からだを拭く
私は車の中にぎゅうぎゅうに詰めこまれていた。比較的大きな車だったけれど、定員は少しオーヴァーしているように思われた。それぞれ雑多な服装をした若者たちが、運転席から助手席、後部シートに座っていた。ポロシャツにアロハ、戦闘服にタキシード、野球のユニフォームにTシャツ、エトセトラエトセトラ・・・。私の席は、後部座席の左のドアの近くだったけれど、その左ひざのところに、さらにもうひとり、小さな人間がいた。大きさはサルかネコくらいなのだけれど、小動物というわけでもなく子どもというわけでもなく、小さな人間としか言いようがなかった。
その小さな人間は、最初眠っていた。それが急に目を覚ましたようにビクッと伸び上がって、私の方を見た。
「誰の腕で懸垂をすればいいんだろう」と、小さな人間が問いかけてきた。
私はなんのことかわからなかったので、半ば無視を決めこんでいたのだけれど、右端の方にいた体格の大きな、喪服にも見える黒いスーツを着た人物が、こちらに向き直って言ったのだ。
「こっちへ来いよ」
それを聞いた小さな人間は、ぴょんと飛び上がって、その人のところへ行ってしまった。その表情には、ああこれでよかったのだ、という安心感が滲み出ていた。確かに小さな人間も同じような黒いスーツを纏っていた。
「そろそろ飛ぶぜ」運転席のアロハが言った。
アニメの登場人物のように何やらボタンを押したりレバーを引いたりしたら、自動車の左右に飛行機の翼がすっと現れた。そして坂道を踏切板のようにして、私たちの乗った自動車は、青い空へと飛び出した。乗客たちはみな上機嫌で、和気藹々と笑い合っていた。私一人が仏頂面をしていたような気がする。
やがて空飛ぶ自動車は谷間の遊園地の上空にやってきた。私たちがよく来る遊園地だなと思った。私鉄の電車を乗り継いで、ベッドタウンのさらに奥にある、山あいの村落のところにある遊園地だった。急に車のシートが揺れ始めた。
はじめガタガタ言っていたので、車の調子でも悪いのかと思っていたけれど、ほかの連中はニヤニヤ笑っていたので、予定通りのことだと分かった。私の座席の下だけがムズムズと何やら動作が行われているのだった。やがてしゅたっというような音がして天井が開き、私の席だけが私の体ごと宙に飛び出していった。座席はクルクルと空中で何回転かして、クレーンのような枠組みのところにカチッと着地した。そしてそのままケーブルカーのようになって、グイングインという機械音とともに前進していくのだった。
私はいつものアトラクションだと思って安心していた。しかしいつもと少し違ったのは、キャタピラが終わったところから放り出されたのが、水中だったことだ。私は飛び降りるような格好で水の中に投げ込まれた。入った瞬間に、水の冷たさに驚いた。それは水というよりも、ドライアイスに入り込んだような感じだった。
両手を掻き回すと、体はゆっくりと動いた。上下左右を見渡しても、水面は見えなかった。下の方に洞窟ような感じのヌルヌルとした床らしきものが見えるばかりだった。息ができないと死んでしまうな考えたけれど、水中なのに呼吸はできるようで全く苦しくなかった。それに安心して私は泳いでいった。そういえば私はウェットスーツのようなものを最初から着ていた。
周りを見渡せば、子どもを含む観光客たちが楽しそうに遊泳していた。私も彼らに混じって、狭いトンネルを泳いだり、水中の階段を上ったりして、ようやくプールの出口にやってきた。久しぶりに空気の中の出てくると、なんだか体が重く感じた。
体が冷えきっているようにも思えたので、プールサイドに置いてあったペーパータオルで、私は濡れた体を拭いた。その紙の捨てる場所がわからなくてウロウロしていると、プールサイドの端にある排水口のところに、ビニール袋があるのが見つかった。私はそこに歩み寄って、ゴミの入ったその袋の中に汚れた紙を捨てた。
そこへゴミ収集用と思われる箱を抱えた作業員がやってきたので、そのビニール袋をその中に入れた。
「ダメですよ」意外にも、私の傍らに立っていた水着姿の観光客がそういうのだった。
作業員の方を向き直ると、私の方を見てこう言うのだった。
「アイデンティファイが出来ていませんから、ラベルが貼れません」
小さな箱に入れて、別扱いで持っていくのだという。しかしそれでも作業員はそれを持って行ってくれた。それ以外のゴミ箱はそのままカートに積み込んで颯爽と去っていった。私はそれを目で追いかけて、見えなくなるまで見送った。