階段を上る
私はビルの案内板を見ていた。壁に打ち付けられた白いプラスティックのボードに、この建物の断面図が描かれて、階数とその階に何があるか書かれている。地下には駐車場と書かれてある。階上には、客室、店舗、宴会場、遊戯場などの施設名が見える。これを見ると、私の目的地は六階のようだった。
柱の向こう側に、エレベータホールがあった。私は自動ドアの前まで行き、回数表示を眺めた。箱はずっと上の方の階にいて、下りてくる気配がなかった。上り続けていたり、降りてきてももたもたと同じ階で止まっていたり。その辺に新しくできた展望食堂街やラーメン横丁などがあった。私は待つのを厭って、階段を探した。
トイレがあったので中に入って、用を済ませた。最新式に改装されていて、ピカピカの衛生陶器が並んでいた。手を洗うところも、洗剤や水が自動で出てきて、乾燥もしっかりできるすぐれものだった。トイレを出て、横を見やると、物陰にひっそりという感じで階段の入口があった。私はそれを上っていった。
階段に人影はなかった。幅の広いリノニウムのステップをすたすたと登っていった。壁紙の境目が黄ばんでいた。私は階数表示を見ながら、ずんずん登っていった。四階のところでその階段は唐突に終わった。通路に出ると、そこはショッピングセンターになっていて、量販店や百円均一の店が並び、チラホラと客の姿も見えた。アーケードゲームを置いた小さなゲームコーナーに近づいていくと、その横に「階段室」という表示があった。
表示の下に、防火扉のような鉄製のドアがあり、私はそれを開けて中に潜った。思ったよりしっかりとした階段があり、柵状の手すりには緑色の滑り止めが打ち付けてあり、ステップのリノニウムも経年劣化が若干見受けられるものの埃等は溜まっていなかった。私はほっとして、そのまま登っていった。踊り場で一旦折り返して上がっていくと、出口のやはり鉄製の扉があった。それはいいのだけれど、そこの表示は「5A」となっていた。
ああそういえば、と思った。一階で見ていた案内板によると、五階より上の部分は左右二手に分かれていて、それがA部分とB部分というわけなのだった。私の目指している会場は、新しく建て増しされたB部分にあり、A部分からはいけない可能性があった。それでもとりあえず行ってみようと思って、5Aの扉を開けた。
そこはコンクリート敷のベランダのような場所だった。広さは四畳半程度だった。やはりコンクリートでできた塀の向こう側には空が見えた。すぐ脇にコンクリート製の階段があり、そこが五六段登れるようになっていた。滑り止めの溝を踏んでそこを上がると、すぐに右に折り返し、そこからは再び降りるようになっていた。そしてこの階の地平に復帰するのだった。赤錆た鉄筋の枠組みが頭のすぐ上にあり、それをくぐると、車二台分くらいのスペースがあり、端には観葉植物の鉢植えが置かれていたが、随分古いもので、葉や枝がまばらだった。突き当たりを壁沿いに右に向かい端を左に折れると、店の入口らしきドアがあった。
丸いアーチ状のガラス戸で、薄いサングラスのような色をしていた。銅色の取っ手を握って扉を開くと、カランカランという音がした。中に入ると、落ち着いた照明で、小さな音でジャズトリオらしいピアノやホーンの音が流れている。入ってすぐがレジになっていて、その横のところに、マンガ雑誌などが置いてあり、私はその一番上にあったスポーツ新聞を手にとって席の方に入っていった。
ソファは破れてこそいないがキシキシと鳴ってスプリングが弱っているようだった。テーブルはゲーム機の代用品だった。中年の給仕が奥から現れて、私の前にオレンジ色のコップに入った水と透明なビニールにくるまれたおしぼりを置いた。
「お決まりになりましたらお呼び下さい」
少し揺れたような気がする。地震だった。一瞬このブロック自体が崩れてしまうのではないかと危惧したけれど、揺れはすぐに収まった。私はテーブルの上に置いてあったブック形式のメニューを開いた。ワープロで打って写真を貼り付けたものだった。
「ここはいつからやっているの」と私は聞いた。
「私が二代目で、三代目が料理を担当しています」
老人と中年の給仕と、さらに若者が三人並んでニコニコ笑っている情景が思い浮かんだ。