◆ 4 ◆ 05 隙は出来るものか、作るものか?
お店を出ると、雪がぱらついていた。何の根拠もないけれど、この雪は降り続く雪ではないように思えた。
「ごちそうさま。ココは、ディナーの方が落ち着けそうなお店だと思ってたの。やっぱり、そうだった」
「本当に、ランチでしか来てなかったんだ?」
「そんな事をウソついてどうするのよ」
そうだよな、と昌弥は少し声を出して、可笑しそうに笑う。その表情は、やはり春香ちゃんを思い出させた。
「送ってくよ。この荷物持って、電車はきついんじゃない?」
「大丈夫。悪いし、いつもの事よ」
「そう? せっかくこの近くに車置いておいたのに」
電車で送ってくれるのかと思ったけれど、車で送ってくれるのなら、有り難い事この上ない。
お酒を全く飲んでいなかったのは、車があったからなのかと納得した。
確かにきつい。この荷物を持ったまま電車に乗るのは。
「本当に送ってくれるの? 言ってみただけとかじゃなくて」
「もちろん」
駐車場が近づくと、昌弥はあたしの持っていた荷物を預かってくれた。この大量の荷物を持って帰る事を考えると、本当に助かった。
車まで着くと昌弥はロックを解除し、後部座席にあたしの本日の収穫を置いた。
「どの辺りに向かって行けばいいのかな?」
車に乗り込むと、昌弥はカーナビのリモコンを持って聞いてきた。
「貸して」
リモコンを受け取ると、マンションの隣にある私立の小学校名を入力するとすぐにヒットした。コレが一番簡単。
「学校に住んでる?」
「違うわよ。それくらいわかるでしょ? 通りを挟んで隣がマンションなのよ」
この辺りから車だと、40分くらいだろうか。込んでいるとも思えないので、それくらいだろう。
外気同様、車の中も冷たい空気が占領していた。徐々に暖かくなってくると、顔が火照ってきた。その暖かさが心地よかったけれど、外に出てから寒さが増しそうな気がして、マフラーを外した。
「学校が隣だと、うるさくない?」
「彼らが登校すればあたしも出社するし、彼らが、休みならあたしもお休みよ。夜なんて、スゴク静かよ」
信号に止められると、思い出したように振って来た。あたしが、黙ったままだったからだろうか。
お腹も一杯になり、疲労感も増している。ベッドが恋しくて仕方がない。
昌弥の話す言葉は、殆どすり抜けていくばかりで、そんなつもりはなくても、相槌で誤魔化しているようだった。けれど、直接的な質問をされると、そうも行かない。
バックの中で携帯が震えているのに気付くと、膝の上に置いたバッグを開けた。すると、シートベルトをしていない事にも気が付いた。
慌てて、身体を捻ってシートベルトに手に取り、引っ張り出すと、サイドドアのラックにCDが入っているのが目に入った。
ipotがドックに接続してあるのに、何故CDをこんな所に入れているんだろうと、不思議に思った。
前を見続けて運転していた昌弥は、あたしがゴソゴソしているのに気付いたのか、チラチラとこちらの様子を伺っていた。
光の少ない初めて乗る車では、思うようにすんなりとはいかなかった。
何とか、シートベルトを装着できると、気になったいたCDを手に取って、ジャケットを見た。そのCDは、本城君がライブに誘ってくれたアーティストのアルバムだった。
「ねえ、聞いてもイイ?」
「何? CD聴きたい?」
あたしが手に持つCDを捕らえたようで、貸してと、左手を差し出してきた。
「それもいいけど、違う。質問イイですか?」
「あぁ。そっちの聞くか。どうぞ」
「兄弟いる?」
「それが何か?」
あたしが昌弥に対して初めてする彼自身についての質問に、昌弥は少しおどけながら答えた。
「それは、弟?」
「そうだけど。どうしたの、家族構成に気になる?」
なんだか、悪い予感がしてきた。やっぱりそうなのか?
「あたし、伊藤麻美。聞き覚えない?」
自己紹介はしたけれど、あたし自身は名字は伝えていなかった様に思う。春香ちゃんは、あたしの事を先輩と呼ぶ。昌弥は、春香ちゃんからあたしの名字を聞いていただろうか。
それに、昌弥は『春香ちゃん』で、あたしに繋がる何かに気が付かなかったのだろうか。
昌弥は、こちらをちらりと見ると、すぐに前を向いた。そして、考えているのか暫く運転しているだけで、沈黙が続いた。
あたしが思っている通りなら、少なからずあたしの話が出ていてもおかしくはない。
「あるかな?……たぶん」
「やっぱり。彼に、このアーティストのライブに誘われたんだけど」
手に取ったままのCDのジャケットを昌弥に向けた。
「はぁ!? マジで? 直弥のヤツ、帰ったらお仕置きだな。俺と行くはずだったのに突然、断って来てさ。理由は何だと思う?」
腹立たしげに舌打ちをした。そして、器用に運転しながらもipodを操作をすると、あたしが手にしたアルバムを選曲した。
益々、ipodに入っているなら、何故ココにCDがあるのだろうと不思議に思う。それでも、今は聞くのはヤメにしておこう。不機嫌が復活している。あたしがさせた、不機嫌より尾を引きそうな気がする。
このCDを持っているのなら、きっとライブに参戦したいと思うはず。手に取っていない他のCDも同じアーティストの物だ。
余計な事は、言わない方が無難かも知れない。
「来週だから、誰かにドタキャンされたんだって、思ってたんだけど。その様子じゃ、違う様ね」
このアルバムと、流してしまっていたけれど、戸田山さんに自己紹介した時の昌弥の名字で繋がった。それに、実家通いと言う事、最近手に入れた兄弟がいるという情報。
いつもは、デスクで食べている事が多いのに、最近はお昼休みに出掛けて行く。しかも、帰りが遅い。それを踏まえると、この兄弟は仲が良いらしい。
仕事のパートナー、といってもアシスタントだけれど、会社では殆ど一緒に行動している、あたしの名前が出ていても何の不思議もない。
話のネタなら、あたし繋がりで春香ちゃんの名前も出てこないわけがない。
「オークションで高値が出てたから売ったって。まぁ、直弥が取ったチケットだったからな、許してやったけど」
苦笑いしながらそう言うと、昌弥は呆れた様子でため息をつき先を続けた。
本城君は、タダで許して貰ったわけでは無かった。売り上げの半分を取られたらしい。
そうなると本城君は、それを自腹を裂いたという事になる。
そして、昌弥はそれを元手に、ソールドアウトになったチケットをオークションでゲットした。けれど、残り日数が少なかった事とアリーナ前方は高騰しすぎていた所為でスタンド席しか無かったらしい。
あたしは、チケットが取れなかった時点で、オークションでは高値が付くと予想をしていた。見ているだけでも悔しくなりそうで、見もしなかった。
昌弥は、思い出した所為か、不機嫌を通り越してお怒りのご様子。
「一緒に行く人がいるなら、何でまた、ご褒美をライブにしたんだろう?」
不思議に思った事が、考え無しに口から出てきた。ドタキャンだと思っていた事で、全く疑問を持っていなかった。
「ご褒美?」
あたしの独り言に反応した昌弥に、本城君をご褒美で吊った事を教えてあげていると、笑いたいのを抑えていいたのか、突然吹き出して声を上げて笑い出した。
「馬鹿なヤツ」
「けど、よく言う事を聞く良い子よ、本城君は」
視線を感じて、昌弥の方を見ると目が合った。すると、クスクスと笑い始めた。
「違うの? よい子ちゃんじゃないの?」
「だな。よい子ちゃんなんだろうな」
「そうでしょ?」
あたしのマンションに着くまでの間、本城君とあたしが手に取ったCDのアーティストの話題で会話は途切れなかった。
「ありがとう、助かった。この道、一方通行なの。その先、公園があるんだけどそこを左折して。けど、その道も一方通行だからね。そのまま真っ直ぐ行くと大通りにぶつかるから」
小学校の裏門から少し離れた所がマンションのエントランス。門前の少し広くなった歩道に車を止めて貰い、この辺りは一方通行が多いと、帰りの説明をした。
「何で、ご褒美がライブだったかわかる?」
「わかるの?」
「もちろん。アイツへのお仕置き代わりに、教えてあげてもイイかな」
「それじゃ、その答えがそれなりに本城君にダメージがあるの?」
昌弥は、楽しそうに笑みを見せた。言いたくて仕方がない様子。
別に聞かなくてもイイと、帰ってしまえば拗ねるだろうか。そうなると、本城君は、帰ってからイジメられそう。
「あるね。直弥は麻美に惚れてるから。彼氏に敵わないって、別れるの待ってるよ。まぁ、直弥にはまだ、別れたってのは知らないみたいだけど」
唖然と楽しそうに語る昌弥を見ていた。
ちょっと、待って欲しい。
本城君がそんな風に思っているとは、全く気が付かなかった。昌弥の勘違いなのではないだろうか。
それより、昌弥が何故、和也と別れた事を知っているのだろう。
「全く、気付いていなかったって感じ?」
「全然。それより、春香ちゃんはそんな情報まで渡したの?」
犯人は、春香ちゃんだろうと目星を付けた。
「前者は直弥で、後者は春香ちゃん」
昌弥は、表情を緩めるめながら、あたしの問いに答えた。
昌弥が何を言っているのか、わからなかった。昌弥を見送ってエントランスまで、ゆっくり一歩ずつ歩きながら理解に努めた。
少し立ち止まり、昌弥の言った事を良く思い出してみた。冷静に情報の再編をすると、その中に答えを見付けた。
あたしを好きだと言ったのは本城君で、和也と別れた情報を渡したのは春香ちゃんと、言う事なのだろう。
春香ちゃんは思っていたよりもお喋りさんの様だ。
「麻美。忙しいみたいだな」
「和也? どうしてココにいるのよ」
マンションのエントランスを囲むようにある植え込みから、人影が見えたと思うと、和也だった。
「来たらマズいのか?」
「そう言う事じゃない。当分は友達としても会いたくないの。少しは、あたしの事も考えてみてくれない? 都合だとか、あたしの生活をね。和也の為だけにあるんじゃないんだから」
怒っているつもりはない。発した言葉も、穏やかな物だった。責めるわけでもない。敢えてそうして来たのは、あたし。
時間をくれるつもりはないのだろうか。今回は、いつもと同じ様にはならないと言う事くらいわかっているはずだ。
街灯まで、少し距離がある。和也の表情を伺う事は出来ない。
このまま帰ってくれる事を願うしかない。
「本気なんだな」
「それは、この間も伝えたはず。和也の事は好きだけど。けど、それだけで、長く変な関係、続け過ぎたと思わない?」
少し、和也の方に近づくと、彼の事を諦め切れない事に気が付いた。もう、大丈夫だと思っていたはずなのに。
和也は無表情で、何を考えているかは見えない。
あたしは、少なからずココに来てくれている事を嬉しく思っている。けれど、もう繰り返すわけにはいかない。
「俺は思わない」
言葉を発せられた事で、和也の唇を見つめていた事に気が付いた。
和也は、無言でゆっくりとあたしの所まで来ると、あたしを捕らえた。そして、和也のいつもの匂いに、唇に伝わる温かさ、どれを取っても流される要因には十分だ。
圭吾に昼間、聞いた事を覚えているというのに、もっと和也の近くに行きたいと思っている。そして、願わくば、拒絶し続けているあたしを受け入れて欲しいとも。
けれど、圭吾からの情報には間違いはないと思う。それならば、尚のこと、繰り返すわけにはいかない。これ以上続ければ、待っているのは不倫という不貞行為だけ。
「何で、髪切ったんだよ。麻美の長い髪、好きだった」
和也は、肩を掴んでいた手を腰に回しながら少し身体を離すと、もう片方の手は、マフラーに挟まれていた髪を外に引き出し、毛先を弄った。
「あたしは、無理。お願い。もう、帰って。限界には変わりないんだから。和也とのこういう関係には、満足できない」
衝動に駆られ、行動しようとする身体をなんとか口が止めてくれた。
今度だけは、引き返すわけにはいかない。例え、それが無駄な努力になったとしても。抵抗しなければ、あたしは埋もれていくばかり。
和也から抜け出すと、あたしは後ずさりする。距離と同じだけ冷静になれるような気がした。そして、十分に距離をとった。
もう少し、口だけではなく、頭にも頑張って貰わないといけない。どうすれば、帰ってくれるのか。
「もう、お願いだから、あたしは放っておいてよ。それは、得意でしょ? もうダメなの。帰って」
頑張っても、コレかと情けなくなる。冷静にはなりきれていない。多少なりとも、和也にあたしは本気で、離れたいと言う事をわかって貰わないといけないというのに、ただ、帰ってくれとしか言えないのは何故だろう。
「麻美、公園の前に車置いてて、大丈夫かな?」
後ろから呼ばれ驚いて振り返ると、大量の大きな紙袋を持った昌弥がいた。タイミングが良いのか悪いのか。
驚いたままでいると、微笑みながらあたしの隣までやって来た。
「知り合い?」
「そ、そうね。大学の同級生よ」
すっかり忘れていた荷物を持って来てくれた嬉しく思う。けれど、そんな事を今聞かなくてもイイのにと昌弥を恨めしくも思う。
「そう言う事か…」
「こんばんは。今日は一段と、寒くない?」
和也に当たり障り無く声を掛けると、荷物を持ったままで、あたしの背中に手を回し、寒いよ中の方が良いと導こうとする。
昌弥は、何を考えているんだろう。サッパリわからない。けれど、和也が変な誤解をしてくれたらなら、このまま帰ってくれそうだと頭をよぎる。
「じゃ、和也またね。あ、今日ね圭吾と話したの。忙しそうだった。その所為でまた、彼女捨てたみたいだし。気晴らしにでも誘ってあげたら?」
「あぁ、そうするかな」
和也は、本当にそう思っているのかは、わからないけれど、あたしを解放してくれる気になってるのかも知れない。
「昌弥、じゃ、行こうか?」
「用があるんじゃないの? 中で話せばいいのに」
「いいの。終わったから」
「そうなの? それじゃ、また」
昌弥は、和也に断ると、あたしを急がせるわけではないけれど、この場を離れるよう促している様に背中に回されて手が深く身体に絡まり、身体ごと押されていた。
口とは違い、働いてくれていなかったあたしの頭と身体を補填してくれた。
誘うつもりはなかったけれど、荷物を届けに来てくれた昌弥を労う事にした。
和也がこのまま帰ってくれる事を願いながら、振り返る事なくエントランスまで昌弥に導かれるまま歩いた。
エントランスで暗証番号のキーを押しながら、何の反応もない背後に安心する。和也は、大人しく帰ってくれるつもりになったようだ。
「ありがとう。全部忘れて来ちゃってたね。爆弾発言するからよ」
エレベータに乗り込むと、忘れていたお礼を言った。
「あれで良かった? 春香ちゃんのから、先週末に別れたって事と、帰ってって言ってるの聞こえなかったら、そのまま帰ってた所なんだけど」
爽やかに微笑みながらそう言われると、その言葉に納得をし、有り難く思えてきた。
「いいの。それにしても、春香ちゃんは色々と情報をあなたに渡したのね」
「そうでもないさ」
エレベータが目的の階まで着くと、キーを出しながら、部屋の前まで来た。
「コーヒーでイイかな?」
「いいね。ところで、あそこに車置いてて大丈夫?」
「大丈夫よ」
玄関から、電気を付けながらリビングまで向かう。
昌弥は、荷物を部屋の隅に下ろすと部屋を見回していた。
早く、和也をこの部屋から追い出していかなければと、チェストの上に和也が忘れて行ったガスライターを見付けるとそう思った。
週末の予定はガラリと変わってしまった。土曜日帰ってから、排除しよう。大掃除をついでにするのも悪くない。
キッチンに向かい、今朝入れ替えたポットのお湯を確認するとまだたくさん残っていた。再沸騰のボタンを押すと、コートを脱ぎながらリビングに戻った。
「こんなに広いのに、一人で住んでる?」
昌弥は、リビングのCDとDVDのディスプレイされた背の高いラックの前で、それらを眺めながら聞いてきた。
「そうよ。何か問題でも?」
「そう言う訳じゃないけどさ。賃貸?」
「叔母の持ち物よ。飽きちゃったんだって。売る前に聞いてくれたの。それで、使わせて貰ってる。もともと、一人になりたい時に来てたみたいだから、生活感の欠片も無かった。モデルルーム並みにね。それに、立地条件もいいし。税金と管理費、それから、積立金だけは払ってる」
コートを部屋の端に置いてある、コートかけにかけ、昌弥のコートも預かる。そして、エアコンのスイッチを入れた。
外ほどではないけれど、誰もいなかったこの部屋は冷たい空気が占領していた。
「もう、これより狭い部屋には引っ越せないな、荷物全部入らないだろ?」
昌弥は、改めてこの部屋を見回しながら言った。
「そうね。けど、移るつもり無いから」
そろそろ、沸騰しているだろうとソファーに落ち着くのをやめ、テーブルの上に置いたままの雑誌を片付け、キッチンに向かった。
カップに熱湯を注いで温め、その間にフィルターをセットして豆を入れコーヒーを立てた。
今日、何杯目のコーヒだろうかと考えてみる。
もう、覚えていない。カフェインを取り過ぎなのはわかっている。けれど、好きなのだから仕方がない。
「ハイ、どうぞ。座ったら?」
トレイにコーヒーを乗せて戻ると、まだ、ラックの前でそこに並ぶ物を物色していた。
「スゴイ、量だな」
「好きな物は、手元に置きたいから。ダウンロードでは、殆ど買わないから、こうなるんだよね」
ソファーに座り、入れたてのコーヒに口を付けた。やっぱり、コーヒーが一番。
蒸気と共に鼻を擽る香りと口内に広がる苦みが、あたしの頬を穏やかに弛ませた。
車の中で感じた睡魔は、少し遠くへ行ってくれていた。けれど、身体は疲労感をまだ持っている。昌弥を追い返したいわけではないのだけれど、寝る準備をしたいというのも本音。
「直弥は、ココに来た事ある?」
「え? 誰それ」
昌弥は、あたしが変な事を言ったように、不思議そうな顔をした。けれど、あたしにはその名の人物に心当たりがない。
「ご褒美に吊られた、馬鹿なヤツ」
その一言で、本城君の顔が浮かぶ。
そう言えば、名前は車の中でも出ていたけれど、話の流れで理解していただけだった。
本城君のフルネームを知っている。それでも、頭の中で検索をかけてもヒットしなかった。あたしの中では、その名では照合する情報がなかった。
「無いわよ。会社で事足りるから」
昌弥もソファーに落ち着くと、暫く本城君の情報交換をしたり、あたしの所有する洋楽アルバムの話をしていた。
「ライブ、来週だろ? 復習がてら、DVD借りてもイイ? 見たこともないジャケのもあったけど、あれは?」
「どうぞ、好きなの持ってて。たぶん、全部あったと思う。見た事無いってのは、コレクターズ物の事かな。プロショットのだから、見やすいと思うわよ」
ソファーから立ち上がるとカップを置いて、先程まで、昌弥が物色していたラックから、たぶんこの辺りのDVDだろうと取り出した。
「コレクターズ物って?」
「これは、コネで手にいてれる物だけど、一般に出回っていないライブショットの事よ。広い会場だと、スクリーンに映してるでしょ? あれよ。たまに、こんなのがオークションで流れてるけど、あたしみたいに手に入れた人が流してるんじゃないかと思う」
「だから、タイトルが会場名とか日にちが書いてあるんだ?」
「そう、いつ何処でしたライブかわかるようにね」
昌弥が、置いてくれた今日の収穫で、小さめの紙袋に入っていたニットのアンサンブルを取り出し、昌弥に渡した。
「コレに入れてって。あんまりたくさん見ようと思うと、時間を見付けるの大変よ」
昌弥は、受け取るとラックをまた物色し始めた。
あたしは、またソファーに落ち着くと、コーヒーが少なくなってきた事に気が付いて、キッチンに向かった。
さっき入れたコーヒーの残りを注ぎ足すと、待ちきれず、立ったまま口をつけた。
「なぁ、コレって麻美?」
何の事を言っているのか、不思議に思いながらリビングに戻ると、昌弥は、チェストの上に立て掛け、飾られている絵を見ていた。
「そうよ。あたし。良くわかったわね」
「何となく。そのまま小さくした感じだから」
「成長してないって言いたいわけ? 喧嘩売ってる?」
やっぱり、今日は子供扱いをされる日なのかも知れない。結局、時間を守れなかった、あたしが言える事ではないかも知れないけれど、それでも、なんだか気に障る。
「そう言う訳じゃないよ。気に障った?」
「だって……。あ、ごめん。八つ当たり。今日は、大人になれって言われ続けてるように感じてたから」
そこが、大人げない。
どうして、言葉を飲み込む事が出来ないんだろう。思っている事を全て言葉にすればいいわけではないのに。
他の人達は、どう制御しているんだろうか。
「いいよ。それより、誰が描いたもの?」
「それは、叔父が。母の弟なの。叔父と言っても、あたしとは6つしか離れて無くて、よく遊んでくれたな。洋画家になりたかったみたいなんだけど、何故か今は開業医よ。ちなみに、このマンションの持ち主は、父の妹なの。彼女も可愛がってくれた。今でもね」
絵を見ながら、叔父の事を思い出した。そして、何も心配する事が無く、楽しい事ばかり考えていられたあの頃に戻りたいと、過去のあたしを眺めた。
ふと、壁に掛かる時計を見ると今日が終わりそう。帰ってきた時間を確認していなかった。どれくらい、話していたんだろう。
「長居しすぎたかな。歩きすぎで疲れてるんじゃない?」
「そうね、車の中ではお腹いっぱいで、寝そうになってたしね」
昌弥は、あたしに休むようにと優しく言ってくれた。
玄関に向かおうとする昌弥が、DVDはしっかりお持ち帰りしているのに、コートの存在を忘れている事に気付いた。
コートを手に、玄関でブーツの紐を結ぶ昌弥に追い着く。
リビングと違い、エアコンの暖かい空気が届かない玄関は、身震いするほど冷たかった。
「忘れてる」
「あ、そうだった」
「今日は、送ってくれてありがとね。それから、待たせてごめんね。あっ、あと、キレかけて、ごめんなさい」
今日のあたしは、反省しなければいけない事の方が多い。気分が沈んでしまう。それでも、素直に謝れているあたしは、進歩してるのかも。
「じゃ、俺もご褒美貰おうかな?」
コートを差し出した腕を掴まれたかと思うと、訳がわからないまま唇が重ねられる。離れた昌弥の温かい吐息が唇に届いたとか思うと、もっと温かい唇がまた触れる。
昌弥は、顔を斜めにずらしてあたしの口を開かせると、いっそう深くキスを繰り返す。昌弥のキスには、ためらいやぎこちなさを全く感じさせられる事なく、心地よいとさえ思えた。
目がくらみ、何も考えられない。
気が付くと、されるがままになっていた。それでも、抗う事も出来ず、心地よさに流されている。
「それじゃ、おやすみ」
昌弥は唇に触れたまま、静かで掠れた声でつぶやく様に言うと、コートをあたしの腕から取りゆっくり離れた。
思考を削ぎ落とされたあたしは、ただ、玄関から口元に笑みをたたえながら出て行く昌弥を見ていただけ。
暫くボーッとしたまま、玄関にいる事に気が付くと、慌ててリビングに戻った。
リビングに戻ったところで、何をするわけでもなく、ただ部屋の真ん中に立ったまま、落ち着けないでいる。
そして、鍵を掛けていない事に気が付くと、また慌てて玄関に向かい、鍵を掛けた。
リビングに戻り、ふと、センターテーブルの上に片付けられずにいるカップが目に留まると、片付けねばと何故か必要以上に焦る。
カップを片付けながら、あたしはそんなに無防備だっただろうかと考える。そんな事は無いと思うも、実際には隙が出来ていたのは事実だろう。
もう、何も考えたく無くなって、カップをシンクに置いたまま、バスルームに急いだ。
熱いシャワーでも浴びて身体を温めれば、気分を変えてぐっすりと眠れると思った。けれど、その方法は、目を覚まさせる朝のシャワーだ。
そんな事さえ、わからなくなる程、落ち着けない夜になった。