勝手なことをされる
担任のタダ先生は「お話の時間にしよう」とおっしゃった。
若い先生たちは「いや、それはちょっと」と異議を表明した。
早朝出発した私たちはもう長いあいだバスに揺られていた。単にお話というだけでは、子どもたちが飽きてしまうのではないかと危惧されたのだった。それでも私たちはタダ先生の提案を受け入れた。
「だいじょうぶでーす」
「お話の時間がいいなあ」
それは、いい子ぶりたいというのもあったけれど、日差しが暑かったからだ。特に昇降口の横の窓はカーテンがなく、そこから車内に熱気が漂ってきた。しかしお話の時間ならば、テープの声が流れている間、クーラーの涼しい風にあたっていられるからだった。私たちは暑い空間を避け、冷たい風の通り道をよりすぐって、そこに集まった。その結果、おしくらまんじゅうのように身体が集中したけれど、それでも真夏の太陽の下よりは、格段に過ごしやすかったのだ。
車内に流れた、アナウンサーの朗読は、内容的にも面白かった。教訓話ではあったけれど、自分たちと同じ年頃の子どもや動物が活躍する冒険譚でもあった。私はふと思いついて、自分の手にしていた挿絵入りの本を開いてみたら、そこにも同じ物語が載っていた。私は本を開き、イラストを見、音でストーリーを追いかけるという贅沢な時間を過ごした。
しかし、テープのお話は突然まとめに入り「それはまた別のおはなし」という決まり文句で終わってしまい、別の物語に入っていった。私は少しだけ驚いた。書物の方の物語にはまだ先があったからだ。ページを何枚かめくったけれど、今度の朗読は、手元の本には載っていなかった。私は要領の違いをおぼえてしまい、次のお話には集中できなかった。
周りを見渡すと、ほかの子どもたちも飽きてしまったようで、ろくに話を聞いておらず、おしゃべりをしていたり、小型ゲーム機を取り囲んでいたり、窓の外に手を振っていたりした。潮時だと思ったのか、若い先生たちはしたり顔でテープを止めた。私はタダ先生の姿を探したが、見当たらなかった。若い先生の一人に尋ねたら、タダ先生は先に降りたとのことだった。私はちょっと残念に思った。
バスは既に目的地についていたのだ。
「お昼にしますよ」と先生が言った。
通路のところに、スーパーマーケットのビニール容器のような入れ物が積まれていた。
「班長さんは取りに来てください」
私は班長だったので、それを取りに行った。ほかの班長たちはまだほかのことに気を取られていて、それを取りに行ったのは私が一番だった。
「わあ、お寿司だ」
三種類の容器に分かれて、胡瓜巻や鮪の握り、助六寿司などが入っていた。私はそれを両手に抱えて、タラップを降りていった。外に出ると、海のない海の家のようなところで、黒っぽい木造の枠組みが田舎っぽさを感じさせた。まだ日差しがかかる一階の部分は、店舗のようになっていて、私は初め土産物屋かと思ったけれど、そうではなかった。
「まず、ここで、テーブルや食器を買いなさい」
カゴの中に陳列されているのは家具だった。それぞれに値札がついていて「5円」とか「10円」とか書いてある。でも、本当に買い物をするのではなくて、例の架空のお金で買うのだった。私たちはこのゲームによって、お金の使い方を学ぶということになっていた。しかしそれは単なる手続きに過ぎなかった。わあっと、商品に集る子供たちを尻目に、私ははしご段を登って二階に向かった。そこが食事をする場所であって、どんなところか確かめてからでないと、何を買えば良いかわからないと思ったからだった。
そのとき私は、持っていたパックの寿司を取り落としてしまった。その拍子に中身の握り寿司が二三個、砂の上にこぼれてしまった。一瞬、私はそれを自分のものとして食べてしまおうかと思った。けれどそれもまずいなと思い直して、拾い上げて容器の中に再び戻した。
木の手すりに囲まれた何十畳もの畳敷きで、天井はなく柔らかい風が吹いていた。
「和室だから、低いテーブルがいいよ」私は班員たちに指示をした。
物色する仲間たちに加わるべく降りて行き、目星をつけてあった黒檀のような天板の丸テーブルを運び込んだ。すると、そこには既に別の班員によってテーブルが並べられていたのだ。その上には、私が畳の上に放置した寿司も並んでいた。
「これとよく似たテーブルが父のところにあったのよ」と、その子は説明をした。
籐で編まれた小さなものだった。私は勝手なことをするなと内心憤っていたが口にはしなかった。私たちが持ってきたテーブルは大きくて、班員が全員囲めるものだった。先に積まれたものは一台では足りなかった。つまりは帯に短し襷に長しという状態になっていたのだ。まあいい。そもそもそんなに纏まりのいい班というわけではない。この修学旅行のための急造のものに過ぎなかった。