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31.ゼラチンキューブ

 タビーの投げた短剣を目印にして、その手前で立ち止まる。やっぱりここにもいる(・・)。僕達が近付いたことに刺激を受けて見えなかったソイツの表面がざわつく。


「挟まれたぞ……」


 前を、後ろを睨み付けるニバス。瞼の上を流れる鱗の列が動いて、表情の変化を大袈裟に見せる。


「動きは遅い……それに止まった?」


 後ろのゼラチンキューブは死者達を食いつくしてほとんど透明に戻っていたが、まだ目で見ることが出来た。タビーの投げた短剣は奥の方に沈み込んで、もう目印にはならない。僕達の前にいる方もゆっくりと短剣を飲み込んでゆく。


「ぴったり壁の跡で止まってるわ」


 エステーが壁のネズミの跡の切れ目を杖で指す。


「危ない!」


 垂直の水面が、杖の先端に向かって盛り上がって伸びる。慌てて杖を引っ込めるエステーに後ろのヤツが盛り上がりを伸ばした。ニバスが見えない触手を剣で斬りつける。


「動くと反応する! みんな動かないで!」


「一応剣で斬れるみたいだぞ」


「剣の先見て!」


 尻尾が動かないように、片手で掴んでいるタビー。何故かを真似しているポチ3号。タビーが空いた手でニバスの剣を指す。剣先に斬られた断片が絡み付いて蠢くのが、かすかに見える。後ろの石畳が歪んで見えて、辛うじてわかる程度だ。剣から落ちたその塊は、床を這いずって本体に戻って行く。


「もしかして……共食いを避けてるんじゃないのか?」


「そうだね。ネズミの跡が残ってる部分は巡回コースじゃないのかも……きっと接触しないように行動範囲が決まってるんだ。でも一メートルくらいは伸びる」


「タビー、《識別》でわかることを教えて」


「さっき斬った方もヒットポイントは満タン。リジェネね……《魔法抵抗》もあるけど毒と麻痺に完全耐性。炎と氷と電撃に耐性」


「……無茶苦茶だな」


「攻撃には麻痺効果があるわ」


 僕達を挟んだ透明の壁が、ときどき震えて視界を歪ませる。ネズミの跡のある範囲は安全地帯らしいが、伸びる長さを考えればそれほど広いスペースではない。エステーが僕の方を気持ちゆっくりと向く。


「ヘルマ、これグールに出来ない?」


「あれは詠唱中、ずっと材料に触れてないと駄目なんだ。詠唱が終わる前に僕が食われる」


「参ったね……」


 ノーザが腕を組んで唸る。毒や麻痺、状態異常(バッドステータス)を敵に付与する《呪術》系の魔法を得意とするノーザも、僕の死者達も、近接攻撃を得意とするほかのメンバーにも相性の悪すぎる。


「ノーザの炎系の攻撃魔法は一応効くんだろ?」


「《魔法抵抗》の判定しだいだし、効果があってもダメージは半減される。それに……」


 ノーザは一度言葉を区切って周囲を見回した。つられてニバスも辺りを見回す。


「……距離が近すぎて僕達も魔法に巻き込まれる。念のため酸欠の心配もしたほうがいいかな……」


 前後を透明な壁に塞がれたこの場所は、風の流れもない。壁にへばり付いたゼラチンの気密性は高いように思える。この世界に酸欠まで再現されているかはわからないが、出来れば試してみたくもない。それにニバスの前で云わないが、ノーザの《精霊魔法・炎》のスキル値はそれほど高くないのだ。

 距離の問題も厄介だ。ほかに何か方法があっても、同じ様に味方の被害が出る恐れがある。


「……あのネズミ……食べられちゃったよね?」


「……そうか……ネズミ」


 タビーがぽつりと漏らした言葉で、ノーザが何か思い付いたらしい。


「ポチ2号はT字路にたどり着くまで、ネズミに会わなかった。そのときネズミは何処か遠くにいたか、まだポップしていなかったんだ。そのあと僕達から逃げて、たぶん前のヤツに食われた」


 僕を見て確かめるように話すノーザに、僕は黙って頷く。ポチ2号には、何か異常があれば戻るように指示してあった。ポチ2号がネズミに会わなかったのは確かだ。


「もう一度ネズミがポップして、同じコースを走れば、後ろのゼラチンはネズミを追い掛けるかも知れない。距離が稼げれば、攻撃魔法を試してみてもいい」


「ネズミより私達の方を優先しないかしら?」


 エステーの青白い顔が、さらに血の気を失ったように見える。希望的な予想に賭けるしかないし、距離が稼げても攻撃手段の不安は残る。分の悪い賭けだ。


「わからない……じっと動かずに待つしかない」


「わかった。距離が稼げたら……俺に任せろ。でっかい穴を開けてやる」


 ニバスに何か考えがあるらしい。


「厚みがわからないけど……いける?」


「ああ、俺の奥の手だ。お前らには見せたくなかったがな……」


 剣を鞘に納めてニバスは腕を組む。あとはダンジョンの何処かでリポップしたネズミが動き回って、ゼラチンを刺激するのをじっと待つしかない。どのくらい待てば良いのか、誰にもわからない。誰も動かずに、じっと息を潜めて重苦しい時間を過ごした。そしてそのときが来た。


「うわっ」


 タビーの悲鳴。タビーと向かい合っていた僕が振り向くと、視線の先にいるのはネズミだった。


 ネズミの発生地点は、今僕達のいるこの場所だったのだ。

 

 僕達に反応して逃げ回ろうとするネズミが、パニックを起こしたように狭い範囲を走り回る。その動きに刺激を受けて、僕達を閉じ込める透明な壁がざわつく。景色が歪んで、見えない触手が壁一面から伸び始める。


「危ない! ヘルマ!」


 触手を避けて身を寄せ会う僕達の、一番通路の中央に近い場所にいた僕の左腕に、のたうつ触手の一本が触れた。身体が動かなくなる。――麻痺だ。恐ろしい力で透明な壁の方に引っ張られながら、自分の腕が溶けて骨が見えるのに気が付いた。不思議と痛みは感じなかった。

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