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32.奥の手

 腕を溶かされながら引っ張られ、急に地面の感触を感じなくなる。――捕まった。力の抜けた関節を揺らして身体が宙に浮く。全身が弛緩して力が抜ける。――麻痺だ。平衡感覚が失われ、ぼやけて斜めに傾く視界の中、ほとんど同時に動きだした二人の姿を認めた。


「ゴメンねッ!」


「危ねぇ!」


 足首と腕を引っ張られて、無理に身体を伸ばされる。肩のすぐ先に激痛。焼けるような痛みにも麻痺した喉で呻き声もあげられない。ゼラチンキューブに引っ張られていた僕の腕を、タビーが切断したのだ。僕はニバスに足首を掴まれたまま、逆さまにぶら下げられて腕が分解されていくのを見ていた。揺れて霞む視界の隅に、溶けてゆくネズミを捉える。大きい獲物を優先して食べているのか腕よりネズミの消化の方がいくらか進行していて、血と肉の濁りの中で頭蓋が身体から外れて漂うのが見える。それでも透明な壁に沈んだ僕の腕の、手首から先はすでに骨だ。血の色が透明なゼリーに滲んで、拡散して薄くなる。指の骨がバラバラになって、溶けながら丸みを帯びて小さくなってゆく。


「ヘルマ!」


 エステーが僕の身体を抱き止める。ノーザが治療のために呪文を詠唱する。


「……ズミ……腕……」


 麻痺の効果が消えても、燃えるような苦痛に口がうまく動かない。ノーザの目をじっと見て、彼が気が付いてくれるように祈る。急がないと間に合わない。この状況は――チャンスだ。


「そうか……ネズミを先に食べて……ニバス! ヘルマを腕の近くに!」


「わかった!」


 ニバスもすぐに気が付いて、ゼラチンキューブを刺激しないよう、慎重に腕の場所まで僕の身体を持ち上げる。僕は震えながら残っている方の腕で、ゼラチンキューブに沈んでゆく自分の腕に触れた。意思の力だけで、なんとか苦痛を無視しようとする。


 微睡みの君の御運びに酔え

 悪夢の娘に悦びを知れ

 無貌の父 恐怖の王

 祝福を賜りし我が名において命ず

 汝()るべき処に(まが)

 汝我が眷属の列に()


 切断されてはいても、僕の腕には違いない。今ゼラチンに触れている(・・・・・)のは僕の腕だ。あるいは溶けてゆく僕の腕は、もうゼラチンキューブの一部なのか。どっちにしろ、僕はそれに触れている(・・・・・)


 詠唱の終わりと同時に、無事な方の腕の指先が目に見えない壁に触れる。冷たく柔らかい感触。だけど今度は絡み付いて溶かされることも、麻痺も起こらない。ギリギリで呪文の詠唱が間に合ったのだ。


「……下がれポチ5号(・・・・)


 音も立てず、ゆっくりと僕達から離れるポチ5号。溶けかけのネズミとタビーの短剣で、辛うじて場所がわかる。これで十分な広さが確保できた。


「ニバス……後ろのは任せるよ……」


「ああ、お前根性あるぜ……そのまま特等席で俺の『取っておき』を見てな!」


 ニバスの折り曲げた腕に座ったかたちで、プレートの胸に身体を預ける。ニバスは片手で僕を抱えたままもう一匹のゼラチンキューブに向き直って叫んだ。


「みんな下がれぇ!」


 ニバスの鱗に覆われた顔の、閉じられた口の中で何かが輝く。岩の亀裂を内側から溶岩が照らすように稲妻のような線が走った。長い上顎の先で陽炎が揺らぐ。信じられない。――それは鼻息(・・)のせいだ。鼻から口の隙間から、瞬く輝きがニバスの顔をおかしな方向から照らす。鱗だらけの巨大な手のひらで頭を押さえ付けられる。半身を捻って僕の身体を自分の頭から遠ざける。


 ニバスは炎を吐いた。


 膨大な熱量に空気が急激に膨張して突風を起こす。熱気に目を細めて、指の間から横向きに迸る火炎に目をみはる。正面から火炎の衝撃を受けて見えない存在が回廊の壁面から引き剥がされるとき、バンッと大きな音がして景色が凹面レンズ越しのように歪んだ。ゼラチンキューブの中央に大穴を開けて火炎が通り過ぎ、空中に出来た炎のトンネルの向こうで、千切れ飛んだ破片が燃えながら転がった。トンネルの外側の光景が歪むのは、透明な存在が煮え立ちながら崩れてゆくからだ。


 火炎を吐いた反動を往なして後方に跳んだニバス。その腕の中から見た光景は、ほんの一瞬の出来事だった。一瞬だ。

 タビーの《識別》で、敵には六万のヒットポイントと火炎耐性が有ることがわかっていた。それでもニバスは『取っておき』を使うことに、微塵も躊躇を見せなかった。そして今、僕をそっと床に立たせて、インベントリからポーションを取り出すドラコニアンは、もうゼラチンキューブの方にほとんど注意を向けていない。必殺の自信と確信があるのだ。あれを喰らって生き延びられるヤツはいないと。


「俺の奥の手だぜ? ホントは秘密にしときたかったんだが……お前らと戦うまで」


 僕と、近くに駆け寄ってきたノーザ達の顔を眺めてニバスが笑って云う。裂け目のような口の端が鱗を持ち上げて動く。熱気の残滓で立ち上がる陽炎の奥には牙が見えた。

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