荷物を預ける
私が降りていくと、既にいとこは土間に立って、親戚の人たちと話をしていた。畳の間に座っている親戚たちの脇を通って、私も出かける準備をしようとしていた。そこへ大勢の若者たちが戸口から入ってきて、さほど広くはない土間がギュウギュウ詰めになってしまった。私はほうほうの体で、いとこの肘をつかみ、外へ出た。今夜はいとこの家に泊まることになっていたのだ。
「先に行っててよ。まだやることがあるから」
「場所はわかるの」
「大体の方向はわかるよ」
かなり前に数回行ったことがあったから、歩いていけばなんとかたどり着けるだろうと考えた。頭の中で、あそこの辻を曲がってなどと考えてみたが、うまくまとまらなかった。
「あ、GPSをつかえばいい」
私はポケットからスマホを取り出して、地図アプリを起動した。
「電話をかけてよ」
いとこも携帯電話を取り出して、私の電話をコールした。振動が手の中で響き、地図アプリの中に新しい光点が点滅し始めた。そのマークの下には、有名なシンガーの名前が記されていた。
「今この名前にしてるんだ?」
「そうなんだ」
この前までは既になくなった登山家の名前だったような気がする。
私はいとこと別れ、反対側の方向に歩いていった。駅前アーケードの下を横切り、川沿いの道路を道なりに歩いて行った。だいぶ歩いたところで、そろそろ方向を変えなければと考えた。この道も、往路で一回通っただけで、まだ完全に把握してはいなかったのだ。
車は通れないけれど、自転車なら通れるくらいのコンクリートで固めた鉄橋があったので、私はそこを渡って対岸に移った。そのまままっすぐ行けば、方角的には合っているはずだった。細いアスファルト舗道歩いていくと、田んぼの畦のようなところに出て、そこを突っ切るようにしていくと、運動場の脇道につながっていた。
広大な砂地の上に大きなネットを張り巡らした中で、体操着を着た選手たちがバレーボールの練習をしていた。通路とも言えないような細い空間を歩いていくと、ちょうどそのネットが傾いて行く手を塞いでいた。私はその中に潜るようにして通り抜け少し広い空間に躍り出た。花壇が並ぶ公園のようなところを歩いていくと、少し下ったところにグラウンドがあり、野球の練習をしているのが見えた。ネット裏のところに、ユニフォームを着た警備員が立っていて、彼らに指示を与えていた。
私はその背後を通って進むと、行き止まりになっていた。砂地の端っこがコンクリートの淵で揃えられ、そこから崖になっていたのだった。見下ろすと、数十メートルはあったが、下の方に何やら積み上げられていたので、そこへ飛び降りれば大丈夫だと判断した。私はまず座り込んで足をぶらぶらさせ、ゆっくりとその上に飛びおりた。その山は、古新聞や雑誌の束で不安定だったけれど、なんとかクッションがわりに足を蹴り、その反動で地面に降りることができた。
私は歩きながら電話をかけた。
「ちょっとお聞きしたいことがあるんですけれど」
すると担当の鈴木という人物が電話口に出てきた。私はゴミの山を崩してしまったことを報告しようと思って説明したのだけれど、鈴木さんの受け取り方は違うようだった。
「申し訳ありません」
本来あそこに置くべきではないのだとかなんとか。私はじゃあどこへ置けばいいのか、どんなものでも預かってもらえるのかなど、細かく尋ねた。そのうちに白い建物が見えてきて、私は玄関に入る前に電話を切った。階段を上がって、LED灯のきらめく広い事務所に帰ってきた。そこで同僚の一人に尋ねると、そもそもあの場所は、球団事務所の管轄ではないはずだとのことだった。それなら鈴木さんはなんで謝ったのだろう。
廊下を挟んで反対側の部屋のひとつは、池になっていた。私がそこへ行くと、後輩が釣竿を持って呆然としていた。見ると、池の表面はすっかり凍りついて、その上を歩けるくらいだった。
「火薬を使ってみたんですが、穴もあかないんです」
私は空調のスイッチのところに行き、暖房をかけた。しばらくすると、部屋が熱帯のように熱くなったので、私たちは逃げるようにして外へ出てガラス戸のところから中をみやった。やがて、氷がすっかり溶けて、池に魚が泳いでいるのが見えるようになった。私たちは竿を持って、それらを釣り上げようというのだった。水面には、ミズスマシなどがスイスイと泳いでいた。
取り巻きを引き連れた市長が私たちの横を通り過ぎていった。そのとき市長は私の耳元でこう注意した。
「ボウフラがいっぱいいるから、蚊に刺されないように気をつけなさいよ」
それだけ言い残すと、そのまま隣の執務室に入っていった。
「市長さん機嫌が良かったね」
「この池だけが過去の栄光だからね」
「そうなのか。これも一度問題視されたじゃないか」
空調を切ったので、もうそんなに暑くなくなっていた。しかし市長の言ったとおり、蚊がブンブンと飛んでいて、今にもやられそうだった。もうおしまいにすることにして、私は竿を持って階段を下り、地下道から隣のビルに入っていった。高級青果店の中を通り過ぎてから、右に折れ曲がっていくと、奥の方の何やらいかがわしい看板の下に出入り口があり、その脇にスチール製のロッカーがいくつか並べられていた。その前に係員らしい若い人物がいたので、私は声をかけた。
「これを預かって欲しいんだけれど」
そう言って私は安物の釣竿を手渡した。
「かしこまりました」と係員はそれを受け取り、ロッカーの最上部の扉を横に開けた。そこは細長く横に広がっているところで、長いものはそこに収める様子だった。野球のバットや松葉杖などが見えた。
「それではお帰りの際にお声掛けください」
「えっと、違うんだけれど。しばらくの間預かっておいて欲しいんだ」
係員は「え」と絶句した。そこへ少しベテランらしい恰幅のいい和装をした人物がやってきて私に声をかけた。
「お客様。如何なさいましたか」
「釣竿をしばらくのあいだ預かって欲しいんだ」
「一応お食事か何かをされている間だけ無料でお預かりすることになっているんです」
「預かってもらえるってさっき電話で聞いたんだけれど」
「しばらくの間というとどれくらいでしょうか」
「うーんと、例えば半年くらいかな」
「有料になってもよろしいでしょうか」
「いくらぐらいになるの」
「少々お待ちください」
そう言って関係者以外立ち入り禁止と書かれた鉄扉の向こうに姿を消し、そのあと連れて戻ってきたのが渉外係の鈴木だった。
「また鈴木さんか。あなたのおかげで私はクレーマーみたいじゃないですか」
しばらく身のない会話をにこやかに続けたあとで、鈴木さんはロッカーの横の説明書きを発見した。そこには「48時間以上の場合、業者点検ごとに50円を徴収する」と書かれていた。
「点検ってどれくらいごとに行われるの」
「そうですね。ここの記録をみると、大体ひと月に一回くらいですね」
確かに、下の方に点検日の記録欄があって日付がマジックで記されていた。
「ああ、それならお願いします。安いし」
それから再び事務所に戻った。デスクの上にはさっき買った惣菜の袋が置かれていた。壁の時計を見るとまだ退勤時刻になっていないのだった。。私はそれを恨めしげに眺めながら、いま食べようかそれともいとこの家に帰ってから食べようか思案する。