◆ 4 ◆ 03 対宮内戦の戦術を模索中
タバコ1本分の休憩を仕方なく切り上げ、半分ほど無くなったコーヒーを手に喫煙室を出ると、廊下の先に佐崎部長の後ろ姿を発見した。
報告とお願いをしようと、佐崎部長を呼び止めた。そしてまず、今現在の状況について話した。
「順調に行っていると言うことかな?」
「もっと順調にする為に、一人貸していただきたいのですが」
斉藤さんを借りられるようにして欲しいと手短に話す。
佐崎部長は、黙ってあたしの話に耳を傾けた。その表情からは、何も酌み取ることは出来ない。思案する様子もない。という事は、もう答えが出ているのだろう。
話を進めながらも、佐崎部長から何らかのシグナルは無いかと気に留めた。
油断すると、いつも不意打ちを食らわされる。もうそろそろ、それには慣れたけれど、今回の異動の要請に仕事の無茶振りを含め、頭を無駄に悩ませる事を少しでも先に察知したい。心構えが有るのと無いのでは、受ける衝撃が違う。
「そうだな、話は付けておこう」
佐崎部長は、不思議に思っているだろうけれど、何故か斉藤さんなのかは触れないでいてくれた。
「ありがとうございます。それと、土曜日の午前中に京香さんとアポ取れました」
「そうか、早速営業一課には話を付けておくことにしよう」
何か嫌な予感がする。語尾にまだあると、伝えている様な不自然さを感じた。
身構えたくなるのを抑え、重ねて感謝の念をより加えてから、配慮に対するお礼と一緒に頭を下げた。
「戸田山は、何かしたくて仕方ないようなんだ、何とかしてやってくれないかな。宮内君と仕事が出来るのなら、それくらいはできるだろう?」
「え?」
やっぱり、まだあったか。
まさか、まで宮内が出てくるとは。
春香ちゃんとは関係なく、大人になれと言われているようだ。宮内とこの仕事をちゃんと終わらせなければ。
「何とかします」
「期待しているよ。どうだ? そろそろどうするか決めたのかな」
佐崎部長は、あたしが決めかねている異動についての質問をしてきた。
佐崎部長にしてみれば、あたしがどう動くかによって、企画部全体のバランスを構築し直すつもりなのだろう。
今、プランニングを担当したいるのは加倉さんとあたしだけだ。そろそろ、二人だけでは回らなくなっているのも事実。今度の人事で増やすとも言っていた。佐崎部長はあたしが抜けるか、残るかで、もどうするのかを思案しなければならない。早く答えが欲しいというのは、最もだ。
「まだ、決めかねています。月曜には必ず報告に行かせていただきます」
「そうか、月曜を待つことにしよう。宮内君とうまくやってくれよ」
廊下で話していた事も有ってか、意外にもあっさりと、遊ばれる事なく佐崎部長は去っていった。この後に予定があったのかも知れない。あまり深くは考えないでおこう。
なんだか叱られた気分になっている。最後の最後に念を押されてしまった。
気に食わないからと言って、宮内と仕事が出来ないのであれば、社会人としてどうかとも思う。
改めて少しだけ反省しながら、パーテーションの間を通り抜け、自分のデスクを目指した。
他の社員達は、午後の仕事に取りかかり集中し始めている。
本城君は、あたしが席を外している間に出掛けたようだ。本人もいなければ、荷物もない。
何処に行ったかは、予想が付いた。今日は、サンプルが届く日だ。クライアントに持って行ったのだろう。
あたしは、まだ仕事モードに入れないでいる。お腹が減ってきた所為だろうか。朝ご飯の後、コーヒーばかり飲み続けている。それで、お腹が少し張っていたけれど、身体がまともな食べ物を欲しているらしい。
ミーティングルームに資料を運ぶ前に、少し落ち着いて春香ちゃんが買ってきてくれた遅いランチを食べようと、デスクの上に置きっぱなしにしていたもう一つの紙袋を手に取った。
「先輩、連絡入れましたか?」
書類をチェックしていた春香ちゃんは、書類から目を離て、あたしに視線を移しチェックを入れて来た。
「あ、忘れてた」
最初は、喫煙室で休憩ついでにと思っていたけれど、すっかり忘れていた。
「先輩ダメじゃないですか!!」
「そう言われてもねぇ」
「先輩は、もう」
春香ちゃんは、大きなため息を漏らすとやけに鋭くキリリとした目をさせて口を開く。
「先輩、今すぐ連絡してきてください!」
そう言いながら、迷い無く、まっすぐとこのフロアの入口を指した。
「なんで、そんなに怒るの? ちょっと、佐崎部長と話してて忘れただけじゃない」
春香ちゃんに押されながらも、言い訳をする。春香ちゃんの知るはずのない、佐崎部長とのやりとりを出してみても、何の言い訳にはなっていない。わかっていても、放たれた言葉は言い換える事は出来ず、春香ちゃんの耳に届いた。マズイと思っても、もう遅い。もっと怒られそうな気がする。
「怒ってなんていませんよ。もう、先輩は…。佐崎部長はどうでもいいんです。早く行ってきてください。電話したら、帰ってきたもイイです。それまでは、ダメです」
予想は外れ、怒らせた様子では無いけれど、春香ちゃんの穏やかな勢いに圧倒され、言葉も出ない。完璧に押されている。
今日の春香ちゃんは、どうなっているのだろうかと思いながらも、仕方なくプライベート携帯と春香ちゃんに渡されたPost-itを持ってオフィスから出た。
ポケットに入れっぱなしだったタバコを思い出し、もう一度喫煙室に入った。
ついでに、もう一本吸って行こう。
タバコに火を付け、数字の並ぶPost-itを眺めた。
「とりあえず、電話しとく?」
灰皿にタバコを置くと、携帯のダイヤルボタンを押しながら番号を確かめ、全ての番号が並ぶと通話ボタンを押した。
左耳に携帯を当て相手が出のを待つ。
けれど、出る気配はない。お客さんが来ているのかも知れない。留守電にも切り替わらないので、そのまま切った。
「とりあえず、連絡したって事で」
携帯の画面を見ながら独り言をいいながら、これで、春香ちゃんは許してくれるだろうと、自分に言い聞かせた。
タバコをまた手に取ると、フィルターに近づきそうになるまで吸ってから、頭を切り換えると喫煙室を出た。
喫煙室から出てから、ずっとミーティングルームに籠もり、一人で勝手にプランを3パターン完成させた。
クライアントの好みがわからないので、春香ちゃんと早智子、斉藤さんをイメージしてそれぞれプランを作成してみた。
自分のは現実味が無く、イメージさえ出来なかった。
まだ企画書に出来る程の詰めは出来ていない。土曜にクライアントである京香さんと会った時の為にサンプル程度に練ったもの。明日、早速斉藤さんに清書して貰おう。
なんて、アナログ人間なんだろう。
デジタル化しまえばいいのだけれど、学生時代からのクセで、考えている時は手で切り貼りし、鉛筆を手にイメージ図を作成する方がより、具体化してくる。
今日買ってきた雑誌は見事に本としての機能を果たさない状態になっていた。ここから得られる情報は、もういらない。
ページを引き裂き切り抜いて、ラフに描いたイメージ図と一緒に、3枚のケントボードにそれぞれピンで貼り付けた。
たぶんコレは、外してすぐに捨てることになるだろう。
ボードを椅子の上に1枚ずつ立て掛けた。プランと必要なるであろう物のリストを書き殴ったレポート用紙を3枚のボードの前に立って見比べた。
イメージする人が違えばココまで中身を変えられる。けれど、これに本人達の意見が入ればもっとパターンは生まれるだろう。
暫く出来上がったものを眺めていると、ドアをノックする音が聞こえた。あまり気にすることなく返事をし、立ったままレポート用紙に内容を継ぎ足した。
「何だ、この散らかり様は」
ノックしたのは春香ちゃんだろうと、作業を続けていれば、入ってきたのは宮内だった。
テーブルの上には広げられた元雑誌達と資料、ボードに貼り付ける為の道具達が所狭しと陣取っていた。そして、切れ端やら、書き直しはては没にしたラフ図が、落としてそのままになっている製図用の大きな三角定規と一緒に転がっていた。
「見ればわかるでしょ。仕事に決まってる」
「伊藤の部屋は、さぞかし散らかっているんだろうな」
一瞬、食って掛かりそうになるのを抑え、ボードを1枚椅子から下ろすと宮内に勧めた。
宮内は、遠慮もなく当たり前のように腰を下ろすと足を組んだ。そして、偉そうに見下す態度であたしを見た。
それにまた、キレそうになるのを抑えながら、今まで座って作業をしていた椅子に腰を下ろすと、依頼の内容と今の進み具合を伝えた。
「これは、うちの社とは畑違いだろう」
「あたしも、そう思う」
「昨日とは、偉く態度が違うな」
当たり前なことを問われた事と、宮内がココに来てからの事を合わせて憤慨し、答えてやろうか、誤魔化そうかと考えた。
「あれは、お願いモード。今は通常モードです」
「なるほど」
宮内は納得した様子ではない。それでも、仕事を受けた以上、辞退するなどと言わないだろう。
あたしはもう既に、宮内対戦モードに切り替わっている。昨日の様にはなれない。なれと言われても、カナリの時間が必要。
「今、3パターン考えてみたから、明日の午前中、10時位には斉藤さんに清書して貰ってリストを上げるから、概算を出して欲しいんだけど。土曜日に持って行くから、出来れば明日中に」
あたしは宮内が目上だとは認めたくはない。けれど実際はそうなのがムカつく。
目上の立場の人間にどういう言葉遣いかとは、思いはする。いつからこうなったのか、宮内にはもうコレが通ってしまっている。それは、不思議ではあるけれど、今更どうにもならない。宮内も諦めているのだろう。
「急すぎないか」
宮内は、無表情のままあたしの無謀な要求に一言応えた。
「だから、あなたを選んだんじゃない。恭平だと押しが足りないか急がせられないでしょ。それに、休日出勤して打ち合わせに付き合えって言ってないんだから、何とかしてください」
「これに似合うだけの見返りがあるんだろうな」
「有るわけ無いでしょ。だからって、降りるとか言わないでよ。もう、佐崎部長には報告したんだから。ああ、そう言えば、佐崎部長が持ってきた仕事なんだから、株が上がるでしょ。次の人事では、イイ事有るかもよ」
とりあえずの取って付けた、さもあり得そうな話をでっち上げ、何とかさせようと試みた。
「という事は、伊藤も何か得るのか?」
あたしに得られる物が有るのかと考えてみた。それでも、全く見あたらなかった。けれど、一つ思いついた、見返りに見えそうな事柄を提供してみる事にした。
「そうね。決定権貰った」
宮内は、怪訝そうに眉をひそめた。
何の決定権なのかが、気になるのだろう。
もう少しは、教えてやってもいいだろうとは思うけれど、それは面白くない気持ちも存在する。
「言っておくけど、あなたをこの仕事に選ぶ権利じゃないから」
「他に何かあると?」
まだ、興味があるのか、食い下がってくる宮内の目を見据えながら少し考えてから、教えても構わないだろうと思い至ると、目下あたしの頭を悩ませている異動について話した。
「何故、伊藤がそんなにモテるのかわからんな」
「あたしにも、わからない。けど、一応は評価されてるのかも」
「自己評価が高すぎる」
呆れた様子で言葉を吐き捨てる宮内に、またキレそうになる。けれど、敢えて止めておく。
「斉藤まで引っ張って来るとはな。知り合いでもなさそうだが?」
もう、斉藤さんを引き入れた事を知っているとは思わなかった。
けれど、不思議ではない。斉藤さん自身が宮内に伝えたのだろう。少しでも会話をする口実になるのだから。
「本城君に、今の仕事全部押しつけたから、手が足りないの。あなた達の課と違ってこっちは人手が足りないのよ。ギリギリだし。斉藤さんは、この間お茶してから仲良しよ」
「本城に代わりが出来ると思っているのか? 疑問だな」
嘲笑い、可笑しそうに言う宮内に、今度こそキレかける。けれど、そこを何とか自制する。
一々、挑発に乗っているとどうにもならない。深くは考えず、聞き流す事にした。
「ま、何とかなるでしょう。彼には厳しくしきれなかったけど。多少は、無理を言っても壊れないだろうから」
「壊れたらどうする」
「壊したまま遊んでみる」
宮内は、楽しそうとは言わないが、笑みを漏らした。
「伊藤、お前Sだな」
「あら? 宮内主任に言われたくありませんわ」
満面の作り笑顔で応戦する。
宮内は、あたしから目を反らすと、酷く散らかるこの部屋を一瞥し、ため息をついた。
確かに、ヒドイ。けれど、これはあたしのクセだ。片付けながら、考える事なんて出来ない。片付けるのは、終わってからで十分間に合う。最中に訪ねて来る宮内が悪い。
「清書してなくて構わんから、リストを渡せ。取引先のリストアップに材料にはなるだろう」
これからまだ仕事をするつもりらしい。もうそろそろ、勤務時間は終わろうとしているのに。
ミーティングルームの壁に取り付けてある電話の受話器を取ると、春香ちゃんにコピーを頼む内線をかけた。
レポート用紙を切り離し、デスクに散らかる物とボードに貼り付けた物の中から、宮内に提供する情報を集めた。ノックの音が聞こえると、答える暇無く春香ちゃんの声が聞こえた。
「どれをコピーしたら…」
入ってきた春香ちゃんは、宮内を見て動きが止まった。
宮内がいるとは思っていなかったのだろう。普段は、ココに籠もる時はあたししかいない。
驚いても仕方がない。
恭平には、ココにいるから来いと宮内に伝えて貰っている。宮内もわざわざ、同じフロアーに有るとはいえ、企画課のスペースには顔を出して来るとも思え無い。
「ごめんね。コレ、お願い」
立ち上がって集めた情報の束を渡し、最小限の説明をすると、春香ちゃんは、早々にミーティングルームから出て行った。
その早さに、あっけに取られて立ったままでいると、宮内に渡すものがあったと思い出し、仕切り直した。
「これ、いつも使ってるカメラマンとスタイリストのギャラの相場のリスト。今回、使うのではないけどね。後でここで微調整するから。今回の概算にはココからにしておいて。予算全体からこっちに割り振れる額を支払うことにするから」
宮内は、2種類のリストを受け取ると一通り眺めた。
「来週早々には、企画書を作成するから。次の打ち合わせには同行して欲しいんだけど」
「何故、そんなに焦っている。顔合わせもまだなんだろう?」
リストから目を離し、不意に思い出したかのように聞いてきた。
宮内は、あたしの焦りを感じたらしい。
そう思われても、いつもあたしの仕事はこんな感じ。
そう言えば、宮内とまともに組むのは初めてだ。知らなくても当たり前と言えば、それまで。
けれど、確かにいつも以上に焦っている感はある。
その答えは、ただ一つ。
「佐崎部長が絡んでるからに決まってる。あの人が、あたしに何かを直接持ってくる時は、必ず何かあるのよ。だから、準備は怠れないし、何が有っても何とか出来るようにしておかないといけないの」
宮内は、あたしの言葉に少し驚いた様子で、あたしを見ている。
何故、驚く必要があるのだろうか。
「伊藤は、思ったより仕事が出来るらしいな。仕事も出来ないのに口だけで生きていると思っていた」
「どういう意味よ。あたしをバカにしてるの? 自分の仕事はちゃんとするわよ」
今度の今度こそキレる。
何処まで我慢しないといけないのか。本当に、偉そうで鼻につく。
「褒めてやっているのに、何を怒っている」
「怒ってないわよ。いい加減、その訳のわからないムカつく表現は止めてくれない? 普通に話しなさいよ」
「ごく普通だろう」
「普通なら、キレない。普通じゃないから、ムカつくんじゃない」
「怒ってないんじゃないのか?」
「だから、怒ってません。ムカついてるんです!」
「なるほど。だが、同じだと思うが?」
何の言い合いをしているのか。馬鹿げている。話が通じない相手にキレて、また佐崎部長に指摘されるのはもうイヤだ。
この会話を諦めると、椅子を引いて宮内から少しでも遠くに身を置く。
「失礼します」
ノックの音と共に春香ちゃんは、静かに入ってきた。
「ありがとう。明日から、斉藤さんが手伝ってくれるから、朝来たら案内してあげてね」
「え? あ、わかりました。それでは、私はコレで失礼します」
静かにドアを締め、春香ちゃんはまた、早々に出て行った。
そろそろ、春香ちゃんは上がるのではないかと思い、伝えておいた。
けれど、気になるのが、出て行く前に宮内に意味のわからない視線を投げた事。何なのだろう。
「何をしている、早く渡せ」
「あ、そうだった。ちょっと待って」
手渡されたコピーを確認し、パターン毎に並べ替え、ホッチキスで左上を留め、準備が整うと気がついた。偉そうに命令されているのに、あっさり流してしている。
「はい。1枚目が草案で、次からがそれに伴うリストと資料。」
「早く片付けろ。すぐに、足の踏み場もなくなる」
宮内は立ち上がると受け取って、ミーティングルームから出て行った。
デスクの上を見ると、片付けるのもイヤになってきた。早く帰りたい気分にも襲われる。
これから、宮内と絡むことが多くなる。大丈夫だろうかと不安過ぎる。けれど、自分で思っていたより、宮内にちゃんと対応できていたのではないかとも思う。
中途半端にキレたけれど、案外ちゃんと仕事らしく進められた。
もしかすると、宮内には慣れが必要なのかも知れない。そして、宮内にもあたしに対する慣れが必要ということか。