6.グール
「何がどうなってるの……?」
「ヘルマが腹を抱えて笑いこけてるうちに、逃げられちゃったんだ」
「ヘルマが鼻水吹くほど大笑いしてるうちに、逃げられちゃったのよ」
「ブッ、なんで……僕のせいみたいに……ククク……」
床に座り込んだまま自分の頭を擦りながら周りを見回すタビーに、ノーザとエステーが好き勝手に答える。っていうか何で僕のせいみたいになってる?
僕はまだまともに喋ることが出来なかった。荒い呼吸のまま、ポチ2号に助け起こされて身体を支えられている。
GBに逃げられてしまったのだ。タビーのドジッぷりがツボにはまって、大爆笑した僕のせいらしい。なんで!?
「ともかく助かったよ。……ありがとう」
ノーザ・ゴーンが立ち上がろうとするタビーに手を貸して礼を云う。
「ホント、無事で良かったわ……運が良かったわね」
エステーの云う通り運が良かっただけだ。偶然僕達がここに来なければ、ノーザは死んでいただろう。
「どうも対人戦の好きな連中が集まって動き回ってるようだね。しばらくソロは危ないな」
「そうよ……私達は立ち上がったのよ!」
腕を組んでエステーに答えたノーザの声に、また別の声が続いた。そう云えばもう一人残っていたっけ。声の主は、死者の達に押さえ付けられて大の字に寝そべったのままノーザを睨み付けている。魔法使いらしい小型種族の女だ。名前はミルテと云うらしい。ピンク色の長い髪を左右で縦ロールにして垂らして、その髪は死者達にもみくちゃにされても何故か形が崩ていない。
「私達?」
ノーザが歯を剥き出しにして笑う。きっと虐めるつもりだ。僕も彼女に用があるけど、ノーザに先を譲る。今のうちに、ポチ2号のメンテでもしておこう。
ポチ2号が結局何も食べてないのを思い出す。インベントリからウサギの肉を二つ取り出して食べさせてやりながら、思い直してもうひとつ追加する。今日は頑張ったからな。ご褒美だ。
「誰かがやらないといけないのよ! このままじゃ駄目よ!」
「あー……ミルテさん? 突然何の主張かな? ってゆーか、誰かから聞いたことをそのまま喋ってる?」
ノーザが彼女の前にかがみこむ。優しそうな口調と裏腹に、彼女の髪を引っ張って顔を持ち上げる仕草はかなり乱暴だった。エステーが彼の背後で溜め息をついた。顔には「またなの?」と書いてある。
「ちょっと確認したいんだけど。最初に六人がかりで襲い掛かって来たのはそっちだよね? 前衛の二人のとか、スゴい楽しそうな顔で『ヒャッハー』とか云ってなかった?」
「……みんなの為よ! 誰かが……」
「みんな? なんだそれ? 何かの宗教用語? よく聞く言葉だけど、どんな意味か知ってるかい? たぶん人類の歴史上『神』と『愛』の次くらいに沢山使われてる言葉だと思うけど」
ミルテはノーザの屁理屈が理解出来ないのか、きょとんとした顔になる。そーいう手合いの云ってることを理解しようと思ったら駄目だよ、お嬢ちゃん。……ただの嫌がらせなんだから。
僕はポチ2号の顔の破片を取ってやりながら、二人のやり取りを聞いていた。タビーの頭の上に「?」が表示される。比喩じゃなくて実際に目に見える。ゲーム機能の《表情エモ》だ。
「だって、だって……」
「その『みんな』とやらの為なら、いきなり襲い掛かっても良いと、殺しちゃったりしても良いんだ? ふーん。へー」
「……あんた達が殺すからじゃない!」
「君、僕に殺されたこと有るの? 知らないなぁ」
「アタシは生きてるわよ!」
「まだね」
凄い顔をして笑うノーザを、ミルテは睨み続けることが出来なかった。小さな唇がきつく結ばれて震えだす。ノーザから視線を逸らして、消えそうな声はほとんど泣き声になっている。
「『現実』なら法律違反よ……あんた達なんて死んじゃえば良いのよ……」
「『死ねばいい』なんて云っちゃ駄目だよー。殺し合いなんて良くないと僕は思うな。殺人罪だ」
「誰かがやらないといけないのよ! このままじゃ駄目よ!」
「最初に戻ったぞ……まぁいいか。……つまり君の云いたいことを勝手に補足してまとめると、殺人は法律に反するけど、道徳律を優先するときは殺しは善いと……君は『現実』でもそうするし、ここでも『現実』に倣っているわけだ」
「……そうよ……」
ノーザが吹き出した。ミルテを玩具にして遊んで、最後に侮蔑の一瞥をくれて立ち上がる。自分の用が済んでしまえば、害プレイヤーの見本のようなこの男にとって、囚われのミルテはもう興味の対象ではない。どうでもいいのだ。
ミルテの方は、屁理屈でやり込められたことも気が付かないらしい。
「ヘルマ……もういいぞ。これ以上喋ってたら馬鹿が伝染りそうだ」
ミルテの顔が青ざめる。ポチ2号の手を引いてノーザの横に立つと彼女に微笑みかけた。人形の顔を外したままのポチ2号を見て、ミルテがさらに青ざめて、ついに泣き出してしまう。
「……降参よ……」
部屋に三人の笑い声が響いた。エステーもノーザも、僕も大笑いだ。涙が出てくる。
「『降参』! 対人戦にそんなシステムあったかな? なんかローカルルール? それなら不意打ちで襲い掛かる前に教えてよ!」
ノーザが死者達に押さえられたままのミルテの顔を蹴りながら喋る。
「やめとけよノーザ。泣いてるじゃないか」
僕は笑いを堪えてノーザを止めると、死者達に命じて彼女を立たせた。前屈みに彼女の顔を覗きこんで、優しく話し掛ける。ポチ2号にハンカチで顔を拭かせて余計に怯えられる。
「ミルテ? 呼び捨てでいかな? 大丈夫かい? 悪かったね。ノーザは怒ると乱暴でね……」
少し非難するような目をわざと作って、ノーザに向ける。もう一度彼女を見て微笑む。
「大丈夫、君を殺したりしない。君とはこれからも長い付き合いをしてみたいし。……ちょっといい? まっすぐに立ってみて……」
彼女のうつむく顔を死者の一人が起こす。その横にポチ2号を立たせてみる。
「良かった。背の高さは同じくらいだね。あんまり大きいと抱っこして運べないし……でも人形に入れるときに一回り削らないと駄目かな? 君は少し太ってる」
剥き出しのままのポチ2号の顔を見たミルテの表情が凍り付く。泣くことも忘れてしまったらしい。
「大丈夫。殺したりしない。さっきも云ったよね?」
もう一度同じことを云い聞かせながら、顎を持ってこっちを向かせる。形を確認するために、華奢な顎と首筋を撫でる。
「僕もよく知らないんだけど、グールはアンデットじゃないらしいんだ。材料も生きてるものを使うし。……そんな顔しないで、これからもよろしく頼むよ。ポチ3号」
ミルテの髪に触れている手は、すでに『ドレイン』のエフェクトに似た輝きで包みこまれて明滅を繰り返している。僕が詠唱を始めると、その輝きは少し強くなった。