物語をつむぐ者
多少のスプラッタ描写があります。
「うわああああ」
リヴは走る、ただひたすら走る。その後ろに数十人の猛者たちを引きつれて走る。
「首刈らせろー! 今日こそ止めを刺してやる!」
とても穏やかと言えない台詞が飛び交う。
「こーとーわーるー!」
なんでこんなことやってるんだ。馬鹿じゃないか、皆平和にいこうぜ。
そんな言葉通じない、それ以前に平和という言葉の概念すらないのであろうか。そんな世界、そんな土地。
周りはいかつい男たちが、笑いながら殺しあっている。皆、血みどろになり、血を吐き、内臓をまき散らし、脳髄をたらしながら戦い続ける。
怖い、なんで笑ってられる。皆、いかれてやがる。奴ら、脳みそまで筋肉でできてやがる。
そんなことを思うリヴこそここでは異端だ。口に出そうものなら、山羊乳酒につけこまれてもう一度溺死させられるかもしれない。
もっとも、今、まさに殺されようとしているが。
もう一度死ぬのはごめん。
リヴは逃げる、ひたすら逃げる。朝、太陽が昇り、そして沈むまで。
野郎どもは殺しあう、ひたすら殺しあう。朝、太陽が昇り、そして沈むまで。
『死せる戦士たち』は、『終末』に向けてひたすら己の腕を磨くのだ。
「はいはーい、今日のいっちばーんは、ジギスムントさんですよ!」
馬鹿みたいにうるさい声でしゃべるのは、『戦乙女』の『騒音』だ。ご丁寧に、背中から翼をはためかせて、ぱんぱかぱーんと、花びらを散らして今日の最多殺人者を褒め称えている。白いドレスをはためかせた姿は、まさに女神だったが、神々しさよりもその騒がしさが目立つというのは、その名の通りである。彼女の言葉を受けて、周りも拍手とともに、
「おーい、人思いに心臓ぶった切ってくれよ。横腹つれーんだから。まじい玉ねぎスープでも飲ます気か、おい!」
と、まだ脇腹からもつをはみだしたままの戦士が野次を飛ばす。その言葉に、周囲で笑いが起こる。
「そうだぞ、俺なんか、お前に百回以上殺されちまったぞ! たまには、頭潰させろや!」
これまた笑いが起こる。
「はいはーい。ではでは、明日、ジギスムントさんを仕留めたかたは、特製の蜜酒つけちゃうよ! がんばってね! ジギスムントさんはがんばってぶった切り返してくださいね!」
『おう!』
正直、リヴには理解しがたい『英雄の館』式の冗談だ。リヴは、乾いた笑いを浮かべながら、壁にもたれかかってスープを食べる。とろりと口の中で溶ける肉は、よく煮込んだ猪肉だ。何度殺して食べつくしても、夕方には蘇る神々の家畜の肉である。まずいはずがない。
「ああ、うめえ」
思わず口に出てしまうほどに。
こんな状況で落ち着いてられるなんて、自分もだいぶ狂ってきたな、と思いつつ、周りを見てそうでもないかと首を振るリヴ。
あのすさまじい鍛錬という名の殺し合いののち、戦士たちは何事もなかったように宴を行う。肩を寄せ合って下手な歌を歌う二人組は、先ほど、お互いに相手の首を斬り合って絶命していた。『戦乙女』に山羊乳酒をもらい、一気飲みする男、ぽたぽたと腹から酒が漏れている。「きったねー」と隣の男が笑っているが、目玉を一個どこかに忘れてきているようだ。毎日起こる神々の奇跡はどこか抜けている。
毎晩振舞われる猪のように、この館に住まう戦士たちは毎日蘇る。だから、毎日殺し合い、その後、笑いながら宴を楽しむのだ。
「絶対、人選間違ってる」
「そうですねー」
いきなり横から間延びした声がして、リヴはびっくりしてのけぞった。そのまま、体勢を崩し、スープ皿に頭を突っ込む羽目になった。
「あらあら、もう一度溺死するんですか?」
「できないよ!」
リヴはスープ皿を置くと、隣に座った娘を見る。見た目は娘だが、年齢はいくつかわからない。ふんわりとした髪に穏やかな笑みが浮かんでいる。その手には、酒壺があり、これを『死せる戦士たち』に注いで回っているのだ。名を『義務』といい、『騒音』と同じく『戦乙女』だ。彼女たちの仕事は、毎晩こうして『死せる戦士たち』の世話をすることである。その名のとおり気まぐれな『戦乙女』は、一人寂しく晩飯を食べているリヴの元に酒を注ぎにきてくれた。
元はといえば、この女が。
リヴは自分がここに連れてこられたときのことを思い出した。
真っ二つに割れた舟、冷たい海水、そして苦しいという気持ちもなくただ沈んでいく己の身体。
何を間違ったのか誰かに助けを求めていたらしい。他に誰も乗っていない舟、助けるものなどいるはずがないのに。まだ新しい舟は、結婚祝いに父が贈ってくれたものだ。珍しく張り切るものじゃない、だからこうなった。嫁がいた、幼馴染の嫁。自分には出来過ぎた嫁で周りから「なんでお前なんかが」と酒の席の度に、半ば本気で小突かれた。
今となってはそれも懐かしい。ここにあるのは、ただ殺しあうだけの毎日だから。
ここにいる戦士たちは皆、勇敢に死んだものたちばかりだった。その生前、誰もが死を恐れなかっただろう。彼等は、『戦乙女』の迎えを喜んだに違いない。
溺れ死ぬリヴが手を伸ばしたのは、今酒壺を持ったたおやかな手である。
「溺死した人間も英雄に含めるとか、判定基準甘くない?」
リヴの言葉に、『義務』は酒壺を一度置く。人差し指を頬に当て首をかしげて見せる。
「うーん、その点は『主神』がお決めになったことですのでー。それに、溺死といってもちゃんと海で死んだ場合だけですよー」
「川で漁すりゃよかった」
そう言ってもできるわけがない。嫁を貰った以上、彼女を養うために頑張るのが男というものだ。小さな川魚をちょこちょこ集めたところで食わせるだけとることができない。
リヴは首からかけた飾りを服の上からつまむ。木を削って作っただけの簡単な首飾り、お守りとしてそれを婚姻の夜、妻から貰っていた。同じようにリヴも妻のために首飾りを作った。簡素だが、彼女のためにできることはそれくらいだった。
「でもよかったですねー。ここに来るのは、戦死者でも一握りなんですよー。特に『輝く戦』の姉さまなんか理想が高すぎて、ここ数十年、一人も英雄を連れてこなくて『主神』がぼやいてましたー」
「いや、僕はいいから、別の人、連れて行けばよかったじゃない」
戦など探せばどこにでもある。それなのに、わざわざ海で溺死者を探す必要などない。小舟の漁師など見つけるよりも、強奪に向かう大船を追ったほうが楽であろうに。
「そうなると、『死者の国』で半身が腐った女王に傅かねばなりませんよー」
「それも嫌だ」
唸るリヴの肩にずしんと重みがかかった。
「ようリヴ、辛気臭そうじゃねえか」
低い声の主はロヴァルという男だ。その後ろに、先ほど『騒音』に名前を呼ばれていたジギスムントがいる。ロヴァルはいかついひげの主、ジギスムントはロヴァルの年齢を半分にしたほどの若者だった。顔がよく似ている、親子なのだそうだ。リヴがこちらにきてしばらくしてやってきた男たちで、傭兵をやって戦場を渡り歩いていたらしい。死亡原因はいわずもがな。
先ほどの戦闘でリヴを追いかけてきた顔の二つである。
「親父、リヴが辛気臭くない日なんてねえだろ」
「はは、それもそうか!」
ロヴァルは何が面白かったのか、リヴの肩をばんばん叩く。そのおかげでリヴはむせこんでしまう。
「にしてもよ、毎回よく逃げ回れるよな。ここじゃあ、殺すより殺されないほうが難しいってのによ」
「そうだな、その逃げ足だけは褒めてやらねえと」
ロヴァルが自慢の髭を撫でつつにやりと笑う。灰色がかった独特の緑がどこか懐かしい、もしかしたらリヴと同郷なのかもしれない。
「ふふふ、リヴさんにも一つや二つくらい得意なことがありますからねー」
何気に辛辣なことを言う『義務』。
「でも、『死せる戦士たち』としてのお仕事ができなければ、これはもう食べちゃ駄目ですね」
「ま、待ってくれよ!」
猪スープを下げようとする『義務』にリヴは慌てる。そんなリヴを『義務』の他、ロヴァルとジギスムントが意地悪な笑みを浮かべて見ている。
「ンなこと言われてもなー」
「だよなー、親父。働かざるものなんとやらだ」
「ふふふ、では違うお仕事を与えてはどうですか?」
三人が顔を見合わせると、それぞれ『義務』、ロヴァル、ジギスムントは、弓とナイフと棍棒を持つ。一瞬、リヴはひるんでしまうが、持ち方が普段のその構えと違う。
弓は大きいものと小さいものの二つを腿とふくらはぎの間にはさみ、指先ではじく。『義務』は即興で弦楽器を作る。
ロヴァルはナイフで並べた皿を軽くたたいていく。皿の大きさや材質によって違う音が鳴り、音の高さごとに皿を並べ替えていく。見た目によらず繊細な耳の持ち主だ。
ジギスムントは棍棒二つを床に叩きつけながら口笛をふく。
即興の演奏に、わらわらと他の戦士たちが集まってくる。
「今宵はどんな詩がある?」
謎かけするように戦士の一人が言った。
こうなると、リヴの仕事は決まっている。
「どんな話をご所望か?」
戦士に質問で返す。
「『悪戯神』と『雷神』、巨人の国の冒険を」
リヴはその言葉にゆっくり立ち上がる。大きく息を吸い、物語を綴る。
粗末な即興の音楽も演奏次第で、悪くない。
次第にリヴの下がっていた眉が上がる。口角も上がり、物語を綴ることを楽しんでいることに気づく。
殺し合いだけのこんな世界大嫌いだ、みんなして殺し合いなんてする必要ないのに。
こうしてずっと笑っていればいいのに、と思いながら、リヴは物語の語り部を務めた。
「まったくお前の足の速さは筋金入りだ」
ジギスムントは特製の蜜酒をあおりながら言った。手慰みに胸のあたりを指先でなでている。首飾りかなにかが服の下にあるようだ。
「おまえよく『死せる戦士たち』に選ばれたよな。俺と親父みたいに代々戦士の家系に生まれたならともかくよ」
「人選間違ってんだって」
リヴは後頭部を擦る。今日、あやうくロヴァルに首を刈られかけた。髪をだいぶ持って行かれた。親不孝なその息子は、リヴが紙一重ならぬ髪一重で交わしたところを、槍で串刺しにしたのだ。親子だからって容赦はしない、怖い、こんな家族いたらやだ、とリヴは心底思う。
息子に串刺しにされたことでロヴァルはご機嫌斜めらしく、今日は別の場所で山羊乳酒をあおっている。ご丁寧にお酌の『戦乙女』は三人もいる、髭の濃い男はもてるよな、とリヴはつるんとした自分の顎を撫でた。伸ばしたところで逆に情けないと言われて髭は剃ることにしている。それでも、あんたはあんただよ、と背中をばんばん叩かれたのはいつのことだったろうか。
妻はどうしているだろうか、そんなことを考えるときゅうっと身体が苦しくなる。
「なあ、物語を話してくれよ」
「……今あるのは、たぶん、つまんない故郷の話になると思うよ」
「いいよ。それで。あんたの語る故郷はどっか懐かしいんだよ」
「物好きな奴」
「おめーにいわれたくねえよ」
こいつ、毎日物騒なものを持って追いかけまわさなきゃ、いい奴だと思うのにと、リヴは物語をつむぎはじめた。
ジギスムントはまるで子守歌を聞くように、目を瞑った。
それは突然やってきた。太陽がいきなり消えたかと思うと、大きな角笛の音が響き、その始まりを知らされた。
巨大な狼の鳴き声が響いた。
大地を巻く恐ろしい巨蛇の影が地平の先にある。蛇とともに近づいてくるのは大きな波だった。獣の咆哮とともに、木々が倒れ、山が崩れ、大地が割れた。
それはいつか来る日だった。『世界樹』の三女神が憂いた未来だった。
「『死せる戦士たち』さーん。頑張って戦ってくださいね!」
『騒音』がいつもよりもさらに勝気な声で言った。彼女のもう一つの名は『戦』、血が騒ぐのだろう。いつもの白いドレスではなく、重そうな甲冑を身につけ、巨大な槍を携えている。
『おう!』
戦士たちはいつもと変わらぬようだ。ただ違うのは、次に殺しあう相手がここにいる皆ではないということだ。
『神々の黄昏』が始まった。
「リヴさん」
出撃の準備をするリヴの前に『義務』が現れる。いつもの白いドレスの上に重苦しい甲冑がかぶさっている。
「なに?」
「逃げないんですかー?」
いきなりの言葉にリヴはのけぞった。
「いや、まだ追いかけられてないし」
「そういう意味ではなく、戦場からということです。今なら、忙しい場に乗じて逃げ出すことも可能ですよー」
『戦乙女』らしからぬ言葉にリヴは思わず首を振ってしまった。
戦場は嫌いだし、殺されるのもまっぴらだ。でも、ここでいきなりいなくなるのは、それ以前の問題だ。
「そんなつもりはないよ。まがりなりにも『死せる戦士たち』の一人だからね。君がここに連れてきた理由のため、ちゃんと義務は果たすよ」
飢えずに酒と肉を好きなだけ食らう、それが『死せる戦士たち』の権利であれば、そのために戦うことが義務である。彼女の今言ったことは『義務』という彼女の名前を否定することになる。
「……意外ですー、喜んで話に乗ると思っていたのに」
「失敬な奴」
やっぱり冗談だったのか、とリヴは苦笑いを浮かべる。『義務』は甲冑が重いのか、翼を使って空を飛んで去っていった。
「おいっ!」
『義務』の姿が見えなくなったあと、いきなり声をかけられてびっくりした。恐る恐る後ろを振り返ると、巨大な斧を持ったロヴァルが笑っている。いつもよりよりごつい甲冑を着ているので、リヴは条件反射で逃げ出しそうになった。
「おめえには全然似合わねえなあ、その恰好」
「悪かったな」
こんな恰好したくない、できれば戦場に向かいたくない。でも、そんなこと許されるわけがない。
殺し合いなんて大嫌いだ、なんでそんな必要がある。みんなで漁をして暮らしていけばいい。毎日じゃなくていい、大漁のときくらい乳酒を奮発して、宴をやればいい。
こんな場所嫌いなのに、でも、それがなくなるのも嫌な自分がいた。
どうせ逃げるだけだろう。でも、その場に向かわないなんてことはできなかった。
「おめえみたいなのは、ほんと、こんな場所じゃなくて、嫁さん貰って、魚でも釣って、夜には物語でもつむぎながら過ごすのが似合ってんだろうな」
「ここに来る前はまさにそんな生活だったさ」
出来の良すぎる妻ができたのも、リヴの物語が好きだったからだ。リヴは近所の老人たちの話を昔から聞くのが好きだったし、魚を卸す際、毎度商人に面白い物語はないかたずねた。それを、皆が聞き取りやすいように話し、時には自分で創作したものを加え、人に話すのが好きだった。子どもができたら、いつかたくさんの物語を話して楽しませてやりたいと思っていた。
「そうだろうな。やっぱおめーには戦場は似合わねえわ」
濃いひげ面が近づいたかと思うと、鳩尾に衝撃が走った。
「俺らがちゃっちゃと片付けてくるよ、それまで寝てろ。そしたら、首切らせろや」
ロヴァルがそう言ってリヴを担いだ。そこまでしか、リヴは記憶になかった。
目が覚めると、リヴは無茶な体勢で酒樽に押し込められていた。なんとか這い上がると樽ごと転げて廊下へと出てしまう。
『英雄たちの館』、そこはがらんどうで人は誰もいない。美しい鏡のように磨きあがった回廊は地響きのためだろうか、無残に割れていた。
リヴは酒樽に浸かって、ぼんやりしていた頭を揺さぶると、外へと向かった。
絶望が広がる戦場へと。
そこはなにもかも終わったあとだった。
「おい! おい!」
太陽はないがもう夕刻だろう、積み重ねられた死体たちはよみがえらない。ただ、血生臭い匂いがどんどん腐臭に変わっていく。
リヴは死体を掘る。首がない身体、胴体が切断されている身体、竜の炎を浴びて焼け焦げた消し炭に、『死者の女王』によるものだろうか、半身が腐ったものもいた。槍と剣が無数に突き刺さった巨人たち、腐敗した屍人たち、その亡骸もまた転がっていた。
誰もいない、誰かいないか。誰か、誰か、誰か!
掘り起こす中で、リヴは見慣れた顔を見つけた。濃いひげ面、まさに英雄をかたどったような男、誰よりも笑って殺しを行う男。
「ロヴァル! ロヴァル!」
リヴはゆすり起こす。しかし、彼の首は横に倒れると戻ることはなかった。血走り濁った眼、首には一本の矢が突き刺さっている。彼の身体には無数の矢が突き刺さっていた。彼はそれを受けつつも、後ろを振り返らなかったのだろう。彼の背に矢はない。
「ロヴァル……、……ヴァル」
小さくなっていく声とともに、怒りが込み上げてきた。
「よみがえれよ、あれだけ毎日殺しあってきたんだろ。なんで蘇らないんだよ! なんのために今までやってきたんだ!」
「殺すためだろ」
後ろから声が聞こえて、リヴは振り返った。そこには、ロヴァルそっくりの、だが若い男がいた。
その右手はすでになく、脇腹には槍が突き刺さっていた。立っているのが不思議なことで、その上歩いているとなれば、彼の異常さが際立った。
リヴは死体を踏みつけ、ジギスムントに駆け寄る。彼の身体は倒れ込むようにリヴにのしかかった。リヴより二回りも大きい身体は、思った以上に軽かった。
「俺たちは殺すためにここに連れてこられた。そのための毎日だった。それ以上もそれ以下でもない。ただそれだけのための存在だ」
「喋んなよ、すぐ傷の手当する。ほら、腹出して!」
リブは自分の服を千切り、ジギスムントの腹に巻こうとした。針と糸を用意して、早く縫い付けないと。
「玉ねぎスープ飲む必要もねえよ」
笑いながらジギスムントが服をめくる。こんな傷を負いながらも、この男は笑っている。空は赤い、血の色で染まったためだろうか。太陽のない黄昏を迎えようというのに、誰もよみがえらない。これが『神々の黄昏』というものだと話では聞いていた。でも、それがくるのはずっと先のことで、まだまだ関係ないものだとリヴは思っていた。
「やめろよ、諦めんなよ。僕を殺すんだろ、なあ。好きなだけ殺していいから、なあっ! なあっ!」
「ふはは、親父が聞いたら、喜んでぶったぎりにくるぜ」
笑うジギスムント、なにを言っているんだ? さっきのやり取りは見ていなかったのか? 死体の山の上にあるお前の親父の骸が見えないのか?
彼の緑色の目が虚空をむいている。その焦点は合っていない。もう何も見えていないのだろう。
「お前ら殺しあう以外なにかなかったのか? 他にも世の中楽しいこと面白いことたくさんあるだろ。やりたいことあるなら生き残ろうぜ」
「やりたいことか……」
ジギスムントは空を仰いだまま、残った左手で胸を掻く。何か取り出そうとしているが、それが上手くできないらしい。リヴは彼の上着をめくった。
「……」
「親父はさあ、先祖代々、『死せる戦士たち』の家系だって言ってたけど、俺、知ってるんだ」
ジギスムントの胸にあった首飾りを取ると、リヴはジギスムントの手に持たせてやる。拙い細工の薄汚れた木片がそこにあった。素朴な歴戦の戦士にはふさわしくない、地味で味気ないもの。
「代々って言っても、親父の親父、つまり爺さんがはじめて『英雄の館』に選ばれたんだってさ。それまでは、ただの漁師、魚とって売るだけ。腕はよかったからか、略奪にも参加せずのうのうと生きてきた」
ジギスムントの首飾りは彼の生まれる前からあったものだろうか。擦り切れて彫り込まれた文字も見えなくなっている。だが、リヴにはそこに何が書いてあるのかわかった。
きっと、これから生涯を共にする妻に向けた守りの呪いだ。妻は子が生まれればそれを子に渡し、孫に生まれれば次へと引き継いでいくだろう。
リヴは自分の胸にある首飾りをぎゅっと握る。
「親父も俺も、爺ちゃんに憧れて戦士になるため戦場に出たんだ。ばあちゃんや母ちゃん、弟や妹も泣いたけどそんなのどうでもよかった。戦場暮らしは慣れてしまえば悪くないし、俺たちはあんたみたいに優しくなかったから」
略奪なんて慣れてしまえば、楽しかったと笑う。
最低の奴らだとリヴは思う、でも憎めなかった。
「いいから、そんなのいいから。僕を殺してでもいいから、だから……」
死なないでくれ。
でも、それは不可能だ。
積み重なった骸の中に、神の遺体も混じっていた。これは『神々の黄昏』、神の奇蹟によってよみがえる『死せる戦士たち』が神無き後も同じようによみがえるわけがない。
「爺さんってどんな奴……だったんだ、ろ……」
力なく、ジギスムントの首が垂れた。
リヴはひたすら泣き叫ぶことしかできなかった。
それからどれだけ経っただろうか、数日のような気もするし、数秒だったかもしれない。何百年も『英雄の館』で同じことを繰り返していたリヴには時間の感覚が麻痺していた。リヴが『英雄の館』に来てしばらくしてやってきた親子。それが自分の子や孫だと気づかぬほどに。
似てないもんな。
そういえば、義父によく似ていた、と今更思う。村一番の漁師は、こんな貧弱な婿を見て苦笑いを浮かべていた。娘が選んだのだから仕方ないとも漏らしていた。
「……全部、知っていたのか?」
リヴは嗚咽混じりに言った。
目の前には半分折れた翼をつけた少女がいる。おっとりとした顔に似合わずその右手には、血糊にまみれた折れた槍があった。そんなぼろぼろの姿にも関わらず彼女は美しく、それだからこそ腹立たしかった。
「なんのことでしょう?」
「おまえが連れてきたんだろ!」
リヴは『義務』に向かって言った。
彼女の鎧はところどころへこみ、髪は煤と血糊で汚れていた。
「すべてを知っていた。こうなることも、それが神だから!」
「神とて万能じゃありませんよ」
いつもの間延びした口調じゃない。
「『主神』は『終末』がくることがわかっていました。そのために、『死せる戦士たち』を鍛え、勝とうとしました。『神々の黄昏』という言葉の意味がわかっていながら、抗おうとしました。自分の終わりを退けようとしました」
すべてが過去形だ。それが何を意味しているのか、リヴは理解した。抗おうとしたが、結局は失敗したのだ。『主神』はもういない。
「私もこんな未来は望んでいなかった。だから、『主神』に伝えたのです。これから起こる未来を」
『義務』は折れた槍を捨てる。捨てるとともに、ぼろぼろの兜や鎧が消え、真っ白なドレス姿へと変わる。『戦乙女』とは違う彼女の姿が現れる。
『義務』、その名は他にもある。『税』であり、『債務』であり、もう一つ『未来』。
『世界樹』の根元に住む三人の女神の一人、その末の女神は戦場にて『戦乙女』となり、勇者の魂を選定する。
ここにいるのは『義務』じゃない、『未来』として存在しているのだとリヴは思った。穏やかか顔立ちはそのままだが、その瞳には憂いだけが浮かんでいる。何度も見て何度も絶望した未来が今まさにここにあるのだから。
「……あんたは僕がここに生き残ることもわかってたんだろ」
『未来』は無言のままだ。こうして目の前に現れたということはそういうことだろう。
「皆が死んじまうのも全部わかって、選定したんだろ。ロヴァルもジギスムントも他の皆も」
「……」
「なんで僕を選定したんだ」
リヴは冷たい孫の身体を抱きしめながら言った。
「……滅びは避けられなかった。でも、誰もいなくなれば、そこに何があったのか伝えるものさえいなくなる。私にはそれが耐えられなかった」
泣き出しそうな声だった。
「誰か、語り手を残したかった。そんな私の我儘のために貴方を選んだ」
死んでしまったものたちの物語、それを紡ぐ語り部が欲しかった、と。
「『終末』を生き残り、そして新しい世界に生きていける人間。ただ強いだけでは駄目。相手の痛みを考え、だからこそ拳を振るえない弱虫、私にはそれこそ新世界の語り部にふさわしいと思った」
「買い被り過ぎだ!」
「いいえ、貴方はだからこそこうやって生き残っている」
「あんただって生き残ってる、あんたが語り部になればいい」
その言葉に『未来』は首を振る。
「私にできるのは見ることだけ。未来は見えても、そこにある物語をつむぐことはできない。物語の世界を作ることはできない」
『未来』は空を仰ぐと、折れた翼を広げた。
「もう『中つ国』も『霧の国』も『氷の国』もいろんな世界の境界が曖昧になってしまった。南西へ向かえば、貴方の生まれた村が残っているはずです。もうずいぶん時が経ちましたが」
『未来』は指を沈みかかった太陽から少しずれた方向を指さした。いつのまに、新しい太陽が現れていた。
「あんたはどうするんだ」
リヴが『未来』に言った。
「貴方の物語を楽しみに待っています」
『未来』は微笑んだまま、折れた翼をはためかせて、黄昏の向こうへと飛び去ってしまった。
リヴは飛び去る少女が消えるまで見守った。彼女がいなくなったあとでなにが変わることもない。
リヴは積み重ねられた骸から、ロヴァルの骸を引き出すと、息子の横に置いた。自分の首にかけてある首飾りをロヴァルにかけリヴは太陽の方向へと向かって歩きはじめた。
最初の物語は、勇敢な英雄たちの話がいいか、それとも無責任な女神の話がいいか、考えながら―――。
終わらなければ、これで二百字埋めて、「神を探せ」というタイトルで終わらせる予定でした。
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