それは、大丈夫?」


 返ってくる答えは、『はい』か『いいえ』。それならば、聞かなくてもいいのにとは思った。それでも、確認しなければ、何もわからない。


「ごめんなさい。おっしゃってる意味がサッパリわかりません」


「ココからは、オフレコ。誰にも言わないって約束できるなら、少し話してあげる。けど、少しの噂でも流れようものなら、あたし許さないから」


 酒井さんは、見た目からもわかる程、あたしの言葉に引いている。それはわかっていても、そうせざる得ない。ここで、ちゃんと言っておかないと、恨まれても困る。だからといって、加倉さんの変な噂が出てきても困る。


「あの。オフレコ手前で、寸止めしていただけます?」


「ふざけてる?」


「いえ、本気で。絶対に口を滑らせない自信はないんです」


 少し不機嫌になったあたしを、より不機嫌にさせない様に言っているのが、その口調からわかった。あたしが思う二者択一の答えではなかった。それならばと、不機嫌を押し出すのをヤメにした。


「いいわ、わかった。寸止めね……。誰でも、最初はそうだと思うけど、見えていない部分が大いにあるわよね。良い所、悪い所、クセだとか。相手に対してね。それが、加倉さんの場合は手が込んでるの。あなたが見てる加倉さんは、加倉さんじゃないと思う。観賞用で置いておくのが、身のためよ。以上!」


 立ち上がると、灰皿にタバコの火を押しつけながら、バッグを手に取った。


「お、終わりですか?」


「そうよ。寸止めしてって、言ったのはあなたよ」


 タバコは半分くらいの長さが残っていた。休憩を切り上げるには、早いとは思ったけれど、それでも、彼女にこれ以上の情報は渡せない。そして、デザートが待っている。






 オフィスに戻ると、いつになく春香ちゃんは慌てていた。

 一番、右往左往しているのは春香ちゃんだけれど、課内は忙しなくなっている。

 何なんだろうと思いながら、一番落ち着いているように見える野田君に声を掛けた。


「どうしたの? 何があったのよ」


「販促が届いていないって連絡が入ったんですけど、それが行方不明なんですよ」


 早口で一気に言われてしまった。一番、落ち着いているように見えた野田君だったけれど、そうでもないみたいだ。

 電話を掛けていた、岸君は電話を投げるように受話器を置くと、苛ついているようだった。

 本城君も、どこかに電話を掛けている。斉藤さんは、内線だろうか。声色が外仕様ではない。

 ここで一番落ち着いているのは、あたしかも知れない。


「あらまぁ。で、どの仕事よ。説明して」


 全員に向かってそう言い、誰が説明してくれるだろうと、大人しく加倉さんの席に着いた。

 すると、岸君が反応し、あたしの所にサンプルと資料を持って来た。そして、説明を始めた。


「なんだ、コレか。コレなら、うちの課の地下倉庫にあるわよ」


 あたしが発した言葉に、課内が静かになった。

 納品書の確認をしていた春香ちゃんの動きも止まり、斉藤さんも内線をぶっきらぼうに切った。


「伊藤さん、何でそれ知ってるんッスか!?」


 本城君は、掛けていた電話を切り、一番に反応した。

 全員の視線があたしに集中している。


「何よ、あたしの所為みたいじゃないの」


「そう言う訳じゃ、ないッスけど」


「言っておくけど、あたしが受け取ったんじゃないからね」


 今朝、納入確認をしていた時、場所を取って邪魔になる箱が、結構な数陣取っていた。

 あたしのではないのだから、加倉さんのだろうと目星を付け、出勤してきたら一番に、どかせて貰おうと思っていた。そうして貰わないと、これから入ってくる、あたしが発注した荷物が入らないからだ。

 一体コレは何なのかと、一箱開けて確認をした。

 それが、紛れもなく岸君から手渡された、サンプルと少しデザインが変わった最終形だった。


「野田君、今残ってる車手配して。一台じゃ足りないわね、何が何でも確保して。それから、岸君と本城君は、あたしが一箱開けてるから、それを確認して積み込んで。その後、荷物下ろすのに二人とも野田君と一緒に来て。あたしは、先にクライアントの所に行くから。会社を出たら連絡ちょうだい。春香ちゃん、クライアントに電話して」


 一通り、指示をすると、しまわないでいたバッグと岸君から手渡された資料を持って、オフィスを出ようとした。


「どうしたんです?」


 一足遅く戻ってきた酒井さんは状況がおかしい事を感じたのか、誰に言うわけでもなく、課内を見ていた。


「ちょっとね。あたしは出掛けるけど、おやつ食べて行ってね。あ、それから隣の営業企画の人にもお裾分けしてあげて。十分に残ると思うから。ちょっと、野田君、早く動いてよ。本城君と岸君も早く、動く!」


 それぞれが行動をし始めるのを確認すると、会社を出た。

 おやつとリラックスタイムはお預けのようだ。






 会社を出て、もうすぐ最寄り駅に着くという時、春香ちゃんから連絡が入った。

 春香ちゃんは、担当者が会社に戻っていると教えてくれた。そして、会場に引き返す時間も教えてくれ、会場に向かおうとしていたのを、クライアントの会社に行き先を変更した。

 クライアントの会社に着くと、運良く、また会場へと引き返す担当者を捕まえる事が出来た。資料に記載されていた担当者の名前に覚えがあった。過去の仕事の中から、すぐに誰なのかを認識する事が出来た。

 面識のある担当者で助かった。そうでなければ、一旦、会社に戻っていた担当者をロビーで呼び止める事はできなかっただろう。

 担当者に会えて安心していた所に、本城君から会社をこれから出ると連絡が来た。隣にいた担当者に確認をすると、会場の何処に搬入するかを指示をした。

 そして、担当者と一緒に会場に向かった。

 到着しすると、顔を見知った人に会う度に、挨拶をして回った。

 一頻り挨拶を済ませ、早く、本城君達が到着しないかと、ソワソワし搬入口で待っていた。

 やっと、荷物が到着すると、総出で明日のイベントの準備を手伝った。


「最近は、お見かけしませんでしたけど、他の部署に移られたんですか?」


「いえ、そうではないんです。あれから、スグに加倉の下からは離れたので、別行動なんですよ。本当に、ご無沙汰をしていました。これからも、よろしくお願いします」


 思い出したように聞いてくる担当者は、きっと、あたしが辞めてしまったか、異動したと思っていたのだろう。

 このクライアントは、加倉さんが担当。加倉さんの下にいた時ぐらいしか顔を合わせる事はなかった。

 ほんの少し、立ち話をしていた所に、担当者は呼ばれて仕事に戻っていった。そして、あたし達もまた、外注に振っていた会場内の準備を再開した。

 手伝いも落ち着き、折りたたみ椅子を見付けて、グッタリしている本城君を見付けると、ため息をついた。もう少し、しっかりして欲しい。けれど、それも仕方がない。今日は今までになく、忙しいのだから。

 本城君に加倉組を見習って、もう少し頑張れと励ましている所に、担当者が缶コーヒーを持って休憩に誘ってくれた。

 本城君達も、それぞれコーヒーを受け取ると、一緒に喫煙できるスペースに移動した。


「本当に、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」


 何度も、何人にもの人達にそう言っているけれど、場が落ち着いた所で改めて担当者に不備を詫びた。

 担当者は、気にしてない様子ではあった。それでも、彼の言葉の端々に見え隠れする、直接的には全く出て来ない最悪の事態を予想してたというニュアンスを受け取った。

 あたしが感じた通り、彼がそう思っていたとしても、これだけ、気にしていない様子を見せるという事は、加倉さんを信用しているという事だろう。改めて、加倉さんの仕事ぶりだけは、尊敬する。

 あたしは、全くそういった素振りは、見せた事はない。そう、間違って口にしようものなら、機嫌良くあたしをからかい続けるのが、目の前で行われているように見える。それだけで、キレそうだ。

 岸君と話していた担当者の携帯が鳴り出し、呼ばれたようで、あたし達に断りを入れるとそのまま会場に戻っていった。

 残された4人で、改めて一息つく。

 気を遣う相手が去ってくれた事で、少し気を抜くことが出来た。

 バッグからタバコを出して、火を付けた。

 それは、岸君と野田君も同じだったようで、あたしに続き内ポケットから、タバコを取り出した。タバコを吸わない本城君は、缶コーヒーのリングプルを押し上げると、一気に呷った。


「麻美、大変だったようだな」


「あれ? 恭平が担当なの?」


 会場に来てから合わなかったけれど、話を聞けば、今朝、あたしと話してからスグに恭平はココに来ていたらしい。加倉さんはイベント前日の今日は、恭平にこの場を任せていた。

 届いていないという連絡も、恭平からだったと岸君が教えてくれた。


「あっ、そういえば明日、加倉さん無理だから恭平お願いね。あたしも、打ち合わせの前にこっちに寄るから。で、終わってからまた来るし」


「イヤ、大丈夫だろう。俺で足りるし。加倉さんはいつも万全にしといてくれるから、何かあっても、こっちで対応できるしな。昼頃だったか、連絡あってさ。確かにアレはダメだな」


「そうなのよね。今日、終わってから加倉さんの様子見に行ってこようと思ってるけど、どうだろう。月曜日さえ怪しい。何としても、復活させたいの」


 恭平は、こっちの事は気にするなと、何度も言い方を変えたり、あたしのイラナイ理由を並べて直接的に行ってくれるけれど、どうにも落ち着かない。

 今、頭がちゃんと働いているかどうかは、わからないけれど、まともな思考能力が残っていたなら、加倉さんの方が気が気ではないだろう。


「ここは、もうイイから会社に戻れ。うちの課からも来てるからな。後は俺等で足りるだろう。お前等、出てきてんなら、春香ちゃん一人じゃ大変だろ?」


「ありがとう。そうね、春香ちゃんが心配になってきた」


 恭平の言葉に甘える事にし、早速、本城君達を残して、恭平と一緒に担当者の所に挨拶に行った。

 担当者は、前日という事もあって忙しいらしく、会場を探し回ってしまった。

 やっと見付けた担当者に挨拶を済ませ、本城君達を迎えに行くと、本城君はまだしも、野田君と岸君は自分達の仕事という事もあってか、カナリの疲労を感じているらしく重い沈黙と、疲れを押し出していた。


「さぁ、帰るわよ。あなた達、あたしより若いクセにヘバるの早いよ。帰っておやつ食べるんだから、さっさと、動きなさい」


 もう既に答える元気もないのか、無言で立ち上がると、それぞれ、近くにあったゴミ箱に空き缶を捨てた。

 流石に、ここまで疲れを押し出されると、こちらまで疲れてきた。あたしも、疲れは感じている。昨日は、殆ど眠れて無いのだから。

 しっかりしろと、渇を入れてやりたい所だけれど、仕方がないと諦めた。

 加倉さんの完璧の下で働いていれば、こんな事はあり得ない。本城君にさえ、こんなトラブルを経験させた事がない。

 あたしが一人で仕事をしていた時には、これ以上の事をやらかした事がある。免疫のない彼等には、焦りを感じさせ過ぎたのかも知れない。けれど、これから先、トラブルが起こらないという保証は無いのだから、少しは勉強になっただろう。

 そう考えてしまうあたしは、認めたくはないけれど、彼らより老けてしまっているのかも知れない。こういう所だけは、子供じみたキレ易い性格とは違うようだ。








 会社の前で車を下ろして貰い、運転していた本城君に車を駐車場に戻して貰った。岸君と野田君は、仲良く二人で車を戻しに行ったようだった。

 出掛けていたのは、ほんの2時間程度。日が短いこの時期は、もうそろそろ、暗くなり始めようとしていた。

 まっすぐ、オフィスに戻ろうと思っていたけれど、コーヒーを買ってから帰ることにした。会社を出る前に買ったコーヒーは、まだ残っていたのを覚えている。それは、もう既に温かさを保っているはずがない。冷めたのは、冷めたので好きなのだけれど、今は温かいよりもっと、火傷するくらい熱いコーヒーを手に持って冷ましながら飲みたい気分になっていた。

 コーヒーを入手し、会社まで歩いていると、急いでいたとはいえ、出掛ける時にコートもマフラーも持ってでなかった事をとてつもなく後悔した。

 風は強くなくても、寒いものは寒い。

 オフィスのあるビルに、もうそろそろというところで、寒さから解放される安心と同時に、春香ちゃんから何の連絡がない事が気になった。あれから後は、穏やかだったのだろうか。携帯が鳴っているのに気付かなかっただけかも知れない。

 バッグがから携帯を取り出してみると、着信はなかった。それに安心し、ついでにプライベート携帯を見てみると、こちらには着信があった。

 誰からの着信か携帯を操作して確認すると、昌弥からだった。メモリーに登録していない。数字の羅列が、彼からだと告げていた。

 3時間も前の着信。何か、用があるのならまた掛けてくるだろう。

 寒さに耐えかねて、オフィスのビルへと入った。エレベータに乗り込むと、寒さはいくらか緩和された様な気がした。

 きっと、寄り道をしたあたしより早く、本城君達はオフィスで温々と休憩をしているだろう。と、いうよりも、今日の仕事を終わりにしたいと思っているはず。


「先輩、お疲れ様です」


「ただいま」


 春香ちゃんは、あたしに気が付くと一番に声を掛けてきた。斉藤さんもそれに続いた。

 そして、予想通り3人とも先に戻っていた。


「斉藤さん、進み具合はどう?」


「ええ、なんとか。残っているのもありますけど、今日中ではないんですよね?」


「何処まで行った? あぁ、これならもう大丈夫。後は、週明けてからでも大丈夫。月曜中に終わらせてくれたら、構わないから」


 斉藤さんが、終わらせた書類と原稿を積み重ねているものを確認すると、今日欲しかったものは終わっていた。


「伊藤さん、携帯鳴ってるんじゃないんッスか?」


 何気なく、本城君のデスクに大いにはみ出してバッグを置いたまま、斉藤さんと話していた。バックの中で、着信音は埋もれているけれど、微かに聞こえる。


「あ、ホントだ」


 バッグを急いで開けると、携帯を取り出した。鳴っていたのは、プライベート携帯だった。

 本城君のデスクの上にバッグを置いたまま、通話ボタンを押し、バッグの中からタバコを取りだした。そして、それを持って、受けたままの携帯に、改めてもしもしと対応しながら、喫煙室に向かった。


「もしかして、忙しかった?」


 少し、切れるかもと急いで通話ボタンを押した。誰だか、確認をしていなかった。自分でも驚いたけれど、もう、昌弥の声を覚えていた。


「いいの。落ち着いたから、今から喫煙室に行こうかと思って、オフィスを出た所よ」


 話しながら、喫煙室のガラス戸から中を見ると、いつの間に移動してきたのか、オフィスに居たはずの岸君が居た。

 お疲れの様子で、いつになくボケーッとしている。


「あ、お疲れ様です」 


 一人だった岸君は、ガラス戸を押し開け入ったあたしに、ビックっと反応して、浅く腰掛けていたソファーに姿勢を正し、座り直した。


「お疲れさま。後は、あたしが引き受けるから、コアタイム抜けたら先に上がって」


「けど、まだ仕上げてないのあるんですよ」


「いいわよ。加倉さんの場合、カナリの余裕を持って指示を出してるから、月曜に回してもかまわない。報告しておくから、大丈夫よ」


 岸君は、安心した様子でネクタイを緩め、一番上のボタンをはずした。加倉組の今日の一日を考えてみると、今までで一番、急かされ焦らされた日だったと思う。


「あ、ごめん。で、なんだっけ?」


 岸君に気を取られ、すっかり、電話していた事を忘れていた。


「忘れられてるのかと思ったよ」


「ごめんってば。もう、大丈夫だから」


 会話を再開しながら、片手でタバコの箱を開け、一本中途半端に押し出し、箱からそのまま咥えた。ライターに持ち替えようとソファーにタバコを置くと、岸君がライターを差し出し、火をくれた。


「ありがと」


 岸君は、電話の邪魔をする事なく頷くと、自分もタバコを取りだし、火を付けた。


「お礼を言われる事は、してないと思うけど?」


 岸君は、気を遣ってくれたというのに、自分で邪魔をしていた。

 携帯の向こう側の昌弥は、機嫌が悪くなった様子ではない。そっちのけなのを、少し申し訳なく思ったけれど、そのまま会話に戻る事にした。


「あ、こっちの話。火を貰っただけだから。そういえば、電話くれてたね。さっき、見たところなの。気付かなくて」


「いいよ。勤務中だもんな。それより、電話出ても?」


「いいの。気にしないで。特別忙しくなければ、出ると思う。あ、たまに携帯の充電忘れてるから、繋がりもしないかも」


「忘れるかな? 煩わしくて、わざと?」


 そう言われると、そうかも知れない。携帯を気にしたくなかったのかも知れない。ふと、番号を変えようかと思いついた。けれど、番号を変えたと連絡をするのは、面倒だと諦めた。


「どうだろう。昨日は充電した記憶があるから大丈夫と、思う。で、本題は? 間を開けて、掛け直してくれたって事は、ただ、話したかったとかじゃないんでしょ?」


「ただ、話したかったじゃ、ダメ?」


「そう言う訳じゃないけど。それだったら、明らかに勤務時間外って時間にするんじゃないの?」


「そろそろ、話を戻すかな。直弥に俺の事、話した?」


「今日は、それどころじゃなかったのよ。って、言っても、わざわざ言う事ではないと思うけど?」


「そっか、そっちの方が都合が良いんだ。そのまま、タイミングが来るまで、バラさないでおいて欲しいんだけど」


 都合が良いというのに、引っかかった。何を企んでいるのだろう。聞き出したい所ではある。

 チケットの仕返しかも知れない。それならば、その気持ちは良くわかる。あたしも、同じ事をされたら、何かしてやろうと思うはず。


「わかった。協力してあげる。他は、何もしないでイイの? 黙ってるだけ?」


「物わかりが良いな。それなら、話が早い。後は、流されてくれればいいから、じゃ、そう言う事で」


「ちょっと! 何?!」


 一方的に電話を切られた。

 何をするつもりなのか、聞きたかった。

 それが、何であるにしろ、あたしの予想は当たっているようだ。

 お仕置きとは、言っていた。それなら、昨日あたしに教えた事で、終わっているのではないかと思う。もしかすると、それだけでは、気が済まなかったのかも知れない。


「敵にすると、仕返しコワイかも」


 気を取り直して、タバコを咥えた。それでも、何を企んでいるのか気になる。


「伊藤さんでも、コワイ人いるんですか?」


 そういえば、岸君はまだいたのだ。すっかり、忘れていた。

 それより、聞き捨てならない。あたしでもとは、どういう事なのか。あたしは、そんなにコワイ物無しとでも言いたいのだろうか。


「何よ。あたしにコワイ物があると、ダメなわけ?」


「そんなに、怒らないでくださいよ。伊藤さんにはコワイ物なんて、無いと思ってましたからね」


 怒っているつもりはない。

 最近、岸君は加倉さんの影響を受けているようで、何気ない一言が気に障りだした。けれど、加倉さんと違って計算してそうしている訳ではなさそうなので、気に障っても、本気でキレはしない。


「もう、いいわ。さっさと、帰らないと、本城君の代わりに扱き使うわよ」


「はい、帰ります。野田と久しぶりに飲みに行きますよ」


「本城君も連れてって。もう、イラナイから。それに、嵐の前の静けさを味わせてあげないとね」


「深くは聞かない事にしておきますよ。後がコワイですから」


 ソファーから立ち上がると、岸君は楽しそうにしがら喫煙室を出て行った。本城君に何かありそうなのを十分感じている。それを楽しんでいるようだ。

 いじられキャラの本城君は、これから何かありそうだとは、岸君に教えて貰う事はできないだろう。

 あたしも、本城君がどう困らされるのか、面白くなってきた。

 短くなってきたタバコを灰皿で揉み消し、岸君の後を追って、オフィスに戻った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ