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35.盲視

「エステーは……眼が見えないんだ……いや、見えるけど……blindsightって云うらしいけど……」


「事故よ。脳の視覚野に損傷があって、眼底にサポート用のインプラントを入れたのよ」


 壁に紋様を刻まれた回廊をしばらく進むと、おあつらえ向きに小さな玄室を見つけた。ときどき遠くからガチャガチャと例の敵の足音が聞こえるが、どうやら巡回コースからは少し離れているらしい。僕達は一度この小部屋で休息をとることにした。ポチ3号に出口を見張らせると僕達は車座になって話を始めた。


「盲視だね……」


「どういうこった? なんだそれ?」


 blindsightと聞いてノーザは思い当たることがあったらしい。僕とエステーが説明に窮すると代わりに話し始めた。


「視覚情報が脳内で処理される最初のステップに障害があるんだ。たぶん網膜から視覚野に至る途中で。その場所に損傷を受けるとね、見えているものが知覚できなくなるんだ。でも人間の脳の中で視覚情報の経路はその一本だけじゃない。視床や視覚野の損傷をバイパスして、先のプロセスと繋がるラインもいくつかあるんだよ。その部分にはなんの問題もない。だから無意識には見えている」


「つまり?」


 ノーザが話し始めるとニバスは腕を組んで、ときおり相槌を入れながら聞き始めた。タビーはノーザが口を開いてすぐに、理解することを諦めたらしい。インベントリからパンを取り出してかじり始めた。


「『見えないのに見える』のさ……昔から知られている現象だよ。自分では盲目だと思ってる人がカンで向きを云い当てたり、初めて訪れた場所で足元の障害物を無意識にかわしたり。大昔はオカルトの扱いだったけど、正体は『見える』という感覚を喪失してる状態だとわかったんだ。つまり『見えるのに気が付かない』」


「……私もそんなに詳しくはないけど、そうね。そうらしいわ。お医者さんの話だと」


「それでインプラントと云うのは?」


「頭蓋を振動して伝わる微少音声のアナウンスと、光の点の表示。飛来物や障害物を教えてくれるの。この世界でも機能してるわ」


「点は見えるの?」


 理解できそうな部分が出てきたらしく、エステーが話を始めるともう一度タビーも会話に混じりだす。


「その点もインプラントの機能ね。詳しく知らないけど、簡単な図形だけならインプラント自身が視覚野の機能を代替出来るって……それから自分の眼が点を追い掛ける動きを感じとる訓練もしたわ。『私』には『見えない』けど『眼』には『見えてる』のね」


「それで……見えたの? 見えなかったの?」


「インプラントからの情報と違うからわかっただけ。見えなかったわ」


 『網膜』から入力された信号は、脳の中で『視床』と呼ばれる部分を通過して後頭部にある『視覚野』に到達する。このとき初めて、人は自分が『見ている』という意識を持つ。さらに『視覚野』からの出力信号は『頭頂葉』を経て『前頭葉』に至り、処理され、そこでようやく人は物を『見る』ことが出来るのだ。そして『網膜』から『視床』に至る信号とは別に、運動に関係の深い『中脳』『脳幹』を経て眼球や周囲の筋肉を動かすための情報の流が存在する。『視覚野』が機能しなくなったとき、この信号が『中脳』の『上丘』から直接『頭頂葉』に伝わり、人はモノを見ながら見えると思えない『盲視』という症状になる。

 姉が事故で視力を失ったとき、僕は必死でその症状について調べた。今、現実の世界で姉の眼の奥にあるインプラントの微小音声とポインタの表示は、姉に『見えている』と云うことを強調して印象付け続けるためのモノだ。そしてそれは仮想の世界で視力を取り戻したエステーにとって、最大の武器でもある。

 『視覚野』をバイパスして『頭頂葉』に至る信号の経路は、脳をほとんど縦に一周する正常な経路にくらべて当然速い。そして直接眼底部から『前頭葉』に至るインプラントのポインタ情報はもっと速い。

 エステーは見えると認識する前に、インプラントによって敵の動きを知らされているのだ。


「それで……そのインプラントが敵を教えてくれた訳か?」


「恐らくそうだね。僕達は対象をあのモンスターに限定した『盲視』状態だったんだ。そしてエステーには最初から(・・・・)対処する能力が備わっていた。そう云うことだろう」


「反則だな。なんだか胸糞悪いぜ……」


 『反則』。ニバスが腹立ち紛れに云った言葉が、僕達の気分を上手く云い表していた。汚い遣り口の不意打ちを食らわされた気分だ。


「そう、これは反則だ。……『ずるい』。さっきヘルマが泣きながら云ってたね。このダンジョンは……この世界は、ゲームとしてのルールを逸脱した攻撃を仕掛けてきている」


「幻覚を見せる魔法でもない。解除不可能なペナルティを与えて明示しない。糞ゲーもいいところだよ……しかも手間暇かけて作った糞ゲーさ。透明なモンスターが作りたければ透明なテクスチャでも表示したらいいのに、わざわざ見えるモノを作っておいて僕達の認識を阻害した」


「どうやったらそんなことが出来るの? それに何故?」


「どんな技術なのかまったく検討がつかないよ。でも何故かは予想出来る」


「エステーさん?」


「そう、さっきの敵はエステーが居なければ突破出来なかった。あれはきっとエステーのための舞台だったんだ。最初のゼラチンキューブだって似たようなモノだよ。ニバス、君がいないパーティーに、あれが突破できるとは僕には思えない。最初が君で、二番目がエステーの舞台だ」


「敵は……この世界のシステムは……僕達を世界に閉じ込めている敵は、君達のためのダンジョンを作ったんだ。エルフ語とドラゴン語の封印、これだけなら、選ばれたのがペルディタエの可能性もあった。でもこれではっきりした。ニバスとエステー、君達が居なければ先に進めない。これは『ずるい』『反則だ』。ほかの《プレイヤー》達では絶対にクリア出来ないクエストなんておかしいだろ? もうゲームとして体裁を放棄しても、僕達だけに何かをさせたいんだ。『君達専用のクエストだ。やってごらん……命懸けで』そう云うことだろう」


 僕は立ち上がった。――面白くない。勝手に頭の中まで弄られて、世界だかシステムだか、なんと呼べば良いかわからない存在は、自分達が作って僕達に押し付けたルールさえ無視して、絶対者の高みから僕達を眺めて試している。遊んでるのだ。


「奥に何があるか突き止めよう。それが重要なモノならぶっ壊す。大切なモノなら何処かに棄ててやる。……神様気取りのシステム、僕達は思い通りには動かないぞ」

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